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ミナミくん、頑張る。
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(今回は2話分同時公開しています)
「あ、あった~~~~~っ!!」
ついに見つけた見覚えのある看板に、思わず南は携帯電話を握りしめて脱力した。
片方の壁に薄汚れた鉄のドアと謎の看板が並んでいる場所の一つ、正方形の電光板に大きく『目』『傷』『胃』『腎』などと書いてあるドアをそっと押し開ける。
「あのー……」
「お、来たな。お前さん虎が連れとったニンゲンじゃろ」
そう言って部屋の奥から振り向いたのは以前コンタクトレンズを買うための処方箋を書いてくれた山羊の医師と、
「哇塞! ほんとだ! 虎大哥の寶貝じゃねぇか! 無事だったか!」
と叫んだ、鼻先に冗談みたいな丸い黒メガネを乗せた背の低い狸だった。
(え、だ、誰!?)
驚いてとっさに返事ができずにいたが、山羊の先生に手で招かれて南は二人へと近づいて行った。
「あの、俺……さっき店から電話があって、ここに行けって……」
「ああ、志偉からじゃろ。お前さん、呉凱を狙っとるヤツに攫われたんじゃ。無事で良かった」
山羊の先生がそう言うと、向かいに座った黒メガネの狸がニヤニヤ笑いながら言った。
「志偉からアンタに電話させたのは俺だ。電波が通じるところにいてくれて助かった。アンタが攫われたって知って虎の旦那が激怒して大変だったんだぜ?」
「う、呉凱さん!? 呉凱さんは無事なんですか!?」
思わず叫ぶと、山羊の先生が横から口を挟む。
「まずはお前さんの方が先じゃ。どうじゃ。怪我はないかいの」
「あ……そういえば」
今まで恐怖ですっかり忘れていたうなじの痛みが急にぶり返してくる。とっさに首の後ろに触れようとした南の手を取って山羊の医師が言った。
「お、なんじゃこりゃ。ひどい火傷になっとるな」
「ほんとだ。あのゴーグル野郎にやられたのか? 畜生め、本気で見境ねぇヤツだな」
ケッとばかりに鼻を鳴らして狸が言う。
「醫生、俺は後でいいから先にこの子の手当てしてやってくんな」
「い、いえ、俺は別に……」
見れば狸は診察用の回転椅子に座って血の出た足を剥き出しにしていた。
「虎の旦那に頼まれて急いで来たんだけどよ。そこで小金目当ての馬鹿なガキどもにやられちまった。俺としたことがドジこいたぜ」
「さっきどこからか銃声が聞こえてきての。みんなピリピリしとるんじゃよ、今」
「じゅ、銃声!?」
「ああ。虎の旦那をつけ狙ってるヤツはちょっと頭がイカれてんのさ。だから俺もこれを届けに来たんだけどよ」
と狸が懐から何かの包みを取り出そうとしたところで突然何かが破裂したような音が響いた。
「またかよ、畜生! どっから聞こえた!? 醫生!」
「音の感じからしてこの棟じゃあないな。多分西側の羅斯福路のどこかじゃ。そこに楼の隙間があっていつもここまでよく響くからの。早くそれを届けてやった方がいい」
「そうは言ってもよォ」
狸は自分の血だらけの足を見て情けなさそうに唸った。
「あ、あの」
我慢できずに南は尋ねる。
「今、てん……、呉凱さん、危ないんですよね? それがあればなんとかなるんですか? だったら俺が行きます!」
「いやいや、嬢ちゃんはここにいな。下手にうろついて怪我でもされちゃ、こっちの首が飛ぶぜ」
慌てたように言う黒メガネの狸に山羊の先生が言う。
「いや、狗仔。お前はそんな足だし儂は年じゃ。ここは一か八かこの子に任せるしかないじゃろ」
