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第2章 王弟ロロ&秘書コレット襲来

ラグナルとショコラ

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 ショコラはとてもいい気分で目が覚めた。

「……?」

 まぶたを開けると、見慣れたいつもの天井。
 ふわぁ、と小さくあくびをする。
 よく眠って、すっきりした気分だった。

「……って、あれ?」

 ──わたし、何してたんだっけ?

 のんびりとあくびなどをしていたが、そもそも今は朝じゃないような……。
 そこまで考えて、ショコラはハッと目を大きくした。

「あっ、いけない!」

 そうだった。
 ショコラはコレットと一緒に掃除をしていて、壺を割ってしまい……。

「何がいけないの?」

 ひょっこりとショコラの視界を覆うラグナル。
 ショコラは目を丸くした。

「ごしゅじんさま!」

 起き上がろうとすれば、ずきりと腕が痛み、ショコラは顔をしかめた。

「いた……っ」

「ダメだよ、動いちゃあ。腕、怪我してるんだから」

 そう言われて、ショコラは恐る恐る自分の腕を見る。
 ショコラの腕には、白い包帯が巻かれていた。
 なんとなく薬品の匂いがする。
 薬か何かを塗ってあるのだろう。

(そういえば、すごくいっぱい血が出ていたような……)

 壺を割ってしまったときのことを思い出して、ショコラはぞっとしてしまった。
 包帯を見て青くなっているショコラに、ラグナルが言った。
 
「縫うほどじゃないけど、おとなしくしとけって」

「あの、ご主人様……」

「傷跡も残らないから」

そう言われてショコラはホッとした。大した怪我ではなかったらしい。

「君、本当に才能あるよね。僕に心配をかけさせる才能が」

 ラグナルはそう言って、小さくため息をついた。
 それは呆れているというよりも、安堵のため息だった。
 ショコラのことを心配していたのだろう。
 ショコラはしおしおと耳をふせた。

「ごめんなさい……わたし、また、やってしまいました……」

いつもラグナルに迷惑をかけてしまう。
ショコラは涙目でラグナルを見た。

「あんな高価そうな壺を割ってしまって……全部ショコラのお給料から払います。何年かかっても」

「……壺なんてどうでもいいよ」

 ラグナルは首を振った。

「一番の問題は、何?」

「……わたしが怪我をしてしまったことです」

「そうだね」

 ラグナルは静かに頷いた。
 ショコラも分かっている。
 自分の体は大切にしなければいけないのだと。

「ご、ごめんなさい……」

 ショコラが謝ると、ラグナルはぽつりと言った。

「あんまり怪我が多いと、僕、君を閉じ込めてしまうかもしれないな」

「え?」

「君が勝手に出歩けないように、部屋に鍵をかけちゃうかも」

 そう言われ、ショコラは瞬きをした。

「そ、それは……」

「なんなら君に鎖をつけて、自由を奪ってしまうかもね」

 さすがのショコラもぎょっとしてしまう。
 その顔を見て、ラグナルは笑った。

「冗談だよ。でもそれくらい、僕は君のことが心配なんだ。また怪我をしたらどうしようって、不安だよ」

「ごめんなさい……」

「約束して。ちゃんと、自分の体の安全を一番に考えるって。怪我をしないようにするって」

 そう真剣な顔で問われ、ショコラはこくりと頷いた。
 以前だったら戸惑ったかもしれないが、今はもう、自分の体がどれほど大切なものなのか、よくわかっている。

「はい。ごめんなさい、ご主人様」

「……うん。分かったならもういいよ」

 ラグナルはそう言うと、少し肩の力を抜いた。
 彼なりに、ショコラに怒っていたのだろう。
 でもそれは、優しい怒りだった。 

 珍しくラグナルにしかられてしょぼんとしていたショコラだったが、ラグナルに頭を撫でられ、少しだけ気分が浮上した。

「でも壺は、やっぱり、弁償します」

「いいよ、別に。僕、壺とか興味ないし」

「でも……」

 それでも食い下がるショコラに、ラグナルは言った。

「……じゃあ今度、一つだけ僕の願いを聞いてくれる?」

「願い?」

「うん」

 そう言われて、ショコラは首をかしげた。

「ご主人様のお願いだったら、いつでもなんでもききますけど……」

 そう言うと、ラグナルは首を横に振った。

「特別なことを頼みたいから」

「特別なこと……」

 それは一体なんだろう?
 と思いつつ、ショコラは「あ」と声を漏らす。

「でもご主人様、できるだけ早く言ってくれないと、わたしはもう、別の場所に行ってしまうかもしれません」

 そう言うと、ラグナルは眠そうな目でじいっとショコラを見つめた。

「……うん?」

「ごめんなさい。ショコラはもう、きっとクビです」

 恐る恐るそういえば、ラグナルは何も言わずショコラを見つめた。

「コレットさんもロロ様も、ショコラをテストするために来てたんですよね。こんなちんちくりんが、魔王様の側仕えにふさわしいかどうかって」

「……」

「失敗ばかりできっとテストはダメだったと思います。でもショコラはお願いしてみようと思うんです。トイレ掃除係でも、床拭き係でもなんでもいいから、この館においてくださいって」

