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第二章 社畜と新しい彼女と親子仲のかたち

21.社畜と本気の恋愛

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 俺は、篠田の言ったことが理解できなかった。

 いや、理解はしていた。受け入れられなかったのだ。

 大事な話がしたい、と数日前に言われ、それは二人の進歩のはずだと信じていた。

 しかし、篠田の考えていたことは、俺と全く逆だった。

 俺が「近づいている」と感じていた一方で、篠田の心はどんどん離れていたのだ。


「どう、して、だ……?」


 篠田がしばらく何も言わなかったので、俺は振り絞るようにそう言った。


「宮本さんのことは、今でも好きです。でも私、わかってしまったんです」


 篠田はもう泣くのをやめていた。とても申し訳なさそうな顔だった。


「宮本さんは、理瀬ちゃんのことが好きなんだなって」

「理瀬が?」


 俺はその答えを全く予想していなかった。

 豊洲のタワーマンションに篠田が加わってから、俺はほとんどの時間を篠田と過ごし、理瀬とは同じ家にいながらあまり話さなかった。それなのに、篠田はそう思っている。


「前から言ってるじゃないか。俺はあの子の保護者代わりみたいなもので、その対価としてあの家に住ませてもらっている。それだけだ。恋愛感情的なものはない」

「はじめは、それで納得してました。理瀬ちゃんはいい子だし、一人ではかわいそうだなと思ってます。でも沖縄旅行で理瀬ちゃんの心配ばかりしてる宮本さんを見てから、おかしいなと思いはじめました」

「あの時だって、沖縄で一人にするわけにはいかなかっただろ」

「それはそうです。仕方なかったと思います。私は二人の旅行に理瀬ちゃんが加わったことより、宮本さんが理瀬ちゃんのことばかり考えているのが気になったんです。私が目の前にいるのにずっとスマホばかり見て、理瀬ちゃんをどうするかだけ考えて……普段なら、もうちょっと私のことも見てくれるはずなのに……」


 女の怒りは、一つの出来事で爆発するのではなく、徐々に積み重なって最後に決壊する。

 照子と付き合っていた時に、さんざん経験したことだ。

 俺は、またしても自分の彼女を怒らせていることに気づけなったのだ。

 理瀬を心配していたのは本当だったが、目の前にいる篠田にも配慮すべきだった。


「それで疑いはじめて……この前、私が熱を出したのに、宮本さんが理瀬ちゃんとお母さんの病院へ行った時、確信に変わりました」

「和枝さんは死にそうだったんだぞ。あれこそ仕方なかったんだ。高熱を出しているお前を置いていくのは不安だったし、お前が無理というなら戻るつもりだった」

「理瀬ちゃんだけ病院に行かせればよかったですよね。私だって死ぬかもしれなかったんですよ。扁桃腺炎は急変が多い病気ですから。あの時ちゃんと説明しなかった私も悪いんですけど」

「それは……」

「私あの時、熱でぼやっとしながら出ていく二人の姿を見て『ああ、宮本さんは理瀬ちゃんにとられちゃったんだな』って思いました。その時のイメージが頭から消えません。消えないんです。どうしても消えないんです」


 確かにあの時、熱に浮かされて正常な判断ができていない、ということを考えずに俺は理瀬と動いた。そのことが、篠田に大きな印象を与えていた。俺が気づかないうちに。


「そのあとは、もう――何をしても、あまり楽しくなかったです。これまで以上にデートしたり、くっついてみたり、夜は毎日、してみたり……でも宮本さんは理瀬ちゃんのことしか考えていないんだと思うと、隣にいるはずの宮本さんがどこにもいないような気がして……エッチする時だって、痛いだけで、何も楽しくなくて……」


 篠田の言葉ひとつひとつ(特に最後のやつ)が、俺に突き刺さる。

 

「……俺が理瀬を好きだというのは、本当に間違いだぞ。理瀬をそういう目で見たことは一度もない。妹や、娘を見る感覚に近かった。俺に娘はいないが」

「宮本さんの考え方はどうでもいいんです。私は、宮本さんが私よりも理瀬ちゃんを大切に思っている、それが許せないんです」

「……」

「理瀬ちゃんに親代わりの人が必要なのは私だってわかってますよ? 自分でも大人げない嫉妬だなって思ってますよ? でも耐え切れません。私、心の狭い女ですよね」

「……理瀬も、和枝さんも今は落ち着いているし、あのマンションを出てどこか二人で住もうと考えてたんだが」

「今更言われても困ります。それにどうせ、理瀬ちゃんのことばかり気にするんですよ、どこにいてもね」


 今からやり直そう、という言葉は通じそうにない。

 

「宮本さんは優しかったです。付き合う前も、付き合いはじめた後も。私みたいにモテない女の相手を真剣にしてくれて、すごく嬉しかったです。男の人と付き合うのってこんなに楽しかったんだって。そこは感謝してます。私、もう二十代後半だし、いま結婚を逃したらこの先なかなか良い縁はないだろう、って、たぶん宮本さんも同じこと考えてますよね。でも、これ以上続けるのは無理でした。だって私は、」


 篠田の顔が、少し笑顔になった。

今までため込んでいたものを吐き出し、すっきりとした顔で――


「宮本さんとだけは、本気の恋愛がしたかったんです」


** *


 俺は結局、そのあと篠田とまともに話ができなかった。

 もう顔も見たくないという篠田の思いを優先し、俺はしばらく千葉のアパートに戻った。篠田は有休をとり、その間に元から住んでいた会社の女子寮に戻った。

 理瀬には、篠田から事情を話した。性格の不一致、とだけ説明したらしい。理瀬は驚いたことだろう。昨日まで二人、一緒のソファでべったりしていたカップルが次の日から別れたのだ。

 しかし男女の交際とはそういうものだ。仕方ない。理瀬から俺には、何も連絡がなかった。興味がないのだろうか。あるいは嫉妬している篠田からひどいことを言われたのだろうか。まあ、理瀬の考えることなんて、俺の想像ではとうてい追いつかないのだが。

 一週間経ち、篠田からLINEが来た。


『もうマンションから全部引き上げたので、戻っていいです。今までありがとうございました。理瀬ちゃんのことを大事にしてください』


 このメッセージを見ても、俺は豊洲のタワーマンションに戻りたいと思えなかった。

 戻ったら、今回のようなことがまた繰り返されるような気がする。

 そもそも女子高生とただのアラサー社畜男が同居するなんて、互いにリスクしかない。

 もっと冷静に、最初から、考えるべきだった。

 理瀬はいい子だが、そもそも出会わなければよかった……

 何年かぶりに本気で絶望していた俺には、この世のすべてが憎かった。

 来週からどうしようか。

特にあてもなく、だが何か変わらなければならないという強迫観念に押され、スマホで新しい賃貸物件をだらだら探していると、新しいLINEメッセージが届いた。


『剛のあほ』


 薬王寺照子からだった。
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