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Ⅱ カイルのサンカラーラの暮らし
カイルのおもてなし
しおりを挟む「まさか、嘘だろヴィハーン!?」
本当にヴィハーンが庭に入ってくるところに出くわして、思わずそう叫ぶ。ヴィハーンは相変わらず人相の悪い顔でギロリとカイルを睨んだ。
『来ては悪かったか』
「とんでもない! 今朝もロバを見ながら君が来てくれないかと願っていたところだ!」
『…………ロバを見て?』
ヴィハーンが眉間の皺をますます深くして庭の隅にいるロバを見る。するとロバは食んでいた草を落として固まってしまった。
「待て待て、かわいそうなうちのロバをいじめないでやってくれ。よく来てくれたね! お茶でもどうだい?」
カイルは逃がしてなるものかとヴィハーンの腕を一本がっしりと抱え込んで家へと引っ張り込もうとする。もちろん相手が重すぎてビクともしなかったが、それでも気迫と歓迎の気持ちは伝わったようだ。ため息をついたヴィハーンがのしのしと歩き出す。
『先日の礼だ』
家の玄関先でヴィハーンが片方の上腕に担いでいた籠を下ろした。中にはなんとニワトリが三羽押し込められてケコケコとけたたましく鳴いている。
「え、これは食べるのかい?」
『食ってもいいし、飼えば玉子を産む』
「そうか、なるほどじゃあそうしよう」
自分でニワトリの首をひねって殺して羽根をむしったりするところを想像して青褪めかけたカイルは、すぐさまそちらの平和的共存法に飛びつく。
「だがお礼だなんて気にしなくても良かったのに。この間ピクニックに持って行ったものは君のマトンの礼でもあったんだから」
『あれは最初の茶と菓子の礼だ。礼に礼を貰っては座りが悪い』
「君は本当に律儀な男だなぁ」
カイルがそう言うとヴィハーンはじろりと目の端で見下ろして『借りを作りたくないだけだ』と答えた。
「そうか、それでも嬉しいよ。ありがとう」
カイルは家の重くて大きい扉を開けて彼を押し込んだ。そしてとりあえずニワトリは物置部屋に放して戸を閉める。明日にでもダラーに相談してニワトリ小屋を用意しなければ、と頭のメモに書き留めた。
「待っててくれ、今湯を沸かすから」
カイルは竈の熾火を掻き立てて湯沸かしを置く。昨夜燃やした薪の燠に灰を被せておくと、火は消えるが火種は残る。翌日その灰を除いて着火用の杉葉の乾いたのを乗せるだけで再び火を熾せるのだ。そうパドマに習ってから炊事がとても楽になった。
元々この家にあったなけなしの食器や鍋などはカイルが裏の井戸の水でピカピカに磨いたが、いかんせんどれもサイズが大きい。当然錫の湯沸かしもかなり大きいので、取っ手に布巾を被せて両手で持ち上げようとした時、低い唸り声のようなヴィハーンの声に止められた。
『どけ、俺がやる』
「いや、このくらい平気だ。君はお客様なんだから」
だがヴィハーンはじろりとまたカイルを睨むと、布巾の上から湯沸かしを掴んでテーブルへ運んだ。その時、自分の肩くらいの高さにあるテーブルに見慣れない小袋が置いてあるのに気が付いた。
「あれ? なんだいこれは」
『サンカラーラの茶だ』
「えっ!? 持って来てくれたのかい?」
『お前の国の茶は茶とは言わん』
そう言ってヴィハーンがポットに熱い湯を勢いよく注いだ。どうやらすでに茶葉を入れておいたらしい。ちなみにポットはカイルが母親に持たされた小さな薔薇の模様がついた磁器のものだ。
ヴィハーンはポットの蓋をして、カイルにしてみればちょっと長いんじゃないかと思うくらい時間を置いた。ヴィハーンが視線で許可を出したので、カイルは高い椅子によじ登り自分とカイルのカップに茶を注ぐ。途端に華やかで豊かな香りがパッと立ち込めてカイルは「わっ」と小さく声を上げた。
「へぇ、すごい香りだ。なんとなく秋の森を思い起こさせるね」
それにカップの内側の滑らかな白に茶の澄んだ濃い赤がとても鮮やかで美しい。そう感想を言うとヴィハーンの顔は相変わらずの仏頂面だったが、彼の後ろで尻尾の先端がくるんと揺れたのが見えた。一口飲むと香りが口の中に広がり、角のない渋みがいいアクセントになっている。
「うーん、これは確かに甘い菓子が合うお茶だ」
