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2 ツンデレエンカウント
第7話
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世間というのは、広いように見えて意外と狭いものらしい。なんせ、つい昨日、偶然にも一度だけ街中で会っただけの女性と、そのすぐ翌日には、またもや偶然に再会できてしまうくらいなのだから。
この二日間で実に三度目となる例の喫茶店の、奥まった席に、僕は明日葉明日香と村雨に挟まれるようにして座っている。
右隣の明日葉明日香は両肘をテーブルにつき、その手の上に顎を載せて、にこにこと僕たち二人を眺めている。今日の恰好はよくわからないがらのTシャツにジーンズと、昨日よりもボーイッシュな印象を受けた。しかし、美人なのは相変わらずである。
問題は左隣の村雨だ。眉間に皺を寄せ、あからさまに不機嫌オーラを発している。先ほどから僕と明日葉明日香を交互に見て、睨みを利かせ続けていた。
制服姿の男女二人と私服姿の美人が一緒の席に座っている姿は、傍から見ればどんな関係に見えるのだろうか、とふと考えてみる。自分でも、この構図はよくわからない気がする。
さっきから、両隣の温度差がありすぎて居心地が悪いことこの上ない。そもそも村雨は、今度は何に怒っているのだろうか。
明日葉明日香に声をかけられた後、彼女は一方的に僕に話しかけてきたが、途中で村雨の方に目を向けると、彼女に発した第一声が「妹さん?」だった。無論、僕と村雨はすぐに否定。クラスメートだと話すと、じゃあご一緒にお茶でも、という話になり(このころには既に村雨の機嫌が悪かったように見える)、この喫茶店に来ることになった。ここまで向かう途中、明日葉明日香と僕の二人で会話し、村雨は一言も発しなかった。
「あなた、名前は?」
しばらくの間があって、村雨がようやく口を開いた。しかし、その口調には明らかに不機嫌さが籠っている。
「明日葉明日香です。明日香でいいよ」
「じゃあ、明日香」
早速呼び捨てにする彼女に、明日葉はにっこりと返答をする。二人とも、何という展開の早さであろう。僕にはとてもついていけない。
「零とはいつからの知り合い?」
「えっと、昨日かな」
「昨日?」
眉をひそめる村雨。なぜだろう、何かここにいてはいけない気がしてきた。一刻も早く、ここから逃げ出さなければ……。
「ねえ、零」
そんな僕の気持ちを感じ取ったかのように、彼女は鋭くこちらを向いた。思わず返事をするが、声が上ずってしまう。
「あんた、昨日はずっと一人じゃなかったの?」
「いや、それは、その……」
「私と一緒に映画を見に行ったんだよ!」
しどろもどろな僕に代わり、明日葉が元気よくそう答えた。気のせいだろうか、その言葉に、村雨の眼光がさらに鋭くなったような気がした。
「映画って、どんなの?」
「悪い宇宙人が攻めてきて、それを頑張って倒すって感じのやつ」
昨日僕にしたのと全く同じ説明だ。相変わらずのアバウトさであるが、しかし、村雨は分かったのか、へえと一言頷いて、明日葉を見据えたまま言った。
「じゃあ零は、同じ映画を二日間で二回見たわけね」
冷静なトーンに反して、その言葉からは怒りの気持ちが滲み出ているのが読み取れる。彼女は僕のほうを見ようとせずに続けた。
「二人で映画を見る約束をしていたの?」
「違うよ。たまたま会って、この喫茶店に来て、それで、私が映画に誘ったの」
「初対面の、この男と?」
村雨が僕を指差す。明日葉はにこにこしながら大きく頷くと、体勢を変えて片手を挙げた。
「じゃあ、私からも質問いい? えーと……」
「村雨雫よ」
「零君と雫は付き合ってるの?」
いきなりの直球的な質問。明日葉の表情は相変わらずで、からかっている様子などは見受けられない。
まさか明日葉明日香にまで訊かれるとは思わなかった愚問に、僕はすぐさま否定しようとしたが、なんとなくこの場に僕の発言権はなさそうだったので、黙っておくことにしておいた。どうせ、怒った村雨が代わりに否定することだろう。
