生残の秀吉

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仇討

四十六.嗄声の官兵衛

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天正十年六月十三日 申の刻

官兵衛かんべえ天王山てんのうざん中腹ちゅうふくで愛好の御輿みこしの上から、円明寺川えんみょうじがわを見渡す。

かさをさせば、ちょっとしたやぐらじゃなぁ。)

天王山てんのうざんはさほど高い山というわけではないが、中腹ちゅうふくからでも戦場いくさば全体を一望できる。秀吉ひでよしからの伝令でんれいを受け、小一郎こいちろうが兵の多くを引き連れ天王山てんのうざんふもとに再配備し、高所の官兵衛かんべえから指図さしずを受けることにする。

瀬兵衛殿せひょうえどのの分隊がようやく前衛へ進み出しおったわぃ。このぬかるみじゃぁ、やもえまい。敵も動きづらいじゃろうから、今日はにらみあいのままで終わりかのぉ・・・。)

朝からの雨は敵味方関係なく、風景を淡白く塗り付け、兵の動きを見辛みづらくする。官兵衛かんべえは今日の大戦おおいくさはないと判断し、夜襲に備えた陣構えの構図を頭の中で描き始める。

「おぃっ、紙と筆を持てっ。」

とそのとき、前方遠くから『おおぉっ』という軍勢の雄叫おたけびが鳴り響く。

「なっ、なっ、何じゃぁ。」

官兵衛かんべえが川の方に眼をやると、西側の明智勢あけちぜいの数隊が川を渡り始めている。

「今頃から仕掛けてくるんかぃ。何考えとんじゃぁ。」

官兵衛かんべえあわてて怒鳴どなる。

「まだ動くなぁっ、今見極みきわめとるぅ。」

当然、官兵衛かんべえの声はふもとまで届かない。しかし官兵衛かんべえが右手を上げると、そばにいた官兵衛かんべえ間者かんじゃ一人が山を降り出し、小一郎こいちろうらへの『伝令でんれい』と化す。官兵衛かんべえは十数名ほどこのような間者かんじゃを周囲にひかえさせている。

(ありゃぁ、伊勢いせの若造の隊じゃな。二千ってところかぁ。瀬兵衛殿せひょうえどのの分隊が合流する前に仕掛けようという魂胆こんたんじゃなぁ。随分ずいぶんあせっとるのぉ・・・。)

いくさが始まったぞぉぃ。敵は中川勢なかがわぜいに襲い掛かっとるぅ。こちらはまだ動くなぁ。」

官兵衛かんべえは右手を上げ、次の伝令でんれいが走る。明智方あけちがた伊勢貞興いせさだおきの軍勢に対して中川清秀なかがわきよひでの本隊も動き出す。分隊の合流を阻止そしせんと西側に展開する伊勢勢いせぜいに対し、中川隊なかがわたいも自然と西の方に伸びるように隊形を変えていく。伊勢いせ中川なかがわの衝突が始まると同時に、彼らの東側に陣取っていた斎藤利三さいとうとしみつの軍勢と高山右近たかやまうこんの軍勢も雄叫おたけびを上げながら前進を始める。官兵衛かんべえ伊勢隊いせたいの後方を注視ちゅうしすると、桔梗紋ききょうもんが入った旗指物はたさしものが次々と立つのを目撃する。

(やはり後ろに隠れておったかぁ。日向守ひゅうがのかみ直臣じきしんじゃな。五百ほどかぁ。筑前殿ちくぜんどののいう通り、標的はわしらじゃな。)

官兵衛かんべえが見つけた並河易家なみかわやすいえの騎馬隊は伊勢隊いせたいのさらに西側を回り込むように駆け出す。

「五百ほど来るぞぉ。そなえぃっ・・・。」

一方の中川隊なかがわたいはまさかこの時刻になって兵が動き出すと思っていなかったのか、伊勢隊いせたいの勢いを止めきれない。ようやく分隊が合流するも、わずかなすきを突いた伊勢隊いせたいの突進に受け身になってしまう。

