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虎の店長さんのお友達(?)

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 ようやく目を覚ましたミナミをタクシーに放り込み、呉凱ウーカイは運転手に五〇〇元紙幣を握らせた。旧市街の大通りをタクシーが走り去るのを見て呉凱は懐から煙草を取り出し、火を点ける。

 そろそろ十二月になる深夜はひどく冷える。本当なら一刻も早くねぐらに戻って温まりたかったが、なんとなく帰る気分になれずに呉凱は煙を吐き出しながら行きかう住人達の群れをなんとはなしに眺めた。
 手持無沙汰に尻尾を揺らしているとポケットに入れた携帯が鳴った。電話に出ると聞き覚えのある声が耳に飛び込んでくる。

『よう、何シケたツラしてる』
「うるせぇ」

 その言葉で相手が呉凱の顔が見える近くにいるのだとわかる。呉凱は煙草をふかしながらその姿を視界の端で確認した。ずらりと並ぶ屋台の一つ、強烈な匂いを放つ臭豆腐の店先にその男は座っていた。
 夏でも冬でも纏っているフード付きのコートはすっかり色あせて、袖口や裾はボロボロに擦り切れている。悪いジョークのように古臭い円形の黒眼鏡をちんまりとした鼻の上に乗せた小柄な狸だ。狐の商売女がねっとりとした目つきで見てくるのを軽くいなしながら、呉凱は言った。

「てめぇこそヤバいネタ踏んでしばらく城外に飛んでたんじゃなかったのか、狗仔ガウジャイ
『ケッ、そんなもんが怖くて情報屋なんてやってられっかよ』

 狸のくせに狗仔ガウジャイなどというふざけた偽名を使う男が湯気の立つプラスチックの器に顔を突っ込みながら答える。呉凱は冷たい風に向かって煙を吐きながら尋ねた。

「何か用かよ」
『あんたを探してるヤツがいる』

 思わず呉凱はゆらゆらと揺らしていた尻尾を止める。だがすぐに何事もなかったかのように再び煙草の煙を吐いた。

「誰だ」
『さあな。ここら辺りじゃいくらでもいそうなタイプだった』

 狗仔が答える。

「会ったのか?」
『直じゃねぇけどよ』
「ふーん」

 そう言われて呉凱はこそこそと自分を付け狙いそうな相手を思い浮かべようとするが、心当たりがあまりに多すぎて早々に止めた。

『心当たりは?』
「あると言えばあるし、ないと言えばないな」
『相変わらず物騒なこった』

 狗仔が笑う。呉凱は尋ねた。

『で、教えたのか』
『………………まぁ、あんたは払いのいい客だからな』

 ということは狗仔は何も教えなかったということだ。薄汚れたコンクリートの壁にもたれながら、呉凱は考えた。

 今でこそしがない風俗店の雇われ店長なんぞをしているが、昔は色々と後ろ暗いことにも手を染めていた。つまり敵などいくらでもいる。敵じゃなくても呉凱を追う者はいるだろう。だが、この円環城区で知る人ぞ知る情報屋の狗仔と渡りをつけることができただけでも、その誰かがただのチンピラ風情でないことがわかる。そしてわざわざ呉凱にそれを知らせたということは、狗仔から見ても何かしらひっかかるところのある相手だ、ということだ。
 これは狗仔なりの呉凱への警告であり忠告なのだろう。どうやらこの件に関してはこの情報屋は呉凱の側につくことにしたようだ。
 呉凱は煙草を落としてつま先で踏む。すると狗仔が言った。

『ところでアンタ、宗旨替えしたのか?』
「あ?」

 最近どこかで同じフレーズを聞いたな、と思いつつ問い返す。

『なんか随分と毛色の変わった寶貝カワイ子ちゃん連れてたじゃねーか』

 これも最近聞いた、と思いつつ呉凱はケッ、と鼻を鳴らした。

「そんなんじゃねぇよ。うちの店の嬢だ」
『なんだ、ニンゲンまで置くようになったのかよ。手広くやってんな」
「じゃあな。切るぞ」
『まてまて。虎の大哥が連れ歩いてるってだけでネタになるんだ。詳しく教えろよ』
「教えるようなことなんか何もねぇ」

