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第9話:イクスという少女(後編)
しおりを挟む爆発の魔術を放ち、勝ちを確信したイクスだったが――
「――そんな見え見えな魔術、当たるわけもないし、そもそも攻撃のタイミングを自分で教えるのは悪手だ」
そんな、まるで氷のような冷たい言葉と共に、イクスの喉元に、ナイフが突きつけられていた。
「は?」
イクスが理解できずに、思わずそんな声を出してしまう。
確かに、相手は自分の前にいたはずなのに、気付けば背後を取られていた。
「嘘……だ」
「せっかくの面攻撃である爆発の魔術を直線的に使うのは勿体ない。背後を取られることを想定してそっちにも仕掛けておかないと」
そう言って――イクスの背後を取ったレヴが、ナイフを降ろした。
これ以上はもう無駄な戦いだろう、そう判断した。本当はイクスに喧嘩を売って、決闘でも仕掛けさせようと思っていたが、予想以上にイクスは弱かった。これでは決闘ではなく、ただのイジメで終わってしまう。
作戦を練り直さないといけないことに、レヴは思わずため息をついた。
「またね、イクスさん」
そう言ってレヴがもう終わったとばかりに、イクスへと背中を晒しライラの下へと歩いて行く。その背中を、イクスはただ呆然と見つめるしかない。
こちらの不意打ち、しかも自分が一番得意とする爆発の魔術をあっさりと回避され、しかも手心を加えられた。
これほどの屈辱はなかった。
「まて、待ってくれ! もう一回だ! もう一回勝負を!」
イクスが思わず、そう叫んでしまう。遠巻きに見ていた生徒達からの、いたたまれない視線を気にしている場合ではなかった。
こんなはずじゃなかった。
そんな思いがぐるぐるとイクスの頭の中で回っていた。
クラス分け試験で、ちょっと油断しただけなのに、〝塵〟に入れられて、不服だった。しかしどれだけ抗議しても、無駄だった。自分を見下す姉と母に、必ず〝星〟に入れると約束したのに。
だからせめて〝塵〟になったとしても、すぐに一年生の中でも一番であると、見せ付けるつもりだった。
偉大なるサザールの魔女として、周囲から一目置かれる存在になるはずだった。
なのに。
気付けば、皆がレヴ・アーレスのことしか話さなかった。誰も自分を見てくれなかった。
それじゃあ、学園に来る前と何も変わっていない。
「あたしは……あたしはお前を倒して、変わるんだ!」
そんな、理不尽な言葉をイクスが吼えると同時に、再び魔術を使おうと右手を動かそうとした――その時。
「はあ、面倒臭いなあ……」
背後の気配に気付いたレヴが、さてどうやってこの場を収めようかと思った瞬間。
「え?」
イクスの目の前の空間が――爆ぜた。
「っ!」
レヴがホルスターから機械仕掛けのナイフ――ムーンハウルを抜き、噴水のある広場の奥を睨み付ける。
なぜか倒れているイクス……ではなく、その更に向こう。
「今のは……イクスの魔術じゃないな」
そこに一人の背の低い少女が、数人の生徒を後ろに控えさせながら、立っていた。その手には金属製の杖を握っており、その先端は炎を模したような形になっている。
「はあ……ほんと、こんな日が来るなんて悪夢みたい」
そう言いながら、こちらへと歩いてくるその少女は、長いオレンジ髪がよく似合う可愛らしい顔付きの少女だった。その制服には、〝星〟の生徒であることを示す、星形のバッジが誇らしげに付けられていた。
良く見ればイクスと似た顔付きだが、その顔には傲慢さが滲み出ている。
「出来の悪い妹がいるだけで恥ずかしいのに、初日からこんな醜態をさらすなんて、サイアク」
少女が、噴水の前で倒れているイクスの傍へと立つ。
「え、エクリシス姉ちゃん」
爆発のせいで制服がボロボロになって、酷い火傷を全身に負ったイクスがその少女――彼女の姉であるエクリシス・サザールの顔を見て、か細い声を出した。その顔に浮かぶのは、怯えの表情。
「止めてよね。お前みたいな、出来損ないと同じ血が流れてると思うと、反吐がでそう。偉大なるキラカの血を受け継ぎながら、〝塵〟で、しかも恥知らずにもこんな白昼堂々、どこの馬の骨ともしれない雑魚相手に決闘どころか、ただの喧嘩で負けるなんて。恥ずかしすぎて自害したい気分だわ」
「ご、ごめんなさい……あたしはただ……」
「もう喋るな、ゴミ」
エクリシスが手に持つ杖を掲げ、イクスの顔へと振り下ろそうとした、その瞬間。
「それぐらいにしといたら?」
その杖が見えない何かに遮られ、咄嗟に顔を庇おうとしたイクスの前で止まっていた。そんなイクスを庇うようにレヴがエクリシスの前に立ち、その首へとナイフを向ける。
「なにこれ? 磁力操作?」
エクリシスがつまらなそうに杖を振ると、レヴの後ろにいたライラの身体が吹っ飛んだ。
「ライラ!」
レヴが心配そうに叫ぶも、ライラがすぐに立ち上がる。
「大丈夫! 魔術を返されただけ! うー、あんな簡単に返されるなんて……」
ライラが悔しそうにエクリシスを見つめた。
咄嗟に磁力操作の魔術で杖を止めたまで良かったが、まさかこんな簡単に魔術を解除されて、おまけにその反動をこっちに与えてくるとは思わなかった。
「で、お前ら、何よ」
エクリシスが面倒臭そうに、イクスを庇うレヴと、邪魔をしたライラへと視線を向けた。
