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ミナミくん、混乱する。
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ミナミが呉凱さん以外のお客さんを取るシーンがあります。
(お客さんとの会話はありますが行為の具体的な描写はありません)
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
「いらっしゃいませ」
南はその日最初の客をいつもの猫を被った笑みで迎えた。
「よっ、また来ちゃったよ」
馴染みのその熊の獣人は大柄な身体を揺すりながら笑って手を上げる。
「お待ちしていました。今日もよろしくお願いします」
そう言って南は客の背中に手を回し口付けた。そしてすぐに舌を伸ばしてディープなキスをする。
この客とするのはこれで四度目だ。常連の中では一番身体が大きく、南の妄想の相手に最も条件が近い。
この日、南はこの客を相手に実験をするつもりだった。南はいったん顔を離して客の顔を間近に見つめる。
(好き。大好き。また来てくれて嬉しい)
そして心の中で繰り返すその言葉を実際に声に出した。
「また来てくれて嬉しいです。だってお客さんとのえっち、すごい気持ちよかったから」
「え、そう?」
南は客の手を取り、その指先に唇を押し当てる。そしてちゅっ、と音を立てて吸い、ねっとりと舌を絡ませてしゃぶりながら客の顔を見る。
「…………この指と、あの大きくて硬いので、俺の中めちゃくちゃに突いて欲しいです」
客の顔が赤く染まって硬直する。
「そんでお客さんも、俺の中でいっぱい気持ちよくなってくださいね」
(この人は、俺のこといっぱいかわいがってくれる。大事にしてくれる)
南は何度も自分に言い聞かせて気持ちを高揚させる。
(そんできっと俺のこともイかせてくれる)
本来ならソープは客をイかせることが目的で自分の快感など二の次だ。けれどそこはあえて目を瞑って南はひたすら自分に暗示を掛ける。
男を風呂場に座らせ、その前に跪く。この客の予約は前回と同じく90分コース。だけどかなり精力の強い方らしく、この間も三回射精していた。
南は普段通りの手順で客に奉仕する。けれどもいつもと違うのは、決して頭の中で呉凱とのセックスを思い出さないこと。
呉凱の強くて逞しい大きな身体も、初めて咥えたペニスの大きさも太さも、そして呉凱の器用な指が中をひらいていく感触も思い出さない。
南の方から仕掛けた深い口付けも、奥の奥を穿つ男根の熱さも、そして何よりもあの南の耳朶をうつ擦れた声も煙草の匂いも決して思い出さない。
これは仕事だ。自分が気持ちよくなるためじゃなくて、客をイかせるのが南の役目。それでも男根に貫かれて味わうあのとてつもない快感を知ってしまったら、どうしたって同じ悦びが欲しくなる。
気持ちよくなりたい。相手は誰でもいい。誰でもいいのに、誰とも気持ちよくなれない。
その日、南は三人の客を取り、全部で六回客の欲望の証を受け止め、南自身は一度として達することはなかった。
◇ ◇ ◇
ミナミは上の空で身支度を整え、狭いロッカールームを出る。
時刻は12時少し前。急がなければ捷運の最終を逃してしまう。けれどどうにも急いで店を出る気力が湧いてこなかった。
「おう、お疲れ」
突然飛んできた声に思わず南は俯いた顔を跳ね上げる。そこにはいつものように白いカッターシャツの袖を無造作にまくった呉凱が立っていた。
南よりも一回りも二回りも大きな体躯、全力でぶつかってもビクともしなさそうな強そうな身体に、誰が相手でも簡単にぶちのめしてしまいそうな太い腕、煙草で擦れた低くハスキーな声。
突然、こみ上げてきた熱い塊に喉をふさがれる。
「どうした?」
ただ目を見開いて無言で見上げている南をいぶかしく思ったのか、呉凱が首を傾げて聞いた。慌てて「お疲れ様です」と返事をしようとしたが声が出ない。
自分でもどうしてかわからない。でも呉凱の顔を見て声を聞いた途端目の奥がたまらなく熱くなって涙が出そうになった。
