生残の秀吉

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仇討

二十六.焦燥の瀬兵衛

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瀬兵衛せひょうえは一見とぼけているが、内心では秀吉ひでよし軍に参陣することは決めていた。というよりも瀬兵衛せひょうえどころとする茨木いばらぎの東西にそれぞれ城を構える右近うこん勝三郎かつさぶろう秀吉ひでよしに味方する雰囲気ふんいきだったので、自分も秀吉ひでよしに味方せざるを得まいといったところである。瀬兵衛せひょうえが訊きたいのはむしろこの後の行動である。瀬兵衛せひょうえは遠くを指差しながら云う。

「いやぁ、馬なら彼方あちらつないでおる。ご心配なさるな。ところでこの先どうされるおつもりか。」

瀬兵衛せひょうえ外面そとづらこそ『猛者もさ』であるが、実は小心者しょうしんものである。自分ではなかなか事を決められず、他人に流されやすい。偉そうな風をしているが、相手の考えを訊き出しておいて、それに準ずるというのが瀬兵衛せひょうえのこれまでの生き方である。荒木村重あらきむらしげの一件もそうであった。結果として生き延びたのだから、瀬兵衛せひょうえは自分のざまを恥じていない。しかし周囲はそんな瀬兵衛せひょうえを心のどこかでさげすんでいる。瀬兵衛せひょうえもそれを何となく感じ取っているのか、妙に明るく気取るのだが、逆効果になってしまう。切支丹きりしたん右近うこんはそんな彼でもけむたがらないので、瀬兵衛せひょうえは困ったときはついつい右近うこんに相談を持ちかける。

筑前殿ちくぜんどの尼崎あまがさきに着陣されたら、おそらくそこで一泊するであろう。どうも勝三郎殿かつさぶろうどのが何かたくらんどるようじゃ。」

瀬兵衛せひょうえまゆひそめる。

「『たくらんどる』とは、まさか裏切るのか。」

右近うこんは苦笑して云う。

瀬兵衛殿せひょうえどのが期待するような暗殺やだまちではない。『縁組えんぐみ』じゃ。勝三郎殿かつさぶろうどのはもはや勝ち馬に乗った気じゃろうから、今のうちに筑前殿ちくぜんどのよしみを結ぼうとするじゃろう。」

「なんと、大殿おおとのが亡くなって間もないのに、けではござらぬか。」

右近うこんは大らかに説明する。

勝三郎殿かつさぶろうどのはわしらと違って『えん』を頼りにここまでがられてきたお方じゃ。こういったことにはわしらよりも敏感ぞぉ。」

瀬兵衛せひょうえくやしがる。

「うぬぬぅ・・・。」

あきらめよ。この手の話なら勝三郎殿かつさぶろうどのには誰もかなわん。生き残りたければ、勝三郎殿かつさぶろうどの懇意こんいにすることじゃな。」

そう云われると、瀬兵衛せひょうえかえってあきらめられない。

右近殿うこんどのはそれでえぇんかぃ。」

きした右近うこんは話を変える。

「そんなことはどうでもえぇ。要は筑前殿ちくぜんどの尼崎あまがさきで一夜を過ごすだろうということじゃ。そこで瀬兵衛殿せひょうえどの。その翌朝にはお主が筑前殿ちくぜんどのを迎えに上がり、この富田とんだまで案内あないしてくれまいか。」

そもそも瀬兵衛せひょうえはそうするつもりであった。しかし『富田とんだまで』という言葉に引っ掛かる。

「それはえぇが・・・、右近殿うこんどのは迎えに上がらんのかぃ。」

右近うこんまなこがきりと変わる。

「この先は敵地てきちじゃ。慣れとるとはいえ、わしらも用心せにゃならん。それに三万を超える兵が進むには邪魔じゃま山河やまかわが多すぎる。わしらが気をいつにできる陣を張れるのは、おそらくこの富田とんだが最後の地であろう。」

右近うこんは聡明ではあるが、要点のずれたところから話を始めるところがある。自分の質問にはっきり応えない右近うこん瀬兵衛せひょうえ苛立いらだつ。

「じゃから右近殿うこんどの如何いかがするのじゃ。」

右近うこんまなこは一層真剣味しんけんみを帯びる。

「わしはこの先で小競こぜいを始めておく。派手はでにな・・・。」

瀬兵衛せひょうえは声をあらげる。

「どういうことじゃ。それこそけじゃねえのか。」

単純な発想しかしない瀬兵衛せひょうえ右近うこんあきれっぱなしだが、真意を語るのが筋だと自分に云い聞かせる。

「そうではない。日向守ひゅうがのかみおびすのが目的じゃ。」

「なんと・・・。」

瀬兵衛せひょうえは聴き入る。

「わしらがここで早々に口火くちびを切れば、みやこ筑前殿ちくぜんどのを入れてはなるまいと、日向守ひゅうがのかみはこの辺りへ兵を次々と寄越よこすはずじゃ。」

瀬兵衛せひょうえは納得いかない。

「それはそうじゃが、筑前殿ちくぜんどのが到着されて万全ばんぜんになってから動くのではいかんのか。」

右近うこん先見せんけんめい発現はつげんする。

日向守ひゅうがのかみの兵がこれ以上ふくらまないというならばそれでも良い。今のままでもわしらは十分勝てる。じゃが、もし長岡殿ながおかどの日向守ひゅうがのかみの陣に加われば俄然がぜんと敵の士気は上がり、これほど厄介やっかいなことはない。今も長岡ながおかどの殿はどちらにくみするか悩んどるようじゃが、お立場を考えると無理もない。それだけに長岡殿ながおかどのの動きだけは最後までめん。じゃから長岡殿ながおかどのが動く決断をする前に、われらと日向守ひゅうがのかみじか対峙たいじする機を作らにゃならん。長岡殿ながおかどのが動くと分かれば日向守ひゅうがのかみはわれらをかわし、長岡殿ながおかどのと合流するのを優先するはずじゃからのぉ。」

仕掛しかけるなら早い方がえぇということか・・・。」

「そうじゃ。日向守ひゅうがのかみを今以上にかせて、みずから出陣せざるを得んように仕向ける。そして日向守ひゅうがのかみみずかららが出向くとなれば、恐らく勝竜寺城しょうりゅうじじょうあたりをどころとするはずじゃ。じゃからわしは少しでも戦局が有利になるように、ここから山崎やまさきにかけて煤掃すすはらいしておく。なぁに、筑前殿ちくぜんどのが着陣される頃にはちゃんと富田とんだに戻ってくるわぃ。手柄てがらひとめなどせんから心配致すな。」

瀬兵衛せひょうえ右近うこん智将ちしょうぶりだけでなく、その覚悟にもますます感服かんぷくする。そして自分だけが取り残されているのではとあせす。

右近殿うこんどの、やっぱり馬貸してくれぇ・・・。」
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