「おいおい、醫生!」
「やります! やらせてください!」
そう迫ると狸は渋々その包みを南に渡してくれた。
「落とさないよう気を付けろよ。あと携帯は音切ってバイブにしとけ。万が一隠れてる時に突然音が鳴ったりしたらヤベェからな」
「あ、そうか……わかりました」
「相手はフード被ってゴーグルみたいなもんで顔を隠した灰色の犬人だ。銃も持ってる。ヤバそうなら無理せず逃げろよ」
「は、はい!」
すぐに言われた通りにして包みを受け取る。その中身がなんなのか、なんとなく想像はできたが予想外の軽さに密かに驚いた。
「いいか、ここを出て左の階段を上がって五樓まで行くと羅斯福路に通じる通路がある。くれぐれも気を付けるんじゃよ」
「ありがとうござます。行ってきます!」
すぐに醫院を飛び出して南は階段を探す。すでに夜も更けてただでさえ日の入らぬ暗い円環大厦は辛うじて生きている電灯がなければ本当に真っ暗で一歩も歩けないだろう。
南は階段の先がそこそこ明るいのを確認してホッと息を付いた。
不思議なものだ。山羊の先生と呉凱の知り合いらしい黒メガネの狸と会い、ここに呉凱が来ているのだと聞き、そして彼への預かり物を懐にしているだけで先ほどまでの恐怖がかなり薄らいでいる。
まったく怖くない、と言えばもちろん嘘だ。でも自分は今ただ闇雲に出口を探して迷っているのではなく、呉凱を探しているのだと思うと否が応でも心が逸る。
(まず階段を登って龍津道五樓まで行く。そこから左に行くと隣の建物に繋がる路があって、それから……)
南は走りながら山羊の先生に言われたことを頭の中で繰り返した。
(とにかく、まず呉凱さんを見つける。そしてこれを渡す。気を付けなければいけないのはゴーグルを嵌めた灰色の犬に見つからぬこと)
南にとっては最後が難しいところだが、足を怪我した狸の獣人と結構な年らしい山羊の医師が、この狭くて暗くてゴミやわけのわからないもので汚れて滑りやすい階段や路を駆け上って呉凱のところまで走りとおすのは無理な話だ。やれるのは南しかいない。
(ええと、あった。龍津道五樓)
階段を上がったところに赤のペンキでそう書いてあるのを見つけた。そして何が入っているのかわからないダンボール箱が積み上げられた細い路をぶつからないようになんとか通り過ぎて隣の建物に移る。
無理矢理別の建物を繋げたせいで中途半端な段差になっているところをよじ登った途端、また乾いた破裂音が下の方から響いてきて南は息を呑んだ。
(相手は銃を持ってるって言ってた。あの音はやっぱり呉凱さんを狙って撃ってるのか……!?)
さっき山羊の先生の病院で聞いた音はかなり遠かった気がするが、今のは違う。間違いなく近くから聞こえてきた。緊張で心臓がバクバクと激しく脈打ち、目の前が一瞬真っ赤になる。手のひらにじんわりと汗がにじみ出てくるのを感じて、南は爪が食い込むほど強く拳を握りしめた。
(大丈夫。怖くて血の気が引いて動けなくなるよりずっといい)
鼓動が激しくなるのにつれてうなじの痛みも強くなる。
(大丈夫。俺は行ける。行かなきゃ、呉凱さんのところに……!)
南は大きく息を吐きだすと勢いよく走り出した。
音が聞こえてきたのはもう少し先。うっかり横のドアから出てきた男を突き飛ばしてしまい、物凄い勢いで怒鳴られたが南はもう怯んだりはしなかった。
「對不起!」
開けっ放しのドアをくぐると目の前に大きな円形の吹き抜けがあった。錆びだらけの手すりから身を乗り出した途端、下からまた発砲音が聞こえてくる。
(さっきから音が移動してる……。やっぱり呉凱さんを追いかけて撃ってるんだ……!)
