59 / 161
【第二部】東の国アル・ハダール
74 屋台の朝ごはん
しおりを挟む
「おはよう。今日もよろしく」
僕がそう言って首を撫でると、馬はそれに答えるように鼻を鳴らした。
その馬は帝都イスマーンまでの旅の途中、僕を乗せてきてくれたあの大きな黒い馬だ。まだまだ不慣れな僕のあやふやな手綱さばきに惑わされずにきちんと走ってくれて、賊に襲われた時はただしがみついていることしかできなかった僕を乗せて逃げのびてくれた賢くて度胸のある馬だ。
前の世界で見覚えのあるサラブレッドと比べると足が太くて胴回りもすごい。
すぐに鼻面を押し付けてきたりイタズラを仕掛けてくるヤハルの馬と違っていつもどっしりと構えていて顔も怖い。余りのド迫力に密かに黒王号と呼んでるんだけど、今もそれを思い出して小さく噴き出してしまった。
「いかがなさいましたか? 神子様」
不思議そうにウルドが聞いてくる。
「あ、ごめん。なんでもない」
こういう時は一緒になって笑える相手がいないことがちょっと残念に思う。僕の兄ちゃんはスポーツ万能のいわゆる陽キャってやつで僕とは正反対みたいなやつだったけど、同じ親の本棚見て成長してきたわけだから、もしも今ここにいたら一緒にこの大きな黒い馬を見て笑えたはずなんだよな。
ふとそう思ったらちょっと心臓がズキッとした。いかんいかん、今日は楽しいことだけ考えよう。
顔を上げるとサイードさんが鹿毛の立派な馬を連れてやってきた。そしてウルドから受け取った荷物を僕の馬にくくりつけてくれる。
日よけのシュマグもちゃんと頭に巻いて「いってらっしゃいませ」って頭を下げるウルドに手を振って僕はサイードさんと一緒に宮殿の厩から外に出た。
宮殿のある丘を降って街に出る。今はまだかなり朝早い時間で、開いているのは朝食を売る屋台ぐらいなものだ。
今日はえらく早くに起こされて着替えてすぐに出てきたので、実はまだ朝ごはんを食べていない。一体どうするのかと思ってたんだけど、街の大通りの両脇にずらりと並ぶ屋台を見てあっ、もしかして! って思った。すると案の定、サイードさんが途中の大きな隊商宿の前で馬を降りて僕の馬と一緒に預けると「朝食は外で食べよう」って言ってくれた。やった!
「すごい、いろんな店があるんですね」
思わず目移りしてあちこち見てしまう。
以前、ダーヒル神殿領の市場に行ったことがあるけれど、あの時は途中で果物をちょっと食べたくらいで食事はしなかった。
こっちの世界では屋台料理が豊富で、特に独身者や旅の人たち、そして忙しい商店の人なんかは三食屋台で済ますことも全然珍しくないらしい。
「わー、何食べようかな」
僕が興奮していると、サイードさんが横から一つ一つ説明してくれた。
「あれは薄く焼いた種なしパンに肉や野菜を挟んだやつだ。あっちはミートパイの店で向こうは薄焼きピザとピラフもある」
「どれも美味しそうですね」
結局、気になるものを片っ端から買っていって屋台の間に置かれたベンチに座って食べた。
「あ、これ美味しい」
薄いクマージュを揚げた中にいろんな具が詰まっているのをハフハフと食べる。それから中国の粽みたいに葉っぱで包まれたピラフも食べた。
「これ、こっちに来る途中に寄った国境の村でご馳走になったやつですよね。あそこは瓜を入れるのが珍しいとか言ってた」
僕が言うとサイードさんは串焼きの肉を食べながら教えてくれる。
「そうだな。イスマーンでは鶏肉か羊肉と野菜が入っているのが多い」
「なるほど」
地方によって具が違うって言ってたのは本当だったな、と思いながらバクバク食べていると、突然すっごく大きい男の人がどかっと隣に座って死ぬほどビックリした。
「あ、すみま……」
日本人の性で反射的に「すみません」って言って横にずれようとした時、目が合ったその顔を見て思わずベンチを蹴倒す勢いで立ち上がってしまった。
「ダ、ダルガート!?」
するとダルガートは例の口角だけを上げるシニカルな笑みを見せて僕の膝から転げ落ちそうになったリンゴをキャッチした。
「神子殿にはお変わりなく」
「お、お変わりなくじゃないよ! ビックリした! あっ! っていうか僕、何度も夜に部屋に来るなら起こしてって言ったよね!? なんでいっつもいつの間にか来てそのままいなくなってんの!? ちょっとコラ、返事しろって!」
って驚き半分照れ隠し半分で、ついあれこれ言ってしまう。そんな僕を相変わらず何考えてるかわかんない顔で見ると、腰から抜いたナイフで僕のリンゴを半分に割った。
「これは運のいい」
「え、なに?」
ダルガートの呟きに僕がつい気になって覗き込むと、リンゴの中心が蜜の色で濃くなっている。
「あ、蜜だ。しかも星の形してる」
「いかにも」
そう言ってダルガートが割ったリンゴを両方僕に渡してくれた。
「…………ありがとう」
完全に誤魔化された気分でガシガシそれを齧っていると、サイードさんが珍しくくつくつと笑って言った。
「カイがダルガートにも会いたいと言っていたからな。なんとか都合をつけて貰ったんだ」
「え、じゃあもしかしてダルガートも一緒に行けるの……?」
半分疑いながらそう聞くと、ダルガートは少し目を細めて頷いた。
「え、うわ、やった!」
わー! すごい、三人だけで出掛けるとか初めてじゃないか? めちゃくちゃ嬉しい!