そう思って彼女を見てみると、顔を真っ赤にさせて、キョトンとしたような目で固まっていた。
「いや、べ、別に、付き合ってるとかじゃ……」
さっきまでの威勢のいい口ぶりはどこへやら、村雨は急に歯切れを悪くして、早口で何かを捲し立て始めた。やはり、また僕と付き合っているように見られたことが、そんなに堪えたのだろうか。
「付き合ってなんかない。さっきも言った通り、ただのクラスメートだよ」
そんな彼女に代わり、やはり僕が答えておくことにした。うん、ナイスフォローだ。これで、村雨も怒ることなく……。
「って、いってえ!」
いきなり左足に激痛が走った。見なくてもわかる、村雨がそこを思いっきり踏みつけているのだ。
彼女は、安心したような、それでいて残念なような、そんな微妙な顔で、先ほどよりもさらに厳しくこちらを睨みつけていた。
「何すんだよ!」
「あら、ごめんなさい。足が滑っちゃった」
うっすらと不敵な笑みを浮かべた彼女は、一切の感情が籠っていないような冷たい口調でそう言い放った。その表情の奥には、確かな怒りが読み取れる。
どう足が滑ったらそんなことになるんだよ、とでも突っ込もうと思ったが、こんな状態になった村雨に反論するのは返って逆効果な気がして、飲み込んだ。まったく、いつものことだが、彼女の怒るタイミングというものがよくわからない。
明日葉明日香は、そんな僕たちのやり取りを楽しそうに眺めていた。
「仲、いいんだね」
「いやいや、完全に一方的でしょ、これ……」
「へえ、また踏まれたい?」
「遠慮しておきます」
明日葉はくすっと笑うと、突然村雨の方を向いて、彼女の顔をじっと見つめ始めた。意表を突かれた村雨は、たじろぐように身を一瞬引く。
「雫って、可愛いよね」
「……はい?」
「零君もそう思うでしょ?」
まさかの無茶ぶり。自由奔放すぎる明日葉のあまりの不意打ちに、上手く思考が追いつかない。
ようやく彼女の言葉を理解できたとき、楽しそうに小首を傾げる明日葉明日香と、何かを期待するような目でこちらを見つめる村雨の姿が視界に入った。両隣から何かとてつもないプレッシャーを感じながら、僕は考えてみた。
普通に考えてみれば、村雨は可愛いと思う。しかし、もちろんそれは、見た目だけで考えたときの話だ。性格と照らし合わせてみると、一概にはそうは言えないような気がする。横暴だし、理不尽だし、すぐ不機嫌になるし……。
「……と、ところで!」
僕がどう答えるべきか迷っていると、村雨が慌てたように僕に指をさしてきた。頬が少し赤く染まっているのがわかる。
「アンタ、どうして昨日、明日香と一緒だったこと黙ってたの?」
「いや、どうしてって言われても……」
だんだんと落ち着きを取り戻してきた彼女は、形勢逆転とばかりに腕を組み、威圧感のある視線を送り始めた。なぜか、してやったり顔である。
どうして黙っていたのかと言われても、村雨に言う必要がなかったからとしか答えようがない。しかし、なんとなくだが、今の彼女にそんなことを言ったら問答無用でキレられるような気がする。何でキレられるのかは不明だが。
またも答えに窮する僕。なにゆえ彼女たちは答えにくい質問ばかりしてくるのだろうか。二人して僕を嵌めているわけじゃないだろうな。
「ねえ、どうして?」
「む、村雨には知られたくなかったんだよ!」
変なことを考えていた僕は、村雨の威圧感たっぷりの追求に、思わずそんな返答をしてしまった。言った後に、少し身構える。今の彼女は、どんな言葉に反応して怒りだすのかが予測できない。
だが、村雨の反応は意外なものだった。
「……えっと、それって、つまり……わ、私に、他の女の子と一緒にいたことを知られたくなかったってこと?」
下を向いて、とぎれとぎれにそう話す。また顔が赤らんでいるようだ。今日の村雨は、熱でもあるんじゃないだろうか。
彼女の反応に少々面食らいながらも、とりあえず僕は頷いた。まあそういうふうに捉えることもできるから、別に間違った解釈とは言えない。
「へえ、そうなんだ……」
