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仇討
四十五.料簡の秀吉
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秀吉は頼隆に本陣の前衛に配置するよう命じると、頼隆は『承知』とだけ云って寺の堂から出て行く。そして後には秀吉と秀勝が残る。秀勝は唇を噛み締め、文机代わりの矢盾を思い切り叩く。
「何だっ、あの口のきき方はぁっ・・・。遅参しておきながら、義父上の策をろくに聞かず、その上、勝手に自ら討って出るなどとほざきやがってぇ・・・。全く、頭に来るぅっ・・・。」
「落ち着かれぇぃ。秀勝殿。あぁなるんは最初から分かっちょったわぃ。」
秀勝の怒りが収まる気配はない。
「しかも義父上の名を呼ばず、最後まで『御前』呼ばわりで、『よろしく頼む』の一言も云わんっ。わたくしは此度ほど三七兄ぃを軽蔑したことはありませんぞぉ。」
「落ち着けっちゅうとんじゃぁ。それに三七殿がわしを見下すことなんぞ、今に始まった話ではねぇ。勝手に云わせときゃええんじゃぁ。」
「わたくしはっ、わたくしは悔しゅうござる。」
「有難なぁっ、秀勝殿っ。其方にそう云われるだけでわしは嬉しいぞぇ。」
秀勝は少しは頭を冷やす。
「しかし義父上っ、三七兄ぃがしゃしゃり出て討ち取られでもしたら、われらが混乱して戦局を悪くしてしまうのではありませぬかぁ。さっきの丹羽殿が宥めるだけで三七兄ぃが大人しくなるとは思えませぬが・・・。」
「大丈夫じゃ、心配いらん。勝三郎がうまくやりおる。」
「池田殿がぁ・・・。」
「うむっ。ああいう御託を並べる御人をわしらが皆で言い負かしでもしたら、相手は拗ねてまうわぃなぁ。拗ねた将を見て士気が上がる兵なんぞおらんじゃろぉ。じゃからこういうときは、こっちが引いて三七殿をえぇ気分にさせといた方がえぇんじゃ。そんこつは勝三郎もよぉ分かっちょる。とはいえ確かに三七殿が勝手に飛び出してもうても困るから、勝三郎はおそらく前を元助殿と孫平次に存分に暴れさせ、自らは三七殿が前に出てこんよう壁になるつもりじゃ。」
「えっ、そのような話を事前にされておられたのですか。」
「んにゃぁっ。しとらん・・・。じゃが勝三郎が出て行くときの眼を見て分かった。ありゃぁ、『任せとけ』っちゅう眼じゃったわぃ。」
秀勝は感服する。
「恐れ入りました。義父上と池田殿が何も云わずとも分かり合っておられるとは・・・。わたくしなぞ、頭に血が昇って何も見えておりませんでした。いい勉強になり申した。」
「うぅんっ、あぁ、そりゃぁ褒め過ぎじゃ。それに勘違いすなよぉ。わしと勝三郎は決して仲がえぇっちゅうわけじゃねぇからのぉ・・・。」
ようやく秀勝の血気が冷め、わずかながら笑みが見えるようになる。そこへずぶ濡れの伝令が駆け込んでくる。
「申し上げます。天王山の小一郎様からの伝言です。敵陣は思ったよりも西に兵力を固めているとのこと・・・。」
秀吉は改めて先ほど信孝が座っていた床几に座し、地図を整え直す。秀勝は同じ床几に座り直し、地図を睨む。
「どぉ思う、秀勝殿。」
秀勝は自分に戦局について尋ねられたのが、何となく嬉しい。
「東の池田勢よりも西の中川勢の方が崩しやすいと判断したのでございましょうか。」
「確かに中川勢はまだ全部揃っとらん。じゃがそんなこつは敵は知らんじゃろうてぇ、他に考えがあるのやも知れん。」
秀吉は光秀の戦略を想像しながら、地図を睨む。
