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Ⅰ ”最も優秀なオメガ”カイルのお見合い話
タクールの店と初めての買い物
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『ようこそ、いらっしゃい』
店主らしき男の声が響く。男はやはりトカゲに似た顔立ちだったが、品のいいスタンドカラーのシャツに細身のパンツを履きその上から更紗模様の美しい布を巻いていて、鼻先にはちょこんと小さな丸眼鏡まで乗せている。ひと目で港の労働者たちとは違う階級の者だとわかった。
ようやくヴィハーンの手から解放されて、カイルは皺の寄ったスーツを手で伸ばす。そしてぐるりと店の中を見渡した。壁一面に作りつけられた棚には実に多種多様の物が並べられている。布、瓶詰めや缶詰類、雑貨、酒らしき瓶や甕まである。興味津々で近づこうとすると、再び店主の声がした。
『失礼ですが合衆国から来られたお方ですよね?』
振り向くと店主が大きな口をにんまり持ち上げてカイルを見ている。
『ダンさんから聞いてませんか? 私はタクールといいます』
「あ……ああ!」
カイルは慌ててポケットからダンの手帳を取り出す。確かにそこには手書きの地図と一緒に『Thakur』と書かれていた。いつもの習慣で握手の手を差し出し、早速例の挨拶をしようと口を開く。
『おめさん、ご機嫌よ……』
だが後ろからにゅっと伸びてきた手に口を塞がれた。その手は口どころか顔全部を覆う大きさで、辛うじて指の間から驚いているタクールの顔が見える。「何するんだ!」という抗議の声はヴィハーンの厚い手のひらの中に消えた。そして上から唸るような声で『お前はしゃべるな』と言われる。ムッとしたカイルが視界の下の端にちらりと映った大きな足を思いっきり踏みつけてやると、ようやく巨大な手が離れていってカイルは息を吐き出した。
『こいつはまだサンカラーラの言葉に詳しくない』
勝手にそう言うヴィハーンを睨むと、タクールがカイルに向かってこくりと頷く。
「ワタシ、ニンゲンの言葉すこし話せマス」
「おお……それはありがたい」
カイルはにっこり笑って改めて握手の手を差し出した。ついでにずれてしまった帽子を脱ぐ。
「カイル=ヴァンダービルトです。お会いできてうれしく思います」
タクールはカイルの頭を見て糸のように細い目を一瞬見開いたが、すぐに普通の顔に戻ってカイルの手を握った。
「ワタシもデス、みすたーカイル」
その手は柔らかく、ひんやりと冷たい。
(やはり人の皮膚とは感触が違うな)
それにしても突然ここに連れて来られたが、ヴィハーン行きつけの店だったのだろうか。それとも前回手帳の中身を見た内容を覚えていたのだろうか。だがヴィハーンはいつものように上腕を組み下腕を腰に当てて黙りこくっている。ただし背中を丸めて非常に狭苦しそうに身体を縮めて、だ。
「貴方には少々狭いようだな」
カイルが笑うとヴィハーンの太い尾が不機嫌そうにドスンと木貼りの床を打つ。その衝撃で倒そうになった花瓶をタクールが素早く手で押さえた。
『こちらは吹き抜けになっているので少しはお楽かと』
タクールの案内で入口の脇のちょっとしたスペースに移動する。そしてカイルぐらいの背丈の使用人がやって来て、タクール用の小さい椅子とそれより少し大きい椅子、それから大きくて頑丈そうな木箱を運んできた。
カイルはその椅子に座って使用人が淹れたお茶のカップを受け取ったが、ヴィハーンは腕を組んで壁にもたれたまま『用事を済ませろ』とぶっきらぼうに言っただけだった。
(おかしなやつだなぁ)
親切なのかそうじゃないのかちっともわからない。とりあえずカイルはヴィハーンのことは気にせずタクールと色んな話をした。
「当分の間一人で生活していきたいのだが、家に何もないんだ。まずは食料を手配したいのだが、こちらでできるだろうか」
「もちろんでス。小麦と塩と砂糖なら今スグに、肉と野菜は毎週届けさせるようにイタシましょう」
「あとは寝台も買いたいのだが……」
するとタクールが「みすたーカイルはいつまでこちらに?」と聞いてきた。
「十か月後、ダンが今度は自分の貿易船で取引にやって来ると言っていた。とりあえずはそれまでの滞在を考えているが、今の家には寝台もなくてな。今は物置にある長椅子でコートやショールを被って寝ているんだ。夜中寒いし、それに寝室を追い出された浮気男のようで落ち着かなくてね」