銃を持っている敵が自分の後ろにいないことがわかっただけでもありがたい。南は下へ降りる階段を探して再び走り出した。
なぜか通路を跳ね回っているネコやニワトリの群れを飛び越え、中華包丁を持って何かを叫んでいる男の脇をすり抜ける。
ようやく見つけた階段を駆け下りると、裸電球の下で新聞を広げた老人や大きな饅頭を頬ばる子どもが不思議そうに見ている。南は上がる息を抑えながら走り続け『羅斯福路 二樓』と壁に書かれたところでさっきと同じ吹き抜けに出くわした。
「一体どこがどう繋がってるんだ、ここは」
思わずそう呟いて下を覗こうと手すりを掴みかけると、下からまたしても銃を撃つ音が響いて南は咄嗟に床にしゃがみ込んだ。
(す、すごい、今までと比べ物にならないくらい音が大きい……っ)
おそらくこのビルの吹き抜けの構造が余計に音を反響させているのだろう。その時、ガサガサにしわがれた男の声が聞こえた。
「そっちは行き止まりだぜ、らしくねぇ手落ちだなァ。虎大哥」
(虎の……って、呉凱さんのことだ……!)
ということは今話している男こそ、五華路の店で南を背後から襲ってここへ連れ込み、呉凱を狙って何度も拳銃をぶっ放している張本人だろう。思わずごくり、と唾を飲み込むと、再びしゃがれた声が響いて来た。
「袋小路に追い込まれて手も足も出ねぇ気分はどうだ? せいぜい過去の自分を恨んで後悔しろよ」
「てめぇがどこのどいつで、なんで狙われてんのかもわかんねぇのに悔やみようがねぇだろうが」
突然耳に飛び込んできたその声に、南は息を呑んだ。煙草で擦れた、低くて太い呉凱の声。
「う、呉凱さん……っ」
好きだと言って付き合おうと言われたあの晩から一週間、やっと聞けた大好きな呉凱の声がひどく懐かしい。喉にこみ上げる熱い塊を必死に呑み込み、情けなくも濡れてぼやける目をゴシゴシと擦って南は腰を上げた。
錆びだらけの手すりの影からそっと下を覗き込む。すると円形の吹き抜けの一番下、一階部分の柱の影に隠れる白黒の毛並みをした大きな虎人の姿が見えた。
(いた……! 呉凱さんだ……!)
南はすぐさまその周りを見渡して敵の居場所を探す。吹き抜けの一番下は工事中なのかなんなのか、建材のような物や丸底のペンキ缶、灰色のビニールシートなどがあちこちに置かれている。
南は呉凱から見て吹き抜けを挟んだ反対側に立つ男を見つけた。裾が擦り切れた上着を来て、深くフードを被っている。その影にチラリ、と明かりを反射する何かが見えた。
(妙なゴーグルをつけてるって言ってた。それに銃も持ってる。やっぱりあいつだ!)
どうすればいい。南は必死に考える。このままでは呉凱がゴーグルの男に撃たれるのは時間の問題だ。
南は山羊の先生のところで黒メガネの狸から預かった物を上着の内ポケットから取り出した。
(どうやったらこれを今すぐ呉凱さんに渡せるか)
事は一秒を争う。南が階段を探して下まで行く余裕はない。
ゴーグルの男が右手に持った銃を構える。それを見て南の心臓が一瞬跳ねた。
(一か八かやってみるしかない……!)
南は足音を殺して呉凱の反対側にいるゴーグルの男の真上に回り込む。そして狸に渡された紙袋を見た。
果たして『これ』を素人の南が触っていいものかわからない。何か間違えてとんでもないミスを犯してしまう可能性だってある。だがあれこれ考えている暇はなかった。
(多分、袋から取り出す手間だって惜しいはずだ)
南は覚悟を決めてくしゃくしゃに丸められた紙袋を開けて『それ』を掴む。そして音を立てぬよう手すりに乗り出して呉凱を見下ろした。そして首に掛けた紐を引っ張り出す。
(ただ投げただけじゃ床に跳ね返って届かないかもしれない。必ず、正確に呉凱さんまで届くように……!)