「…………て、てんちょ……」
必死に声を振り絞ったその時、呉凱の尻ポケットから電子音が聞こえてきた。
「ん、なんだ?」
呉凱の視線が南から外れ、ポケットから取った携帯を開いてボタンを押す。
「ああ、またてめぇか。なんだ」
そう答えた呉凱の顔が急に厳しいものになる。
「……そうか、名前かツラはわかったのか?」
そう言いながら呉凱は南に軽く手を上げて事務所へと入って行った。その大きな背中とくるん、と跳ねる尻尾を見送って、南はしばらくその場に立ち尽くしていた。
◇ ◇ ◇
次の出勤日、簡素な応接セットと帳簿や請求書の類で埋もれた事務机の置かれたバックヤードで南はぼんやりと座り込んだまま壁を見つめていた。
南の悩みはますます深刻化していた。
これまで、それほど気持ちよくはなくても客とのセックスでそれなりに感じてはいたし、自分で前を弄ればイくこともできた。だがとうとうそれさえもできなくなった。
何も感じない。
南の望み通りに大きなモノを後ろにねじ込まれて激しく突かれても、かつて夢にまで見たそそり勃つペニスを舐めしゃぶっても、何も感じない。
おまけに自慰もできなくなった。ぶつける当てのない欲求不満を少しでも解消しようと深夜ベッドの中で自分で慰めようとしても、どうしてもイけない。焦れば焦るほど思い出されるのは『彼』の手や声、そして南をめちゃくちゃにするあの凶器。
そう、あれは凶器だ。南はもう数え切れないほどのため息をまたついて思う。
呉凱とのセックスは南をめちゃくちゃに破壊し、南のすべてを根底からひっくり返してしまった。もはや南は夜一人でまともに眠ることさえできない。
発散できない身体の熱がじくじくと内に篭ってずっと燻っている。それはまさしく不意打ちのように突然燃え上がって南を苦しめる。
例えば急ぎの図面修正に追われている時。社長と打ち合わせをしている最中。こじんまりとした食堂で他の社員と一緒に仕出し弁当を食べている時、自宅の古いアパートで遅い夕食を作っている時。
その熱は赤々と火の粉を撒き散らして南を苛み続ける。
一体どうしたというのか。どうすればいいのか。南はもはやただの曲線の集まりにしか見えなくなっていた図面を睨みつけながらため息をついた。
(……もう一度、店長さんに相談してみようか……)
だがすぐにその思い付きを打ち消す。
これ以上、南のしょうもない、仕事になんの関係もない悩みに付き合わせるわけにはいかない。
(それに……最近、店長さん忙しそうだし……)
ここしばらく、いつになく難しい顔をして呉凱が携帯で何かを話しているところを見かけている。
消耗品の補充用在庫がなくて事務所に寄った時も、狼の副店長が妙にピリピリした雰囲気で呉凱に何かを話しているのに出くわした。いつもなら「お疲れ様です」と一声掛ければ「おう」と答えてくれるが、この時はなんとなく空気が怖くてペコリと会釈しただけで早々に退散した。
一度声を掛けづらいと思ってしまうとついタイミングを逃してしまって、最近は出勤時の挨拶くらいしか言葉を交わしていない。とてもじゃないがこんなくだらない相談ごとなど持ちかける勇気は出なかった。
(……誰か、ほかの人……)
そう思ったが、よくよく考えなくても南には呉凱より他に個人的な悩みを打ち明けられる相手など一人もいない。
突然異世界に飛ばされて、家族も友人も知り合いもない。職場の獣人たちはいい人たちかもしれないが、この世界で主な収入源であり身元を保証してくれる唯一の伝手である職場で下手なことをして万が一居づらくなったりしたらそれこそ死活問題だ。今の南にそんな博打を打てる余裕も勇気もない。
(……でも、多分店長さんなら、ちゃんと話せば聞いて貰えそうな気がするな……)
きっと呆れた顔はするだろう。『馬鹿かお前は』ぐらいは言われるかもしれない。
でも、それでも多分呉凱は南をはねつけたりはしない。いつもの苦り切った顔でがしがしと頭を掻きまわしながらも、それでも南のくだらない繰言に耳を傾けてくれるのではないだろうか。
(……店長さん、今夜は締め当番だったかな?)
