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第一章 社畜と女子高生と湾岸タワマンルームシェア

2.社畜と女子高生のお礼

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 とある社畜の、ごく普通の一日が終わってゆく。

 取引先で人事異動があったから、という理由で挨拶周り。社有車のトヨタ・ヴィッツを運転し、後輩の篠田彩香を助手席に乗せて千葉県内を周り、帰路につく。

 大きな取引の話もなく、本当に挨拶だけで済んだ。

 俺は電機メーカーの技術営業なので、取引先と電気機器の技術的な話をすることもある。頭をフル回転させてエンジニア的な相談をするのと、車を運転して挨拶回りに出るのとでは全然違うのに、支払われる給料は同じだ。

 会社に入った頃はそれが嫌だった。俺はこんなつまらない形だけの挨拶回りなんかより、もっと他にやるべき仕事があるんだと。その頃の俺は若かったのだ。

 今は逆に考えている。

 ああ、車走らせて、適当に世間話するだけで給料が出るなんて、最高じゃないか、と。

 これがもしファーストフードの店員だったら、時給千円ちょっとのためにどれだけ身体を動かさなければならない?それに比べれば、社畜というものはずいぶんおおらかに生きている。

 さて運転は好きなのだが、後輩と一緒だと何も話さないわけにはいかず、俺は先日夜の『うんこ公園』で見かけた女子高生の話をした。


「――っていうことがあったんだよ。女子高生と話すのなんて、自分が高校生だった時ぶりだな」

「……宮本さん、会社終わった後に何してるんですか?」


 俺は珍しく女子高生と会話できたことばかり考えていたが、篠田としては夜散歩のほうが気になるようだった。

 篠田は俺の三つ下で、同じく技術営業に配属されている。真面目で、誰からも好かれる美人だ。取引先や自社の管理職たちに気に入られているが、女性社員のほとんどは体力的にきつい技術営業職をきらって総務などゆるい職場に行きたがる。篠田も何年持つかどうか。


「公園って、豊洲公園のほうですか?私、あそこ通ったことなくて」

「お、おう、そうだよ」


 『うんこ公園』であることは言わなかった。あそこは俺だけの秘密の場所。それなりに気の知れた篠田にも教えたくはない。

 豊洲公園は海沿いにあるオープンな芝生の公園で、『うんこ公園』と正反対の明るい場所だ。夜中でも小型犬を散歩させる奥様か、意識高い系のランニングマンが頻繁に行き交っている。

 くたびれたビジネススーツで豊洲公園なんか歩いたら、意識の高い豊洲の住人たちにニフラムされそうで怖い。


「……散歩するのなら、私も誘ってくださいよ」

「いや、俺は散歩したいんじゃなくて、一人になりたいんだよ」

「宮本さん、ヘンな人ですよね」


 篠田はすねるような感じでぼそっとつぶやいた。

 女子高生の話がしたかった俺は拍子抜けした。その後篠田が助手席で眠ってしまい、会社まで何も話さず、一人で首都高の追越車線を走り続けた。


* * *


『先日はありがとうございました。宮本さんが紹介してくれた病院のおかげでお腹の痛みはよくなりました。お礼がしたいので、今日の夜にこの前の公園に来ていただけないでしょうか』


 常磐理瀬からSMSが来たのは、彼女と出会って一週間後のことだった。

 硬めの、大人が書いたような文章だった。女子高生って、もっと(*´ω`*)みたいな顔文字使ってメールするものじゃないんだろうか。最近は絵文字とかLINEスタンプとかあるから違うんだろうな。十年前に高校生だった俺の価値観はもう古いわけだ。

 もう一度常磐理瀬と会うかどうか、俺は悩んだ。五年以上かけて社畜という立ち位置を確立させた俺にとって、夜中の公園で女子高生と会うことはリスクでしかない。事案発生、不審者情報地域メール発信、会社にバレてクビまである。

 しかし俺は会うことにした。

 根拠はないが、俺がここで断ったら常磐理瀬はあの寒い『うんこ公園』で待ち続けているような気がした。まだ少し痛む胃を押さえながら、冷たいオブジェの上で俺を待つ常磐理瀬のイメージが頭から離れなかったのだ。


『八時ごろ公園に行きます。もし予定が合わなかったら来なくても大丈夫です』


 簡単に返信し、仕事を無理やり片付けて八時過ぎに『うんこ公園』へ行くと、常磐理瀬はこの前と同じオブジェに座っていた。そこが好きなんだろうか。アラサーの俺には、冷えきったセメントに尻をつけるなんてもう無理だ。


「この間はどうもありがとうございました」

「病院はどうだった?」

「問診だけして薬を渡されました。あのお医者さん適当ですね。おかげで胃カメラせずに治りましたよ」

「それは良かった。しばらくは薬もらいに行ったほうがいいよ」

「そうしようと思います。これ、宮本さんへのお礼です」


 常磐理瀬は女子高生っぽい黒のバッグから、茶封筒を出して俺に渡そうとした。

 中身は見てないが、封筒の膨れ具合から何となくわかる。

 現金だ。

 おそらく諭吉。十万円以上はあるだろう。

 俺としては女子高生らしく手編みのマフラーとかを期待していたのだが、全くの予想外だった。


「これ、お金だよね?」

「はい。二十万円ほと包んでいます」

「……親御さんにそうしろって言われたの?」

「いえ、私の気持ちです。お金も私のものです」


 私のもの?

