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竜殺し編・《焔喰らう竜》
第一話・「平穏と不穏を乗せた秤(4)」
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美波の後を追うように俺と命里は老人の元へ向かった。
「やあ、叢真くん、命里ちゃん。毎度のことながら孫が世話になったよ」
そうゆったりと優しげな口調で礼を述べられた。
老眼のため付けている眼鏡、真っ白な髪、シワの多い顔は温和そうな優しい表情を浮かべている。
彼は美波の祖父、浜岸勇夫さんだ。
勇夫さんは見た目通り穏やかな人柄をした人で、美波とこの公園に来てはよくこうして話をさせてもらっている。
「イノリお姉ちゃん、遊ぼ!」
「うん、いいよ」
軽く勇夫さんと挨拶を交わしたところで、美波が命里を連れて遊具の方へ走って行った。俺と勇夫さんはそんな彼女の姿を見ながら微笑を浮かべ、公園のベンチに向った。
ベンチに座りながら美波と命里が遊んでいるところを見ていると、不意に隣の勇夫さんが口を開いた。
「相変わらずこの公園は子供が少ないね……」
「仕方ないですよ、この町自体に人が少ないですから」
「そうだけど、やっぱり……子供の集まる公園に人の気配がまったくないというのは、とても侘しく思うよ。今日は特に、町全体が少し陰鬱な雰囲気に呑まれているから尚更ね」
そう言っている勇夫さん本人も、今日は何だか気分が落ち込んでいるように見えた。
「……あの日から、この町から多くの人がいなくなったよ」
辛い記憶を思い出したのか、勇夫さんの表情が少し悲しげなものに変わる。
「本当に多くの人が、この町に見切りをつけ去って行った……気持ちはよくわかるよ。この町にいる限り忘れたいことも忘れられない、思い出がそのまま〝深い傷〟になるんだからね。それに子供のいる者ならこんな危ない町から去って、安全な場所で過ごしてほしいという気持ちを抱くのも何もおかしくない」
「――――」
「この町に今も残っている者の多くは、思い出に縛られた者か、後悔に縛られた者……何にしてもあまり良いものじゃないよ。……まあ、そういう私も亡者に縛られ、この町から去ることのできなくなった一人ではあるけどね」
はにかむような笑みを見せてそういう勇夫さんに、苦笑いで返すことしかできなかった。
俺も……そっち側、か。
あの日の妄執に囚われた人間。勇夫さんの言ったように、この町で築いた〝思い出〟はあの日を境にそのまま――深傷/心傷に反転した。
その苦痛に耐えかね、目を背けた生者を否定することはない。その辛さを理解できる故、その選択を否定することなんて俺にはできない。
生者も死者も――この町には多くの者が囚われている。
それぞれが負った傷はとても大きくて、忘れて前に進めと言われてもそう簡単に忘れられない。前に進もうとするたび、傷口が生々しい痛みを伴って――〝忘れるな〟と訴えかけてくる。いずれ傷の痛みに耐えかねて皆、足を止めてしまう。
当たり前だ、わざわざ傷口を抉るような行為をしたがるやつなんてない。
……そうだ、それが当たり前なんだろう。
なら――
空いた心の穴に手を入れ、
落してしまったモノを探す俺は――どこかおかしいのだろうか?
