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虎の店長さんと人気泡姫ミナミくん。
しおりを挟むいわゆる『ソープ嬢』の鉄則は三つ。
ひとつ、客の言うことは絶対。だけど主導権は決して手放すな。
ふたつ、常に客の表情や身体の状態に神経を研ぎ澄ませて、客の快楽のために奉仕すること。
みっつ、どんなに気持ちがよくても、決して本気でイってはいけない。
◇ ◇ ◇
「今回ほんとイイコ入ったね。呉凱さん」
常連の一人である狐の獣人にそう言われて、呉凱の口元が軽く引きつった。
「ほらあのコ、ミナミちゃんって言ったっけ? いやあ、最初ニンゲンってぶっちゃけどうなのって思ってたけど、エロいしテクもスゴイし、なのにちょっとアソコ触られたりすると恥ずかしそうな顔してこっち見るし、意外と純情だよねェ。それに今日もすぐ俺だって気づいて『二回目ですね、嬉しいです』とか言っちゃってさァ。ほんとカワイイし、いや、可憐って言うの? もう最高だったよ。俺ほんと通っちゃうよ? マジで」
「…………そりゃどうも」
なんとか笑みを浮かべて答えたが、内心はそう穏やかでもいられなかった。
ここはゲイ向けのソープランドで自分はその雇われ店長、そして今話題の『いや、もう最高』なミナミちゃんは呉凱が雇ったこの店初のニンゲンのソープ嬢だ。
確かにサービス精神旺盛でエッチなことにも積極的、自ら進んでこの職に付きたがった今時珍しいほどの逸材なのだが、一見のほほんとしていそうな彼の本性を身をもって知っている呉凱としてはなかなか複雑だ。
(生憎アンタが今デレデレしてるミナミちゃんは、おめーのことをただの突っ込んでくれる便利な竿としか思ってねーよ)
最近呉凱の店で働き始めたミナミという名のニンゲンは、よその世界から落っこちてきたという数少ない『界渡り』のニンゲンだ。しかもどうしても男に抱かれたいといきなり本番アリのソープランドに面接に来るくらい無茶で、『恋人はいらない、ただ黙って突っ込んでくれる男が欲しい』などと真顔で言うような軽はずみな男だ。とてもじゃないが目の前の客が得々と語るような『純情可憐なミナミちゃん』などではない。
本当ならそんな危なっかしいニンゲンなどお断りだが、ここで雇ってやらなければ本人が言っていた通り本当に他所の店に飛び込みかねず、仕方なく採用したという経緯がある。
今のところは客にも好評だが、いつか何かとんでもないことをやらかすのではないかと内心ハラハラしている呉凱にも気づかず、常連客は得々としゃべり続けた。
「ニンゲンの割りに結構体格いいから、うつ伏せのマットプレイも首から尻までいっぱい使ってやってくれるし、ロング頼んでも最後までほんと疲れ知らずで何回でも付き合ってくれるし、あ、あとアレ。潜望鏡!」
常連客がニッと笑って呉凱を見た。
「あんな不安定な恰好でやんのに結構尺激しくて。たまんないよねェ、ホント」
ニヤニヤとしまりのない笑みを浮かべる客に呉凱は少々引きつった笑いを返す。
「そりゃ良かったですね。まあ、どうぞご贔屓に」
「ご贔屓どころじゃないよ! やっぱ来週ってもう予約いっぱいだったりする?」
「あー、いや、枠一つならまだ……」
「カラダもいいけどあの表情もいいよねェ。えらく大胆に攻めてくるかと思うと、ちょっとアソコの具合とか褒めたりすると黙って俯いちゃうとことかさ」
「そ、そうスか……」
「それになんと言ってもあっちの方がね。おっぱい結構ムチムチしてて揉みがいあると思えば腰は細くてさァ、あんなちっちゃい尻でもう根こそぎ搾り取られそうなくらいの締め付けてきてさァ」
「はあ……」
「最後イく時の声なんてもう……カラダぷるぷる震わせちゃってかわいいのなんの」
「………………」
とうとう相槌を打つこともできなくなって呉凱はひたすら愛想笑いを浮かべて沈黙した。
「ま、とにかくほんといいコが入ってこの店も安泰だね。じゃあ来週の予約よろしく!」
そう言って手を上げて出て行った客を見送って、呉凱は思わずため息を漏らす。すると後ろから呑気そのものの声が飛んできた。
「あ、お客さん帰られました?」
「………………おう」
振り向けばそこには裸にバスローブ一枚羽織っただけのニンゲンが立っていた。そう、噂のミナミちゃんである。
「とりあえず今夜はあのお客で最後ですよね」
尋ねる南に呉凱は頷く。
「なら後片付けしたら俺、上がっていいですか?」
そう言って踵を返そうとした肩を掴んで呉凱は言った。
「ちょっと待て、ミナミ」
「え? なんでしょう」
「……少しばか聞きてぇことがある」
眉間に皺を寄せて言う呉凱の顔を見てミナミが瞬きをした。
「ええと、シャワーと風呂場の片付け今からなんですが、それしながらでもいいですか?」
