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ミナミくんの告白。

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「…………俺、こっちに来たって、やっぱり何ひとつ、マトモに出来ないんですね」

 南の口から思わずこぼれた言葉に、呉凱ウーカイが眉を顰めた。そして苛立たしげに視線をあちこちに飛ばす。

(ああ……とうとう本気で愛想つかされちゃったかな)

 その顔を見て南はそう思った。だがそれも仕方のないことだ。自分でもよくわからないことを他人である呉凱が理解できるはずがない。店長なんだからなんでもわかるはずだ、などと自分でも無茶を言っているのはよくわかっている。ただの八つ当たりだ。

(……これ以上、大恩人の店長さんに迷惑かけるわけにはいかないもんな)

 南は今度こそ「店を辞める」と伝えようとした。だがそれより一瞬早く、呉凱が口を開いた。

「そんなこと言うなよ」

 呉凱は相変わらず不機嫌そうな顔でヤンキー座りのままそう言った。間近で南を覗き込むその顔に、南は状況も忘れて思わず見惚れる。
 人間とは明らかに違う猛々しい獣の顔。完璧なアーモンド形をした金色に光る一対の目。美しい模様を描く滑らかな白黒の毛皮に、彼が内に秘めるパワーの象徴のような白い牙。
 南など簡単に頭からかみ砕けそうな大きな口を開けて、呉凱が低くハスキーな声で言う。

「お前、ちゃんと会社で役に立ってるんだろ?」
「え、それは……多分……」
「パソコンの……なんだ? ソフト? が古すぎて使えねぇから手描きでやんなきゃいけねぇのがめちゃくちゃ難しいけど、本読んで今頑張って勉強してんだろ? あと事務の阿桑おばちゃんが一人で大変そうだから伝票手伝えるように習おうとしてんだろ?」
「え、あ、はい」

 そういえば呉凱とは以前コンタクトを作りに行く前に食事をしながらそんなことを話したような気もする。だがまさか呉凱がそれを覚えているとは思いもせず、驚きのあまり南の涙も引っ込んだ。

「それに昼間の仕事終わった後に、毎週ここ来て夜中まで頑張ってんだろ? 客だってお前とのプレイすげぇ気に入ってて、だから何度も通ってきてくれてんじゃねぇか」

 確かに今まではそうだった。だが今日の自分の仕事がひどい出来だったことはよくわかっている。おそらく苦情がきて、それで呉凱はここまで南に話をしに来たのだろう。だが呉凱が続けていった言葉は叱咤ではなく、まったく別の物だった。

「お前はちゃんとできてる。ただここの仕事はお前には向いてなかった。それだけだ」

――――向いてなかった。ただそれだけ。

 呉凱のその言葉に南は驚いて目を見張った。呉凱は真剣な顔で南を見ている。

――――向いてない。

 多分呉凱の言う通りなのだろう。客の都合よりも自分の快楽を優先して考えてしまうような自分には、ソープ嬢としての資質がまったく欠けていたのだ。それはもう何度も呉凱から叱責されていたことだ。つまりは、これは呉凱からの遠まわしな解雇通告なのだろう。
 南は唇を噛み締めると、一つ頷いた。呉凱の言わんとしたことはちゃんと理解した、という意味を込めて。だが次の瞬間、思わず口から別の言葉が漏れ出てしまう。

「じゃあ俺、どうしたらいいんですか」

 それを聞いて呉凱が眉を上げる。
 自分が悪いのだとわかっていながらすぐまた呉凱に頼ってしまう。そんな自分が情けないと思いながらも南は目の前に垂れ下がる、南が知っているただ一つの蜘蛛の糸に縋りつく。

「ここ辞めて、出会い系とかそういうのでカレシ探したりしないといけないんですか……?」

 すると呉凱がはーっ、とそれはそれは深いため息をついた。

「そうじゃねぇだろ……」

 なんと答えていいかわからずに、南は拳を握って唇を噛み締めた。すると突然呉凱が南を見て言った。

「………………お前、俺になんか言うことねぇの」
「え? 店長さんに?」

 思わず顔を上げて瞬きをする。そして一生懸命考えた。

「えーと、お世話になりました……?」
「そうじゃなくて」

 呉凱はがっくりとうなだれた後、ふいに身じろいで南に触れそうなほど近くにきた。そしてスラックスが濡れるのも構わず南のすぐ傍に膝を付いて南を見上げる。その近さに思わず南の鼓動が跳ねる。すると呉凱がまた言った。

「お前はどうしたいんだよ」
(俺がどうしたいかって?)