欠落したモノを求めて腐った胸の傷を抉り続ける。
走って走って……走り続けて。昔、持っていたモノを探し求めて、模倣した偽善を振りかざす。それが正しいか、正しくないかなど判らずに……――
「悪いね、叢真くん。どうも年寄りになると陰気くさい話ばかりしてしまって」
暗い表情を見せてしまったからか、申しなさそうにそう謝られてしまった。
「いえ、大丈夫ですよ」
「そうかい?」
「はい」
表情を戻し可能な限り精一杯の元気を見せる。勇夫さんは訝しむような表情をしたが、その後は納得したようで再び笑みを浮かべてくれた。
俺の作り笑顔も捨てたものじゃないな。と、そんな風に自画自賛してみたが、勇夫さんの様子を見る限り普通にバレているような気がする……いや、気づいていないことにしておこう。うん、そうしておこう。
無理やりそう思い込むことにした。
「それにしてもやっぱり、こんないい公園に子供がいないのは勿体無いね」
「そうですね、俺が小さい頃はよくみんなで遊んだ記憶があります。まさかこんなに人を見かけなくなるとは、当時は思ってもいませんでしたよ」
この公園――修止公園は、星災によって多くの人がいなくなってからすっかり、今の様に侘しさを感じさせる場所になってしまった。
ここ最近、この公園で遊んでいる子を美波を除いて見ていない。本当にいい公園なのに勿体ないと思う。
「ここにもっと他の子たちが来てくれれば、あの子も寂しい思いをしないで済むと思うんだけどね」
「学校でそういう子はいないんですか?」
「残念だけどね……。どうもあの子は学校が合わないみたいでね、聞いてもいないとしか答えてくれなかったよ」
「ま、まあ、合う合わないは仕方ないですよ」
まさかのボッチ予備軍、いや、現在進行形でボッチになっている事実に驚きながらも、そうフォローを入れる。
個人的には別に友達がいなくても楽しいならいいと思うけど、彼女はそういうタイプでもないだろう、今度友達を作ろう方法講座を開こう。
まあ、俺も別に友達が多い方じゃないけど……。
「君達には感謝しているよ。あの子がああしていられるのは君達のおかげだ、本当に頭が上がらないよ」
「そんなことないですよ」
「いや、そんなことあるさ。私や婆さんと遊んでいる時のあの子は、あそこまで燥いではくれないからね」
少し悲しそうに勇夫さんは言った。
「あの子には、寂しい思いをさせてしまって本当に申し訳ないよ。あの子は両親との関わりが薄いからね、私達が少しでも親代わりを果たせればよかったけど……」
「十分親代わりを果たせてますよ。勇夫さんも文子さんも十分やってます、美波だって――」
後ろ向きな発言に、そう励ますような言葉を掛けたが彼は首を横に振った。
「美波は賢い子だ。私達のことを考えて嘘でも笑って見せてくれている、嘘でも優しい言葉を掛けてくれている。私達に心労を掛けさせまいと……そう、頑張ってしまっている」
「…………」
「あの子はまだ幼い、そんな子に心労を掛けさせていると思うと心が痛むよ」
心労を掛けさせまいとした行為が、逆に心労を掛けさせる行為になっている。どちらも根本が優しさであるため、そのどちらも間違っているとは言えない。
ふと、勇夫さんが思いを馳せるような表情で話を始める。
「私達はただ、あの子の……亡き息子の残した、あの子に……なに不自由なく、自由に生きて欲しいだけなんだけどね。難しいものだよ」
亡き息子――美波の父、その姿を思い出したのか、勇夫さんは今にも瞳から雫が落ちそうな……そんな悲しい表情を見せた。
俺はそんな表情を見て気の利いた言葉が吐けず、数秒の間を開けてやっぱり思ったことそのまま口にした。
「……十分、お二人は頑張っていますよ」
「そうかな?」
何の変哲もない、つまらない言葉に勇夫さんは微笑を見せた。
――美波の両親は星災で亡くなっている。
勇夫さんから聞いた話だが、彼女も俺や命里と同じように星災の日に両親を亡くしたらしい。
当時の彼女は四歳。
まだ〝死〟についてなど深く考えるでもないそんな年だ。彼女は両親が死んだというその事実について、あまり深く理解はできなかっただろう。
幼稚園に入って間もない年頃だ、そんなことを考えさせる方がおかしい。本来、星災なんてものが起きなければ、そんな酷な事実に彼女が向き合う必要なんてなかった……そんな、残酷な事実を直視することはなかった筈だ。
美波は勇夫さんとその女房である浜岸文子さんが、息子の娘ということで親族として引き取り人になったらしい。