 昨日の夜、遅くまで考えていたのだ。
 もしもテストに不合格になってしまっても、この館においてくださいと頼もうと。
 ショコラも、それくらい自分の意思表示をしようという気にはなっていた。
 以前だったら、出て行けと言われれば、諦めていたかもしれない。

 けれどそれはそれとして、自分で話していて悲しくなってきた。
 ショコラは確かにコレットの前では緊張してダメダメだった。けれど今までは、そうじゃなかったのだ。

「ちょっとだけ、ご主人様の気持ちがわかりました」

 ショコラはぽつりと呟く。

「人に見られていると、ドキドキしますね。手も震えちゃいます」

 そう言って、眉を寄せる。

「ご主人様、ごめんなさい。ショコラはきっと不合格です。でも、ここにいさせてくださいって、お願いしてみますから。ほかの人がご主人様の側仕えになっても……」

 近くでラグナルを見れたなら、それでいい。
 そう言おうとして、言葉につまってしまう。

 とても、悲しかった。
 誰かがショコラの代わりにラグナルのそばにいることが。

 言葉を詰まらせるショコラに、ラグナルはぽつりと呟いた。

「それで、君はあんなことをしたわけか」

「え?」

「寝不足もそれが原因なわけだ」

 珍しく低い声のラグナルに、ショコラは耳をぴんと立てる。
 ラグナルがめったに見ない表情をしていて、ショコラはびっくりした。

 それは兄の顔であり、部下を持つ大人の男の顔だった。

「さすがに説教だな」

 ラグナルはそう呟いた後、口を閉ざした。

 それからしばらくして、ゆるく首を振る。

「ショコラ、全部君の勘違いだ」

「えっ?」

 勘違い?

「ロロは僕に会いに来ただけだし、コレットはロロの秘書だよ。僕とショコラみたいな関係だから、一緒にひっついてきただけ」

「えええ? 本当に?」

「当たり前だろ」
 
 ラグナルは語気を強めて言った。

「いいかい、僕と君を引き離そうなんて輩は、万死に値する」

「ば、万死に!?」

 ショコラは安心するやら混乱するやら、複雑な気分になった。

「テストなんかじゃないよ。そんなことはありえないから。なぜなら、僕が君を選んだ。魔王が下した決定を覆すことなんて、世界の誰にもできないから」

 ラグナルはそう呟いた後、少し怖い目をして言った。

「僕は君と一緒にいるためなら、権力を振りかざしたっていい」

「ご、ご主人様……?」

 なんだか危ない雰囲気を感じて、ショコラはごくりとつばを飲む。

「……とにかく」

 ラグナルはため息を吐いた。

「誰も君を試そうとなんか、してないから」

「……そうだったんですか」

 完全に、ショコラの勘違いだったわけだ。
 ショコラはなんだか、どっと疲れてしまった。
 無駄に悩んで、空振りしたこの数日間のことを思い返す。

(わたし、バカみたい……)

 そう思うと、ショコラも自然とため息を吐いてしまったのだった。
 ラグナルはそんなショコラを見て、静かに告げる。

「もしも他の人がダメって言っても。君は僕のものだよ、ショコラ」

「ショコラは、ご主人様のもの……?」

「ああ。だから絶対、他所へなんかやったりしない」

 ほっぺたに手を当てられた。
 心臓の音がうるさい。

 どうしてラグナルは、ショコラにここまでしてくれるのだろう?
 ショコラはふと、気になった。

「ご主人様は、優しいです。優しすぎます……どうしてこんなにショコラによくしてくれるの?」

 頬を赤くし、しどろもどろになりながらそう問う。
 ラグナルは少しだけ考えて、目を伏せた。

「僕は君が思うよりも、優しい人なんかじゃないと思うよ」

「……どうして? ご主人様は優しい、です」

「……だって僕は、君が僕を嫌いになっても、きっと逃がしたりはしないと思うから」

「……?」

ラグナルの言ったことが分からなくて、ショコラは首をかしげる。
ラグナルは自嘲気味に笑った。

「嫌だな……これじゃあ、あの人みたいだ」

「……あの人?」

 あの人って、誰のことだろう?

 いつもより、ラグナルとの距離が近い。
 ドキドキする。

「あ……」

ラグナルはショコラの頬に手を当てた。
それから、二人の顔が、自然と近づいて──。


「兄ぃいいさぁああああん!」

「!?」

 バタン! と部屋の扉が開け放たれた。
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