「そろそろお終いだ。虎野郎!」
ゴーグルの男が怒鳴りつける。南は深く息を吸い込むと呉凱に貰ったプラスチックの迷子笛を思いっきり強く吹き鳴らした。
「あ、あった~~~~~っ!!」
ついに見つけた見覚えのある看板に、思わず南は携帯電話を握りしめて脱力した。
片方の壁に薄汚れた鉄のドアと謎の看板が並んでいる場所の一つ、正方形の電光板に大きく『目』『傷』『胃』『腎』などと書いてあるドアをそっと押し開ける。
「あのー……」
「お、来たな。お前さん虎が連れとったニンゲンじゃろ」
そう言って部屋の奥から振り向いたのは以前コンタクトレンズを買うための処方箋を書いてくれた山羊の医師と、
「哇塞! ほんとだ! 虎大哥の寶貝じゃねぇか! 無事だったか!」
と叫んだ、鼻先に冗談みたいな丸い黒メガネを乗せた背の低い狸だった。
(え、だ、誰!?)
驚いてとっさに返事ができずにいたが、山羊の先生に手で招かれて南は二人へと近づいて行った。
「あの、俺……さっき店から電話があって、ここに行けって……」
「ああ、志偉からじゃろ。お前さん、呉凱を狙っとるヤツに攫われたんじゃ。無事で良かった」
山羊の先生がそう言うと、向かいに座った黒メガネの狸がニヤニヤ笑いながら言った。
「志偉からアンタに電話させたのは俺だ。電波が通じるところにいてくれて助かった。アンタが攫われたって知って虎の旦那が激怒して大変だったんだぜ?」
「う、呉凱さん!? 呉凱さんは無事なんですか!?」
思わず叫ぶと、山羊の先生が横から口を挟む。
「まずはお前さんの方が先じゃ。どうじゃ。怪我はないかいの」
「あ……そういえば」
今まで恐怖ですっかり忘れていたうなじの痛みが急にぶり返してくる。とっさに首の後ろに触れようとした南の手を取って山羊の医師が言った。
「お、なんじゃこりゃ。ひどい火傷になっとるな」
「ほんとだ。あのゴーグル野郎にやられたのか? 畜生め、本気で見境ねぇヤツだな」
ケッとばかりに鼻を鳴らして狸が言う。
「醫生、俺は後でいいから先にこの子の手当てしてやってくんな」
「い、いえ、俺は別に……」
見れば狸は診察用の回転椅子に座って血の出た足を剥き出しにしていた。
「虎の旦那に頼まれて急いで来たんだけどよ。そこで小金目当ての馬鹿なガキどもにやられちまった。俺としたことがドジこいたぜ」
「さっきどこからか銃声が聞こえてきての。みんなピリピリしとるんじゃよ、今」
「じゅ、銃声!?」
「ああ。虎の旦那をつけ狙ってるヤツはちょっと頭がイカれてんのさ。だから俺もこれを届けに来たんだけどよ」
と狸が懐から何かの包みを取り出そうとしたところで突然何かが破裂したような音が響いた。
「またかよ、畜生! どっから聞こえた!? 醫生!」
「音の感じからしてこの棟じゃあないな。多分西側の羅斯福路のどこかじゃ。そこに楼の隙間があっていつもここまでよく響くからの。早くそれを届けてやった方がいい」
「そうは言ってもよォ」
狸は自分の血だらけの足を見て情けなさそうに唸った。
「あ、あの」
我慢できずに南は尋ねる。
「今、てん……、呉凱さん、危ないんですよね? それがあればなんとかなるんですか? だったら俺が行きます!」
「いやいや、嬢ちゃんはここにいな。下手にうろついて怪我でもされちゃ、こっちの首が飛ぶぜ」
慌てたように言う黒メガネの狸に山羊の先生が言う。
「いや、狗仔。お前はそんな足だし儂は年じゃ。ここは一か八かこの子に任せるしかないじゃろ」
「おいおい、醫生!」
「やります! やらせてください!」