 呉凱は目の前に溢れる人の波を見つめる。そしてため息をこらえて答えた。

「俺らはそんなんじゃねぇっつーの」

 まったくなんという日だ、と呉凱はつくづく思う。
 狐の常連から延々『純情可憐なミナミちゃん』について聞かされたかと思うと当のミナミちゃんから二度目の実技研修がしたいなんぞと言われ、何に悩んでいるのかと思って付き合えばまたしても泡姫の仕事を忘れてイきまくってるところを見せられ、さらに酒に酔って訳の分かんないことを呟きながら目の前で潰れられる始末だ。
 挙句の果てに煮ても焼いても食えない情報屋にありもしないことで揶揄われ、こんなクソ寒い夜に往来で一人突っ立ってる自分に腹が立ってくる。

 ミナミのどうしようもない悩みもくだらないしがらみも、何もかもが突然鬱陶しく感じる。そしてミナミが『めんどくさいなぁ』と言っていたのを思い出した。

「ああ、めんどくせぇなぁ」
『生きるってことはすべからくめんどくせぇもんさ』
「利いた風な口きくんじゃねぇよ」
『ヒヒッ、じゃあな虎大哥』

 そう言って切れた携帯をパチン、と閉じてポケットに突っ込み、通りに視線を投げた。
 もう深夜に近いというのに円環城区にはいまだに人の流れが絶えない。通りには隙間なく屋台が並び、粗末なベンチに座った客たちが湯気を上げる器に顔を突っ込んでいる。
 歩道の縁に座りこんだ男や女がうつろな目で通りを見つめている。遅い夕食をかき込む者、ただぶらぶらと歩いている者。そしてそわそわと浮き立ちながら屋台を覗き込む怖いもの知らずの観光客と、その財布を狙って背後から様子を窺うチンピラたち。あらゆる種がこの一角に集まっている。

 ふと、口寂しくなって呉凱はジャケットのポケットを探る。だがさっき吸ったのが最後だったと気づいて舌打ちをした。
 呉凱はすぐ後ろにある店を覗く。両手を広げれば一杯な間口の狭い小さな店先には、トンボ眼鏡の猫の老人が膝にアンカを置き、体に毛布をまきつけて座っていた。

「老板」

 呉凱は指を一本立てて言う。

「香烟、一包」

 すると主人は毛布の隙間から手を出して、そばの噛み煙草を取ろうとした。呉凱はそれを遮り、後ろの棚に積み上げられた紙巻煙草の中からいつもの銘柄を指差す。そして一緒にちゃちな作りのライターも取った。
 ポケットの小銭で代金を払うと、呉凱は早速一本咥えて火を点けた。だが味が微妙に違うのに気づき、眉を顰める。

(しまった。ニセモノかよ)

 よくよく見れば、パッケージの文字の色が微妙にずれて印刷されている。いつもなら金を払う前に気づいたはずだ。紛れもない自分のミスに呉凱は顔をしかめた。

(…………どうかしてるよな、まったく)

 らしくもなくこんなところで煙草をふかし、だらだらと家に戻る時間を遅らせようとしている。だが真冬の寒空の下、雑踏を眺めながら煙草でも吸っている方が一人冷たいベッドにもぐりこむより倍もマシに思えた。

 どこかの店先からまたラジオの歌が聞こえてくる。
 それは花街の戯れ歌だ。

――――雨夜花 雨夜花 受風雨吹落地

 雨降る夜に咲く花は、風に吹かれてホロホロ落ちる。

――――無人看見 毎日怨嗟 花謝落土 不再回

 見取る者もなく思いは絶えず、落ちた花は二度と戻らない。

(ほんとにどうかしてるぜ、まったく)

 呉凱は頭の中でそうごちると、両手をポケットに突っ込んでようやくねぐらへと歩き出した。
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