南が事務机の横に掛けられているカレンダーの書き込みを読もうと腰を浮かしかけた時、ふいに入り口のドアが開いて呉凱の声が聞こえてきた。
「一応、ここが事務所兼休憩室だから」
そして呉凱が中にいた南に気づいて眉を上げる。
「なんだ、まだ支度してねぇのかよ」
「あ、はい、今日の最初の予約までまだ時間あるので……」
「そうか? ならいいけどよ」
思いがけず久々に会話ができたことについ心が弾む。だがふと、呉凱の後ろに誰かいるのに気が付いた。
「ミナミ。こいつ、今度から新しく入るからな」
「ども」
そう言って頭を下げたのはなんと南と同じ人間の若い男だった。南とはおよそ正反対のタイプの、茶髪でモデルのように洒落た恰好をしたスリムな男だった。
(え? 人間……!? なんで!?)
そう思ったが、なんとか普通の顔を取り繕って「あ、よ、よろしく……」と答える。すると呉凱が南に向かって言った。
「ミナミ、しばらくここにいるなら志偉に言っといてくれるか? 俺が新人の研修入ってるって」
研修。
その言葉を聞いて南の全思考がストップした。だが呉凱は気づかず、後ろの男に話しかけている。
「そんじゃ個室案内するから。一通り使い方とかも説明するけど、こういうとこは初めてなんだよな」
「そうなんスけど、実は俺、元は新地の阿里女掌柜に世話になってて……」
「ああ、じゃあデリ系の……」
そこでドアが閉まってそれ以上の会話は聞こえてこなかった。南は息一つできずに閉じたドアを凝視する。
新人との研修。
個室に案内。
説明。
初めて。
聞こえてきた単語がぐるぐると頭の中を駆け巡って、南はその場に蹲る。
(え、店長さん、あいつにも研修すんの? 俺にしたみたいに?)
にわかにめまいと吐き気に襲われて南は片手で口を押さえつけた。
呉凱は店長だ。だから新人が入れば当然気にかけてやるし、相手が初心者ならちゃんとやっていけるようにあれこれ手ほどきするだろう。そう、南にしたように。
(え、やだ)
サーっと音を立てて頭から血の気が引いて行くのがわかる。頭と手が凍えるほど冷たい。だが次の瞬間、今自分の頭に浮かんだ感情に気づいて南は目を見張る。
(え、やだ?)
やだ、ってなんだ。とっさにそう思った。でも。
(いやだ。すごく、それは、ぜったい、)
それは? 何が? 何がいやなんだ? ぜったい何? 何がなんなんだ。
突如として沸き起こってきた嵐のような感情に南は戸惑い、為す術もなく床に蹲る。
にわかに心臓がガンガンと脈打ち始め、南の胸を激しく叩く。一気に流れ出した血液が南のこめかみを殴りつけ、耳を塞ぎ、首を絞め上げ、心臓を握りつぶした。
(な……なんだよこれ……っ!?)
