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第二章 社畜と新しい彼女と親子仲のかたち

15.女子高生と大人の力

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 セックスなんて、実に簡単なことだ。

 昔の人は数回のお見合いで結婚したあとすぐ子作りに励んでいたし、結婚の形が大きく変わった現代でも、大学生なんか付き合い始めて一週間もしたら身体を許してしまう(もちろん個人差はあるが)。早ければ高校生、中学生、小学生高学年でもできてしまう。

 ピュアな気持ちをもつ少年少女の視点でいえば、それはとても遠く、手の届かない夢のようなものに見える。だが実際にやってしまえば、そんな夢は一瞬にして砕け散る。

 俺と篠田の間でも、それは同じことだった。

 行為の直前までは緊張していたが、終わってしまうと何でもない。

 沖縄三日目の朝、ついに一線を越えた俺と篠田は、会社がある日の朝のように疲れた身体をむりやり叩き起こし、ビジネスホテルの安い朝食をとった。

 お互いあまり話さなかったが、それは前日のビーチではしゃぎすぎたせいだ。泳ぎで全身を使ったためか、身体のいたるところが筋肉痛で悲鳴をあげている。篠田はスポーツマンなので俺ほどではないが、慣れない日焼けで苦しそうだった。なにより疲れがやばい。アラサーになると、どこか怪我をしたとか、風邪をひいて熱があるという具体的な症状がないのに体力が切れる『HPがゼロ』という状態によく襲われるのだ。

 俺たちはさっさと荷物をまとめ、ホテルを出た。レンタカーは昨日返却してあり、モノレールの最寄り駅まで歩く。


「あぢい」


 夏場外に出るとそれしか言わない篠田を見ると、少し歩き方がヘンだった。


「足、まだ痛いか?」

「ちょっと痛いけど大丈夫です」

「歩き方ヘンだぞ。無理しないでタクシーでも呼ぶか?」

「徒歩十分でタクシーはもったいないでしょ。足は大丈夫ですから。それより、ちょっと、まだヒリヒリするんですよね」

「日焼けか?」

「……宮本さんのばーか」


 俺は自分の無神経さに気づき、一瞬言葉を失った。

 昨日の行為のあとがまだ痛む、と篠田は言っているのだ。一般的な男にはエロ本以上の性知識など存在せず、初めての行為のあとのことなんか、考えもしない。

 照子の時もそうだった、だから自分の気が回らなかったことに余計腹が立つ。


「……すまん」


 俺が素直に謝ると、篠田は目を丸くしていた。


「宮本さんが素直に謝るなんて珍しいですね?」

「そうか?」

「なんか、昨日の夜からすごく優しくて、気持ち悪いんですけど」

「じゃあ厳しくしようかな」

「だめです! 優しくしてください! 優しい宮本さんが好きなんです!」


 アラサーにしては恥ずかしい言葉が篠田から出て、二人とも顔が赤くなった。

 この日、前日の夜のことが話題になったのは、この会話だけだった。

 俺と篠田は翌日から仕事で、理瀬も母親が忙しいため(結局来なかったが、計画した時から母親のスケジュールに合わせていた)昼前の便で東京へ戻る予定だ。モノレールで那覇空港に向かい、理瀬と合流した。

 三人で土産物屋を周り、俺は会社で配る用のちんすこうを調達する。篠田は女子社員向けのお土産をいくつか買っていた。理瀬は何も買おうとしなかった。


「エレンちゃんにお土産でも買ってやりなよ」

「別にいいですよ」

「あのなあ、自分のことを気にかけてくれてる友達ってすごく大事なんだぞ。お前からしたらうざいだけなのかもしれないが、こういう時くらい感謝の気持ちを込めたらどうだ」

「そういうもの、ですか」


 俺に言われて、理瀬は小さいシーサーの置物を買った。いやそのセンスはどうなんだ、と思ったが面白そうなので黙っておいた。

 飛行機まで時間があり、荷物を全て預けたあと、少し暇になった。

 三人で展望デッキに出て、沖縄最後の海の景色を見ることにした。この日も自衛隊機がバンバン飛んでいて、理瀬が目を輝かせながら見ていた。その食いつきぶりは篠田以上で、日差しの強い展望デッキからなかなか引き上げようとしなかった。美ら海水族館の時といい、一度興味を持ったものへの執着がすごい。