部外者の俺が言うことじゃないが、彼女にとって二人に引き取られたことは良い事だったと思う。二人はとても良い人だ、孫である美波のことをしっかり見ているし、一生懸命向かい合ってくれている。他の親族を知らないから何とも言えないが、二人が親として最高だったのは間違いない。
勇夫さんは悲観的な発言が多いが、俺としては全然そうは思えなかった。
孫のためによく知らないゲームについて色々調べて、一緒にプレイできるまで練習するなんて普通はしない。二人は十分よくやっている。
「叢真くん」
「なんですか?」
侘しさを孕んだ表情が俺の方へ向けられた。
「君に……話したかな? あの子が両親の葬式で浮かべた表情の話を」
「……いえ」
聞き覚えのない話、神妙な面持ちの彼を見て固唾を呑む。
言葉を続けようとする勇夫さんの口元が、僅かに震えているのが見えた。それはまるで行き場のない怒りに打ち震えているような、そんな感覚を抱いた。
「あの子はね、両親の葬式でずっと――――無表情だったんだ」
「え」
「いや、もっと言えば、あの災害の後……私達があの子を発見した時にはもう――表情は死んでいたよ。……きっとあの日から、あの子の〝心〟は止まってしまったんだ」
彼の言葉を聞いて思わず絶句する。
右手で頭を軽く押さえる勇夫さん、その表情は怒りと悲しみが混じったような複雑なものだった。きっとその怒りの矛先は自分自身で、その悲しみは美波へ向けられたものだろう。
どちらも無力感が由来の感情。
自分は何もできなかった――
自分は何もしてやれなかった――
それらの思いが複雑に絡み合ったモノを抱きながら、勇夫さんは話を続けた。
「来る日も来る日も、何をしてもあの子の表情は変わることなんてなかったよ。まるで人形みたいに一定の表情、言われたこと言われた通りにする。私にも、婆さんにも、美波の表情を変えることはできなかったよ……」
……一体、二人はどんな思いを抱いて美波と接して来たのだろうか?
きっと想像を絶する日々だった筈だ。
悲惨な災害からただ一人生き残ってくれた孫が、災害を経てまるで人形のように無感動になってしまったなんて。どれほどの苦悩が二人にはあったのだろうか……俺には想像できない。
あの日――彼女の心は、
壊れた時計のように止まってしまったのだろう。
きっと多くのものを、無くして、亡くして、失くして――自分だけが残ってしまった。
残ってしまった自分は何をすればいいのか判らなくて、ただひたすらに立ち尽くすことしかできない。酷く退廃的に残った自分がそこにはいる。
残骸をかき集めて整合性を取っただけの人形だ。
それは――俺にも理解できる。
壊れた機械に成れ果て、意義も意味も失った。
俺もあの日を境に大切なモノが狂ってしまったんだ。
記憶に残るのは――辺り一面の瓦礫とベットリこべり付いた両親の血肉。
暗雲から零れた冷たい雫がどんなに躰を濡らしても、取れない嫌な感覚――突き刺すような鋭い痛みが胸の奥に残っている。
最後に残った伽藍洞な自分だけがただそこにいた。
ひどく胸が痛む感覚を抱きながら前を見る。
視線の先には命里と楽しく遊んでいる美波の姿が映った。
話を聞いた後の俺はその姿を見て心が痛んだ。きっと彼女は俺とは別の痛みをあの日、負った筈だ。なのにどうしてそんな風に在れるのか? 不思議に思った。
俺は残ってしまった自分の空虚さに絶望してしまった。それこそ壊れてしまわなきゃ、正気でいられないほどに……――
どうして、君は――
「――でもね」
っ――
待ったを掛けるような勇夫さんの言葉に、形になりかけた言葉を止めた。
「そんなあの子がね、ある日を境に元の表情を少しずつ取り戻して言ったんだよ」
勇夫さんの言葉を聞いて驚く。
きっと心が瓦解するような出来事があった筈だ、それなのに彼女は表情を取り戻した。一体、彼女は止まってしまった〝心〟をどうやって再び動かしたのだろうか?
強くそう疑問に思っていると、スッと優しい視線が俺の方へ向けられた。
「叢真くん、その日がいつか……君はわかるかい?」
「……わかりません」
回答が思いつかずそう答えると勇夫さんは優しい笑みを浮かべて言った。
「君と出会った日だよ――」
「――え」
予想外の回答に目を見開き、遊んでいる美波を凝視した。
どうしてそんな理由で彼女が再び表情を取り戻したのか、俺には一切理解できなかった。美波と出会った日、俺は彼女に大きなきっかけを与えられるようなことをした記憶はない。
……俺は、あの時――
ふと、記憶がフラッシュバックする。
目の前には雨に降られながら座り込む少女がいた。
雨に降られた少女は、無表情で何を考えているか全然わからなかった。まるで白紙のキャンパスを見ているような、そんな無為さを感じる少女。
でも――なぜだろうか?