「あれ、お嬢ちゃん?」
突然声が聞こえて南は文字通り飛び上がった。するとドアを開けて副店長の志偉が部屋を覗いている。
「店長来なかったか?」
そう聞かれて南は慌てて答える。
「あ、今新人さんの研修って……」
「ああ、あの子来たのか」
志偉がニッと笑って言った。
「お嬢ちゃんの評判がいいもんだから、もう一人ニンゲンの嬢を採用することになったってさ」
「そ、そうなんですね……」
「お、次のお客さん来たぜ。部屋行って待機してくれ」
「あ、は、い、すみま、せん」
慌てて立ち上がろうとしたが、膝がガクガクと震えてしまう。
(だめだ、はやく、じゅんびしないと)
南は壁に手を付きなんとか立ち上がると、その日南が使うことになっている個室へと向かう。服を脱ぎ、いつものピタピタのボクサーを苦労して穿いて、備品をチェックして、それから、
その時、その日最初の客が入ってきた。
「よ! 元気?」
相変わらずの気さくな声。黒い大型の犬族でニカッと笑う顔はなかなかの男前で、いつも南に調子はどう、と聞いてくれる。やさしくて、明るくて、あっちもなかなかリッパで、でもムチャはしない。ソープ嬢にとってはまたとない上客だろう。
「ん? どうかした?」
「あ、いえ、なんでも……」
慌てて南はいつもの笑みを浮かべようとした。だがどうしても次のセリフが思い浮かばない。黒犬の客が訝しげに南を見ている。言い訳を考えるのも面倒で、南は男の肩を掴みぐっと顔を近づける。だがなぜか触れることができない。それを誘いと取ったのか、男の方から南の腰に手を回して深く口付けてきた。
舌が南の唇をなぞり、中へと入り込み、上あごをくすぐる。南の舌にするりと絡んでくる。いつものように巧みで情熱的なキス。だが南の口から漏れそうになった声は、喜びのため息でも演技した誘惑の喘ぎでもなかった。
あれほど南が熱望していた、自分よりも体格のいい客が南を抱え込むようにして歩き出す。
「ねぇ、たまにはさ、風呂より先にベッドで尺ってくれる?」
男が南の耳を食みながら囁いた。そしてベッドに押し倒して圧し掛かってくる。
この部屋から、この客の身体の下から逃げ出したいと、初めて南は思った。
(お客さんとの会話はありますが行為の具体的な描写はありません)
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「いらっしゃいませ」
南はその日最初の客をいつもの猫を被った笑みで迎えた。
「よっ、また来ちゃったよ」
馴染みのその熊の獣人は大柄な身体を揺すりながら笑って手を上げる。
「お待ちしていました。今日もよろしくお願いします」
そう言って南は客の背中に手を回し口付けた。そしてすぐに舌を伸ばしてディープなキスをする。
この客とするのはこれで四度目だ。常連の中では一番身体が大きく、南の妄想の相手に最も条件が近い。
この日、南はこの客を相手に実験をするつもりだった。南はいったん顔を離して客の顔を間近に見つめる。
(好き。大好き。また来てくれて嬉しい)
そして心の中で繰り返すその言葉を実際に声に出した。
「また来てくれて嬉しいです。だってお客さんとのえっち、すごい気持ちよかったから」
「え、そう?」
南は客の手を取り、その指先に唇を押し当てる。そしてちゅっ、と音を立てて吸い、ねっとりと舌を絡ませてしゃぶりながら客の顔を見る。
「…………この指と、あの大きくて硬いので、俺の中めちゃくちゃに突いて欲しいです」
客の顔が赤く染まって硬直する。
「そんでお客さんも、俺の中でいっぱい気持ちよくなってくださいね」
(この人は、俺のこといっぱいかわいがってくれる。大事にしてくれる)
南は何度も自分に言い聞かせて気持ちを高揚させる。
(そんできっと俺のこともイかせてくれる)
本来ならソープは客をイかせることが目的で自分の快感など二の次だ。けれどそこはあえて目を瞑って南はひたすら自分に暗示を掛ける。
男を風呂場に座らせ、その前に跪く。この客の予約は前回と同じく90分コース。だけどかなり精力の強い方らしく、この間も三回射精していた。