ジョークのつもりでそう言って笑うと、またドスンと音がしてテーブルの上の茶器が揺れた。どうかしたのかと驚いてヴィハーンを見たが、彼は険しい顔をして壁を睨みつけている。首をかしげつつタクールに向き直ると「部屋の大きさを計ってから注文シましょう」と店主は請け合った。
「では今日は小麦粉をハコブ手配をしまス」
「あのロバを一緒に連れてこれば良かったな」
そうしたら荷を乗せていけたのに、と呟くと、後ろから『俺が持っていく』と声がした。
「え、いいのかい?」
突然のヴィハーンの申し出に驚いたが、すでに彼は用は済んだとばかりに戸口に向かって歩き出していた。慌ててカイルも椅子から立ち上がると、タクールが「すぐに用意しマス」と使用人に指示を出す。
その時、ヴィハーンがタクールに言った。
『ヘシュカがいる』
「え? いや、いらないって言っただろう」
すかさずカイルが口を挟むが、タクールはすぐに『最高級の物を』と答えた。だがヴィハーンは首を振って『目立たぬ物がいい』と言う。するとタクールは『なるほど』と深く頷いて部屋の奥へ行ってしまった。
「いや、それは女性がする物なんだろう? 僕はいらないよ、このロード・アンド・テイラーの帽子があるから」
だがヴィハーンはそれを無視してタクールが持って来た布を掴む。そして有無を言わさずカールの頭に被せ、器用に裾を首に巻き付けた。その布はとても大きく、カイルの上半身がほとんど隠れるほどで「頭巾というサイズかこれが」と呆れる。
「だから僕はいらな――――ん? これはなんだ? シルクか?」
あまりの手触りの良さに思わず布の縁を撫でて確かめる。よくよく見ると色は地味ながら織りが非常に細かく、細い絹糸を密に織った高級品のようだった。
「これはなかなか見事な品だ。うちの母などが見たら興奮して色がどうの刺繍がどうのと言い出すぞ」
カイルが感心しながら布をためつすがめつしている間に、いつの間にか奥から運ばれて来た大きな麻袋をヴィハーンが担ぎ、店から出ていってしまった。
「あ、おい! 勘定は!?」
「どうぞごシンパイなく、これもどうぞ」
またのお越しをお待ちしております、と頭を下げるタクールにたくさんの缶詰が入った袋を手渡され、カイルは「また来る!」と叫んで店から飛び出した。
店主らしき男の声が響く。男はやはりトカゲに似た顔立ちだったが、品のいいスタンドカラーのシャツに細身のパンツを履きその上から更紗模様の美しい布を巻いていて、鼻先にはちょこんと小さな丸眼鏡まで乗せている。ひと目で港の労働者たちとは違う階級の者だとわかった。
ようやくヴィハーンの手から解放されて、カイルは皺の寄ったスーツを手で伸ばす。そしてぐるりと店の中を見渡した。壁一面に作りつけられた棚には実に多種多様の物が並べられている。布、瓶詰めや缶詰類、雑貨、酒らしき瓶や甕まである。興味津々で近づこうとすると、再び店主の声がした。
『失礼ですが合衆国から来られたお方ですよね?』
振り向くと店主が大きな口をにんまり持ち上げてカイルを見ている。
『ダンさんから聞いてませんか? 私はタクールといいます』
「あ……ああ!」
カイルは慌ててポケットからダンの手帳を取り出す。確かにそこには手書きの地図と一緒に『Thakur』と書かれていた。いつもの習慣で握手の手を差し出し、早速例の挨拶をしようと口を開く。
『おめさん、ご機嫌よ……』
だが後ろからにゅっと伸びてきた手に口を塞がれた。その手は口どころか顔全部を覆う大きさで、辛うじて指の間から驚いているタクールの顔が見える。「何するんだ!」という抗議の声はヴィハーンの厚い手のひらの中に消えた。そして上から唸るような声で『お前はしゃべるな』と言われる。ムッとしたカイルが視界の下の端にちらりと映った大きな足を思いっきり踏みつけてやると、ようやく巨大な手が離れていってカイルは息を吐き出した。
『こいつはまだサンカラーラの言葉に詳しくない』
勝手にそう言うヴィハーンを睨むと、タクールがカイルに向かってこくりと頷く。
「ワタシ、ニンゲンの言葉すこし話せマス」
「おお……それはありがたい」
カイルはにっこり笑って改めて握手の手を差し出した。ついでにずれてしまった帽子を脱ぐ。
「カイル=ヴァンダービルトです。お会いできてうれしく思います」
タクールはカイルの頭を見て糸のように細い目を一瞬見開いたが、すぐに普通の顔に戻ってカイルの手を握った。