俺は、その少女を見て――
――悲しそうな表情をしている、そう思ったんだ。
記憶の中の少女は無表情ながら、とても悲しそうな表情をしていた。どうしてそんな風に思ったかはわからない。でも、その表情を見ていたら胸が苦しくなって――思わず声を掛けてしまったんだ。
「私に理由はわからないけど、きっとあの子にとって君との出会いはそれほど衝撃的だっただろう」
「俺、特に何もしてないですけどね」
「それは君がそう思っているだけだと思うよ。君は少し自信がなさ過ぎる……君は君が思っている以上に、多くの人に影響を与えている筈だ」
「そう、ですかね……」
自信無さげにそう呟くと、少し呆れた表情で言葉が返される。
「叢真くん。君が抱えている問題はきっと、私では理解できないほど重いものなんだろうね。でも、一つ理解していてほしいことがある」
「…………」
「これからも君に感謝する人はきっと増える。君の行いはきっと――間違いなんかじゃないよ」
「――――」
優しい笑みと共に真っ直ぐそう言われ、返す言葉が出なくなる。
その言葉は、昔出会った人にも言われた言葉だった。忘れる筈も――忘れられる筈もない言葉。
……そう、か。
ずっと、ずっと――思っていた。
何もできない俺はあの日、キッチリ死んでおくべきだったんじゃないか? そんな思いが常に付き纏っていた。ふとした時に思い出すあの日の光景がチラついて、頭が割れてしまいそうなほど後悔した。
だけど――死ぬつもりはなかった。
いくら残ってしまっただけの残骸に過ぎない俺とはいえ、残ったからには腐り落ちるその日まで精一杯生きるつもりはある。それに無為な死は、あの日死んでしまった死者を冒涜する行為だ、そんなことできる筈がない。
だが――生きている自分を許せない気持ちはあった。
でも、そうか……俺がやってきたことは無意味なんかじゃないのか。
こうして救われてくれた人が目の前にいる。これが何よりも事実だ、俺に自覚がなくとも俺は少なくとも一人の女の子は救えたんだ。
その事実だけで俺は救われる。
「かくいう私も君に救われている身だ。君は少なくとも私とあの子から感謝されている、自信を持ってこれからも生きていけばいいと思うよ」
ニッコリと優しい笑みを浮かべ、そう言葉を掛けてくれた。
本当に、この人は……。
「……励ますつもりが、励まされちゃったみたいですね」
「まだまだ、若い子に心配されるほど老いてないよ」
「そうですか」
勇夫さんの冗談交じりの言葉に俺は笑みを浮かべてそう返した。
俺は、それらの言葉に一体どれだけ救われたか……本当に感謝しても仕切れなかった。
そんなやり取りの後、俺は勇夫さんと雑談をしていたところを美波に連れられ軽く一緒に遊んだ。その後、日が暮れ始めたところで美波と勇夫さんは帰って行った。
去り際、勇夫さんは俺と命里に「これからも孫を頼むよ」と言葉を残し、美波と手を繋いで修止公園から去った。
残された俺達は二人が見えなくなるまで見送った。
少しの静寂――空が緋色に染まり始めたところで命里が言った。
「これからもずっと、三人には仲良くいて欲しいね」
「ああ」
彼女の言葉に同意する。
美波、勇夫さん、文子さん、三人はこれからも末永く平穏な日々を過ごしてほしい。もうあの日のような悲しみが、三人には訪れてほしくない。
そう心から強く願った。
「こんな平穏な日々がこれからも続いてほしいね」
「ああ……本当にそうだな」