「ずっと十兵衛の陣形が気になっとったんじゃぁ。もし十兵衛の目的がわしらに川を越させんようにするこつなら、兵は川に沿って満遍なく並べた上、別働隊を中央後方に備えさせて、破られそうになったところを助けに行かせりゃええ。じゃが西に偏っちょるっちゅうことは・・・、十兵衛の狙いは・・・、天王山・・・、中川勢を留めながら、さらに西から回り込んで・・・、」
秀吉はしばらく黙り込み、一つの答えにたどり着く。
「十兵衛は播磨勢を崩すんを第一に考えちょるかもしれん。」
秀吉の推理に秀勝は聞き入る。
「わしらをここで留め置いても援軍は期待でけんのじゃろう。こちらの兵がさらに膨らむ前に打撃を与えなあかんと思うとるに違いない。恐らく十兵衛は間者から播磨勢が皆疲れちょるっちゅうことを聞いちょるんじゃろう。前線には元気な摂津衆が立ちはだかるよって、別働隊で弱っちい播磨勢を急襲すれば全体が崩れると踏んだんじゃ。」
「しかし山の上に陣取るわれらの方が有利なはず・・・。」
「播磨勢の疲れを計っとるんかもしれん。それに成果はでけぇ。今立てられているわしらの旗が皆十兵衛方の旗に置き換わりゃあ、あの山は川岸から丸見えじゃから、自ずと敵前衛の士気が上がるわぃ。こりゃぁ、十兵衛は勝負に出たのぉ・・・。」
秀吉の推理は戦場の動きだけでなく、光秀が置かれている政治的立場もうまく説明されている。その洞察力に秀勝は感心する。
「敵が西に重きを置いたということは、東が手薄になったということでは・・・。」
「あぁ、じゃからこの戦、池田勢が東を崩すのが先か、天王山を奪われるのが先か、そこが勝敗の分け目ぞぉっ。」
秀勝は再度悔しがる。
「うぅん、こんな刻に三七兄ぃの我儘が足枷になっとるぅっ・・・、くそぉっ・・・。」
「それも戦じゃ。覚悟せなあかんっ。もうそれ以上は申すなよっ。」
秀吉は秀勝をそう諭して、ずぶ濡れの伝令を呼び戻す。
「小一郎と官兵衛に伝えよ。敵はわしらの急所を播磨勢と見ちょる。天王山を攻めてくるぞっ。摂津衆が敵陣を突破するまで持ち堪えよと・・・。」
「何だっ、あの口のきき方はぁっ・・・。遅参しておきながら、義父上の策をろくに聞かず、その上、勝手に自ら討って出るなどとほざきやがってぇ・・・。全く、頭に来るぅっ・・・。」
「落ち着かれぇぃ。秀勝殿。あぁなるんは最初から分かっちょったわぃ。」
秀勝の怒りが収まる気配はない。
「しかも義父上の名を呼ばず、最後まで『御前』呼ばわりで、『よろしく頼む』の一言も云わんっ。わたくしは此度ほど三七兄ぃを軽蔑したことはありませんぞぉ。」
「落ち着けっちゅうとんじゃぁ。それに三七殿がわしを見下すことなんぞ、今に始まった話ではねぇ。勝手に云わせときゃええんじゃぁ。」
「わたくしはっ、わたくしは悔しゅうござる。」
「有難なぁっ、秀勝殿っ。其方にそう云われるだけでわしは嬉しいぞぇ。」
秀勝は少しは頭を冷やす。
「しかし義父上っ、三七兄ぃがしゃしゃり出て討ち取られでもしたら、われらが混乱して戦局を悪くしてしまうのではありませぬかぁ。さっきの丹羽殿が宥めるだけで三七兄ぃが大人しくなるとは思えませぬが・・・。」
「大丈夫じゃ、心配いらん。勝三郎がうまくやりおる。」
「池田殿がぁ・・・。」
「うむっ。ああいう御託を並べる御人をわしらが皆で言い負かしでもしたら、相手は拗ねてまうわぃなぁ。拗ねた将を見て士気が上がる兵なんぞおらんじゃろぉ。じゃからこういうときは、こっちが引いて三七殿をえぇ気分にさせといた方がえぇんじゃ。そんこつは勝三郎もよぉ分かっちょる。とはいえ確かに三七殿が勝手に飛び出してもうても困るから、勝三郎はおそらく前を元助殿と孫平次に存分に暴れさせ、自らは三七殿が前に出てこんよう壁になるつもりじゃ。」