南は普段通りの手順で客に奉仕する。けれどもいつもと違うのは、決して頭の中で呉凱とのセックスを思い出さないこと。
呉凱の強くて逞しい大きな身体も、初めて咥えたペニスの大きさも太さも、そして呉凱の器用な指が中をひらいていく感触も思い出さない。
南の方から仕掛けた深い口付けも、奥の奥を穿つ男根の熱さも、そして何よりもあの南の耳朶をうつ擦れた声も煙草の匂いも決して思い出さない。
これは仕事だ。自分が気持ちよくなるためじゃなくて、客をイかせるのが南の役目。それでも男根に貫かれて味わうあのとてつもない快感を知ってしまったら、どうしたって同じ悦びが欲しくなる。
気持ちよくなりたい。相手は誰でもいい。誰でもいいのに、誰とも気持ちよくなれない。
その日、南は三人の客を取り、全部で六回客の欲望の証を受け止め、南自身は一度として達することはなかった。
◇ ◇ ◇
ミナミは上の空で身支度を整え、狭いロッカールームを出る。
時刻は12時少し前。急がなければ捷運の最終を逃してしまう。けれどどうにも急いで店を出る気力が湧いてこなかった。
「おう、お疲れ」
突然飛んできた声に思わず南は俯いた顔を跳ね上げる。そこにはいつものように白いカッターシャツの袖を無造作にまくった呉凱が立っていた。
南よりも一回りも二回りも大きな体躯、全力でぶつかってもビクともしなさそうな強そうな身体に、誰が相手でも簡単にぶちのめしてしまいそうな太い腕、煙草で擦れた低くハスキーな声。
突然、こみ上げてきた熱い塊に喉をふさがれる。
「どうした?」
ただ目を見開いて無言で見上げている南をいぶかしく思ったのか、呉凱が首を傾げて聞いた。慌てて「お疲れ様です」と返事をしようとしたが声が出ない。
自分でもどうしてかわからない。でも呉凱の顔を見て声を聞いた途端目の奥がたまらなく熱くなって涙が出そうになった。
「…………て、てんちょ……」
必死に声を振り絞ったその時、呉凱の尻ポケットから電子音が聞こえてきた。
「ん、なんだ?」
呉凱の視線が南から外れ、ポケットから取った携帯を開いてボタンを押す。
「ああ、またてめぇか。なんだ」
そう答えた呉凱の顔が急に厳しいものになる。
「……そうか、名前かツラはわかったのか?」
そう言いながら呉凱は南に軽く手を上げて事務所へと入って行った。その大きな背中とくるん、と跳ねる尻尾を見送って、南はしばらくその場に立ち尽くしていた。
◇ ◇ ◇
次の出勤日、簡素な応接セットと帳簿や請求書の類で埋もれた事務机の置かれたバックヤードで南はぼんやりと座り込んだまま壁を見つめていた。
南の悩みはますます深刻化していた。
これまで、それほど気持ちよくはなくても客とのセックスでそれなりに感じてはいたし、自分で前を弄ればイくこともできた。だがとうとうそれさえもできなくなった。
何も感じない。
南の望み通りに大きなモノを後ろにねじ込まれて激しく突かれても、かつて夢にまで見たそそり勃つペニスを舐めしゃぶっても、何も感じない。
おまけに自慰もできなくなった。ぶつける当てのない欲求不満を少しでも解消しようと深夜ベッドの中で自分で慰めようとしても、どうしてもイけない。焦れば焦るほど思い出されるのは『彼』の手や声、そして南をめちゃくちゃにするあの凶器。
そう、あれは凶器だ。南はもう数え切れないほどのため息をまたついて思う。
呉凱とのセックスは南をめちゃくちゃに破壊し、南のすべてを根底からひっくり返してしまった。もはや南は夜一人でまともに眠ることさえできない。
発散できない身体の熱がじくじくと内に篭ってずっと燻っている。それはまさしく不意打ちのように突然燃え上がって南を苦しめる。
例えば急ぎの図面修正に追われている時。社長と打ち合わせをしている最中。こじんまりとした食堂で他の社員と一緒に仕出し弁当を食べている時、自宅の古いアパートで遅い夕食を作っている時。
その熱は赤々と火の粉を撒き散らして南を苛み続ける。
一体どうしたというのか。どうすればいいのか。南はもはやただの曲線の集まりにしか見えなくなっていた図面を睨みつけながらため息をついた。