こんなに穏やかな日々が続いてくれるのだったら、俺は何を捧げたっていい。多くの人がただ笑って過ごせる日々のためなら、きっと後悔はない。
――いや、……それは少し違うか。
自身の思いの違いに気づき、隣に立っている少女に視線を向ける。
俺は笑っていて欲しい人が、不自由なく笑って過ごせる日々を望む。
そのためなら、きっと俺は――
「帰ろっか?」
「……そうだな」
彼女の言葉に小さく頷くと俺達はその場を後にした。
ああ……――
――〝何―■■にし―っ―■――い〟――――
「やあ、叢真くん、命里ちゃん。毎度のことながら孫が世話になったよ」
そうゆったりと優しげな口調で礼を述べられた。
老眼のため付けている眼鏡、真っ白な髪、シワの多い顔は温和そうな優しい表情を浮かべている。
彼は美波の祖父、浜岸勇夫さんだ。
勇夫さんは見た目通り穏やかな人柄をした人で、美波とこの公園に来てはよくこうして話をさせてもらっている。
「イノリお姉ちゃん、遊ぼ!」
「うん、いいよ」
軽く勇夫さんと挨拶を交わしたところで、美波が命里を連れて遊具の方へ走って行った。俺と勇夫さんはそんな彼女の姿を見ながら微笑を浮かべ、公園のベンチに向った。
ベンチに座りながら美波と命里が遊んでいるところを見ていると、不意に隣の勇夫さんが口を開いた。
「相変わらずこの公園は子供が少ないね……」
「仕方ないですよ、この町自体に人が少ないですから」
「そうだけど、やっぱり……子供の集まる公園に人の気配がまったくないというのは、とても侘しく思うよ。今日は特に、町全体が少し陰鬱な雰囲気に呑まれているから尚更ね」
そう言っている勇夫さん本人も、今日は何だか気分が落ち込んでいるように見えた。
「……あの日から、この町から多くの人がいなくなったよ」
辛い記憶を思い出したのか、勇夫さんの表情が少し悲しげなものに変わる。
「本当に多くの人が、この町に見切りをつけ去って行った……気持ちはよくわかるよ。この町にいる限り忘れたいことも忘れられない、思い出がそのまま〝深い傷〟になるんだからね。それに子供のいる者ならこんな危ない町から去って、安全な場所で過ごしてほしいという気持ちを抱くのも何もおかしくない」
「――――」
「この町に今も残っている者の多くは、思い出に縛られた者か、後悔に縛られた者……何にしてもあまり良いものじゃないよ。……まあ、そういう私も亡者に縛られ、この町から去ることのできなくなった一人ではあるけどね」
はにかむような笑みを見せてそういう勇夫さんに、苦笑いで返すことしかできなかった。
俺も……そっち側、か。
あの日の妄執に囚われた人間。勇夫さんの言ったように、この町で築いた〝思い出〟はあの日を境にそのまま――深傷/心傷に反転した。
その苦痛に耐えかね、目を背けた生者を否定することはない。その辛さを理解できる故、その選択を否定することなんて俺にはできない。
生者も死者も――この町には多くの者が囚われている。
それぞれが負った傷はとても大きくて、忘れて前に進めと言われてもそう簡単に忘れられない。前に進もうとするたび、傷口が生々しい痛みを伴って――〝忘れるな〟と訴えかけてくる。いずれ傷の痛みに耐えかねて皆、足を止めてしまう。
当たり前だ、わざわざ傷口を抉るような行為をしたがるやつなんてない。
……そうだ、それが当たり前なんだろう。
なら――
空いた心の穴に手を入れ、
落してしまったモノを探す俺は――どこかおかしいのだろうか?
