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虎の店長さん、ミナミくんの話を聞く。

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「俺は界客に会うのはおめーが初めてなんだが、どうしてこっちに落っこちてきたんだ」

 ずるずると麺を啜りながらそう尋ねると、ミナミはちょっと首を傾げて答えた。

「俺、向こうではキャバクラのボーイしてたんですけど、そこのキャストさんのとこにすごい通い詰めてたお客さんがいたんですよ」
「おう」
「で、そのキャストさんが下手打ったというか、ちょっとやりすぎちゃったみたいで……」
「ああ、分を越える金を使わせるだけ使わせて、上手くあしらえなかったってことか」
「そうですね。そんな感じです」

 こくり、とミナミが頷く。

「そのお客さんはどうも店外での……そういう仲を期待してたっぽいんですけど、ずっと袖にされ続けて……。で、とうとう逆上しちゃってある日ナイフ持って店に押しかけてきてそのキャストさんに襲い掛かって……」
「…………で、どうした」

 急に黙ったミナミを横目で見ながらスープを飲もうとすると、ミナミが、はは、と力なく笑って答えた。

「それがほんと馬鹿みたいな話なんですけど、そのキャストさんピンヒール履いてて、で、ビックリしてぐらっとよろけた時にたまたま俺が真後ろにいて、うっかり俺に刺さっちゃったみたいなんですよね、ナイフが。で多分そこで死んで、気が付いたらこっちに飛ばされてました」
「…………笑いごっちゃねぇだろ、ソレ」

 思わず真顔で言うと、ミナミがなぜか顔を赤らめて「…………ですよね、すみません」と俯いた。それに舌打ちをして呉凱は丼を置く。

「謝ることでもねぇ。どこ刺されたんだ」
「え? あ、ああ、多分喉の……」
「喉? そりゃあツイてなかったな。今はなんともねぇのか」

 つい気になって呉凱はミナミの顎を持ち上げて喉を覗き込む。呉凱にしてみれば皮膚を守る毛皮もなく細っこくて頸動脈が丸見えで恐ろしいほど無防備なそこには、幸い今は傷らしいものはなかった。

「っつーか、おめーらニンゲンはよくこんな急所剥き出しの欠点だらけの身体で絶滅せずに生き延びてこれたな、おい」
「い、言われて見ればそうですね……」

 そう答えたミナミの声が苦しそうで、呉凱は手を離す。

「まあ、なんにしても仕事も家も見つかってよかったな」
「あ、はい。ほんと運が良かったというか、いい人……じゃない、獣人さんにお世話になれたというか……」

 そう言ってミナミがずっと握っていた封筒をちら、と見た。見覚えのある薄い茶封筒はさっき呉凱が足代だと言って渡した物だ。
 どうやらミナミはそれを『呉凱から受けた親切』と捉えているらしい。
 だがそれは万が一面接者が不合格を逆恨みしてお上に駆けこもうとしても、ほんの端金でも金銭の授受が成立していれば双方納得の上の結果だと訴えを跳ね付けられる、そのための奸計にすぎない。

(……つくづくこういう業界には向いてねぇな、コイツは)

 不採用にして良かった、と呉凱は店よりもミナミのことを慮ってそう思った。と同時に「らしくもない」と少々自分に呆れる。
 店の稼ぎを最優先するならミナミが後でどうなろうが本人がやりたいと言っているのだからさっさと採用して、ミナミが自分から辞めると言い出すまで客を取らせまくればいい。この世界はどんな変わった嬢でも誰かしらの好みにハマるものなのだ。

(……けどまあ、そこまでしなくても予算はクリアしてるしな……)

 などと誤魔化すように思うところも自分らしくない。いや、あの涼しい顔してアコギな副店長の狼が知ったら「そりゃあアンタ、顔に似合わずお人よしッスからね」ぐらいは言うだろうか。
 なんとなく面白くなくてまた煙草に火を付ける。するとふとミナミが空の丼を見下ろしながら言った。 

「……俺、こっち来てから本当に人の運だけは良かったな、って思うんです」
「……刺されて死んで飛ばされて来てる時点で運良くはねぇだろ」
「まあそうなんですけど」

 ははっ、とミナミが笑う。

「ここに来て、最初はほんとわけわかんないし、なんか犬とか猫とか兎とかしゃべって歩いてるし、ここどこだよ、とか、あれ俺刺されたんじゃねーの? どーなってんの? とかほんとパニックだったし」

 丼をじっと見つめながら訥々と語るミナミの言葉に呉凱は黙って耳を傾ける。

「言葉が通じたのはほんと助かったけど、お前は誰だとかどこから来たんだとか聞かれても俺の方が聞きたいよって感じだったし。わけわかんないまま夕方になってどんどん暗くなってくし、寒いし、お金ないし眼鏡ないし、もうほんとどうしたらいいか、って…………すごく…………」

 こわくて、と声もなくミナミが呟いた。それきり黙り込んでしまったミナミに呉凱は道路に煙草の灰を落として聞く。

「……で、救貧院の阿姨おばちゃんが眼鏡くれたって?」
「っ、そう! 俺の言うことがあんまり要領を得ないから、多分それで俺が『界渡り』だって気づいてくれた人がいて、その人……じゃなくて猫だったけど、ほら、老敦路ラオダンルーから向こうに行ったところに教会あるじゃないですか。大きな十字架のある」
「ああ」
「そこの救貧院にその晩は泊めてもらって。眼鏡とあったかい湯麵ご馳走になって。……その時初めて、ああ、これは夢じゃないんだな、って……絶望しました。フフッ」

 冗談めかして言ってはいるが、今だからこそそんな風に笑って話せるだけであってその時のミナミの気持ちを思うと一緒になって笑う気には到底なれなかった。
 もちろん呉凱は、結局のところ怪我も障害もなく生きてこれているミナミよりもずっと悲惨な目に合っている者がいくらでもいることを実際に知っている。だからと言ってミナミがその時味わっただろう絶望が軽くなるものではないこともわかっていた。
 呉凱は道路に落とした煙草を足で踏み消して言った。

「まあ、運よく生き延びて仕事も家も持てたんだ。馬鹿なことしてせっかくの幸運を無駄にしたりすんじゃねぇぞ」

 そう言って立ち上がろうとした時、ミナミが唐突に口を開いた。

「運が良かったからこそ、理由が欲しいんです」
「……なんの」
「…………俺があの時死なずに、なんでここで生きているのか、の」

 呉凱が思わず眉を上げると、それまでずっと丼に注がれていたミナミの視線がどこか遠くに向いていた。
 
「……もしも、ここで新しい、自分が望んだ通りの人生が送れたら、ここに来たかいがあったって思える。ここに飛ばされて来たことに意味はあった。あの時自分が殺されたことにも意味はあったんだ、って」

 それがどうしてゲイ専のソープランドで泡姫のアルバイトをすることに繋がるのかちっともわからなかったが、呉凱はあまりにも危なっかしくて妙に目が離せないこのニンゲンを黙って見下ろす。

「……とにかく、もうこの辺りに来るのはやめとけ」

 少なくともその『オスにめちゃくちゃにされたくてたまらない』という匂いを消せるまでは、と言おうとして止めた。
 ミナミは答えなかった。ただ黙って呉凱を見上げるミナミにそれ以上何も言えず、ただその頭を乱暴にぐしゃぐしゃと撫でて立ち上がる。

「じゃあな」
「…………お疲れ様でした」

 そう言うミナミの声を背中で聞いて、呉凱はそれ以上どこかへ寄る気も起きずにまっすぐ自分のねぐらへと戻って行った。
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