瀬兵衛殿せひょうえどのが攻められとるが、あっちの助けは久太郎きゅうたろうに任せぃ。こっちはこっちで敵が来るのをむかてぇ。」

並河なみかわの騎馬隊が勢いよく川を渡りきり、天王山てんのうざんに向かってくる。すると『どどどどぉっ』という鉄砲の音が鳴り響く。

「あぁぁ、早すぎるわぃ。もっと引きつけて撃たんかぁぇ。」

雨のせいか、いつもの鉄砲の轟音ごうおん幾許いくばくどもり、倒れる並河なみかわの騎馬兵は少ない。

「えぇいっ、こうなりゃぁむかてぇっっ・・・。」

そうこうするうちに斎藤隊さいとうたい高山隊たかやまたいからはじめる。そして山麓さんろくでは突進する並河なみかわの騎兵たちをむように小一郎こいちろう槍兵やりへいが流動する。

「よしっ、この程度の兵の数なんぞ、大したことねぇわぁ。押し出せぇっ、押し出せぇっ、・・・・、あっ、あぁんっ・・・。」

官兵衛かんべえは遅れてくる残りの並河隊なみかわたいの後ろから迫るもう一つの騎馬隊を見つける。

(しっ、しまったぁっ・・・。手前の旗に気を取られとったぁ。)

旗指物はたさしものを隠し込んでいるもう一つの騎馬隊は松田政近まつだまさちかひきいる軍勢で、こちらが播磨勢はりまぜい迎撃げいげきの主力である。松田隊まつだたい並河隊なみかわたいよりもさらに陣形を西側に広げ、天王山てんのうざん猛進もうしんしてくる。

小一郎こいちろうっ・・・、もう一隊来るぞぉ、数は千じゃあぁ・・・。」

しかし播磨勢はりまぜい並河隊なみかわたいによって前衛の陣形を乱されており、松田隊まつだたいむかつ準備を整えられない。それに対して松田隊まつだたいは東側には見向きもせず、ただただ天王山てんのうざんに突進する。

彼奴あやつ日向守ひゅうがのかみ直臣じきしんかぁ・・・。まさに物狂ものぐるいじゃのぉぅ・・・。)

松田隊まつだたいがまさに播磨勢はりまぜいにぶつかろうとする瞬間、再び『どどどどぉっ』と鈍い轟音ごうおんが鳴り響く。

「何をしとる・・・、今度は引き寄せすぎじゃあ・・・。」

先ほどよりかは多くの騎馬兵が鉄砲に倒れるが、並河なみかわの歩兵も一緒に雪崩なだんできたので、天王山てんのうざんふもとはたちまち騎馬と槍の応酬となり、大混乱におちいる。官兵衛かんべえ苦虫にがむしむ思いである。

(ちぃっ・・・、結局、山を背後に寄せられてしもうたぁ。)

そのとき官兵衛かんべえ中川隊なかがわたいの後ろから堀秀政ほりひでまさの隊が間も無く加勢かせいに入る姿をみとめる。

「よぉっしっ、久太郎きゅうたろう加勢かせいが入ったぁっ・・・。わしらもいくさに加わるぞぉっ・・・。皆の者ぉっ、山を降りるぞぉぃ・・・。続けぇぃ・・・。」

『おおおぉっ・・・』という怒声どせいが上がり、官兵衛かんべえを乗せた御輿みこしと共に二百の軍勢が天王山てんのうざんくだる。軍配ぐんばいを握りしめる官兵衛かんべえが叫ぶ。

ひるむなぁっ・・・、押し出せぇっ・・・、敵を山に登らせるなぁっ・・・。」

しかし松田隊まつだたいの兵が続々と流れ込み、ふもとの混乱はますます増大する。官兵衛かんべえの隊はほぼふもとまで降りてきたものの、なかなか先に進めない。官兵衛かんべえは士気を高めようと声を枯らしながら、心中で叫び続ける。

どきじゃぁ、どきじゃぞぉっ。)
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