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【番外編】恋も積もれば愛となる 編

時の女神の糸紡ぎ

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――――よいか、アドルティスや。神々というものは昔からひどく気まぐれじゃ。
 公明正大な時の女神さえ、時にはその糸紡ぎを狂わせる。
 糸のごとく細き弦月に生まれたお前はエルフの守り神イシリオンの加護は望めぬからの。いつかそなたの不運を幸運に変えられるような御仁に会えるとよいのう。


 昔、変わり者と言われた俺に婆さまが言ったその言葉の意味を、その時の俺は正直よく理解できていなかった。
 けれどそれから数年経ったダナンの街で、俺はその『神々の気まぐれ』を本当に体験するはめになってしまったのだった。


     ◇   ◇   ◇


 その日の朝、目覚めた俺の目に飛び込んできたのは、ぼんやりとかすむ漆喰塗りの白い天井だった。
 あれ? うちの天井は木で出来てるはずだけど……。あ、そうか、俺はもう西の森じゃなくてダナンの街に住んでるんだった。

 未だに慣れないこの天井は、エリザさんというお年寄りの家のものだ。
 昨年にここダナンの街にやってきてしばらくは他の冒険者たちと同じように宿屋暮らしをしていたけれど、国一番と噂の薬師の依頼を定期的に引き受けているうちに薬草採りの腕前を買われ、ラヴァンというその薬師の老婆にこの下宿を紹介して貰った。
 エリザさんはどうやらラヴァンと昔からの馴染みらしく、下宿させて貰うかわりに最近年のせいか腰を痛めてしまったエリザさんの手伝いをして欲しいと言われた。
 元から年を重ねた古老を重んじる風習が身に着いたエルフの俺にとっては願ってもない話だった。

 新しい世界や生活に憧れて故郷の西の森を出てきたけれど、やはり俺には宿屋暮らしよりもきちんと自分のテリトリーと言える住処が必要だったらしい。
 俺と似て細々とした手仕事が好きなエリザさんの、いつもシナモンやハーブの匂い漂うこじんまりとした家は大層居心地が良かった。

 ………………でもおかしいな。この部屋、俺が貸して貰ってる二階の部屋よりも天井が高いし広い。え? なんでだ?

 恐る恐る起き上がってみると、寝ているベッドもなぜかすごく大きい。どう見ても夫婦用の木のベッドに結構新しそうな藁を包んで作った大きなマットレスが敷かれていて、二階の小さなベッドとは大違いだった。
 ……なんだろう、部屋自体もどう見ても広いし……。

 俺は咄嗟に枕元のキャビネットに置かれていたナイフを鞘から抜き、そっと立ち上がる。そして窓のカーテンの隙間から外を覗いた。
 ん? ここ一階じゃないか。
 窓から見えたエリザさんの家の裏庭のリカルの木に驚く。そして半ば呆然としながら頭の中で確認した。

 ……ええと、俺は西の森のエルフのアドルティス。二十歳でもうすぐ二十一。一足す一は二で一族秘蔵の風邪薬のレシピはサリアの実が三に夜露草が一と幻夜蝶の鱗粉が一、今日はアルウム歴九八二年初夏ユウル月二日目で西の森を出てからあと一日で一年。よし、頭がおかしくなったわけじゃないな。

 視線を落とすとなぜかやたらと大きなシャツを一枚来ているだけでズボンも下着も穿いていない。いくらなんでもだらしなさすぎる恰好だ。
 ……それに、何か手が……違う気がする。
 いつものように草や枝で切ったような細かな傷は確かにたくさんあるがこんなに滑らかだっただろうか?
 確かに薬草の状態をみるのに手指の感触は大事だから手荒れには気を付けてはいるが、やけに白くてすべすべしていてなんとなく違和感を覚えた。

 俺は気配を殺し、抜き足差し足でドアまで行って、そっとノブを回してほんの少しだけ開けてみた。そして息を止めて隙間から覗いてみる。
 廊下だ。板張りの細くて狭い廊下の左右にドア。奥にはすごく見覚えのある階段がある。そして人の気配はない。
 またそっと音を立てないようにドアを閉めて、改めて自分のいる部屋を見回した。
 間違いない。ここ、一階のエリザさんの部屋だ。

 かつて貴族の家で長年働いていたというエリザさんが恩給代わりに元の主人から貰った家は、街の細い路地に面した細長い二階建てだ。
 一階に台所と食事を取る場所があって、真ん中に二階へ続く階段と街には珍しい湯の出る浴室がある。そして一番奥の裏庭に面した場所がエリザさんの部屋だ。俺は二階に二つある部屋の片方を借りている。
 なのになぜか今、俺はこの家で一番広くて日当たりのいいエリザさんの部屋で寝ていたようだった。

 え、なんで? それにエリザさんはどこにいるんだろう?
 俺は呆然としながらベッドに座り込んでしまった。
 何かがおかしい。なんでこの部屋で寝ていたんだろうか。確か昨日はエリザさんに頼まれて二階の物置を整理して古い道具を処分して、二人でキュウリとトマトの漬物を作って、それからラカンと――――

 頭に浮かんだその名に思わずハッとする。
 ラカン。それはこのルーマ地方一の商業都市であるダナンに三人しかいない金級の冒険者の名だ。半年くらい前、初めて護衛仕事を引き受けた俺をオークキングから守ってくれた鬼人族の剣士だ。
 ラカンの、俺よりずっと大きくて重そうな赤銅色の身体と黒光りする短い角、そしてエルフとは正反対の粗削りな容貌を思い浮かべた途端、胸の奥がきゅっ、となって思わず着ていたシャツの胸元を握り締めた。
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