「ああ」
そう答えて呉凱はミナミの後ろをついて行った。
ついさっきまでミナミが客を取っていた七号室に入ると、嫌でも乱れたベッドが目に入る。シーツはくしゃくしゃで、ベッドの下には封の切られたゴムのパッケージやローションのボトルと一緒にバイブだのローターだのまで落ちている。
「あのお客さん、いい人なんですけどオモチャ好きなとこはちょっとねー」
クリーニング業者へ渡すランドリー袋の中に引き剥がしたシーツ類を突っ込みながらミナミがぼやく。
「こういうのって普通頼まれてこっちがお客さんに使うもんじゃないんですか? なんかあの人、自分がイくより俺のことイかそうとやたら頑張ってて。変わってますよね」
「変わってますよね、って、お前大丈夫かよ」
「は? 何が」
「だから、そんだけイかされて身体とか体力とかは大丈夫かっつってんだよ」
呉凱は気になっていたことをストレートに尋ねた。何せミナミは呉凱と『実地の面接』をした時に、初めてだというのにやたら感じまくって挙句の果てに絶頂と同時に失神してしまったという過去がある。
恐らくは経験の浅さと生まれつき敏感な身体をしているせいなのだろうが、勤め始めてまだ二週間でオーガズムをうまくコントロールできるとも思えず、少々気がかりだった。ところが当の本人はケロリとした顔であっさり答える。
「えー大丈夫ですよ。俺、しんどそうに見えます?」
「…………見えねぇな」
「でしょ?」
ミナミはホッとしたように笑うと、ゴミやオモチャ類を拾い集めてから、最後に着ていたローブも脱いでランドリー袋に押し込んだ。
「俺、風呂場行きますけど」
「ん」
呉凱はつい習慣で備品のローションだのなんだのの残量を目でチェックしながらついて行く。そして風呂場に入るとミナミが足でエアマットを押しのけてシャワーのコックを捻ったところだった。
ミナミは豪快にお湯を被り、備え付けのシャンプーでガシガシと頭を洗う。そして泡を流して無造作に前髪を掻き上げると、今度は床に置かれたボディソープを手に取った。呉凱は靴下を脱ぎ新しいバスタオルをいわゆるスケベ椅子に乗せ、その上に腰を下ろしてミナミが身体の隅々まで洗うのを後ろから眺める。
ニンゲンにしては割としっかりした体躯に綺麗に筋肉がついている。ミナミの話では病気になっても医者にかかる金がないから健康には気を遣ってちゃんと鍛えているらしい。
ミナミの手のひらが首筋をこすり、胸へと降りていく。初めて見た時も思ったが、意外とむっちりと肉付きのいいそこには執拗に客に責められたようなキスマークが散らばり、乳首がぷっくりと勃っていてなんとも妙な気分になった。
(……確かにあの狐の言う通り、結構いいカラダしてんだよな。こいつ)
きゅっと引き締まった腰と小ぶりな尻を見ていると、よくも自分のアレが全部入ったな、とふと思い出して感心すらする。
(っつーかカラダだけじゃなくて、あの面接じゃ間違いなく俺の方がこいつに乗せられた感ありまくりだよな)
性欲過多な十代二十代の頃はそれなりに無茶もして、その後何年も風俗店の雇われ店長なんぞをしている呉凱は、オスもメスもそういう意味では正直もうとっくに見飽きている。
なのにこの訳の分からないニンゲンにいとも簡単に煽られては激怒し、セックスは初めてだという相手にいきなり根元まで突っ込んでめちゃくちゃにヤってしまった。しかもナマで。
呉凱はおのれの最大のミスを思い出して思わず特大級のため息をつく。
誰が相手でもセックスをする時はお互いの安全を守るためにゴムを使うのが鉄則だ。呉凱だって下手に病気を移されたりしないようにゴムだけは必ず使ってきた。ましてやこんな場末のソープでは当然の自衛策だ。
なのに生まれて初めて呉凱はそんな最低限のルールかつマナーを忘れて、ミナミとゴムなしのいわゆる生ハメセックスをしてしまった。
いくら相手が初めてで病気もないだろうと言ったとしてもそんなのは本当かどうかもわからないし、当然呉凱だって信用するわけがない。なのに結果的に呉凱はミナミのいう事はどれも全部本当だと思っているのが我ながら信じられなかった。
(……いかん。こいつ相手にはいつも以上に冷静にならねぇと)
別にミナミが嫌いなわけではないが、とてつもない馬鹿だとは思う。それに元々呉凱はオスには興味のない、いわばノンケなのだ。これ以上店長とソープ嬢の関係を崩すような真似をしでかすわけにはいかない、と改めて自省する。
当のミナミは呉凱の嘆息などまるで気づかず、丁寧に全身を洗い流していた。だがその表情がなんとなく浮かない様子に見えて、呉凱は眉を上げた。
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