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ミナミくん、落ち込む。

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「うう…………」

 南はふらつく身体を叱咤してなんとか起き上がると、ローションと自分の漏らした先走りでドロドロになった下半身を洗い流した。
 あの虎の店長は、生まれて初めて他人にナカを弄られてすっかり勃起してしまったソレを自分で処理してからしばらくベッドで休憩していいと言っていた。だが、あまりの自分の不甲斐なさが情けなくてとてもそんな気にはなれなかった。

(……そうじ、とにかくここを掃除しよう…………)

 南は辺りを見回し隅に置かれていたブラシを見つけると、ヨロヨロと床や椅子を掃除し始める。さすがに自分が汚した風呂場をそのままにしていくのは恥ずかしいし、何より手を動かしていればまだ気が紛れそうな気がした。

「……ほんとに、バカじゃないのか、おれは……」

 仕事の面接に来たというのに一方的に気持ちよがって、面接官である店長さんにしがみついてただ気持ちいい、気持ちいいと喘ぐことしかできなかった。

(あ、あんなんでよく採用して欲しいとか言えたな、俺…………)

 思い出すだけでひどく顔が熱くなる。南のことが好きで抱いてるわけでもない人相手にあんな醜態を晒してしまって、本当に穴がなくても掘って隠れて二度と出てきたくないほど恥ずかしかった。

 洗った椅子や洗面器を壁に斜めに立てかけて、最後にもう一度辺り一面お湯を掛けて流す。ドアを出たところにタオルが何枚か置かれていたが、客でもないのにそれを借りるのが躊躇われて、南は自分のリュックから取り出したハンドタオルで頭と身体を拭いた。

「ええと、忘れ物はないな」

 掃除している間になんとか下半身も治まり、元通りに服を着て眼鏡を掛けてから南は部屋を出る。そして狭くて薄暗い開店前の狭い通路をおっかなびっくり歩きながら、最初に通された事務所のドアをノックした。

「おう」

 中からあの虎の獣人の声が聞こえてきて、南はそっとドアを開ける。するとごちゃごちゃと帳簿やなんかが山積みになったデスクから咥え煙草の虎が顔を上げた。

「そこ座れ」
「あ、はい」

 南は言われた通り、店長サイズの大きなソファーに腰を下ろす

「それ、飲んでいいぞ」
「え?」

 見るとソファーの前のテーブルに缶コーヒーが一つ置いてあった。

「風呂行くと喉渇くだろ」
「あ、ありがとう……ございます……」

 正直、獣人用のブラックコーヒーはあまりにも濃くて苦くて飲めたものではないのだが、全然なんの役にも立てなかった南にコーヒーを買ってくれた呉凱ウーカイの優しさがやけに染みて、鼻を啜りながらプルトップを空けた。

(……にが)

 ひと口飲んでまた鼻を啜る。あまりの自分の情けなさに呉凱ウーカイの顔を見れずに俯いていると、ガタン、と音を立てて虎が立ち上がった。思わずビク、と背筋を伸ばした南の向かいに座って呉凱ウーカイが言う。

「さっきも言った通り、お前にはこの仕事は向いてねぇ。悪いが不採用だ」
「……はい、わかりました……」

 ここへ来た時は例え駄目だと言われても必死に食い下がるつもりだった。何せもう南には金も評判もプライドも、失うものは何一つ持ってはいないのだ。
 だが今日、自分がただこの虎の獣人に気持ちよくしてもらうばかりで何一つソープ嬢らしいことができなかったことは自分でもわかりきっていたので、ひと言も反駁できなかった。
 苦労しつつもなんとかコーヒーを飲み干すと、それを置いて立ち上がる。

「あの、お忙しいところお時間取らせてすみませんでした」
「おう、気を付けて帰れよ。あとこれ」
「え?」

 店長から差し出された薄っぺらい封筒に、思わず首を傾げる。

「今日の足代だ」
「え……、いえ、そんなの貰えません……。だって……」
「採用不採用に関わらず面接者には足代を出す。これはうちの決まりなんだ。大した額じゃねぇから遠慮せず貰っとけ」

 そう言って虎縞の大きな手で封筒を押し付けられてつい受け取ってしまった。南は少し考えてからもう一度頭を下げて、逃げるように店を後にした。


     ◇   ◇   ◇


 いつの間にか日は暮れて、辺りの店の看板に明かり灯り始めていた。初冬の今頃は日が落ちると一気に気温が下がる。
 南は着ていたダウンの前を掻き合わせると、小さく身を震わせた。

 店のある五華路から一本表に出ると、この旧市街随一の円環城区スラムでもかなり賑わう通りのうちの一本に出る。この時間帯は車の入れない歩行街となるそこには早くも屋台の夕飯目当てで出てきた住人たちと、怖いもの見たさで色街を覗く観光客とが入り混じって混み始めていた。その中を南はぼんやりと歩く。

