生残の秀吉

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思惑

五十六.難癖の勝豊

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天正十年六月十七日 巳の刻

今朝から長浜ながはまあわただしい。長浜ながはまの城の北二里ほどのところ、かつて小谷城おだにじょうがあった小谷山おだにやま麓辺ふもとあたりにふた雁金かりがねのぼりを立てた軍勢が集結し始め、間もなく琵琶湖畔びわこはんにも同じのぼりが見られるようになった。数は四千ほどか・・・、軍勢は城下までは達していない。しかし小谷城おだにじょうが落ちてからの人の往来はもっぱ琵琶湖沿びわこぞいの街道を利用するのが普通で、琵琶湖畔びわこはん一帯を展望できる小谷山おだにやまふもとに陣を引くのはどう考えてもいくさを想定している。小一郎こいちろう秀勝ひでかつ琵琶湖岸沿びわこがんぞいの街道に設けた関所で構える。

「攻めてきましょうか。」

「分からん。いずれんせよいくさとなれば籠城ろうじょうするしかねぇ。支度したくだけはしちょこう。」

すると、小一郎こいちろう秀勝ひでかつの会話の目前に一人の武将が馬に乗って近づいてくる。将は一町ほど手前に止まり、名乗り始める。

柴田勝豊しばたかつとよ柴田修理亮勝家様しばたしゅりのすけかついえさま名代みょうだいとして参上仕さんじょうつかまつったぁ。羽柴小一郎秀長殿はしばこいちろうひでながどの御滞在ごたいざいと聞き及んでおる。是非に御目通おめどおり願いたいっ。」

小一郎こいちろううなずき、小兵こひょう二人を勝豊かつとよの元へ走らせる。小一郎こいちろうは小声で秀勝ひでかつに話しかける。

権六殿ごんろくどの御子息ごしそく直々じきじきにお出ましかぁ・・・。ここはわし一人で対処しますわぃ。秀勝殿ひでかつどのは後ろにて見張っててくだされ。」

「わたくしは邪魔じゃまでございましょうか・・・。」

「相手の出方を探りとうございます。秀勝殿ひでかつどのると分かりゃぁ、相手は萎縮いしゅくして手の内を見せんこともありましょう。」

「分かりました。義叔父上おじうえにお任せ致します。」

小一郎こいちろうはあらゆる想定を頭の中で張り巡らせながら、馬上の勝豊かつとよを迎える。

勝豊殿かつとよどの御久おひさしゅうござる。わしらが越前えちぜんを去ったとき以来じゃのぉ。れば話はあちらの陣所にて・・・。」

小一郎こいちろうは関に隣接する小屋を指差し、そこへ入っていく。勝豊かつとよは馬を降り、手綱たづな小一郎こいちろうの配下の小兵こひょうに預け、後に続く。小屋には床几しょうぎが二つ並べられており、二人がそれらに座す。勝豊かつとよが先行する。

此度こたびは、筑前様ちくぜんさまには亡き大殿おおとの殿との仇討あだうちの第一の功労者として、御祝願ごしゅくがん果たされましたこと、心よりおよろこび申し上げたてまつりまする。れば、われら柴田勢しばたぜい、遅ればせながら明智あけちの残党を討つべく、ここより岐阜ぎふ尾張おわりへ兵を進めるべく参上つかまつりました。この地を通る御許おゆるしをいただきたく存じ上げまする。」

御祝辞ごしゅくじいただきましたこと、あにさぁに代わり御礼おんれい申し上げまする。しかしそうは云われても、わしはあにさぁからは明智あけちの残党狩りはあにさぁと信孝様のぶたかさまとで行うんで、その支度したくをここでするよう言いつけられちょる。権六殿ごんろくどのらのことについては何一つ訊いておらんし、勝手に大軍を寄せれらて街道をふさいでもろたら困るんじゃが・・・。」

筑前様ちくぜんさま信孝様のぶたかさまの兵におきましてはこの連日のいくさで、さぞ御疲おつかれでございましょうから、ここから尾張おわりまではわしら柴田勢しばたぜい煤払すすはらいするのがよろしいかと存じます。是非とも兄君あにぎみ御取次おとりつぎをお願いたてまつりますが、お許しが出るまで城外で兵を休ませていただくこと、ご容赦ようしゃいただきたとうございます。」

れば気になっちょっるんじゃが、何故なにゆえ小谷おだにに陣を張る。あれではまるでこん長浜ながはまいくさを仕掛けるみてぇでねぇかぁ。やっと元に戻った城下のもんたちがおびえておるわぃ。」