欠落したモノを求めて腐った胸の傷を抉り続ける。
走って走って……走り続けて。昔、持っていたモノを探し求めて、模倣した偽善を振りかざす。それが正しいか、正しくないかなど判らずに……――
「悪いね、叢真くん。どうも年寄りになると陰気くさい話ばかりしてしまって」
暗い表情を見せてしまったからか、申しなさそうにそう謝られてしまった。
「いえ、大丈夫ですよ」
「そうかい?」
「はい」
表情を戻し可能な限り精一杯の元気を見せる。勇夫さんは訝しむような表情をしたが、その後は納得したようで再び笑みを浮かべてくれた。
俺の作り笑顔も捨てたものじゃないな。と、そんな風に自画自賛してみたが、勇夫さんの様子を見る限り普通にバレているような気がする……いや、気づいていないことにしておこう。うん、そうしておこう。
無理やりそう思い込むことにした。
「それにしてもやっぱり、こんないい公園に子供がいないのは勿体無いね」
「そうですね、俺が小さい頃はよくみんなで遊んだ記憶があります。まさかこんなに人を見かけなくなるとは、当時は思ってもいませんでしたよ」
この公園――修止公園は、星災によって多くの人がいなくなってからすっかり、今の様に侘しさを感じさせる場所になってしまった。
ここ最近、この公園で遊んでいる子を美波を除いて見ていない。本当にいい公園なのに勿体ないと思う。
「ここにもっと他の子たちが来てくれれば、あの子も寂しい思いをしないで済むと思うんだけどね」
「学校でそういう子はいないんですか?」
「残念だけどね……。どうもあの子は学校が合わないみたいでね、聞いてもいないとしか答えてくれなかったよ」
「ま、まあ、合う合わないは仕方ないですよ」
まさかのボッチ予備軍、いや、現在進行形でボッチになっている事実に驚きながらも、そうフォローを入れる。
個人的には別に友達がいなくても楽しいならいいと思うけど、彼女はそういうタイプでもないだろう、今度友達を作ろう方法講座を開こう。
まあ、俺も別に友達が多い方じゃないけど……。
「君達には感謝しているよ。あの子がああしていられるのは君達のおかげだ、本当に頭が上がらないよ」
「そんなことないですよ」
「いや、そんなことあるさ。私や婆さんと遊んでいる時のあの子は、あそこまで燥いではくれないからね」
少し悲しそうに勇夫さんは言った。
「あの子には、寂しい思いをさせてしまって本当に申し訳ないよ。あの子は両親との関わりが薄いからね、私達が少しでも親代わりを果たせればよかったけど……」
「十分親代わりを果たせてますよ。勇夫さんも文子さんも十分やってます、美波だって――」
後ろ向きな発言に、そう励ますような言葉を掛けたが彼は首を横に振った。
「美波は賢い子だ。私達のことを考えて嘘でも笑って見せてくれている、嘘でも優しい言葉を掛けてくれている。私達に心労を掛けさせまいと……そう、頑張ってしまっている」
「…………」
「あの子はまだ幼い、そんな子に心労を掛けさせていると思うと心が痛むよ」
心労を掛けさせまいとした行為が、逆に心労を掛けさせる行為になっている。どちらも根本が優しさであるため、そのどちらも間違っているとは言えない。
ふと、勇夫さんが思いを馳せるような表情で話を始める。
「私達はただ、あの子の……亡き息子の残した、あの子に……なに不自由なく、自由に生きて欲しいだけなんだけどね。難しいものだよ」
亡き息子――美波の父、その姿を思い出したのか、勇夫さんは今にも瞳から雫が落ちそうな……そんな悲しい表情を見せた。
俺はそんな表情を見て気の利いた言葉が吐けず、数秒の間を開けてやっぱり思ったことそのまま口にした。
「……十分、お二人は頑張っていますよ」
「そうかな?」
何の変哲もない、つまらない言葉に勇夫さんは微笑を見せた。
――美波の両親は星災で亡くなっている。
勇夫さんから聞いた話だが、彼女も俺や命里と同じように星災の日に両親を亡くしたらしい。
当時の彼女は四歳。
まだ〝死〟についてなど深く考えるでもないそんな年だ。彼女は両親が死んだというその事実について、あまり深く理解はできなかっただろう。
幼稚園に入って間もない年頃だ、そんなことを考えさせる方がおかしい。本来、星災なんてものが起きなければ、そんな酷な事実に彼女が向き合う必要なんてなかった……そんな、残酷な事実を直視することはなかった筈だ。
美波は勇夫さんとその女房である浜岸文子さんが、息子の娘ということで親族として引き取り人になったらしい。
