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仇討
二十三.疲弊の小一郎
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秀勝は不服である。自分は『羽柴』を名乗っているし、まだ官位もないので、秀吉の云うことはもっともであり、それ自身は素直に受け入れられる。気に入らないのは二人の兄である。秀勝は信長・信忠・秀吉は大いに尊敬しているが、次兄の信雄、三男の信孝にはむしろ軽蔑の感を抱いている。『仇討』の総大将としては、少なくとも『織田』家への傾慕という点では、彼らよりも秀吉や自分の方が相応しいと自負している。
かつて信長は早々に長兄・信忠への家督相続を宣言すると、信忠を手元に置き、重臣たちとも親睦を深めさせ、知行の哲学も自ら教え込んだ。一方で信長は信雄、信孝を北畠家、神戸家へさっさと養子に出し、いや寧ろ積極的に手元から離すことで、御家騒動を起こせないように仕組んだ。その結果、皮肉なことに信雄も信孝も土着の国人の影響を受け、秀吉や光秀のような『どこの馬の骨かも分からない』家臣に対して畏敬の念を持てず、極めて侮蔑的な態度を取るように育ってしまった。秀勝は三人の兄とはまた異なる事情で育ったのだが、信忠に可愛がられた影響が強く、信雄・信孝は『ああなりたくない』兄という反面教師の存在であった。
曇った顔の秀勝に秀吉は問う。
「不服か。」
表情に自分の感情が表れているのに気付く秀勝は慌てて弁解する。
「左様なことは・・・。義父上の仰せの通りにいたしまする。」
とはいえ暗い表情のままの秀勝に、秀吉は説く。
「秀勝殿、その不満を見せるのはわしの前だけにしとけよ。重要なんは十兵衛を討つことじゃ。それ以外のことに拘っちょる其方の振る舞いを家来どもが見たら、何と思うか。上に立つもんは堂々とせにゃならん。家来どもを大事に集中させないかん。それにゃぁ、たとい不満があっても心中に閉じ込めとかにゃならん。じゃが、どうしても我慢でけんようやったら、わしやおねがいくらでも訊いてやる。其方は一人ではねぇからな。」
秀勝は涙が溢れそうになり、思わず眼を伏せる。しばらく秀吉が秀勝を優しい眼で見守っていると、どかどかと廊下が響き出す。
「兄さぁ、起きちょったかぁ・・・。」
ずぶ濡れの小一郎がやってきて、秀吉の顔を見てほっとする。義理とはいえ親子水要らずの雰囲気をぶち壊す小一郎に、秀吉は苛立つ。
「朝から煩ぇのぉ・・・。秀勝殿と大事な話をしとるんじゃぁ・・・。」
秀勝は咄嗟に涙を拭い、小一郎に一礼する。小一郎は秀勝に気付く。
「これは秀勝殿。汚う格好で失礼仕る・・・。案外と早う着きましたな。」
小一郎は既に武具を外している。びしょ濡れの身体を手拭で拭きながら、秀吉と秀勝の間に座り込む。
「此度の一件、お悔やみ申し上げまする。」
と小一郎が深く一礼すると、秀勝は申し訳なさそうに再度一礼する。
「義叔父上には御苦労かけまする。もしや昨晩来、寝てないのではござりませんか。」
小一郎は一息つく。
「あぁ、寝ちょらん・・・。」
秀吉が呆れる。
「忙しのぉやっちゃのぉ。どうせ灯とか飯とかの段取りで右往左往しちょったんじゃろう。そんなもん、他んもんに任せりゃええんに・・・。」
「気になったら、自分でやらんと気が済まんのじゃぁ・・・。この雨じゃからあちこちで篝火が消えてまうんで、皆が道標を見失わんかと思うと気が気でならんかったんじゃぁ。」
先ほどの湿った雰囲気が一気に明るくなる。
「分かった、分かった。もう明けたからしばらく灯の面倒は見んでえぇじゃろう・・・。で、どれだけ戻った。」
「まだまだじゃ。じゃが雨も小降りになってきたし、日が暮れるまでには大方戻って来れるんじゃなかろうかのぉ。気になるんは、晩の大雨でいくつか橋が流されとらんか、っちゅうとこかのぉ。」
「よし、上出来じゃぁ・・・。小一郎、でかしたぞぉ。」
滅多に褒めない兄の言葉に、小一郎は少し照れる。秀吉は続ける。
「後は黒田の連中に任せて、おめぇ、寝ろっ。」
小一郎は調子に乗る。
「いやっ、それがさぁ、兄さぁ。さっきまで眠うてたまらんかったんじゃが、兄さぁの顔見たら眠気が一気に飛んでいってしもうてのぉ・・・。」
秀吉は床を叩く。
「寝ろっ。無理矢理でも寝ろっ。」
秀吉と小一郎のやりとりに秀勝は呆気となる。
「無茶云うなよ。人様っちゅうんはお天道さんが登ったら起きるもんなんじゃぁ。」
秀吉は再度呆れる。
「しょうもない理屈吐かすなぁ・・・。おめぇにゃぁ、やってもらわなあかんことがあるんじゃぁ。じゃからそん前に寝ろっ。」