思わず口から飛び出た言葉のあまりの子どもっぽさに、自分でも恥ずかしくなって一気にテンションが元に戻ってしまった。
例によってすぐにカッと血が上って熱くなる顔をシュマグの裾で隠すと、左右からサイードさんとダルガートの低い笑い声が聞こえてくる。
……多分、今完全に『二人の保護者の間で縮こまってる子ども』みたいな図になってるよな……僕……。
普通の人より遥かに体格のいい二人に挟まれて余計に小さくひ弱に見えているだろう自分を想像して、なんだか恥ずかしい以上に腹が立ってくる。
僕だって今、毎日走ったりヤハルに相手して貰って木剣と棒術を練習してるんだ。二年三年経った頃にはきっともうちょっと逞しくなってるに違いない。
そう自分を励ましてから、僕は残りのリンゴを一気に食べてしまった。
それから隊商宿で預かって貰ってた馬を連れてきて『ほら、サイードさんがダルガートに似てるって!』と言った時、ダルガートはなんとも形容しがたい、ものすごく微妙な顔をしてサイードさんを見た。
僕がそう言って首を撫でると、馬はそれに答えるように鼻を鳴らした。
その馬は帝都イスマーンまでの旅の途中、僕を乗せてきてくれたあの大きな黒い馬だ。まだまだ不慣れな僕のあやふやな手綱さばきに惑わされずにきちんと走ってくれて、賊に襲われた時はただしがみついていることしかできなかった僕を乗せて逃げのびてくれた賢くて度胸のある馬だ。
前の世界で見覚えのあるサラブレッドと比べると足が太くて胴回りもすごい。
すぐに鼻面を押し付けてきたりイタズラを仕掛けてくるヤハルの馬と違っていつもどっしりと構えていて顔も怖い。余りのド迫力に密かに黒王号と呼んでるんだけど、今もそれを思い出して小さく噴き出してしまった。
「いかがなさいましたか? 神子様」
不思議そうにウルドが聞いてくる。
「あ、ごめん。なんでもない」
こういう時は一緒になって笑える相手がいないことがちょっと残念に思う。僕の兄ちゃんはスポーツ万能のいわゆる陽キャってやつで僕とは正反対みたいなやつだったけど、同じ親の本棚見て成長してきたわけだから、もしも今ここにいたら一緒にこの大きな黒い馬を見て笑えたはずなんだよな。
ふとそう思ったらちょっと心臓がズキッとした。いかんいかん、今日は楽しいことだけ考えよう。
顔を上げるとサイードさんが鹿毛の立派な馬を連れてやってきた。そしてウルドから受け取った荷物を僕の馬にくくりつけてくれる。
日よけのシュマグもちゃんと頭に巻いて「いってらっしゃいませ」って頭を下げるウルドに手を振って僕はサイードさんと一緒に宮殿の厩から外に出た。
宮殿のある丘を降って街に出る。今はまだかなり朝早い時間で、開いているのは朝食を売る屋台ぐらいなものだ。
今日はえらく早くに起こされて着替えてすぐに出てきたので、実はまだ朝ごはんを食べていない。一体どうするのかと思ってたんだけど、街の大通りの両脇にずらりと並ぶ屋台を見てあっ、もしかして! って思った。すると案の定、サイードさんが途中の大きな隊商宿の前で馬を降りて僕の馬と一緒に預けると「朝食は外で食べよう」って言ってくれた。やった!
