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思惑
五十五.喜悦の母子
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天正十年六月十六日 酉の刻
小一郎と秀勝は夕日が沈む頃、長浜の城に到着する。城に入り、馬から降りると、多くの城中の者たちが二人を迎えに集まる。
「小一郎さぁっ・・・、秀勝殿ぉっ・・・。」
真っ先に飛び出してくるのはおねである。小一郎と秀勝の笑顔が明るい。
「姉さぁ・・・、よおぉ御無事でぇ・・・。」
おねが秀勝に抱きつき、やたらに秀勝の頭を撫でる。
「会いたかったでぇっ、会いたかったでぇっ・・・。」
するとおねの背後からゆっくり、なかが歩み寄り、一層の大声を掛ける。
「小一郎っ・・・、秀勝様ぁっ・・・、ほんまによぉぉぉ戻られたぁっ。」
気付いた小一郎がなかに抱きつき、泣きじゃくる。
「おっ母ぁっ・・・、ほんまっ、ほんまによかったあぁぁ・・・。」
四人の周りも、久々に再会する夫婦、親子、兄弟らが手を取り合い、喜びを分かち合う。
秀勝がおねに報告する。
「義母上、皆のおかげで初陣を飾ることができ申した。まさかその後仇討になるとは思うてもみませんでしたが、それも無事果たすことができましたぁ。ずっと義母上と義祖母様のことを気にかけておりましたが、こうしてまたお顔が拝見できて、とても嬉しゅうございまする。」
伸ばした両手で秀勝の肩をぎゅと握るおねの眼から涙が溢れ出ようとする。
「しばらく見ん間に・・・、御立派になられましたのぉ・・・。」
泣き顔を見られるのが恥ずかしいおねは、両手を秀勝の肩に乗せたまま、下を俯く。
「ほんにっ、ほんにっ、よぅございましたぁ・・・。」
と云ったところで、おねは秀勝の右太腿に布が巻かれているのの気づく。おねの泣き顔は一変し、心配性の母親の顔と化す。
「秀勝殿ぉっ、怪我をなされているのかぁ・・・。」
「あぁっ、これですか。戦場で受けた傷ですが、大したことありません。」
おねはじわじわと怒りを顕にし始める。
「旦那様の前で、あれほど小六殿に秀勝殿に傷一つつけぬよう申し付けたのに、何ということですかぁ。小六殿はっ、小六殿はどこですかぁ。」
「義母上ぇっ、小六殿はこちらにはまだ戻っておりませぬ。それに、この傷はわたくしが油断して受けたもの・・・。小六殿のせいではございません。」
「うぅぅぅん、いやっ、小六殿のせいじゃ。今度逢うたら、叱りつけまするぅっ。」
秀勝は眼を丸くしながら呆気となる。そして笑い出す。
「くくっ・・・、ははっ・・・、ははははっ、こっ、これは可笑しい。義母上も義父上とまったく同じことをおっしゃいますなぁ。ははははっ・・・。」
今度はおねの方が呆気となる。横から小一郎が割って入る。
「はははっ、まったくじゃあ・・・。兄さぁと姉さぁとでまったく同じことを云うちょるぅっ。離れちょっても、通じ合っとるのぉ・・・。」
「やっ、やめて下さいませっ、小一郎さぁっ。恥かしゅうございます。」
小一郎と秀勝は一段と高らかに笑う。笑い声が落ち着いたところで、小一郎はおねに説明する。
「姉さぁっ、此度の仇討で秀勝殿はほんに立派に御働きされましたぞぃ。正直云うて、これほど勇ましい御活躍をなされるとは思いもせなんだぁ。わしだけじゃねぇ、兄さぁも云うておりましたわぁ。いやっ、いやいやっ、今やわしらだけでのうて、摂津衆の皆々さままで秀勝殿をお慕いしちょりますぞぃ。」
秀勝は照れる。