カイルは昨日またしても失敗してしまった硬い種なしパンを小さな四角に切って糖蜜を染み込ませた自己流の菓子もどきを出した。あまり甘いものは得意ではないカイルにはこれが果たして美味しいのかはよくわからないが、少なくともダラーに試食してもらった時彼はニコニコしながら食べていた。
ヴィハーンは下腕を組んで疑わし気にそれを睨んでいたが、しばらくして一つ摘まむとくわ、と開けた口に放り込んだ。
カイルが「どうかな? 昨日作ってみたんだが」と行儀悪く頬杖をついて尋ねると『……まずくはない』と答える。カイルはニヤニヤしながら「そうか、良かった」と言った。
「ところで本当に僕たちなんでお互いの言葉がわかるんだろうね」
『知らん』
「まあ便利だからいいけど。お隣さんには通じないからこっちの言葉の練習は続けてはいるんだが、それでも相手がパドマとダラーとロバしかいなくてね」
カイルはお茶のおかわりを注ぎながら尋ねる。
「見ての通り、さすがに暇を持て余していてね。だから柄にもなく菓子作りや畑仕事なんてしているわけだが。ヴィハーンは普段何をしているんだい?」
するとヴィハーンはますます怖い顔をして『……いろいろだ』としか答えてくれなかった。
「例えば? 王族にも何か決まった仕事やなんかがあるのか? 僕に手伝えることはないかい?」
あわよくばまた彼と一緒に何かできないかと聞いてみるが、ヴィハーンは苦虫を嚙み潰したような顔で『ない』と言うだけだった。
「そうか」
ついしょぼんとした声が出てしまう。前回の彼とのピクニックが楽しすぎたのがいけない。あの時ヴィハーンと出かけたことは本当にいい気晴らしになったし楽しかったし面白かった。だが仕方ないので他の方法を探す。
「このままブラブラしてても、当初の目的であった『この国を知る』ということはできなさそうだから、タクールに頼んで何か仕事を斡旋して貰おうかな。これでも高等教育は受けた身だし数年だが社会人経験もある。それでも職がなければ彼の商会で荷運びでも……」
と言ったところでドン! という音とともに椅子とテーブルが揺れた。
「ヴィハーン、いつか床が抜けるぞ」
『……港で働くのはやめておけ』
「港じゃなくて港の近くのタクールの店で、だけど」
一応そうやって反論してみるが、ヴィハーンが今度こそ尾で床に穴をあけそうな顔をしているのでそれ以上言うのはやめた。
(それに、ヴィハーンが港町の人たちにいい感情を持ってない理由も知ってしまったからな)
カイルは先日目撃してしまったオメガや港の男たちとのいざこざを思い出す。
(仕方ない、タクールの店で働かせてもらう案は諦めるか)
カイルはお茶をもう一口飲みながら、空気を換えようと冗談交じりの口調で言った。
「ところで君は『オメガなんていらん』と言ったわりに僕に親切だね」
ぶっきらぼうで付き合いにくそうな振りをしているが、やはり本当はいいやつだな? と続けると、ヴィハーンはフン、と鼻を鳴らして一気にお茶を飲み干した。
しばらくして彼が帰る時にもう一度「君は普段どこで何をしてるんだい? 君に会いたくなったらどこへ行けば会える?」と聞いてみたが答えはなかった。
「残念、また来てくれるといいが」
そう呟きながら家の中に戻る。
先日、港で見かけた時以来会うのは初めてだったが、ヴィハーンの様子がいつもと変わりなかったことにホッとした。あんなことがあったから、もしかしたら当分の間オメガのカイルの顔も見たくなくなるかと心配していたのだ。
(不思議だな。ヴィハーンは相変わらず不愛想の極致だし、ただ僕が一方的に話してるようなものだが、それでも一緒にお茶を飲むのが楽しいとは)
ヴィハーンは決して付き合いやすい男ではない。でも裏がないのがいい、とカイルは思う。顔は終始仏頂面だが、彼の太くて重そうな尾は意外なほど雄弁なことに本人は気づいているだろうか? そう考えるとついカイルの唇が緩む。
願わくばヴィハーンの方もカイルに気を使うことなく自然体でいてくれているといいのだが。
(ああ、本当に彼と友人になれたらいいのに)
そして空になったお菓子もどきの皿を見て「次はどうやって甘いものをこしらえるか」とニヤニヤしながら考えた。
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