 呉凱が自分に何を言わせようとしているのかさっぱりわからず、南は押し黙ったまま呉凱の顔を見つめる。

「ほら、怒ったり馬鹿にしたりしねぇから、思ったこと素直に言ってみろ」
(どうしたいって? そりゃもちろん……)

 呉凱と頭がぐちゃぐちゃになるほど気持ちいいセックスがしたい。

 そんなこと言ったら今度こそ店を追い出されるだろう。だがどうせ解雇されるのは確実なのだ。そして解雇となればこの先南が呉凱と会うこともないだろうし、南だって気まずくてとても自分から呉凱に連絡を取ることなどできそうにない。それならもうどう思われてもいいか、と思いながら口を開いた。

「……店長さんと、またセックスしたいです」
「なんで」
「なんで、って……」

 思わぬ切り替えしに戸惑う。

「ええと、気持ちがいいから……」
「じゃあお前は俺とセックスさえできたら満足すんのか」

 呉凱にそう聞かれて南の脳裏にほんの数時間前、店の事務所であった出来事がふいに浮かんだ。

――――ミナミ、しばらくここにいるなら志偉ヂーウェイに言っといてくれるか? 俺が新人の研修入ってるって。

 小奇麗な顔をした新人のニンゲンの男を連れてドアの向こうに消えた呉凱の背中。そして聞こえてきた言葉と、とっさに浮かんだ「いやだ」というよくわからない感情。その後ずっと南を苛み続けた不可思議な動揺。

(そういえば、なんで俺あの時あんな風におかしくなっちゃったんだろう)

 南にしたのと同じように、呉凱が他の新人たちにもあれこれと教えてやるのは当たり前のことだ。呉凱は店長で責任者で、そしてその『責任』というものを決して疎かにしない人だからだ。そしてそれこそ呉凱がたくさん持ってるであろう長所で、南が密かに好きだと思う一つの……

(…………え?)

 突然、南の思考がストップする。

(え? 俺、今なに考えた?)

 急に顔が熱くなる。喉がカラカラに干上がって、キュッと握った指先がかすかに震える。

(え、なんだこれ?)

 すぐ足元から見上げてくる呉凱の顔がなぜかまともに見れない。南はできるだけさりげなく目を逸らしてあらぬほうを見る。そして必死に考えた。ふいに、今まで呉凱から聞いたり考えたりしたすべての言葉が頭の中で繋がりだす。

 好きな相手とじゃなきゃ気持ちよくなんてなれない。
 客とはイけなくても、呉凱とするのは気絶するくらい気持ちがいい。
 そして、他の誰かが呉凱と『研修』するのがイヤだと思った。
 それは、まるで――――

(………………そっか)

 南は濡れた床に転がるローションのボトルを見つめながら、ようやく気がついた。

(そっか。俺、店長さんのこと、好きなんだ)

 南の脳裏に、初めて呉凱に出会ってからのことが次々に浮かんでくる。

 店の事務所のドアを恐々開けたら、見上げるほど大きくて分厚い身体の上に思わず見惚れてしまうほど珍しくて強そうな虎の顔が見えた。
 人間のくせに獣人専門のソープにいきなり飛び込んできた南に、言葉遣いは乱暴でもあれこれと気遣って話を聞いてくれた。
 南のためにご飯と眼医者に連れて行き、コンタクトと眼鏡まで買ってくれた。
 南のくだらない愚痴や相談事に何度も付き合ってくれて、いつも真摯な言葉を南にくれた。

(そうだ。この世界で、最初から最後までずっと俺の秘密と悩みに寄り添ってくれた、唯一の)

 南はぎゅっと拳を握り、呉凱の顔を見る。そして今度こそ本当に自覚する。

(俺、店長さんのことが、ずっと好きだったんだ)

 だが皮肉なことに、そのあまりに遅い初恋は自覚するとともに失恋に至る運命だった。

(でも、店長さんが俺にあれこれ気遣ってくれるのは、俺が界客で、そんで店長さんの店の商品だからだ)

 それは仕方のないことだし当然のことだ。なぜなら自分は呉凱にそういう意味で好かれるような要素が微塵もない。男で、人間で、何度も言われているように馬鹿で突拍子もなくて。おまけに大声では言えないような性癖の一から十まで知り尽くされていて、好かれるわけがない。

 生まれたばかりの恋心をすぐさま葬らなければならないことにため息をつこうとした時「おい」と呉凱の声がした。

「お前、またなんかしょーもないことぐるぐる考えてるだろ」
「え? いや、その……」

 ついそう口篭ると、呉凱は「で、結論出たのか」と言った。

「お前は俺とヤれたら満足すんのか」
「い、いやだ」

 思わずそう答える。そして南の言葉を辛抱強く待ってくれている呉凱に、南は最後くらいは正直に本当のことを話そうと決めた。

「…………俺とセックスして欲しい。でも他の人とはして欲しくない、です」

 だがあまりの恥ずかしさについ俯いてしまう。そして消え入りそうな声で呟いた。

「…………研修とか、ああいうの、他のヤツとすんの、イヤだ」
「してねえよ」
「は?」
「あんなのお前とだけだっつーの」

 南は思わず絶句する。すると呉凱がギロリ、と金色の目で南を睨むように言った。

「あのな、俺はゲイじゃないし男もニンゲンにも興味ねぇんだよ。なのに初対面の相手といきなりあんなことできるわけねぇだろ」
「え、でもだって俺とはしたじゃないですか」
「あん時はお前がほんの出来心でここ来たんだと思って、だからここがどんだけえげつねぇとこか思い知らせてやろうと思ったんだよ! そうすりゃ尻尾巻いて帰るだろうってな!」