下を向いたまま、そう何度か呟く村雨。表情はよく見えないが、その口調はこころなしか嬉しそうだった。
僕はほっとしたように息をついた。何が良かったのかは知らないが、彼女が不機嫌になることだけはどうにか避けられたようだ。まったく、今日の村雨は本当によくわからない。
ふと、思い出したように明日葉明日香の顔を窺うと、じーっと僕たち二人の方を、笑みを浮かべて見ていた。しかしそれは、ニコニコというより、にやにやと言った方が正しい表情になっているような気がする。とにかく、昨日と今日の間で初めて見るような彼女の表情だった。
「どうしたの? そんなに僕たち、面白かった?」
「いやあ、零君もお年頃なんだなあって」
僕の質問に、彼女はからかうような口ぶりでそう答えた。まったく意味がわからない。
首をかしげる僕を見て、改めてくすっと笑うと、ゆっくりと立ち上がった。
「じゃあ私、そろそろ帰ろうかなっと」
そう言って、村雨の方に向き直る。
「最後に、雫」
「……な、何?」
ずっと俯いていた村雨は、急に自分の名前を呼ばれたことに驚いたのか、はっと顔を上げて明日葉の顔を見た。
「さっき外で、零君になんて言おうとしてたのかなって思ってさ」
「外……?」
しばし思考を張り巡らしていた村雨は、何かを思い出したかのように突然顔が真っ赤になった。今日一番の赤面度である。明日葉を指差して何か言おうと口をパクパクさせているが、言葉になっていない。こんなに動揺している村雨を見るのは初めてだ。
明日葉明日香はそんな彼女の様子を満足そうに見届けると、じゃあねと手を振って、そのまま店を後にした。昨日とは打って変わって、あっさりとした別れだった。
しばらくその後ろ姿を見送って、ふと、あることを思い出した。
「そういえば、恩返し出来なかったな……」
そう、すっかり忘れていた。まさかこんなに早く再開できるとは思っても見なかったから、一時的に記憶の片隅に置かれていたのかもしれない、という言い訳を考えてみる。ひどい言い訳だな、と自分でも思う。
しかし、そうでないとしたら、なぜ僕はそんな大事なことを忘れていたのだろうか。コーヒー一杯のお礼に、僕の方からも彼女の好きなメニューを奢ればよかっただけの話ではないか。
そこまで考えて、何かの違和感に引っかかった。
……そういえば、三人でここに来てから一度も、注文を取られていないではないか。僕たちも、話すことに夢中ですっかり気づかなかった。そもそも、この席の近くで店員を見かけてさえいないような気がする。
おそらくその原因は、当然のように村雨のせいだろう。先日のことについて、謝罪したとはいえ、未だにこの喫茶店の店員は彼女のことを恐れているはずだ。加えて、今日、二度目にここに来た時の彼女は、先日と同じくらいに不機嫌オーラを出していた。店員が自分たちの仕事を放棄したくなるのも頷ける。
当の村雨はといえば、まださっきの状態から動いていなかった。まるで彫刻のように微動だにしない。顔も真っ赤のままだ。
「おーい、村雨?」
顔の前で手を振ってみると、ゆっくりとした動作で村雨がこちらを向いてきた。ロボットみたいな動きである。
彼女はしばらく僕の顔をぼんやり眺めていたが、はっとしたように首を振ると、真っ赤な顔で訊いてきた。
「明日香は? 明日葉明日香はどこ?」
「何いってんのさ、もう帰ったよ」
きょろきょろと辺りを見渡して、彼女は悔しそうに下唇を噛んだ。
「明日葉明日香、ね。覚えておくわ。次会った時は、覚悟しときなさいよ……」
ひとり言のようにそう呟く。いつの間に彼女と明日葉明日香との間に因縁が生まれたのだろうか。謎だ。
ふと、明日葉明日香が残した最後の言葉が気になった。
「ところで村雨、さっき外で、なんて言おうとしてたんだ?」
「!」
びくっとしたような仕草で彼女は僕を見る。またしても顔が赤い。そろそろこいつはオーバーヒートでもするのではないか。
「お前、今日、顔赤いぞ。熱でもあるんじゃ……」
「うるさーい!」