「申し訳ございません。近々親父おやじが兵をひきいて来ることとなっており、街道沿いだけで家来どもを宿営させるのは手狭てぜまでありますので、致し方なく小谷おだにまで陣を広げてございまする。決してこの地にやいばを向けることはございませんので、皆々様にそうお伝えいただければ幸いと存じます。」

しばらく両者はにらいながら互いに考えを巡らせる。

(話が進まんようにするんは策のうちじゃろぅなぁ。待っちょる間に兵がふくらむっちゅうわけかぁ。無下むげに断っても、あにさぁからの返事を待つと駄々だだねながら、長居ながいするつもりじゃろう。さてぇっ、どうしたものかのぉ・・・。)

小一郎こいちろうがもう一つただそうとしたとき、秀勝ひでかつが二人の会話をさえぎらないように、よそよそしく小屋に入り、小一郎こいちろうの背後に回ろうとする。それに気づいた勝豊かつとよが思わず開口する。

「もしかして、そちらの御方おかた秀勝様ひでかつさまではございませぬか。」

思わぬ呼び止めに秀勝ひでかつ動揺どうようする。どうしたものかと小一郎こいちろうに眼をやるが、小一郎こいちろうも困惑の様子である。秀勝ひでかつは仕方なくうなずくと、急に勝豊かつとよが興奮し始める。

「やはりそうでしたかぁ。此度こたび仇討あだうちでの御活躍ごかつやくぶりは越前えちぜんにも響き渡っておりまするぅっ。何でも当初明智勢あけちぜいに攻め寄られたおり、単身で敵陣へ斬り込み、伊勢貞興いせさだおきはじめ多くの敵将どもを討ち取り、御味方おみかた窮地きゅうちしのがれたとかぁ・・・。」

「いやっ、それはわたしじゃのぉて・・・。」

秀勝ひでかつが訂正する間を与えず、勝豊かつとよは続ける。

「それに御輿みこしから落ちた手負いの黒田殿くろだどのを救わんと、勇ましくも駆ける馬から飛び降りて、周囲の敵兵どもをやりたおしまくったそうで・・・。その後、あの涙を流せぬ黒田殿くろだどのが大泣きで秀勝殿ひでかつどのに感謝の意を述べたそうな・・・。そばで見届けたかったわぃ。」

「だっ、誰がそんなことを・・・。」

一層呆気あっけとなる秀勝ひでかつの横で小一郎こいちろうがくくと笑う。勝豊かつとよの眼はもはや羨望せんぼう眼差まなざしである。

「わしも秀勝様ひでかつさまのような御人ごじん御仕おつかえしとうござった。若く勇猛果敢ゆうもうかかんで、御家来ごけらいの皆様を思いやり、そのために自らの命をかえりみない主人あるじに・・・。親父おやじも昔はそうだったんじゃが、今は佐久間さくまの言いなりじゃぁ。その上、あの信孝様のぶたかさまくみするとは・・・。同じ織田おだ御血筋おちすじでもえらい違いじゃというのにぃ・・・。」

秀勝ひでかつは少し居心地いごこちが悪くなるが、勝豊かつとよの不満を耳にした小一郎こいちろう活路かつろ見出みいだす。

秀勝殿ひでかつどのっ、武勇のうわさには尾鰭おひれがつくもんじゃ。じゃが秀勝殿ひでかつどのがわしらを御救おすくいくださったのはまことのこつじゃから、照れんで堂々としちょってえぇんぞぃ・・・。ところで勝豊殿かつとよどのっ、長浜ながはまに兵を進め、小谷おだにまで陣を広げちょるんは、信孝様のぶたかさま御下知おげちかぁっ。」

言い過ぎかとも思ったが、あこがれの秀勝ひでかつを前にして勝豊かつとよ愚痴ぐちは止まらない。

「ここだけの話っ、わしも困り果てておる。わしらとて上杉うえすぎに追われて命辛辛いのちからがら退いてきたから、本当は皆疲れきっておる。今はいくさよりも兵を休ませたいというに、何故なにゆえあの御人ごじん我儘わがままに付き合わねばならんのじゃぁ・・・。」

にやつく小一郎こいちろうほのめめかす。

「心配せんでえぇ。今頃あにさぁが、信孝様のぶたかさまに妙な動きをさせんようみやこで圧をかけとるところじゃぁ。じゃが勝豊殿かつとよどのぉっ、この地で休まれるんはえぇが、万が一いくさになりかけようもんなら、そうならんよう御味方おみかたの内からはかってくれんかのぉ・・・。秀勝殿ひでかつどのも同じ思いじゃぞぃ。」
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