「やめて下さいませっ。義叔父上ぇっ。此度前後ろ、右左と最も御働きなったのは義叔父上ではござらぬかぁ。わたくしまで恥ずかしい思いにさせて、世辞が過ぎますぞぉ。」
「世辞ではねぇ・・・。姉さぁっ、何とあの捻くれ者の官兵衛殿が皆の見ちょる前で秀勝殿に頭を下げたんですぞぃ。わしゃぁ、雪でも降るんかと思うてもぅたわぁ。」
おねの顔が再び和らぐと、痺れを切らしてなかが話しかけてくる。
「もぅ日が暮れちょおる。いつまでこないなとこで突っ立ったまま話し込んどるんじゃあ。ささぁっ、中へ入って夕食を召しなされぇ。そんからでも積もる話はできるじゃろうてぇっ。」
秀勝が尋ねる。
「見たところ城は何ともないようですが、中は如何ですかぁ。」
「まぁ、随分と荒らされちょったがぁ、おねさぁらと皆であらかた片付けは済ませてもうたわぃ。庭で作っちょった野菜はやり直しじゃがのぉ・・・。」
小一郎が一つ手を叩く。
「分かったぁっ・・・。そんじゃぁ、秀勝殿と先に入っててくんろ。わしゃ用事を済ませてすぐ行くからぁ・・・。」
そう云って三人が城の中に入るのを見届けた小一郎は、一人で城門の外に出る。そして再会する相手のいない手持ち無沙汰の小兵を手招きで呼び寄せて、小声で指示を出す。
「後ろの伊右衛門に伝えよ。今宵は家族があるもんは家に帰って休ませよと・・・。残りの者らを三つに分け、城と港と北口で宿営させよと・・・。それぞれで見張りを立てるんを忘れんようにと・・・。」
小兵は普段伝令などしたことがなかったので少し戸惑ったが、山内伊右衛門一豊のことはよく知っていたので、一つ頷いた後、ささと小一郎から離れ去る。それから小一郎は視線をゆっくりと琵琶湖の方へ向け、溜息一つつきながら考える。
(さてぇっ、ゆっくり休ませてもらいてぇところだが・・・、果たして権六殿はそうさせてくれるかのぉ・・・。)
小一郎と秀勝は夕日が沈む頃、長浜の城に到着する。城に入り、馬から降りると、多くの城中の者たちが二人を迎えに集まる。
「小一郎さぁっ・・・、秀勝殿ぉっ・・・。」
真っ先に飛び出してくるのはおねである。小一郎と秀勝の笑顔が明るい。
「姉さぁ・・・、よおぉ御無事でぇ・・・。」
おねが秀勝に抱きつき、やたらに秀勝の頭を撫でる。
「会いたかったでぇっ、会いたかったでぇっ・・・。」
するとおねの背後からゆっくり、なかが歩み寄り、一層の大声を掛ける。
「小一郎っ・・・、秀勝様ぁっ・・・、ほんまによぉぉぉ戻られたぁっ。」
気付いた小一郎がなかに抱きつき、泣きじゃくる。
「おっ母ぁっ・・・、ほんまっ、ほんまによかったあぁぁ・・・。」
四人の周りも、久々に再会する夫婦、親子、兄弟らが手を取り合い、喜びを分かち合う。
秀勝がおねに報告する。
「義母上、皆のおかげで初陣を飾ることができ申した。まさかその後仇討になるとは思うてもみませんでしたが、それも無事果たすことができましたぁ。ずっと義母上と義祖母様のことを気にかけておりましたが、こうしてまたお顔が拝見できて、とても嬉しゅうございまする。」
伸ばした両手で秀勝の肩をぎゅと握るおねの眼から涙が溢れ出ようとする。
「しばらく見ん間に・・・、御立派になられましたのぉ・・・。」
泣き顔を見られるのが恥ずかしいおねは、両手を秀勝の肩に乗せたまま、下を俯く。
「ほんにっ、ほんにっ、よぅございましたぁ・・・。」
と云ったところで、おねは秀勝の右太腿に布が巻かれているのの気づく。おねの泣き顔は一変し、心配性の母親の顔と化す。
「秀勝殿ぉっ、怪我をなされているのかぁ・・・。」