そう迫ると狸は渋々その包みを南に渡してくれた。
「落とさないよう気を付けろよ。あと携帯は音切ってバイブにしとけ。万が一隠れてる時に突然音が鳴ったりしたらヤベェからな」
「あ、そうか……わかりました」
「相手はフード被ってゴーグルみたいなもんで顔を隠した灰色の犬人だ。銃も持ってる。ヤバそうなら無理せず逃げろよ」
「は、はい!」
すぐに言われた通りにして包みを受け取る。その中身がなんなのか、なんとなく想像はできたが予想外の軽さに密かに驚いた。
「いいか、ここを出て左の階段を上がって五樓まで行くと羅斯福路に通じる通路がある。くれぐれも気を付けるんじゃよ」
「ありがとうござます。行ってきます!」
すぐに醫院を飛び出して南は階段を探す。すでに夜も更けてただでさえ日の入らぬ暗い円環大厦は辛うじて生きている電灯がなければ本当に真っ暗で一歩も歩けないだろう。
南は階段の先がそこそこ明るいのを確認してホッと息を付いた。
不思議なものだ。山羊の先生と呉凱の知り合いらしい黒メガネの狸と会い、ここに呉凱が来ているのだと聞き、そして彼への預かり物を懐にしているだけで先ほどまでの恐怖がかなり薄らいでいる。
まったく怖くない、と言えばもちろん嘘だ。でも自分は今ただ闇雲に出口を探して迷っているのではなく、呉凱を探しているのだと思うと否が応でも心が逸る。
(まず階段を登って龍津道五樓まで行く。そこから左に行くと隣の建物に繋がる路があって、それから……)
南は走りながら山羊の先生に言われたことを頭の中で繰り返した。
(とにかく、まず呉凱さんを見つける。そしてこれを渡す。気を付けなければいけないのはゴーグルを嵌めた灰色の犬に見つからぬこと)
南にとっては最後が難しいところだが、足を怪我した狸の獣人と結構な年らしい山羊の医師が、この狭くて暗くてゴミやわけのわからないもので汚れて滑りやすい階段や路を駆け上って呉凱のところまで走りとおすのは無理な話だ。やれるのは南しかいない。
(ええと、あった。龍津道五樓)
階段を上がったところに赤のペンキでそう書いてあるのを見つけた。そして何が入っているのかわからないダンボール箱が積み上げられた細い路をぶつからないようになんとか通り過ぎて隣の建物に移る。
無理矢理別の建物を繋げたせいで中途半端な段差になっているところをよじ登った途端、また乾いた破裂音が下の方から響いてきて南は息を呑んだ。
(相手は銃を持ってるって言ってた。あの音はやっぱり呉凱さんを狙って撃ってるのか……!?)
さっき山羊の先生の病院で聞いた音はかなり遠かった気がするが、今のは違う。間違いなく近くから聞こえてきた。緊張で心臓がバクバクと激しく脈打ち、目の前が一瞬真っ赤になる。手のひらにじんわりと汗がにじみ出てくるのを感じて、南は爪が食い込むほど強く拳を握りしめた。
(大丈夫。怖くて血の気が引いて動けなくなるよりずっといい)
鼓動が激しくなるのにつれてうなじの痛みも強くなる。
(大丈夫。俺は行ける。行かなきゃ、呉凱さんのところに……!)
南は大きく息を吐きだすと勢いよく走り出した。
音が聞こえてきたのはもう少し先。うっかり横のドアから出てきた男を突き飛ばしてしまい、物凄い勢いで怒鳴られたが南はもう怯んだりはしなかった。
「對不起!」
開けっ放しのドアをくぐると目の前に大きな円形の吹き抜けがあった。錆びだらけの手すりから身を乗り出した途端、下からまた発砲音が聞こえてくる。
(さっきから音が移動してる……。やっぱり呉凱さんを追いかけて撃ってるんだ……!)