僕の言葉を遮っていきなり叫んだ彼女は、僕の足を思いっきり踏むと、勢いよく席を立って、逃げるように店から出ていった。
残されたのは、足の激痛に悶える僕と、何事かと僕を見る他の客、そして呆然と立ち竦む店員たちだけだった。
この二日間で実に三度目となる例の喫茶店の、奥まった席に、僕は明日葉明日香と村雨に挟まれるようにして座っている。
右隣の明日葉明日香は両肘をテーブルにつき、その手の上に顎を載せて、にこにこと僕たち二人を眺めている。今日の恰好はよくわからないがらのTシャツにジーンズと、昨日よりもボーイッシュな印象を受けた。しかし、美人なのは相変わらずである。
問題は左隣の村雨だ。眉間に皺を寄せ、あからさまに不機嫌オーラを発している。先ほどから僕と明日葉明日香を交互に見て、睨みを利かせ続けていた。
制服姿の男女二人と私服姿の美人が一緒の席に座っている姿は、傍から見ればどんな関係に見えるのだろうか、とふと考えてみる。自分でも、この構図はよくわからない気がする。
さっきから、両隣の温度差がありすぎて居心地が悪いことこの上ない。そもそも村雨は、今度は何に怒っているのだろうか。
明日葉明日香に声をかけられた後、彼女は一方的に僕に話しかけてきたが、途中で村雨の方に目を向けると、彼女に発した第一声が「妹さん?」だった。無論、僕と村雨はすぐに否定。クラスメートだと話すと、じゃあご一緒にお茶でも、という話になり(このころには既に村雨の機嫌が悪かったように見える)、この喫茶店に来ることになった。ここまで向かう途中、明日葉明日香と僕の二人で会話し、村雨は一言も発しなかった。
「あなた、名前は?」
しばらくの間があって、村雨がようやく口を開いた。しかし、その口調には明らかに不機嫌さが籠っている。
「明日葉明日香です。明日香でいいよ」
「じゃあ、明日香」
早速呼び捨てにする彼女に、明日葉はにっこりと返答をする。二人とも、何という展開の早さであろう。僕にはとてもついていけない。
「零とはいつからの知り合い?」
「えっと、昨日かな」
「昨日?」
眉をひそめる村雨。なぜだろう、何かここにいてはいけない気がしてきた。一刻も早く、ここから逃げ出さなければ……。
「ねえ、零」
そんな僕の気持ちを感じ取ったかのように、彼女は鋭くこちらを向いた。思わず返事をするが、声が上ずってしまう。
「あんた、昨日はずっと一人じゃなかったの?」
「いや、それは、その……」
「私と一緒に映画を見に行ったんだよ!」
しどろもどろな僕に代わり、明日葉が元気よくそう答えた。気のせいだろうか、その言葉に、村雨の眼光がさらに鋭くなったような気がした。
「映画って、どんなの?」
「悪い宇宙人が攻めてきて、それを頑張って倒すって感じのやつ」
昨日僕にしたのと全く同じ説明だ。相変わらずのアバウトさであるが、しかし、村雨は分かったのか、へえと一言頷いて、明日葉を見据えたまま言った。
「じゃあ零は、同じ映画を二日間で二回見たわけね」
冷静なトーンに反して、その言葉からは怒りの気持ちが滲み出ているのが読み取れる。彼女は僕のほうを見ようとせずに続けた。
「二人で映画を見る約束をしていたの?」
「違うよ。たまたま会って、この喫茶店に来て、それで、私が映画に誘ったの」
「初対面の、この男と?」
村雨が僕を指差す。明日葉はにこにこしながら大きく頷くと、体勢を変えて片手を挙げた。
「じゃあ、私からも質問いい? えーと……」
「村雨雫よ」
「零君と雫は付き合ってるの?」
いきなりの直球的な質問。明日葉の表情は相変わらずで、からかっている様子などは見受けられない。
まさか明日葉明日香にまで訊かれるとは思わなかった愚問に、僕はすぐさま否定しようとしたが、なんとなくこの場に僕の発言権はなさそうだったので、黙っておくことにしておいた。どうせ、怒った村雨が代わりに否定することだろう。
そう思って彼女を見てみると、顔を真っ赤にさせて、キョトンとしたような目で固まっていた。
「いや、べ、別に、付き合ってるとかじゃ……」