「ワタシもデス、みすたーカイル」
その手は柔らかく、ひんやりと冷たい。
(やはり人の皮膚とは感触が違うな)
それにしても突然ここに連れて来られたが、ヴィハーン行きつけの店だったのだろうか。それとも前回手帳の中身を見た内容を覚えていたのだろうか。だがヴィハーンはいつものように上腕を組み下腕を腰に当てて黙りこくっている。ただし背中を丸めて非常に狭苦しそうに身体を縮めて、だ。
「貴方には少々狭いようだな」
カイルが笑うとヴィハーンの太い尾が不機嫌そうにドスンと木貼りの床を打つ。その衝撃で倒そうになった花瓶をタクールが素早く手で押さえた。
『こちらは吹き抜けになっているので少しはお楽かと』
タクールの案内で入口の脇のちょっとしたスペースに移動する。そしてカイルぐらいの背丈の使用人がやって来て、タクール用の小さい椅子とそれより少し大きい椅子、それから大きくて頑丈そうな木箱を運んできた。
カイルはその椅子に座って使用人が淹れたお茶のカップを受け取ったが、ヴィハーンは腕を組んで壁にもたれたまま『用事を済ませろ』とぶっきらぼうに言っただけだった。
(おかしなやつだなぁ)
親切なのかそうじゃないのかちっともわからない。とりあえずカイルはヴィハーンのことは気にせずタクールと色んな話をした。
「当分の間一人で生活していきたいのだが、家に何もないんだ。まずは食料を手配したいのだが、こちらでできるだろうか」
「もちろんでス。小麦と塩と砂糖なら今スグに、肉と野菜は毎週届けさせるようにイタシましょう」
「あとは寝台も買いたいのだが……」
するとタクールが「みすたーカイルはいつまでこちらに?」と聞いてきた。
「十か月後、ダンが今度は自分の貿易船で取引にやって来ると言っていた。とりあえずはそれまでの滞在を考えているが、今の家には寝台もなくてな。今は物置にある長椅子でコートやショールを被って寝ているんだ。夜中寒いし、それに寝室を追い出された浮気男のようで落ち着かなくてね」
ジョークのつもりでそう言って笑うと、またドスンと音がしてテーブルの上の茶器が揺れた。どうかしたのかと驚いてヴィハーンを見たが、彼は険しい顔をして壁を睨みつけている。首をかしげつつタクールに向き直ると「部屋の大きさを計ってから注文シましょう」と店主は請け合った。
「では今日は小麦粉をハコブ手配をしまス」
「あのロバを一緒に連れてこれば良かったな」
そうしたら荷を乗せていけたのに、と呟くと、後ろから『俺が持っていく』と声がした。
「え、いいのかい?」
突然のヴィハーンの申し出に驚いたが、すでに彼は用は済んだとばかりに戸口に向かって歩き出していた。慌ててカイルも椅子から立ち上がると、タクールが「すぐに用意しマス」と使用人に指示を出す。
その時、ヴィハーンがタクールに言った。
『ヘシュカがいる』
「え? いや、いらないって言っただろう」
すかさずカイルが口を挟むが、タクールはすぐに『最高級の物を』と答えた。だがヴィハーンは首を振って『目立たぬ物がいい』と言う。するとタクールは『なるほど』と深く頷いて部屋の奥へ行ってしまった。
「いや、それは女性がする物なんだろう? 僕はいらないよ、このロード・アンド・テイラーの帽子があるから」
だがヴィハーンはそれを無視してタクールが持って来た布を掴む。そして有無を言わさずカールの頭に被せ、器用に裾を首に巻き付けた。その布はとても大きく、カイルの上半身がほとんど隠れるほどで「頭巾というサイズかこれが」と呆れる。
「だから僕はいらな――――ん? これはなんだ? シルクか?」
あまりの手触りの良さに思わず布の縁を撫でて確かめる。よくよく見ると色は地味ながら織りが非常に細かく、細い絹糸を密に織った高級品のようだった。
「これはなかなか見事な品だ。うちの母などが見たら興奮して色がどうの刺繍がどうのと言い出すぞ」
カイルが感心しながら布をためつすがめつしている間に、いつの間にか奥から運ばれて来た大きな麻袋をヴィハーンが担ぎ、店から出ていってしまった。
「あ、おい! 勘定は!?」
「どうぞごシンパイなく、これもどうぞ」
またのお越しをお待ちしております、と頭を下げるタクールにたくさんの缶詰が入った袋を手渡され、カイルは「また来る!」と叫んで店から飛び出した。
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