銃を持っている敵が自分の後ろにいないことがわかっただけでもありがたい。南は下へ降りる階段を探して再び走り出した。
なぜか通路を跳ね回っているネコやニワトリの群れを飛び越え、中華包丁を持って何かを叫んでいる男の脇をすり抜ける。
ようやく見つけた階段を駆け下りると、裸電球の下で新聞を広げた老人や大きな饅頭を頬ばる子どもが不思議そうに見ている。南は上がる息を抑えながら走り続け『羅斯福路 二樓』と壁に書かれたところでさっきと同じ吹き抜けに出くわした。
「一体どこがどう繋がってるんだ、ここは」
思わずそう呟いて下を覗こうと手すりを掴みかけると、下からまたしても銃を撃つ音が響いて南は咄嗟に床にしゃがみ込んだ。
(す、すごい、今までと比べ物にならないくらい音が大きい……っ)
おそらくこのビルの吹き抜けの構造が余計に音を反響させているのだろう。その時、ガサガサにしわがれた男の声が聞こえた。
「そっちは行き止まりだぜ、らしくねぇ手落ちだなァ。虎大哥」
(虎の……って、呉凱さんのことだ……!)
ということは今話している男こそ、五華路の店で南を背後から襲ってここへ連れ込み、呉凱を狙って何度も拳銃をぶっ放している張本人だろう。思わずごくり、と唾を飲み込むと、再びしゃがれた声が響いて来た。
「袋小路に追い込まれて手も足も出ねぇ気分はどうだ? せいぜい過去の自分を恨んで後悔しろよ」
「てめぇがどこのどいつで、なんで狙われてんのかもわかんねぇのに悔やみようがねぇだろうが」
突然耳に飛び込んできたその声に、南は息を呑んだ。煙草で擦れた、低くて太い呉凱の声。
「う、呉凱さん……っ」
好きだと言って付き合おうと言われたあの晩から一週間、やっと聞けた大好きな呉凱の声がひどく懐かしい。喉にこみ上げる熱い塊を必死に呑み込み、情けなくも濡れてぼやける目をゴシゴシと擦って南は腰を上げた。
錆びだらけの手すりの影からそっと下を覗き込む。すると円形の吹き抜けの一番下、一階部分の柱の影に隠れる白黒の毛並みをした大きな虎人の姿が見えた。
(いた……! 呉凱さんだ……!)
南はすぐさまその周りを見渡して敵の居場所を探す。吹き抜けの一番下は工事中なのかなんなのか、建材のような物や丸底のペンキ缶、灰色のビニールシートなどがあちこちに置かれている。
南は呉凱から見て吹き抜けを挟んだ反対側に立つ男を見つけた。裾が擦り切れた上着を来て、深くフードを被っている。その影にチラリ、と明かりを反射する何かが見えた。
(妙なゴーグルをつけてるって言ってた。それに銃も持ってる。やっぱりあいつだ!)
どうすればいい。南は必死に考える。このままでは呉凱がゴーグルの男に撃たれるのは時間の問題だ。
南は山羊の先生のところで黒メガネの狸から預かった物を上着の内ポケットから取り出した。
(どうやったらこれを今すぐ呉凱さんに渡せるか)
事は一秒を争う。南が階段を探して下まで行く余裕はない。
ゴーグルの男が右手に持った銃を構える。それを見て南の心臓が一瞬跳ねた。
(一か八かやってみるしかない……!)
南は足音を殺して呉凱の反対側にいるゴーグルの男の真上に回り込む。そして狸に渡された紙袋を見た。
果たして『これ』を素人の南が触っていいものかわからない。何か間違えてとんでもないミスを犯してしまう可能性だってある。だがあれこれ考えている暇はなかった。
(多分、袋から取り出す手間だって惜しいはずだ)
南は覚悟を決めてくしゃくしゃに丸められた紙袋を開けて『それ』を掴む。そして音を立てぬよう手すりに乗り出して呉凱を見下ろした。そして首に掛けた紐を引っ張り出す。
(ただ投げただけじゃ床に跳ね返って届かないかもしれない。必ず、正確に呉凱さんまで届くように……!)
「そろそろお終いだ。虎野郎!」
ゴーグルの男が怒鳴りつける。南は深く息を吸い込むと呉凱に貰ったプラスチックの迷子笛を思いっきり強く吹き鳴らした。
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