さっきまでの威勢のいい口ぶりはどこへやら、村雨は急に歯切れを悪くして、早口で何かを捲し立て始めた。やはり、また僕と付き合っているように見られたことが、そんなに堪えたのだろうか。
「付き合ってなんかない。さっきも言った通り、ただのクラスメートだよ」
そんな彼女に代わり、やはり僕が答えておくことにした。うん、ナイスフォローだ。これで、村雨も怒ることなく……。
「って、いってえ!」
いきなり左足に激痛が走った。見なくてもわかる、村雨がそこを思いっきり踏みつけているのだ。
彼女は、安心したような、それでいて残念なような、そんな微妙な顔で、先ほどよりもさらに厳しくこちらを睨みつけていた。
「何すんだよ!」
「あら、ごめんなさい。足が滑っちゃった」
うっすらと不敵な笑みを浮かべた彼女は、一切の感情が籠っていないような冷たい口調でそう言い放った。その表情の奥には、確かな怒りが読み取れる。
どう足が滑ったらそんなことになるんだよ、とでも突っ込もうと思ったが、こんな状態になった村雨に反論するのは返って逆効果な気がして、飲み込んだ。まったく、いつものことだが、彼女の怒るタイミングというものがよくわからない。
明日葉明日香は、そんな僕たちのやり取りを楽しそうに眺めていた。
「仲、いいんだね」
「いやいや、完全に一方的でしょ、これ……」
「へえ、また踏まれたい?」
「遠慮しておきます」
明日葉はくすっと笑うと、突然村雨の方を向いて、彼女の顔をじっと見つめ始めた。意表を突かれた村雨は、たじろぐように身を一瞬引く。
「雫って、可愛いよね」
「……はい?」
「零君もそう思うでしょ?」
まさかの無茶ぶり。自由奔放すぎる明日葉のあまりの不意打ちに、上手く思考が追いつかない。
ようやく彼女の言葉を理解できたとき、楽しそうに小首を傾げる明日葉明日香と、何かを期待するような目でこちらを見つめる村雨の姿が視界に入った。両隣から何かとてつもないプレッシャーを感じながら、僕は考えてみた。
普通に考えてみれば、村雨は可愛いと思う。しかし、もちろんそれは、見た目だけで考えたときの話だ。性格と照らし合わせてみると、一概にはそうは言えないような気がする。横暴だし、理不尽だし、すぐ不機嫌になるし……。
「……と、ところで!」
僕がどう答えるべきか迷っていると、村雨が慌てたように僕に指をさしてきた。頬が少し赤く染まっているのがわかる。
「アンタ、どうして昨日、明日香と一緒だったこと黙ってたの?」
「いや、どうしてって言われても……」
だんだんと落ち着きを取り戻してきた彼女は、形勢逆転とばかりに腕を組み、威圧感のある視線を送り始めた。なぜか、してやったり顔である。
どうして黙っていたのかと言われても、村雨に言う必要がなかったからとしか答えようがない。しかし、なんとなくだが、今の彼女にそんなことを言ったら問答無用でキレられるような気がする。何でキレられるのかは不明だが。
またも答えに窮する僕。なにゆえ彼女たちは答えにくい質問ばかりしてくるのだろうか。二人して僕を嵌めているわけじゃないだろうな。
「ねえ、どうして?」
「む、村雨には知られたくなかったんだよ!」
変なことを考えていた僕は、村雨の威圧感たっぷりの追求に、思わずそんな返答をしてしまった。言った後に、少し身構える。今の彼女は、どんな言葉に反応して怒りだすのかが予測できない。
だが、村雨の反応は意外なものだった。
「……えっと、それって、つまり……わ、私に、他の女の子と一緒にいたことを知られたくなかったってこと?」
下を向いて、とぎれとぎれにそう話す。また顔が赤らんでいるようだ。今日の村雨は、熱でもあるんじゃないだろうか。
彼女の反応に少々面食らいながらも、とりあえず僕は頷いた。まあそういうふうに捉えることもできるから、別に間違った解釈とは言えない。
「へえ、そうなんだ……」
下を向いたまま、そう何度か呟く村雨。表情はよく見えないが、その口調はこころなしか嬉しそうだった。
僕はほっとしたように息をついた。何が良かったのかは知らないが、彼女が不機嫌になることだけはどうにか避けられたようだ。まったく、今日の村雨は本当によくわからない。