「別に? この子と同じ〝塵〟の一年生だけど?」
レヴがそう答えると、エクリシスが小馬鹿にしたような笑みを作る。
「そう。なら頭が悪いのも仕方ないか。お前らは私が誰か分かっていないんだろうけど、私は――」
「エクリシス・サザール、でしょ? 知っているよ。しかもあんた、強いんだろ」
不敵な笑みを浮かべたレヴが、こう言い放った。
「――だから、あんたに、決闘を申し込む。まさか、〝塵〟のしかも一年生の誘いを断らないよね? それとも、お〝星〟様は、どこの馬の骨ともしれない雑魚相手にビビって逃げちゃう? それならそれで僕の名前が有名になるから、ありがたいけども」
そのレヴの挑発に、額に青筋を立てるほど怒りを示したエクリシスが杖をレヴへと向けた。
「早死にしたいようね、クソ雑魚。いいわ、見せしめにお前を誘ってあげる――美しくも残酷な夜に。楽しい楽しい、〝お茶会〟にね!」
こうしてレヴは図らずも、〝星〟の上級生でかつ、〝夜庭園〟においても上位の序列に属する魔女――エクリシス・サザールと決闘することになったのだった。
***
その日の午後。
既に初日の講義を終え、一年生達は予想以上に難しい講義の内容に頭を抱え、あるいは更なる成長への期待に胸を躍らせていた。
そんな生徒達が興奮冷めぬ様子で喋り合っている談話室の一角。
「ライラ……ごめんてっば」
ソファに座っていたレヴが、横でそっぽを向いているライラへと謝罪する。しかし、ライラは一切彼の方を見ようとしない。
「ライラ、怒らないでくれよ」
「怒ってません。決闘しちゃダメだってあれだけ言ったのに、全然聞いていないレヴ君とは話すことなんてありません」
怒っているというより拗ねている様子のライラに、レヴは苦笑するしかない。
エクリシスと〝お茶会〟をすることになってから、彼女はずっとこの調子だ。
「でもさ、ライラ。君との約束はちゃんと守っているよ。イクスとは決闘してないし」
「だからといって、その姉で、しかもこの学園でも上位に位置する魔女に喧嘩を売る馬鹿がどこにいるのよ!」
ライラが少しだけ涙目になりながら、そうレヴの肩を叩いた。
「ごめん。でも僕も腹が立ってさ。あいつ最低だったし。兄……や姉は妹を守るべき存在なんだ。なのに、あいつは……」
レヴは静かに怒りを燃やしていた。確かにイクスの行動は、褒められるべきものではなかった。だけども、イクスを、自身の妹のことを出来損ない呼ばわりしたあげく、傷付けたエクリシスを、彼は許すことができなかった。
それもまた、彼に掛かっている呪いかもしれない。
「そんな甘い考えは通用しないよ……それよりも今からでもいいから、決闘を止めるように話しにいこ? それかキリナさんに相談して」
なんてライラが言っていると、一人の少女が二人の下へとやってきた。
「無駄だ。一度決まった〝お茶会〟は、〝竜の爪〟であっても止めることはできない。そういうルールなんだよ」
そう言ってレヴの隣に座ったのは、イクスだった。ボロボロだった制服は直っており、火傷も綺麗に治癒されていた。
「へえ、この学園の医術士は優秀だね」
それを見て、レヴが感心したような声を出した。医療用魔術は特に難しい魔術とされ、使える者は少数しかいない。さらにその中でも、これほどまでの腕前の者はなかなかいないことを彼は知っていた。
「……礼は言わないぞ、レヴ・アーレス、それにライラ・イレス」
不服そうにそう言いつつも、イクスが二人へと頭を下げた。
「フルネームで呼ぶの止めてほしいな。僕、アーレスの名を語るのは好きじゃないんだ。レヴでいいよ」
「分かったよ。レヴ。でも、お前はとんでもなく馬鹿だ。姉ちゃんと決闘して、無事で済むわけがない。間違いなく死ぬぞ。あの人の魔術はあたしのとは訳が違う、本物の魔女だ」
すっかり敵意が抜けたイクスの忠告に、レヴが肩をすくめた。
「勝てばいいだけだよ」
「……無理だ。姉ちゃんには絶対に勝てない。しかも決闘なら余計にだ」
「なんで?」
「姉ちゃんが最強だからだよ。レヴもあたしみたいに、ぶっ飛ばされて終わりだ」
「その前に首を斬ればいい」
「分かってない。きっとレヴは一歩も動けずに爆発四散する。そういう運命だ」
「まあ、大体見てて分かったけど、あれも爆発の魔術だね。火でも炎でもない、単純な爆発。でも、イクスのより、かなり洗練されている」
レヴは昼間見たエクリシスの魔術を思い出していた。突如何もない空間が爆発し、イクスを吹っ飛ばしたあの魔術。イクスのように、分かりやすい予備動作もなければ、導線もなかった。シンプルだが、相当に厄介な魔術であることは確かだ。
そんなレヴの考察を聞いて、イクスが立ち上がった。
「あたしは、お前に何も教えない。でもお前が人間である限り――絶対に姉ちゃんには勝てないぞ。せいぜい、姉ちゃんとの決闘時には、首でも絞めて、自害することだな」
それだけを言って、イクスが去っていった。
「……それは教えているのと一緒だよ、イクス」
レヴがそうイクスの背中へと、聞こえないように呟いた。
「むー」
横でむくれているライラのことをすっかり忘れていたレヴは、再び彼女に平謝りすることになるのだった。
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