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退陣
七.談判の軍師
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すでに恵瓊が下座に座っていた。浅葱色の袈裟の足元の方が濡れている。
(雨中でも来んといかんほど、急いとるんか。)
右足を引き摺りながら上座に座ろうとする官兵衛が恍けて云う。
「やぁっ、恵瓊殿。こんな夜中に何用じゃ。次に会うは三日後だったはずじゃが。」
官兵衛が上座に座ると、恵瓊が一礼をしながら話し始める。
「夜分遅くに申し訳ございませぬ。急いた方が良かろうと思いまして、無礼ながらこんな夜半にお邪魔いたしました。」
官兵衛はわざと欠伸する。
「して、用件は。」
「はい。清水殿の処遇につきましてでございます。ご周知の通り、わが御館様は清水殿をたいそう頼りにされており、右大将様のご要望には応えられんと突っぱねております。しかしこのまま互いの意地を張り合うていては、城中の骸が増える一方でございます。」
官兵衛は苛つく。
「それは前にも訊いたぁ。何が云いたい。」
「はい。これでは埒が明かぬと思いまして、御館様には密かに私の勝手で清水殿とお会いし、事の有り様をお伝え申し上げました。清水殿におかれましては、自分の身命で毛利と家臣たちが救われるのなら安いものだ、と云って腹を召されることを御承諾いただきました。」
官兵衛は少し驚く。
「ほほぅっ、何と大胆な・・・。そんな事をしてそちはただで済むのかぁ。」
「はい。ですがやむを得ません。ただ・・・人の心は虚なもの。つい先ほど御承諾いただいたとはいえ、明日には心変わりをするやもしれません。早々に約定を取り付け、早く清水殿にお覚悟いただくのがよしと決し、清水殿の元から直にここに至った次第であります。」
「それで、こんな夜中というわけか。」
表向きには納得した表情を示すが、官兵衛は疑う。
(毛利方はまだ知らんということか。じゃがこちらに都合が良すぎるのぉ。鎌をかけるか。)
「それじゃあ、清水の切腹と備中、備後、美作、伯耆、出雲の五国の譲渡ということでよろしゅうござるな。」
「あいや、しばらく。」
官兵衛が予想した通り、恵瓊が止める。
「それではさすがに御館様、清水殿、さらには清水殿の御家来衆への面目が立ちませぬ。こちらが清水殿の腹を切らせるというのですから、そちらにもそれなりの譲歩をいただきたい。」
「それなりの譲歩じゃとぉ・・・。何が望みじゃ。」
「右大将様へ譲るは備中、美作、伯耆の三国ということで・・・。」
官兵衛は意外である。てっきり五国を諦め、清水の命乞いをしてくるかと思えば、その逆である。
「大きく出たなぁ。清水の首が備後、出雲の二国と同じじゃとぉ・・・。」
「左様で。それだけ価値ある忠臣であったことを世に示さば、清水殿も喜んで腹を召しましょうし、御館様にも御家来衆にもご納得いただけましょう。」
官兵衛は恵瓊を睨む。
(考えたな坊主めっ、わしらとの駆け引きを楽しんどる。よくよく訊けば、清水も毛利の殿も差し置いて、自分が将棋の駒を指してるつもりじゃぁ。むかつくのぉ・・・。しかし今のわしらには飛びつきたい妙案じゃ。まさか見透かしとるんじゃなかろうか。急いてる姿を見せつけとるが、敢えてこちらにごねさせて逆に刻を稼ごうとしとるかもしれん。それだけでも見極めとかんと・・・。)
官兵衛は両手で杖を立て、眼を瞑りながら返しを考える。
(もし刻を稼ごうとしているのなら、・・・。もっと急かしてみるか。)
少し間をおいて官兵衛は沈黙を破る。
「清水が明後日までに腹を切るというなら、筑前殿に掛け合おう。わしらも大殿がこちらに来られる前に清水の首が欲しいでな。」
官兵衛がすんなり聞き入れたのは、恵瓊には意外である。だが喜ぶ。
「それはそれは有り難き御言葉。夜半に訪ねた甲斐があったというものじゃ。さっそくのお取計、よろしくお願いいたしまする。」
(よしっ。まだ大殿のことは知らぬようじゃ。)
満足げな恵瓊を見て、官兵衛は確信する。
「ではこれより、筑前殿に伝えに参る。」