 日焼けが痛い篠田が先にギブアップして「アイスクリームでも食べてまーす」と言って消えた。俺と理瀬が展望デッキに残る。


「あの、宮本さん」


 飛行機に視線を向けながら、どこかよそよそしい口ぶりで理瀬が話す。


「どうした?」

「昨日の夜、その、し、篠田さんとうまくいきましたか?」


 昨日の夜、といえば何を聞いているのか、一つしかない。俺の目を見られないのは、恥ずかしがっているからだ。

 おそらく篠田から、沖縄での約束のことを聞いていたのだろう。俺から話した記憶はない。


「何が?」

「……いや、何でもないですよ、忘れてくださいよ」

「何を想像してるのかな?」

「……」

「理瀬ちゃんは見かけによらずエッチだなあ」

「……べ、別に想像とか、してないですよ」


 あからさまに困っている理瀬。ここなら通報するエレンもいないことだし、面白くなった俺はついついからかってしまう。


「俺じゃなくて、篠田に聞けばいいのに」

「私からは恥ずかしくて聞けませんよ。篠田さん、おしゃべりだからそのうち自分から話してくれますよ」

「俺に聞くのは恥ずかしくないのか?」

「恥ずかしいですよ。でも、その、私がいることで宮本さんと篠田さんの予定が狂ったりしてたら申し訳ないなって、ちょっと心配になっただけですよ」


 ただの好奇心かと思ったが、理瀬なりの気配りだったらしい。俺は慌てて、その場を取り繕う。


「ああ、すまん。心配してくれてたのか。でも気にするな、お前がいてもぜんぜん邪魔じゃなかった。むしろビーチの日は美ら海水族館とか提案してくれて助かった。お前がいなけりゃ、今頃クタクタで歩けなかったかもしれない。昨日の夜も、疲れてさっさと寝てただろうな」

「そ、それならよかったですよ」

「何か気になることでもあるのか?」

「気になるというか……二人とも、普段と様子がぜんぜん変わらないので、もしかしたら予定通りに、その、できなかったのかなあって思ったんですよ」

「そこは気にするな。一回やったからってそんなに雰囲気変わるもんじゃない」


 やった、という言葉で理瀬の顔が赤くなる。流石にちょっと刺激が強かったかな。


「まあ、理瀬ちゃんも大人になればわかりますよ」

「……子供扱いされるのは嫌ですよ」


 子供なんだから仕方ないだろ、と俺は言いたかったが、じゃあ臆面もなく「やった」なんて言えるのが理想的な大人なのかと言うと、別にそういう訳ではない。俺はその言葉を飲みこんだ。


「そんなことより、俺はお母さんに会えなかったお前のほうが心配なんだが」

「気にしないでください。いつものことですよ」


 急に冷たい顔になる理瀬。以前からそうだが、理瀬は母親である和枝さんの話をする時、急にふっと冷たくなる時がある。自分の力ではどうにもならない問題について、一歩引いてあきらめているようだ。

 学校のことならともかく、実の親についてそれは駄目だろう、と俺は思う。


「理瀬。お前を傷つけるかもしれないが、俺の考えていることを言っていいか?」

「……別にいいですよ、宮本さんが思っていることなら」

「お前のお母さんは、何らかの理由でお前と会うのを避けている」


 これは理瀬も薄々感づいている。だが、改めて他人から言われると、辛さが増す。俺はそれを承知でそう言い切った。


「だが、お前のお母さんはお前のことを悪く思っている訳ではない。実際、沖縄旅行は楽しみにしてたんだ。俺が直接話したから間違いない。じゃあなんでお前と会うのを避けているのか、そこが俺にもわからない。せっかく日本にいて、避ける理由はないと思う」


 理瀬は黙って聞いている。表情は冷たく、どう思っているかはわからない。


「だから、俺がお前のお母さんとよく話して、理瀬を避けている理由を聞き出す。そうしないと、俺の腹が収まらない。親子で会うのを避けるなんて、本当はありえない話なんだ。というか、俺はそう信じたい。どれだけ喧嘩しても最後には仲良くなれるものだから」

「……理由がわかったら、どうするんですか」

「もちろん、すぐお前に教える。解決できそうな問題だったら、俺が協力してなんとかするよ。あの優秀な人のことだから、何を考えているのかは俺にもわからないがな」


 理瀬は何も答えない。十五年以上かけて育んだ親子のわだかまりは、そう簡単に溶けるものではないらしい。


「とにかく、だ。お前が無理なら、俺が調べてやるから。一応許可をくれ。どうしてもお母さんと関わりたくないならやめておく」

「……そんなことをして、宮本さんになんの得があるんですか? 他人の親子仲に首を突っ込むなんて、リスクしかないですよ」

「お前には豊洲のタワーマンションに住ませてもらってる恩がある」

「あれは交換条件をつけたシェアハウスですよ」

「同じ屋根の下で暮らしてる子が悲しむ姿なんて見たくないんだよ」


 理瀬は顔を上げて俺を見た。その時の理瀬の目には、少しばかり涙が浮かんでいた。


「勝手にしてくださいよ」

「おう、勝手にするさ」


 素直な返事ではなかったが、これで十分だった。
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