 なんで女子高生が、俺の月例手取り額ほどの現金を通りすがりのおっさんにぽんと渡せるんだ?


「待ってくれ。色々聞きたいんだけど」

「いいですよ。話せることは話します」

「キミは女子高生で一人暮らしなんだよね。どうしてそんな大金を用意できるんだ?」

「私、個人的に投資をやっていて、ちょっと前の仮想通貨の相場でかなりの利益を確定させたので、ある程度のお金ならすぐ用意できるんですよ」

「と、投資?仮想通貨?」


 投資家とか資産家とか呼ばれる人たちが、パソコンを通じて取引するだけで財を成していることくらい俺も知っている。仮想通貨ってのはビットコインってやつだっけ?同僚でも儲けたとか言っていた奴がいたな。

   しかし毎日満員電車に揺られて出勤し、くたくたになるまで働いてからまた満員電車で帰宅して手取り二十万ちょいの俺からすれば、部屋の中でカネを動かすだけでカネを稼ぐ投資家なんて別世界の住人だ。


「……信じてもらえないと思いますけど」


 確かに、女子高生が投資で財を成しているという話はなかなか信じられない。

 だが常磐理瀬は、俺のことを終始精悍な目で見ていて、その表情が嘘だとは思えなかった。


「いや、信じるよ。その歳で二十万なんて普通用意できないし、若い頃から才能を出せるヤツは確かにいるから」


 常磐理瀬は、一瞬だけだが笑ったように見えた。今までこの手の話を大人にして、信じてもらえなかったのだろうか。


「キミが自分の気持ちでお金を渡したい、というのはわかった。でも俺はキミからお礼をしてもらうために病院を紹介した訳じゃない。こんなことで二十万円も受け取るのは普通じゃない。だからこれは受け取れない。おっさんからの忠告だよ」


 そう言って、俺はまだ差し出されている茶封筒を手で押し返した。

 常磐理瀬は少し顔を赤くして、おとなしく茶封筒をしまった。素直に俺の忠告を聞いたのはいいことだが、まだ何か言い足りないようだ。


「……じゃあ、何なら受け取ってくれますか」

「いや、別にいいって。たまたま世間話しただけなんだから。お礼つっても、せいぜい一回メシおごってもらうくらいの話だろ」

「ご飯、ならいいんですか」

「高いレストランに行ってほしいっていう意味じゃないぞ?」

「それくらいわかります。私の手料理なら食べてくれますか?あまり自信ないですけど」


 女子高生の手料理、だと……?

 帰宅が遅いため毎日コンビニ飯の俺からすれば、料理にこめられている気持ちだけで腹と心がいっぱいになりそうな代物だ。

 

「いまから私の家に来てください。ちょうど私も食べてないし、すぐ作れるものにしますから」

「いやいやいや、手料理は嬉しいけど、一人暮らしの部屋にそのへんのおっさんを入れるなんてダメに決まってるだろ」

「宮本さんそういうことしなさそうだから大丈夫です。そんなことして私に通報されたら会社員でいられなくなりますよ?」


 何だ、この新手の脅しは。

 確かに、常磐理瀬に手を出したとして、彼女が泣き寝入りせず、しかるべき対応をすれば、俺は地獄に落ちる。

 言っていることの筋が通っているだけに、すぐ反論しづらい。ちょっと大人っぽいだけの女子高生だと思っていたが、頭の良さと狡猾さを持ち合わせている。


「お仕事終わって、お腹空いてますよね?」

「……まあ、そうだけど」

「女子高生の手料理、食べたいでしょ?」


 ここに来て女子高生を武器にしやがった!

 危うく「はい!」と即答しそうになり、俺はその言葉をぐっと飲み込んだ。


「家はこの近くです。行きましょ?それともこんな夜中に女子高生を一人で歩かせるつもりですか?」


 女子高生を武器にして効いたことに味をしめたのか、常磐理瀬は勝手に歩き出した。


「誰かに見られて、ヘンな噂立っても知らないからな……」


 俺は呆れながらも、常磐理瀬を一人で歩かせるわけにもいかず、愚痴りながらついて行く。


「ここが私の家です」


 表通りに出てからわずか数分で着いた、常磐理瀬の家だという場所は。

 つい最近完成したばかりの、豊洲で一番新しいタワーマンションだった。
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