(……もう一度、店長さんに相談してみようか……)
だがすぐにその思い付きを打ち消す。
これ以上、南のしょうもない、仕事になんの関係もない悩みに付き合わせるわけにはいかない。
(それに……最近、店長さん忙しそうだし……)
ここしばらく、いつになく難しい顔をして呉凱が携帯で何かを話しているところを見かけている。
消耗品の補充用在庫がなくて事務所に寄った時も、狼の副店長が妙にピリピリした雰囲気で呉凱に何かを話しているのに出くわした。いつもなら「お疲れ様です」と一声掛ければ「おう」と答えてくれるが、この時はなんとなく空気が怖くてペコリと会釈しただけで早々に退散した。
一度声を掛けづらいと思ってしまうとついタイミングを逃してしまって、最近は出勤時の挨拶くらいしか言葉を交わしていない。とてもじゃないがこんなくだらない相談ごとなど持ちかける勇気は出なかった。
(……誰か、ほかの人……)
そう思ったが、よくよく考えなくても南には呉凱より他に個人的な悩みを打ち明けられる相手など一人もいない。
突然異世界に飛ばされて、家族も友人も知り合いもない。職場の獣人たちはいい人たちかもしれないが、この世界で主な収入源であり身元を保証してくれる唯一の伝手である職場で下手なことをして万が一居づらくなったりしたらそれこそ死活問題だ。今の南にそんな博打を打てる余裕も勇気もない。
(……でも、多分店長さんなら、ちゃんと話せば聞いて貰えそうな気がするな……)
きっと呆れた顔はするだろう。『馬鹿かお前は』ぐらいは言われるかもしれない。
でも、それでも多分呉凱は南をはねつけたりはしない。いつもの苦り切った顔でがしがしと頭を掻きまわしながらも、それでも南のくだらない繰言に耳を傾けてくれるのではないだろうか。
(……店長さん、今夜は締め当番だったかな?)
南が事務机の横に掛けられているカレンダーの書き込みを読もうと腰を浮かしかけた時、ふいに入り口のドアが開いて呉凱の声が聞こえてきた。
「一応、ここが事務所兼休憩室だから」
そして呉凱が中にいた南に気づいて眉を上げる。
「なんだ、まだ支度してねぇのかよ」
「あ、はい、今日の最初の予約までまだ時間あるので……」
「そうか? ならいいけどよ」
思いがけず久々に会話ができたことについ心が弾む。だがふと、呉凱の後ろに誰かいるのに気が付いた。
「ミナミ。こいつ、今度から新しく入るからな」
「ども」
そう言って頭を下げたのはなんと南と同じ人間の若い男だった。南とはおよそ正反対のタイプの、茶髪でモデルのように洒落た恰好をしたスリムな男だった。
(え? 人間……!? なんで!?)
そう思ったが、なんとか普通の顔を取り繕って「あ、よ、よろしく……」と答える。すると呉凱が南に向かって言った。
「ミナミ、しばらくここにいるなら志偉に言っといてくれるか? 俺が新人の研修入ってるって」
研修。
その言葉を聞いて南の全思考がストップした。だが呉凱は気づかず、後ろの男に話しかけている。
「そんじゃ個室案内するから。一通り使い方とかも説明するけど、こういうとこは初めてなんだよな」
「そうなんスけど、実は俺、元は新地の阿里女掌柜に世話になってて……」
「ああ、じゃあデリ系の……」
そこでドアが閉まってそれ以上の会話は聞こえてこなかった。南は息一つできずに閉じたドアを凝視する。
新人との研修。
個室に案内。
説明。
初めて。
聞こえてきた単語がぐるぐると頭の中を駆け巡って、南はその場に蹲る。
(え、店長さん、あいつにも研修すんの? 俺にしたみたいに?)
にわかにめまいと吐き気に襲われて南は片手で口を押さえつけた。
呉凱は店長だ。だから新人が入れば当然気にかけてやるし、相手が初心者ならちゃんとやっていけるようにあれこれ手ほどきするだろう。そう、南にしたように。
(え、やだ)
サーっと音を立てて頭から血の気が引いて行くのがわかる。頭と手が凍えるほど冷たい。だが次の瞬間、今自分の頭に浮かんだ感情に気づいて南は目を見張る。
(え、やだ?)
