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 初めてこの部屋に奉仕委員を呼び出したあの夜にアリスティドが受けた衝撃は、まさにその後のアリスティドの生活を根底からひっくり返すような出来事だった。
 といってもアリスティドが何よりも最優先とする学業と評議会活動にはまったく悪影響はない。それどころか身体的な欲求不満も精神的な苛立ちも粉々に吹き飛ばしてくれる委員の『奉仕』のお陰で順風満帆だ。この調子なら今年度の主席はもちろん、王都で年に一度行われる統一試験でも最上位を狙えると教師たちからも太鼓判を押されていた。
 そんなアリスティドが、ここ最近毎晩のように部屋で思い悩んでは眠れずに枕を転々としているとは誰も思いもしないだろう。

(ああ、そうだ)
 カールに今夜の仕事を断り食堂から戻ってきたアリスティドは、ベッドの上で怠い身体を持ち上げてなんとか仰向けになり、薄暗い天井を見上げながらそっと手を腹に当てる。
(あれ以来、ずっと身体の中に、燻っている)
 あの晩依頼通りに奉仕委員がこの部屋に来て、生まれて初めて他人の手で触れられて、アリスティドは今まで自分が自慰で得ていた快感がどれほど子供だましだったのか気づいてしまった。
 自分の意志とは無関係に動く、熱い手のひら。火照る身体をまさぐり暴いていくその手にはまるで迷いはなく、ほんの少しの誤魔化しもきかず嘘を見抜いてしまう鋭い目と器用な指と巧みな舌と唇で、この身体にどれほど深く大きな欲望と官能が眠っていたのかを引きずり出してアリスティドに知らしめた。

(……他の生徒たちは、こんなことは知りもしないのだろうな……)
 他人に触れられて、そして他人の肉体の熱を味わって初めて知る、本当の『快楽』。ふと先ほど食堂で会った二学年生たちの無邪気な顔を思い浮かべて、アリスティドは思わず小さく笑う。
(……当たり前だ。こんなこと、あいつらにはまだ確かに早い)
 こんな、自分でもどうしようもないほど持て余してしまうような動物的で淫らで生々しい肉欲など、彼らのうちの誰も知らないはずだ。

「…………っは…………ぁ……っ」
 勝手に息が熱くなる。
 まだ触れてもいないのに股間に血が集まり始め、ずくずくと疼き出す。
(早く、触って、扱いて、イかせて欲しい)
 もはや勉強やスポーツなどでは発散しきれないこの熱と疼きを一刻も早く宥めて欲しい。そしてそれができるのは一人しかいないのだ。
 アリスティドはあの日、初めてこの部屋にやってきた『奉仕委員』の姿を思い出す。一体どんな女性がやって来るのか、そして自分は本当にその委員とやらとこれからそういうことをやるのか、とさすがに落ち着かない気持ちで凝視していたドアをノックして入ってきた。そう、ちょうど今、アリスティドの耳に聞こえて来たのと同じ足音を立てて。

――――アードラー寮三階9号室、アリスティド=ルノー? 

 あの時暗い部屋に静かに響いたその声を、アリスティドは恐らく一生忘れられないだろう。それと同じ声が今またアリスティドの耳に忍び込んでくる。
「お待たせしてすみません、アリスティド先輩」
 ドアに鍵を掛ける音がする。そして近づいてくる、気配。
 ベッドに横たわったまま目を開けたアリスティドの前に、大きく逞しい体躯の男が跪いていた。
「…………遅い」
 アリスティドが言うと、アリスティドより一つ年下のアードラー寮生ゲオルグは黒い目をわずかに細めて「すみません」とだけ言った。

 アリスティド以上に無表情で感情を見せないこの男を腹立たしい思いで見上げる。だが彼が来たからにはようやくこの、常に腹の奥に燻って消えない欲と苛立ちが解消されるのだ。アリスティドは悔しさや恥ずかしさを必死に押さえ込んで「早く」と言おうとした時、なぜか書類の束で視界を遮られた。
「………………なんだこれは」
「フロック先生から預かってきました」
「は?」
「前回の評議会の議事録だそうです」
「………………」
 アリスティドは勢いよく身体を起こしそれをひったくると、傍らのキャビネットに叩きつける。
「……落ちますよ」
「うるさい」
 常に冷静沈着で『笑わない氷のプリンス』などとふざけたあだ名で呼ばれている自分がまさかこんな風に感情を露わにして書類に八つ当たりするなどと、誰も思わないだろう。
 ゲオルグは、と見れば相変わらず何を考えているかわからぬ無表情でアリスティドを見下ろしていた。

(大体、この男とは相性が悪いとしかいいようがない)
 ゲオルグはその異国風の名の通り東のゲール国からの留学生で、短く刈られた黒髪と黒い目、そして学院内でも特に目を惹く大きくて逞しい体躯が特徴的な五学年の生徒だ。アリスティドは自分よりも一つ年下の、自分より一回り以上大きな男を睨みつける。

 いつでも淡々としているこの男が気にいらない。思えば最初にこの男がアリスティドの要請に応じてやって来た時以来、ずっと気に食わなかった。
 まず自分より高いところから見下ろして来る目線が気に入らない。そして自分よりずっと大きく逞しい身体をしていて、実際アリスティドがどれだけ腕を突っぱね逃げようとしてもビクともしない力強い腕も強靭な足腰も圧倒的な重さも、そしてコトの最中アリスティドが何を言おうがどうなろうがまるで動揺もせず頓着もしないこの男が心底気に食わなかった。

 アリスティドはクールで冷淡なように見せかけて、その実かなりの負けず嫌いだ。それはプライマリースクール時代、当時は今以上に可愛らしい女の子のような顔をしていたアリスティドを侮って悪さをしようとしたクラスメイトの男児がよく知っている。こてんぱんに殴り返されてその子は泣きながらナニーのところへ逃げて行った。

 アリスティドは、初めてゲオルグが奉仕委員としてこの部屋に現れた時のことを思い出す。
 なんの疑いもせず女子生徒が来ると思っていたアリスティドを見下ろして、ゲオルグは言った。
――――貴方に呼ばれて来ました。特別奉仕委員のゲオルグ=ラングレンです。
 お前なんぞ呼んだ覚えはない、と言って追い返せればどんなに良かっただろうか。だがあまりに予想外の出来事にアリスティドはただ目を見開いてゲオルグを見上げるしかできなかった。

 ゲオルグは呆然と立ちすくむアリスティドをベッドに座らせて、その前に跪いた。
――――お、お前、五学年の男子生徒だな……。なぜお前がここに……? 
 まだ狼狽えているアリスティドに、ゲオルグが言った。
――――メモで呼びましたよね? 奉仕委員。
――――だからって、なんでお前が……っ
 するとゲオルグは感情の読めない黒い目でアリスティドを見つめ、言った。
――――今年のアードラー寮の奉仕委員は全部で五人います。俺がその中の一人です。
――――だけど、お前、
 そう、あの時アリスティドは混乱する頭ともつれそうになる舌で問いただした。
――――だって、お前は、お……男じゃないか……!
――――関係ありませんよ。
 事もなげにゲオルグはそう答えて、そして言った。
――――俺は男で貴方より年下ですが、俺が貴方の奉仕委員です。
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