部外者の俺が言うことじゃないが、彼女にとって二人に引き取られたことは良い事だったと思う。二人はとても良い人だ、孫である美波のことをしっかり見ているし、一生懸命向かい合ってくれている。他の親族を知らないから何とも言えないが、二人が親として最高だったのは間違いない。
勇夫さんは悲観的な発言が多いが、俺としては全然そうは思えなかった。
孫のためによく知らないゲームについて色々調べて、一緒にプレイできるまで練習するなんて普通はしない。二人は十分よくやっている。
「叢真くん」
「なんですか?」
侘しさを孕んだ表情が俺の方へ向けられた。
「君に……話したかな? あの子が両親の葬式で浮かべた表情の話を」
「……いえ」
聞き覚えのない話、神妙な面持ちの彼を見て固唾を呑む。
言葉を続けようとする勇夫さんの口元が、僅かに震えているのが見えた。それはまるで行き場のない怒りに打ち震えているような、そんな感覚を抱いた。
「あの子はね、両親の葬式でずっと――――無表情だったんだ」
「え」
「いや、もっと言えば、あの災害の後……私達があの子を発見した時にはもう――表情は死んでいたよ。……きっとあの日から、あの子の〝心〟は止まってしまったんだ」
彼の言葉を聞いて思わず絶句する。
右手で頭を軽く押さえる勇夫さん、その表情は怒りと悲しみが混じったような複雑なものだった。きっとその怒りの矛先は自分自身で、その悲しみは美波へ向けられたものだろう。
どちらも無力感が由来の感情。
自分は何もできなかった――
自分は何もしてやれなかった――
それらの思いが複雑に絡み合ったモノを抱きながら、勇夫さんは話を続けた。
「来る日も来る日も、何をしてもあの子の表情は変わることなんてなかったよ。まるで人形みたいに一定の表情、言われたこと言われた通りにする。私にも、婆さんにも、美波の表情を変えることはできなかったよ……」
……一体、二人はどんな思いを抱いて美波と接して来たのだろうか?
きっと想像を絶する日々だった筈だ。
悲惨な災害からただ一人生き残ってくれた孫が、災害を経てまるで人形のように無感動になってしまったなんて。どれほどの苦悩が二人にはあったのだろうか……俺には想像できない。
あの日――彼女の心は、
壊れた時計のように止まってしまったのだろう。
きっと多くのものを、無くして、亡くして、失くして――自分だけが残ってしまった。
残ってしまった自分は何をすればいいのか判らなくて、ただひたすらに立ち尽くすことしかできない。酷く退廃的に残った自分がそこにはいる。
残骸をかき集めて整合性を取っただけの人形だ。
それは――俺にも理解できる。
壊れた機械に成れ果て、意義も意味も失った。
俺もあの日を境に大切なモノが狂ってしまったんだ。
記憶に残るのは――辺り一面の瓦礫とベットリこべり付いた両親の血肉。
暗雲から零れた冷たい雫がどんなに躰を濡らしても、取れない嫌な感覚――突き刺すような鋭い痛みが胸の奥に残っている。
最後に残った伽藍洞な自分だけがただそこにいた。
ひどく胸が痛む感覚を抱きながら前を見る。
視線の先には命里と楽しく遊んでいる美波の姿が映った。
話を聞いた後の俺はその姿を見て心が痛んだ。きっと彼女は俺とは別の痛みをあの日、負った筈だ。なのにどうしてそんな風に在れるのか? 不思議に思った。
俺は残ってしまった自分の空虚さに絶望してしまった。それこそ壊れてしまわなきゃ、正気でいられないほどに……――
どうして、君は――
「――でもね」
っ――
待ったを掛けるような勇夫さんの言葉に、形になりかけた言葉を止めた。
「そんなあの子がね、ある日を境に元の表情を少しずつ取り戻して言ったんだよ」
勇夫さんの言葉を聞いて驚く。
きっと心が瓦解するような出来事があった筈だ、それなのに彼女は表情を取り戻した。一体、彼女は止まってしまった〝心〟をどうやって再び動かしたのだろうか?
強くそう疑問に思っていると、スッと優しい視線が俺の方へ向けられた。
「叢真くん、その日がいつか……君はわかるかい?」
「……わかりません」
回答が思いつかずそう答えると勇夫さんは優しい笑みを浮かべて言った。
「君と出会った日だよ――」
「――え」
予想外の回答に目を見開き、遊んでいる美波を凝視した。
どうしてそんな理由で彼女が再び表情を取り戻したのか、俺には一切理解できなかった。美波と出会った日、俺は彼女に大きなきっかけを与えられるようなことをした記憶はない。
……俺は、あの時――
ふと、記憶がフラッシュバックする。
目の前には雨に降られながら座り込む少女がいた。
雨に降られた少女は、無表情で何を考えているか全然わからなかった。まるで白紙のキャンパスを見ているような、そんな無為さを感じる少女。
でも――なぜだろうか?