ふと、思い出したように明日葉明日香の顔を窺うと、じーっと僕たち二人の方を、笑みを浮かべて見ていた。しかしそれは、ニコニコというより、にやにやと言った方が正しい表情になっているような気がする。とにかく、昨日と今日の間で初めて見るような彼女の表情だった。
「どうしたの? そんなに僕たち、面白かった?」
「いやあ、零君もお年頃なんだなあって」
僕の質問に、彼女はからかうような口ぶりでそう答えた。まったく意味がわからない。
首をかしげる僕を見て、改めてくすっと笑うと、ゆっくりと立ち上がった。
「じゃあ私、そろそろ帰ろうかなっと」
そう言って、村雨の方に向き直る。
「最後に、雫」
「……な、何?」
ずっと俯いていた村雨は、急に自分の名前を呼ばれたことに驚いたのか、はっと顔を上げて明日葉の顔を見た。
「さっき外で、零君になんて言おうとしてたのかなって思ってさ」
「外……?」
しばし思考を張り巡らしていた村雨は、何かを思い出したかのように突然顔が真っ赤になった。今日一番の赤面度である。明日葉を指差して何か言おうと口をパクパクさせているが、言葉になっていない。こんなに動揺している村雨を見るのは初めてだ。
明日葉明日香はそんな彼女の様子を満足そうに見届けると、じゃあねと手を振って、そのまま店を後にした。昨日とは打って変わって、あっさりとした別れだった。
しばらくその後ろ姿を見送って、ふと、あることを思い出した。
「そういえば、恩返し出来なかったな……」
そう、すっかり忘れていた。まさかこんなに早く再開できるとは思っても見なかったから、一時的に記憶の片隅に置かれていたのかもしれない、という言い訳を考えてみる。ひどい言い訳だな、と自分でも思う。
しかし、そうでないとしたら、なぜ僕はそんな大事なことを忘れていたのだろうか。コーヒー一杯のお礼に、僕の方からも彼女の好きなメニューを奢ればよかっただけの話ではないか。
そこまで考えて、何かの違和感に引っかかった。
……そういえば、三人でここに来てから一度も、注文を取られていないではないか。僕たちも、話すことに夢中ですっかり気づかなかった。そもそも、この席の近くで店員を見かけてさえいないような気がする。
おそらくその原因は、当然のように村雨のせいだろう。先日のことについて、謝罪したとはいえ、未だにこの喫茶店の店員は彼女のことを恐れているはずだ。加えて、今日、二度目にここに来た時の彼女は、先日と同じくらいに不機嫌オーラを出していた。店員が自分たちの仕事を放棄したくなるのも頷ける。
当の村雨はといえば、まださっきの状態から動いていなかった。まるで彫刻のように微動だにしない。顔も真っ赤のままだ。
「おーい、村雨?」
顔の前で手を振ってみると、ゆっくりとした動作で村雨がこちらを向いてきた。ロボットみたいな動きである。
彼女はしばらく僕の顔をぼんやり眺めていたが、はっとしたように首を振ると、真っ赤な顔で訊いてきた。
「明日香は? 明日葉明日香はどこ?」
「何いってんのさ、もう帰ったよ」
きょろきょろと辺りを見渡して、彼女は悔しそうに下唇を噛んだ。
「明日葉明日香、ね。覚えておくわ。次会った時は、覚悟しときなさいよ……」
ひとり言のようにそう呟く。いつの間に彼女と明日葉明日香との間に因縁が生まれたのだろうか。謎だ。
ふと、明日葉明日香が残した最後の言葉が気になった。
「ところで村雨、さっき外で、なんて言おうとしてたんだ?」
「!」
びくっとしたような仕草で彼女は僕を見る。またしても顔が赤い。そろそろこいつはオーバーヒートでもするのではないか。
「お前、今日、顔赤いぞ。熱でもあるんじゃ……」
「うるさーい!」
僕の言葉を遮っていきなり叫んだ彼女は、僕の足を思いっきり踏むと、勢いよく席を立って、逃げるように店から出ていった。
残されたのは、足の激痛に悶える僕と、何事かと僕を見る他の客、そして呆然と立ち竦む店員たちだけだった。
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