 なぜか突然怒り出した呉凱がガルル、と牙を剥く。

「それがなんだ! 逃げ帰るどころか自分からケツ振ってなんべんもイきやがって、おまけに俺まで散々イかせやがったあげくに俺じゃなきゃ気持ちよくねぇだ!? またセックスしてぇだ!? なんなんだ一体!」
「え、あ、その……すみません……」

 なんと答えていいかわからず、なんとなくそう言ってみる。すると呉凱が奇妙に座った目つきで言ってきた。

「あのな、こんな仕事してて説得力ねぇかもしんねえけどよ、俺はこういうこと中途半端にすんのやいい加減なのは性に合わねぇんだ。だからてめぇも男らしくきっぱりハッキリ覚悟を決めろ」
「……覚悟?」

 そう言われて、南の心臓がまた激しく脈打ち始める。

――――中途半端にするのやいい加減なのはキライ。

 呉凱が言ったのは、もう一度呉凱とセックスがしたいと言った南への返事だ。だから男らしく覚悟を決めろ、と。
 なんとなく、何を迫られているのかわかるような気がする。だけど、まさか。
 南は真意を探ろうとじっと呉凱の目を見つめるが、呉凱は黙ったまま何も言わない。

(…………最後くらいは正直に話す、って、決めたんだもんな)

 南はそう自らを鼓舞して覚悟を決めた。

「す……好きです。俺と付き合って下さい……!」
「おう、わかった」
「………………は?」

 思わず南は己の耳を疑う。だが呉凱は途端に通常運転の顔と声に戻って言った。

「だから、わかったっつっただろ」
「え?」
「そうと決まったら今すぐ店辞めろ。給料すぐ清算してやっから二度とここの敷居跨ぐんじゃねぇぞ」
「は?」
「だから、俺は自分のカノジョを風俗なんかで働かせる気はねぇって言ってんだ!」

 心なしか赤い顔でそう叫ぶ呉凱に、南は呆然と呟いた。

「………………カノジョ」
「言っとくけど女役だけはぜってえやんねぇからな! それだけは死んでも譲れねぇぞ!?」
「や、それはもちろんいいんだけど……え?」

 聞こえてきた言葉がやはり現実のものと思えず、南はぱちぱちと瞬きをする。

「……俺のこと、店長さんのカノジョにしてくれんの?」
「だからそうだって言ってんだろ! 何度もこっぱずかしいこと聞くんじゃねぇ!」

 今度こそ間違いなく顔を赤くして呉凱が怒鳴った。その初めて見る表情に、南はこれが本当のことなんだと理解した。
 椅子に座ったままへなへなと膝に頭を付ける。そしてひどくにやける顔を隠して囁いた。

「…………俺、こんなに嬉しくて幸せなの、生まれて初めて」
「そりゃ良かったな。そしたら今すぐそのちっちぇえケツ上げて着替えて来い。俺は明日以降の予約の客にキャンセルと侘びのメール入れてくっから」

 そう言って立ち上がった呉凱に南は思わず全力で飛び掛る。それでもビクともしない大きな身体に必死に腕を回して言った。

「好きです」
「あ?」
「店長さん、大好き」
「おう、わかったから放せ」
「いやだ」
「はぁ!?」

 南はニヤニヤ笑いを隠さずに言い募る。

「店長さん。今すぐ抱いて下さい」
「は? 今?」

 牙を剥き出した物凄い顔で呉凱が振り向いた。はずみで長い尻尾がパシッと南の太腿を打つ。

「そう、今、ここで。だって俺、もう一秒だって待てないもん」

 南は今まで何人もの客を虜にしてきた笑みを浮かべる。

「ねえ、俺の最後のソーププレイ、店長さんにやらせて下さい」
「お前、あんなド下手くそなのプレイとか言えんのかよ」
「んぐ……っ」

 必死のミナミちゃんスマイルも呉凱にかかっては形無しだ。思わず南は言葉に詰まる。だがなぜか気の変わったらしい呉凱が首を傾げて呟いた。

「でもまあ、仕事辞めるヤツへの餞別みたいなもんか?」
「そうそう」

 すかさず食いつく南の顔を呉凱がじっと見つめる。

「…………な、なんです、か」
「いや、そういうことならよ」

 ひどく悪者染みた笑みを浮かべて言った呉凱の言葉に、南は唖然として立ち尽くした。

「最後は俺にさせろよ、ソーププレイ」
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