一気に真面目な顔つきになる小一郎が尋ねる。
「わしゃ、何をするんじゃ。」
小一郎は秀吉を睨み、秀吉も小一郎を睨み返す。そして秀吉は無言のまま算盤を弾く真似をする。間が一つあり、小一郎はその場に大の字になって寝転ぶ。
「ぇえあああぁっ・・・ん。またかよぉっ・・・。」
かつて信長は早々に長兄・信忠への家督相続を宣言すると、信忠を手元に置き、重臣たちとも親睦を深めさせ、知行の哲学も自ら教え込んだ。一方で信長は信雄、信孝を北畠家、神戸家へさっさと養子に出し、いや寧ろ積極的に手元から離すことで、御家騒動を起こせないように仕組んだ。その結果、皮肉なことに信雄も信孝も土着の国人の影響を受け、秀吉や光秀のような『どこの馬の骨かも分からない』家臣に対して畏敬の念を持てず、極めて侮蔑的な態度を取るように育ってしまった。秀勝は三人の兄とはまた異なる事情で育ったのだが、信忠に可愛がられた影響が強く、信雄・信孝は『ああなりたくない』兄という反面教師の存在であった。
曇った顔の秀勝に秀吉は問う。
「不服か。」
表情に自分の感情が表れているのに気付く秀勝は慌てて弁解する。
「左様なことは・・・。義父上の仰せの通りにいたしまする。」
とはいえ暗い表情のままの秀勝に、秀吉は説く。
「秀勝殿、その不満を見せるのはわしの前だけにしとけよ。重要なんは十兵衛を討つことじゃ。それ以外のことに拘っちょる其方の振る舞いを家来どもが見たら、何と思うか。上に立つもんは堂々とせにゃならん。家来どもを大事に集中させないかん。それにゃぁ、たとい不満があっても心中に閉じ込めとかにゃならん。じゃが、どうしても我慢でけんようやったら、わしやおねがいくらでも訊いてやる。其方は一人ではねぇからな。」
秀勝は涙が溢れそうになり、思わず眼を伏せる。しばらく秀吉が秀勝を優しい眼で見守っていると、どかどかと廊下が響き出す。
「兄さぁ、起きちょったかぁ・・・。」
ずぶ濡れの小一郎がやってきて、秀吉の顔を見てほっとする。義理とはいえ親子水要らずの雰囲気をぶち壊す小一郎に、秀吉は苛立つ。
「朝から煩ぇのぉ・・・。秀勝殿と大事な話をしとるんじゃぁ・・・。」
秀勝は咄嗟に涙を拭い、小一郎に一礼する。小一郎は秀勝に気付く。
「これは秀勝殿。汚う格好で失礼仕る・・・。案外と早う着きましたな。」
小一郎は既に武具を外している。びしょ濡れの身体を手拭で拭きながら、秀吉と秀勝の間に座り込む。
「此度の一件、お悔やみ申し上げまする。」
と小一郎が深く一礼すると、秀勝は申し訳なさそうに再度一礼する。
「義叔父上には御苦労かけまする。もしや昨晩来、寝てないのではござりませんか。」
小一郎は一息つく。
「あぁ、寝ちょらん・・・。」
秀吉が呆れる。
「忙しのぉやっちゃのぉ。どうせ灯とか飯とかの段取りで右往左往しちょったんじゃろう。そんなもん、他んもんに任せりゃええんに・・・。」
「気になったら、自分でやらんと気が済まんのじゃぁ・・・。この雨じゃからあちこちで篝火が消えてまうんで、皆が道標を見失わんかと思うと気が気でならんかったんじゃぁ。」
先ほどの湿った雰囲気が一気に明るくなる。
「分かった、分かった。もう明けたからしばらく灯の面倒は見んでえぇじゃろう・・・。で、どれだけ戻った。」
「まだまだじゃ。じゃが雨も小降りになってきたし、日が暮れるまでには大方戻って来れるんじゃなかろうかのぉ。気になるんは、晩の大雨でいくつか橋が流されとらんか、っちゅうとこかのぉ。」
「よし、上出来じゃぁ・・・。小一郎、でかしたぞぉ。」
滅多に褒めない兄の言葉に、小一郎は少し照れる。秀吉は続ける。
「後は黒田の連中に任せて、おめぇ、寝ろっ。」
小一郎は調子に乗る。
「いやっ、それがさぁ、兄さぁ。さっきまで眠うてたまらんかったんじゃが、兄さぁの顔見たら眠気が一気に飛んでいってしもうてのぉ・・・。」
秀吉は床を叩く。
「寝ろっ。無理矢理でも寝ろっ。」
秀吉と小一郎のやりとりに秀勝は呆気となる。
「無茶云うなよ。人様っちゅうんはお天道さんが登ったら起きるもんなんじゃぁ。」
秀吉は再度呆れる。
「しょうもない理屈吐かすなぁ・・・。おめぇにゃぁ、やってもらわなあかんことがあるんじゃぁ。じゃからそん前に寝ろっ。」
一気に真面目な顔つきになる小一郎が尋ねる。
「わしゃ、何をするんじゃ。」
小一郎は秀吉を睨み、秀吉も小一郎を睨み返す。そして秀吉は無言のまま算盤を弾く真似をする。間が一つあり、小一郎はその場に大の字になって寝転ぶ。
「ぇえあああぁっ・・・ん。またかよぉっ・・・。」
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