 道の両側に所狭しと並ぶ屋台からは肉を焼く匂いや独特な香辛料の香りが漂っている。
 通りを行き交う人々の様子は実に様々だ。剣呑な目つきで辺りを見回す狼や狐の獣人。ねぐらから出てきたばかりのような、よれたTシャツにサンダル履きの狸の男女。そして屋台の前の粗末な椅子に座りものすごい勢いで飯を掻き込んでいるさまざまな姿の獣人たち。

 いつもなら獣人たちでにぎわう場所はトラブルを恐れてそそくさと通り過ぎてしまうのだが、今日はなんとなくそのまま帰る気にならなくて、珍しく並ぶ屋台の前で足を止めた。そして額にタオルを巻いて鍋に向かう犬の店主に言う。
「ええと……老板、湯米粉、一個」
是啊あいよ
 ふさふさとした毛並みを汗と湯気でぺちゃんこにした店主は、プラスチックの器に麺とスープをよそい、その上におおまかに肉味噌を盛る。南は小銭と引き換えに真っ白な湯気のたつ丼を受け取ると、屋台の横に置かれた少しガタつくテーブルについた。

「……いただきます」

 なんとなく習慣で手を合わせ、割り箸を割る。寒い晩にアツアツの湯米粉は随分と身体が温まりそうだった。湯気で眼鏡が白く曇るのを拭きつつずるずると麺を啜っていると、また先ほどの出来事が頭に浮かんできた。

(あー、本当に、覚悟が足りなかった…………)

 こんなことなら向こうで一度くらいは客としてソープデビューしておけば良かった。女性相手にその気になれない南が行っても何もできないだろうが、それでも一度でもサービスを経験していればもう少し勝手もわかって要領よく立ち回れたかもしれない。

(それに、どうせなら実際の経験者の話が聞いてみたかった、って店長さんも言ってたし)

 そう思ったところで思わず箸が止まる。

(…………あの店長さん、見た目はすごい迫力だったけど、結構優しかったな……)

 まるで使い物にならなかった南にコーヒーを奢ってくれて、しかも足代までくれた。そこで呉凱ウーカイから貰った封筒のことを思い出して急いで中を見てみると五十元紙幣が一枚入っていた。五十元と言えば日本の感覚で大体千円くらいだ。今食べている湯米粉と明日の朝ごはんのお代に充てても少しおつりが出る。

(……俺、なんにもできなかったのに……)

 兄や姉が受かった進学校に進めず、二年間専門学校でCADやCAE解析を学びながらも不景気の煽りを受けて結局就職も決まらなかった時を思い出して南は思わず落ち込んでしまう。

(ここ最近、仕事や住まいが決まってそこそこ順調にいってるからつい浮かれて、俺でも頑張りさえすれば何でもできるんだって勘違いしてたな……)

 そうだ、元々自分は不器用で、運だって決していい方ではなかったのを忘れていた。

(だって運が良ければあんな、色営業を勘違いして逆上してナイフ持ち出すような客に間違ってうっかり刺されて死亡とかないよな……ほんと……)

 いや、でも散々な失態を犯した面接だったが、相手があの虎の店長さんだったのは不幸中の幸いだったのかもしれない、と南は思い直す。

(だって、顔は怖いし口も結構悪かったけど、でも……なんだかんだ優しかったよな……)

 熱い麺を啜ってうっすら汗ばんできた肌をすべり落ちてくる眼鏡を押し上げながら、そう思う。

(だって、眼鏡ないとよく見えないだろうって手を取ってくれたり、俺がへろへろになって倒れそうになってもちゃんと抱きとめて、床に座らせてくれたし)

 呉凱ウーカイに散々ナカを掻きまわされ、前立腺をこね回されて腰が抜けた南を支えてくれた太くて逞しい腕と大きな手のひらは、とても頼もしくてつい縋りたくなる力強さに満ちていた。

(それに……め、めちゃくちゃ、う……上手かった…………)

 思わず箸を咥えたまま、真っ赤な顔で俯く。

(ナカ、あんな風に太い指でじゅぷじゅぷされて、アレ、ほんとに、すごかった…………)

 その時の感覚がふいに蘇って、腹の奥底がじゅわぁ……と熱くなる。南は慌てて両足をきつく合わせて、つい漏れそうになる何かを押し止めた。

(……それに、てんちょうさんのアレ、ふとくて、あつくて、いろとか、ほんとえっちだった………………)

 あれこそまさに征服する側の持つ凶器と言っていいだろう。同じオスでも自分のとはえらい違いだ。

(………………もっと、なめたかったな…………)

つい無意識にペロリ、と口の端を舌で舐めたところでハッと我に返った。

(う、いかんいかん。こんな外の往来で何考えてんだ、俺は)

 ずび、と鼻を啜って手に握ったままの紙幣をもう一度見る。

(……これは使わず取っとこう)

 心が弱っている時にちょっと優しくされるとものすごく心に沁みるんだなぁ、などと他人事の用に考えながら、南はお金を丁寧に封筒に戻してリュックにしまう。そして少し冷めてしまったスープをごくり、と飲んだ。
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