やだ、ってなんだ。とっさにそう思った。でも。
(いやだ。すごく、それは、ぜったい、)
それは? 何が? 何がいやなんだ? ぜったい何? 何がなんなんだ。
突如として沸き起こってきた嵐のような感情に南は戸惑い、為す術もなく床に蹲る。
にわかに心臓がガンガンと脈打ち始め、南の胸を激しく叩く。一気に流れ出した血液が南のこめかみを殴りつけ、耳を塞ぎ、首を絞め上げ、心臓を握りつぶした。
(な……なんだよこれ……っ!?)
「あれ、お嬢ちゃん?」
突然声が聞こえて南は文字通り飛び上がった。するとドアを開けて副店長の志偉が部屋を覗いている。
「店長来なかったか?」
そう聞かれて南は慌てて答える。
「あ、今新人さんの研修って……」
「ああ、あの子来たのか」
志偉がニッと笑って言った。
「お嬢ちゃんの評判がいいもんだから、もう一人ニンゲンの嬢を採用することになったってさ」
「そ、そうなんですね……」
「お、次のお客さん来たぜ。部屋行って待機してくれ」
「あ、は、い、すみま、せん」
慌てて立ち上がろうとしたが、膝がガクガクと震えてしまう。
(だめだ、はやく、じゅんびしないと)
南は壁に手を付きなんとか立ち上がると、その日南が使うことになっている個室へと向かう。服を脱ぎ、いつものピタピタのボクサーを苦労して穿いて、備品をチェックして、それから、
その時、その日最初の客が入ってきた。
「よ! 元気?」
相変わらずの気さくな声。黒い大型の犬族でニカッと笑う顔はなかなかの男前で、いつも南に調子はどう、と聞いてくれる。やさしくて、明るくて、あっちもなかなかリッパで、でもムチャはしない。ソープ嬢にとってはまたとない上客だろう。
「ん? どうかした?」
「あ、いえ、なんでも……」
慌てて南はいつもの笑みを浮かべようとした。だがどうしても次のセリフが思い浮かばない。黒犬の客が訝しげに南を見ている。言い訳を考えるのも面倒で、南は男の肩を掴みぐっと顔を近づける。だがなぜか触れることができない。それを誘いと取ったのか、男の方から南の腰に手を回して深く口付けてきた。
舌が南の唇をなぞり、中へと入り込み、上あごをくすぐる。南の舌にするりと絡んでくる。いつものように巧みで情熱的なキス。だが南の口から漏れそうになった声は、喜びのため息でも演技した誘惑の喘ぎでもなかった。
あれほど南が熱望していた、自分よりも体格のいい客が南を抱え込むようにして歩き出す。
「ねぇ、たまにはさ、風呂より先にベッドで尺ってくれる?」
男が南の耳を食みながら囁いた。そしてベッドに押し倒して圧し掛かってくる。
この部屋から、この客の身体の下から逃げ出したいと、初めて南は思った。
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親を亡くしたアルビノの小さなトラは、異世界へ渡った────……
気がつくと知らない場所にいた真っ白な子トラのタビトは、子ライオンのレグルスと出会い、彼が「獣人」であることを知る。
獣人はケモノとヒト両方の姿を持っていて、でも獣人は恐ろしい人間とは違うらしい。
故郷に帰りたいけれど、方法が分からず途方に暮れるタビトは、レグルスとふれあい、傷ついた心を癒やされながら共に成長していく。
しかし、珍しい見た目のタビトを狙うものが現れて────?
モフモフになった魔術師はエリート騎士の愛に困惑中
risashy
BL
魔術師団の落ちこぼれ魔術師、ローランド。
任務中にひょんなことからモフモフに変幻し、人間に戻れなくなってしまう。そんなところを騎士団の有望株アルヴィンに拾われ、命拾いしていた。
快適なペット生活を満喫する中、実はアルヴィンが自分を好きだと知る。
アルヴィンから語られる自分への愛に、ローランドは戸惑うものの——?
24000字程度の短編です。
※BL(ボーイズラブ)作品です。
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