俺は、その少女を見て――
――悲しそうな表情をしている、そう思ったんだ。
記憶の中の少女は無表情ながら、とても悲しそうな表情をしていた。どうしてそんな風に思ったかはわからない。でも、その表情を見ていたら胸が苦しくなって――思わず声を掛けてしまったんだ。
「私に理由はわからないけど、きっとあの子にとって君との出会いはそれほど衝撃的だっただろう」
「俺、特に何もしてないですけどね」
「それは君がそう思っているだけだと思うよ。君は少し自信がなさ過ぎる……君は君が思っている以上に、多くの人に影響を与えている筈だ」
「そう、ですかね……」
自信無さげにそう呟くと、少し呆れた表情で言葉が返される。
「叢真くん。君が抱えている問題はきっと、私では理解できないほど重いものなんだろうね。でも、一つ理解していてほしいことがある」
「…………」
「これからも君に感謝する人はきっと増える。君の行いはきっと――間違いなんかじゃないよ」
「――――」
優しい笑みと共に真っ直ぐそう言われ、返す言葉が出なくなる。
その言葉は、昔出会った人にも言われた言葉だった。忘れる筈も――忘れられる筈もない言葉。
……そう、か。
ずっと、ずっと――思っていた。
何もできない俺はあの日、キッチリ死んでおくべきだったんじゃないか? そんな思いが常に付き纏っていた。ふとした時に思い出すあの日の光景がチラついて、頭が割れてしまいそうなほど後悔した。
だけど――死ぬつもりはなかった。
いくら残ってしまっただけの残骸に過ぎない俺とはいえ、残ったからには腐り落ちるその日まで精一杯生きるつもりはある。それに無為な死は、あの日死んでしまった死者を冒涜する行為だ、そんなことできる筈がない。
だが――生きている自分を許せない気持ちはあった。
でも、そうか……俺がやってきたことは無意味なんかじゃないのか。
こうして救われてくれた人が目の前にいる。これが何よりも事実だ、俺に自覚がなくとも俺は少なくとも一人の女の子は救えたんだ。
その事実だけで俺は救われる。
「かくいう私も君に救われている身だ。君は少なくとも私とあの子から感謝されている、自信を持ってこれからも生きていけばいいと思うよ」
ニッコリと優しい笑みを浮かべ、そう言葉を掛けてくれた。
本当に、この人は……。
「……励ますつもりが、励まされちゃったみたいですね」
「まだまだ、若い子に心配されるほど老いてないよ」
「そうですか」
勇夫さんの冗談交じりの言葉に俺は笑みを浮かべてそう返した。
俺は、それらの言葉に一体どれだけ救われたか……本当に感謝しても仕切れなかった。
そんなやり取りの後、俺は勇夫さんと雑談をしていたところを美波に連れられ軽く一緒に遊んだ。その後、日が暮れ始めたところで美波と勇夫さんは帰って行った。
去り際、勇夫さんは俺と命里に「これからも孫を頼むよ」と言葉を残し、美波と手を繋いで修止公園から去った。
残された俺達は二人が見えなくなるまで見送った。
少しの静寂――空が緋色に染まり始めたところで命里が言った。
「これからもずっと、三人には仲良くいて欲しいね」
「ああ」
彼女の言葉に同意する。
美波、勇夫さん、文子さん、三人はこれからも末永く平穏な日々を過ごしてほしい。もうあの日のような悲しみが、三人には訪れてほしくない。
そう心から強く願った。
「こんな平穏な日々がこれからも続いてほしいね」
「ああ……本当にそうだな」
こんなに穏やかな日々が続いてくれるのだったら、俺は何を捧げたっていい。多くの人がただ笑って過ごせる日々のためなら、きっと後悔はない。
――いや、……それは少し違うか。
自身の思いの違いに気づき、隣に立っている少女に視線を向ける。
俺は笑っていて欲しい人が、不自由なく笑って過ごせる日々を望む。
そのためなら、きっと俺は――
「帰ろっか?」
「……そうだな」
彼女の言葉に小さく頷くと俺達はその場を後にした。
ああ……――
――〝何―■■にし―っ―■――い〟――――
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