「すごい、いろんな店があるんですね」
思わず目移りしてあちこち見てしまう。
以前、ダーヒル神殿領の市場に行ったことがあるけれど、あの時は途中で果物をちょっと食べたくらいで食事はしなかった。
こっちの世界では屋台料理が豊富で、特に独身者や旅の人たち、そして忙しい商店の人なんかは三食屋台で済ますことも全然珍しくないらしい。
「わー、何食べようかな」
僕が興奮していると、サイードさんが横から一つ一つ説明してくれた。
「あれは薄く焼いた種なしパンに肉や野菜を挟んだやつだ。あっちはミートパイの店で向こうは薄焼きピザとピラフもある」
「どれも美味しそうですね」
結局、気になるものを片っ端から買っていって屋台の間に置かれたベンチに座って食べた。
「あ、これ美味しい」
薄いクマージュを揚げた中にいろんな具が詰まっているのをハフハフと食べる。それから中国の粽みたいに葉っぱで包まれたピラフも食べた。
「これ、こっちに来る途中に寄った国境の村でご馳走になったやつですよね。あそこは瓜を入れるのが珍しいとか言ってた」
僕が言うとサイードさんは串焼きの肉を食べながら教えてくれる。
「そうだな。イスマーンでは鶏肉か羊肉と野菜が入っているのが多い」
「なるほど」
地方によって具が違うって言ってたのは本当だったな、と思いながらバクバク食べていると、突然すっごく大きい男の人がどかっと隣に座って死ぬほどビックリした。
「あ、すみま……」
日本人の性で反射的に「すみません」って言って横にずれようとした時、目が合ったその顔を見て思わずベンチを蹴倒す勢いで立ち上がってしまった。
「ダ、ダルガート!?」
するとダルガートは例の口角だけを上げるシニカルな笑みを見せて僕の膝から転げ落ちそうになったリンゴをキャッチした。
「神子殿にはお変わりなく」
「お、お変わりなくじゃないよ! ビックリした! あっ! っていうか僕、何度も夜に部屋に来るなら起こしてって言ったよね!? なんでいっつもいつの間にか来てそのままいなくなってんの!? ちょっとコラ、返事しろって!」
って驚き半分照れ隠し半分で、ついあれこれ言ってしまう。そんな僕を相変わらず何考えてるかわかんない顔で見ると、腰から抜いたナイフで僕のリンゴを半分に割った。
「これは運のいい」
「え、なに?」
ダルガートの呟きに僕がつい気になって覗き込むと、リンゴの中心が蜜の色で濃くなっている。
「あ、蜜だ。しかも星の形してる」
「いかにも」
そう言ってダルガートが割ったリンゴを両方僕に渡してくれた。
「…………ありがとう」
完全に誤魔化された気分でガシガシそれを齧っていると、サイードさんが珍しくくつくつと笑って言った。
「カイがダルガートにも会いたいと言っていたからな。なんとか都合をつけて貰ったんだ」
「え、じゃあもしかしてダルガートも一緒に行けるの……?」
半分疑いながらそう聞くと、ダルガートは少し目を細めて頷いた。
「え、うわ、やった!」
わー! すごい、三人だけで出掛けるとか初めてじゃないか? めちゃくちゃ嬉しい!
思わず口から飛び出た言葉のあまりの子どもっぽさに、自分でも恥ずかしくなって一気にテンションが元に戻ってしまった。
例によってすぐにカッと血が上って熱くなる顔をシュマグの裾で隠すと、左右からサイードさんとダルガートの低い笑い声が聞こえてくる。
……多分、今完全に『二人の保護者の間で縮こまってる子ども』みたいな図になってるよな……僕……。
普通の人より遥かに体格のいい二人に挟まれて余計に小さくひ弱に見えているだろう自分を想像して、なんだか恥ずかしい以上に腹が立ってくる。
僕だって今、毎日走ったりヤハルに相手して貰って木剣と棒術を練習してるんだ。二年三年経った頃にはきっともうちょっと逞しくなってるに違いない。
そう自分を励ましてから、僕は残りのリンゴを一気に食べてしまった。
それから隊商宿で預かって貰ってた馬を連れてきて『ほら、サイードさんがダルガートに似てるって!』と言った時、ダルガートはなんとも形容しがたい、ものすごく微妙な顔をしてサイードさんを見た。
137
お気に入りに追加
4,852
あなたにおすすめの小説
転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい
翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。
それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん?
「え、俺何か、犬になってない?」
豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。
※どんどん年齢は上がっていきます。
※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。
性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします
*
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!?
しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です!
めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので!
本編完結しました!
時々おまけを更新しています。
総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?
寺一(テライチ)
BL
────妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。
ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの高校一年生。
ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。
その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。
そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。
それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。
女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。
BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の主人公への好感度がバグレベルで上がっていくということ。
このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう!
男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!?
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。