官兵衛は立ち上がり、恵瓊を残して御座所から出ていく。
(大殿のことは知らんというのはいいが、さて、どうするかのぉ。)
(雨中でも来んといかんほど、急いとるんか。)
右足を引き摺りながら上座に座ろうとする官兵衛が恍けて云う。
「やぁっ、恵瓊殿。こんな夜中に何用じゃ。次に会うは三日後だったはずじゃが。」
官兵衛が上座に座ると、恵瓊が一礼をしながら話し始める。
「夜分遅くに申し訳ございませぬ。急いた方が良かろうと思いまして、無礼ながらこんな夜半にお邪魔いたしました。」
官兵衛はわざと欠伸する。
「して、用件は。」
「はい。清水殿の処遇につきましてでございます。ご周知の通り、わが御館様は清水殿をたいそう頼りにされており、右大将様のご要望には応えられんと突っぱねております。しかしこのまま互いの意地を張り合うていては、城中の骸が増える一方でございます。」
官兵衛は苛つく。
「それは前にも訊いたぁ。何が云いたい。」
「はい。これでは埒が明かぬと思いまして、御館様には密かに私の勝手で清水殿とお会いし、事の有り様をお伝え申し上げました。清水殿におかれましては、自分の身命で毛利と家臣たちが救われるのなら安いものだ、と云って腹を召されることを御承諾いただきました。」
官兵衛は少し驚く。
「ほほぅっ、何と大胆な・・・。そんな事をしてそちはただで済むのかぁ。」
「はい。ですがやむを得ません。ただ・・・人の心は虚なもの。つい先ほど御承諾いただいたとはいえ、明日には心変わりをするやもしれません。早々に約定を取り付け、早く清水殿にお覚悟いただくのがよしと決し、清水殿の元から直にここに至った次第であります。」
「それで、こんな夜中というわけか。」
表向きには納得した表情を示すが、官兵衛は疑う。
(毛利方はまだ知らんということか。じゃがこちらに都合が良すぎるのぉ。鎌をかけるか。)
「それじゃあ、清水の切腹と備中、備後、美作、伯耆、出雲の五国の譲渡ということでよろしゅうござるな。」
「あいや、しばらく。」
官兵衛が予想した通り、恵瓊が止める。
「それではさすがに御館様、清水殿、さらには清水殿の御家来衆への面目が立ちませぬ。こちらが清水殿の腹を切らせるというのですから、そちらにもそれなりの譲歩をいただきたい。」
「それなりの譲歩じゃとぉ・・・。何が望みじゃ。」
「右大将様へ譲るは備中、美作、伯耆の三国ということで・・・。」
官兵衛は意外である。てっきり五国を諦め、清水の命乞いをしてくるかと思えば、その逆である。
「大きく出たなぁ。清水の首が備後、出雲の二国と同じじゃとぉ・・・。」
「左様で。それだけ価値ある忠臣であったことを世に示さば、清水殿も喜んで腹を召しましょうし、御館様にも御家来衆にもご納得いただけましょう。」
官兵衛は恵瓊を睨む。
(考えたな坊主めっ、わしらとの駆け引きを楽しんどる。よくよく訊けば、清水も毛利の殿も差し置いて、自分が将棋の駒を指してるつもりじゃぁ。むかつくのぉ・・・。しかし今のわしらには飛びつきたい妙案じゃ。まさか見透かしとるんじゃなかろうか。急いてる姿を見せつけとるが、敢えてこちらにごねさせて逆に刻を稼ごうとしとるかもしれん。それだけでも見極めとかんと・・・。)
官兵衛は両手で杖を立て、眼を瞑りながら返しを考える。
(もし刻を稼ごうとしているのなら、・・・。もっと急かしてみるか。)
少し間をおいて官兵衛は沈黙を破る。
「清水が明後日までに腹を切るというなら、筑前殿に掛け合おう。わしらも大殿がこちらに来られる前に清水の首が欲しいでな。」
官兵衛がすんなり聞き入れたのは、恵瓊には意外である。だが喜ぶ。
「それはそれは有り難き御言葉。夜半に訪ねた甲斐があったというものじゃ。さっそくのお取計、よろしくお願いいたしまする。」
(よしっ。まだ大殿のことは知らぬようじゃ。)
満足げな恵瓊を見て、官兵衛は確信する。
「ではこれより、筑前殿に伝えに参る。」
官兵衛は立ち上がり、恵瓊を残して御座所から出ていく。
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