「あぁっ、これですか。戦場で受けた傷ですが、大したことありません。」
おねはじわじわと怒りを顕にし始める。
「旦那様の前で、あれほど小六殿に秀勝殿に傷一つつけぬよう申し付けたのに、何ということですかぁ。小六殿はっ、小六殿はどこですかぁ。」
「義母上ぇっ、小六殿はこちらにはまだ戻っておりませぬ。それに、この傷はわたくしが油断して受けたもの・・・。小六殿のせいではございません。」
「うぅぅぅん、いやっ、小六殿のせいじゃ。今度逢うたら、叱りつけまするぅっ。」
秀勝は眼を丸くしながら呆気となる。そして笑い出す。
「くくっ・・・、ははっ・・・、ははははっ、こっ、これは可笑しい。義母上も義父上とまったく同じことをおっしゃいますなぁ。ははははっ・・・。」
今度はおねの方が呆気となる。横から小一郎が割って入る。
「はははっ、まったくじゃあ・・・。兄さぁと姉さぁとでまったく同じことを云うちょるぅっ。離れちょっても、通じ合っとるのぉ・・・。」
「やっ、やめて下さいませっ、小一郎さぁっ。恥かしゅうございます。」
小一郎と秀勝は一段と高らかに笑う。笑い声が落ち着いたところで、小一郎はおねに説明する。
「姉さぁっ、此度の仇討で秀勝殿はほんに立派に御働きされましたぞぃ。正直云うて、これほど勇ましい御活躍をなされるとは思いもせなんだぁ。わしだけじゃねぇ、兄さぁも云うておりましたわぁ。いやっ、いやいやっ、今やわしらだけでのうて、摂津衆の皆々さままで秀勝殿をお慕いしちょりますぞぃ。」
秀勝は照れる。
「やめて下さいませっ。義叔父上ぇっ。此度前後ろ、右左と最も御働きなったのは義叔父上ではござらぬかぁ。わたくしまで恥ずかしい思いにさせて、世辞が過ぎますぞぉ。」
「世辞ではねぇ・・・。姉さぁっ、何とあの捻くれ者の官兵衛殿が皆の見ちょる前で秀勝殿に頭を下げたんですぞぃ。わしゃぁ、雪でも降るんかと思うてもぅたわぁ。」
おねの顔が再び和らぐと、痺れを切らしてなかが話しかけてくる。
「もぅ日が暮れちょおる。いつまでこないなとこで突っ立ったまま話し込んどるんじゃあ。ささぁっ、中へ入って夕食を召しなされぇ。そんからでも積もる話はできるじゃろうてぇっ。」
秀勝が尋ねる。
「見たところ城は何ともないようですが、中は如何ですかぁ。」
「まぁ、随分と荒らされちょったがぁ、おねさぁらと皆であらかた片付けは済ませてもうたわぃ。庭で作っちょった野菜はやり直しじゃがのぉ・・・。」
小一郎が一つ手を叩く。
「分かったぁっ・・・。そんじゃぁ、秀勝殿と先に入っててくんろ。わしゃ用事を済ませてすぐ行くからぁ・・・。」
そう云って三人が城の中に入るのを見届けた小一郎は、一人で城門の外に出る。そして再会する相手のいない手持ち無沙汰の小兵を手招きで呼び寄せて、小声で指示を出す。
「後ろの伊右衛門に伝えよ。今宵は家族があるもんは家に帰って休ませよと・・・。残りの者らを三つに分け、城と港と北口で宿営させよと・・・。それぞれで見張りを立てるんを忘れんようにと・・・。」
小兵は普段伝令などしたことがなかったので少し戸惑ったが、山内伊右衛門一豊のことはよく知っていたので、一つ頷いた後、ささと小一郎から離れ去る。それから小一郎は視線をゆっくりと琵琶湖の方へ向け、溜息一つつきながら考える。
(さてぇっ、ゆっくり休ませてもらいてぇところだが・・・、果たして権六殿はそうさせてくれるかのぉ・・・。)
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