「えっ、そのような話を事前にされておられたのですか。」
「んにゃぁっ。しとらん・・・。じゃが勝三郎が出て行くときの眼を見て分かった。ありゃぁ、『任せとけ』っちゅう眼じゃったわぃ。」
秀勝は感服する。
「恐れ入りました。義父上と池田殿が何も云わずとも分かり合っておられるとは・・・。わたくしなぞ、頭に血が昇って何も見えておりませんでした。いい勉強になり申した。」
「うぅんっ、あぁ、そりゃぁ褒め過ぎじゃ。それに勘違いすなよぉ。わしと勝三郎は決して仲がえぇっちゅうわけじゃねぇからのぉ・・・。」
ようやく秀勝の血気が冷め、わずかながら笑みが見えるようになる。そこへずぶ濡れの伝令が駆け込んでくる。
「申し上げます。天王山の小一郎様からの伝言です。敵陣は思ったよりも西に兵力を固めているとのこと・・・。」
秀吉は改めて先ほど信孝が座っていた床几に座し、地図を整え直す。秀勝は同じ床几に座り直し、地図を睨む。
「どぉ思う、秀勝殿。」
秀勝は自分に戦局について尋ねられたのが、何となく嬉しい。
「東の池田勢よりも西の中川勢の方が崩しやすいと判断したのでございましょうか。」
「確かに中川勢はまだ全部揃っとらん。じゃがそんなこつは敵は知らんじゃろうてぇ、他に考えがあるのやも知れん。」
秀吉は光秀の戦略を想像しながら、地図を睨む。
「ずっと十兵衛の陣形が気になっとったんじゃぁ。もし十兵衛の目的がわしらに川を越させんようにするこつなら、兵は川に沿って満遍なく並べた上、別働隊を中央後方に備えさせて、破られそうになったところを助けに行かせりゃええ。じゃが西に偏っちょるっちゅうことは・・・、十兵衛の狙いは・・・、天王山・・・、中川勢を留めながら、さらに西から回り込んで・・・、」
秀吉はしばらく黙り込み、一つの答えにたどり着く。
「十兵衛は播磨勢を崩すんを第一に考えちょるかもしれん。」
秀吉の推理に秀勝は聞き入る。
「わしらをここで留め置いても援軍は期待でけんのじゃろう。こちらの兵がさらに膨らむ前に打撃を与えなあかんと思うとるに違いない。恐らく十兵衛は間者から播磨勢が皆疲れちょるっちゅうことを聞いちょるんじゃろう。前線には元気な摂津衆が立ちはだかるよって、別働隊で弱っちい播磨勢を急襲すれば全体が崩れると踏んだんじゃ。」
「しかし山の上に陣取るわれらの方が有利なはず・・・。」
「播磨勢の疲れを計っとるんかもしれん。それに成果はでけぇ。今立てられているわしらの旗が皆十兵衛方の旗に置き換わりゃあ、あの山は川岸から丸見えじゃから、自ずと敵前衛の士気が上がるわぃ。こりゃぁ、十兵衛は勝負に出たのぉ・・・。」
秀吉の推理は戦場の動きだけでなく、光秀が置かれている政治的立場もうまく説明されている。その洞察力に秀勝は感心する。
「敵が西に重きを置いたということは、東が手薄になったということでは・・・。」
「あぁ、じゃからこの戦、池田勢が東を崩すのが先か、天王山を奪われるのが先か、そこが勝敗の分け目ぞぉっ。」
秀勝は再度悔しがる。
「うぅん、こんな刻に三七兄ぃの我儘が足枷になっとるぅっ・・・、くそぉっ・・・。」
「それも戦じゃ。覚悟せなあかんっ。もうそれ以上は申すなよっ。」
秀吉は秀勝をそう諭して、ずぶ濡れの伝令を呼び戻す。
「小一郎と官兵衛に伝えよ。敵はわしらの急所を播磨勢と見ちょる。天王山を攻めてくるぞっ。摂津衆が敵陣を突破するまで持ち堪えよと・・・。」
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