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第三章 社畜と昔の彼女と素直になるということ
11.社畜昔ばなし ⑩彼女
しおりを挟むその後、修学旅行は三日目のディズニーランド、四日目の大学見学を経てあっという間に終わった。
俺は男友達と行動していたが、照子のことばかり考えていた。深夜のモンハン大会で「そういえばあいつ、告白されたらしいな」という噂話を聞くたびに、心臓が飛び出そうになった。俺たちのことは噂になっていないのが幸いだった。
修学旅行後、部活へ復帰する日に照子からメールがあった。
『今日、帰り、家まで送って』
『いいけど、なんで?』
『会ってから説明する』
健全な彼氏彼女なら当然なのだが、俺と照子はまだ、完全な彼氏彼女を名乗っていない。照子が待って、と言った一週間の最後の日だった。
ここで俺は照子から何らかの返答を聞かされるのだろう、と思った。
俺と照子は二年になってから、部室に遅くまで残り、最後に部屋を施錠してから校門まで一緒にいた。それが自然な流れで、この日もそうしようと思っていた。
だが照子は、部活が終わって早々に俺のところへ来て、「帰ろ」と言った。
「お、おう」と俺は返事をして、すぐ部室を出た。ついにあの二人付き合い始めたんか、という部員たちの声を聞きながらも、俺達は早足で学校を出た。照子が深刻な顔をしていたからだ。
駐輪場の人目につかないところで一度止まり、俺は照子に話しかけた。
「どうしたんな?」
「あのな……木暮先輩に、別れようってメールしたんよ」
「ああ」
「そしたら……別れる前に一回、エッチさせてくれって」
どう返事をすればいいのか、わからなかった。
木暮先輩がそういう事を言うとは思わなかった。変わり者なのは知っている。性欲は人並みか、それ以上にあったと思う。『猫のペニスには棘が生えていて、雌の排卵を誘発する。雌は痛がる』という本当かどうかわからない性知識を教えてもらった事もある。
「先輩、今日は部活きてないよな?」
「多分、いつも放課後に会いよった公園で待っとる。まわり道したらええけど……なんか、急に先輩のことが気持ち悪くなって、ごっつい怖い」
「わかった。家まで送る。俺がおったらなんとかなるやろ」
俺はいろいろ気になっていた。照子は木暮先輩とどこまでしたのだろう? 照子の言いっぷりでは、すでにしているのかどうかもわからない。俺自身は、相手が処女だろうがなんだろうが、気にしないことにしている。ゼロ年代のエロゲーみたいに、ヒロインは処女でなくてはならない、とは思っていない。だが気になる。気になるものは気になる。
それに、木暮先輩はどういうつもりなのだろうか。照子がもう自分に気がないと知っていながら、最後の記念に一発やりたい、とでも思っているのだろうか。だとしたら許せない。女の子が嫌がっているのにそういう事をすべきではない。
色々考えながら、照子と二人、黙って自転車を漕いだ。
「あっ……」
照子が声をあげ、視線の先を追うと、木暮先輩が自転車で走っていた。
車道をはさみ、反対側の歩道を走っている。俺と木暮先輩は、一瞬目が合った。
俺はどうすべきかわからなかった。まだ照子の彼女ではないし、部活の先輩と仲違いはしたくない。だが照子を傷つけたくない。そういう思いが複雑に混じり、何も言えなかった。
木暮先輩は一瞬肩をすくめ、走り去った。俺たちを追ってはこなかった。
「……宮本くん、ごめん」
「なんで薬王寺さんが謝るん?」
「ほんまに先輩と会うとは思わんかった」
「まあ、あれで諦めてくれたらええけど」
結局この後、木暮先輩は『勉強に集中する』という理由で合唱部を辞めた。この日以降、俺が木暮先輩を見ることは二度となかった。向こうが避けていたのか、本当に偶然だったのかはわからない。とにかくそれが一生の別れになった。
** *
俺と照子が付き合い始めた、という噂はまず合唱部に広まり、やがて学校じゅうに伝わった。どこから聞きつけたのか、岩尾からは『おめでとう! 俺も赤坂さんに本気出す』とメールが来た。赤坂さんは何も変わらなかった。相変わらずロックバンドの事ばかり考えていた。
俺は照子と毎日一緒に帰り、何気ない雑談をしていた。でもこの時期、俺と照子の仲を近づけたのは会話よりメールだった。
当時はまだガラケーしかなく、メールと電話しか会話方法がなかった。メールは遊び半分でできる反面、本当に大事な話は電話でとか、会って話せとか、皆それぞれこだわりがあった。俺と照子に関しては、メールのほうが本音で話せていた。顔を見ないほうが色々と楽だったのだ。恥ずかしいことも言えたから。
ある日、帰宅したあとすぐ、照子からメールが来た。|ω・)という、壁からこちらを覗く顔文字で始まる。俺が返信すると、長い雑談が始まる。
『宮本くんって……何をおかずにしよん?』
俺は少しの間、考え込んだ。おかず、とは間違いなくアレの事だ。晩飯のおかずではない。
照子から、というか、女子から性的な話を振られるとは思わなかった。これまでの俺は、女子に下ネタを振ってはいけない、と思っていた。でも女子の方からそう言われると、これまでの常識が音を立てて崩れていった。
『えっ、普通にエロ画像とか見てするけど』
『うちのこと考えながらしてくれたらいいなあと思って』
照子の願望は、男の俺にはよくわからなかった。照子が俺のことを考えながらオナニーしていても、あまり嬉しくない。女はこうも男を独占したがるのか。
『まあ、妄想で、考えんかったこともないけど』
俺は正直に言った。照子はたまにバンド練習で胸元が開いた服を着ていて。ドラムに座っていると上からよく見えた。男というものはそれで興奮せずにはいられない生き物なのだ。
『ほんま? うれしい! いつか宮本くんとエッチしたいな』
これも衝撃だった。
俺としては、照子にどう触れればいいのか、わからなかった。手をつなぐことすら恥ずかしいと思っていた。男の方がエロい、と言っても健全な男子の大半は、実際に彼女ができたらこうなる。というか、そう思いたい。
そんな照子が、いろいろな段階を飛び越えて『エッチしたい』と言ってきた。
俺は浮かれた。なんだ、もう薬王寺さんはそんな気分なのか、と思った。
一方で、ひとつ疑問が浮かんだ。ここまで軽く言ってくる、ということは、薬王寺さんはもうそういうことに慣れているのではないか。
前々から気になっていたことだ。どうせいつか知ることになる、と思って俺はメールを打った。
『木暮先輩とは、もうしたん?』
少し長めの間が空き、照子から返信が来た。
『うん。もう半年くらい、してないけどな』
予想はしていたが、少しだけショックだった。あんなに明るくて能天気そうな照子が、木暮先輩とはしっかりそういう関係を築いていたことに。
詳しく知りたかったが、前の彼氏のことをとやかく聞くのはどう考えてもマナー違反だ。俺は話題を切り替えることにした。
『ほういうんって、まずは手つないだりとか、キスとかしてからちゃうか』
『意外と純情なんやな、宮本くん』
『意外と、とはなんな』
この日は遅かったので、照子が寝落ちしたらしく、返信は返ってこなかった。
女ってエロいんだな。
バカな男の俺は、そう考えていた。だが実際は、照子はただエロい訳ではなく、俺を強く誘惑しなければならない、という気持ちに駆られていたのだ。
俺はすぐに、その理由を知ることになる。
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