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第2話:悪夢
しおりを挟む大陸各地を支配する魔女達の領地は〝夜域〟と呼ばれ、それぞれに名前が付いている。
だが中にはそのどれにも属していない土地があった。
そんな、言わば空白地帯の一つ。
そこに巨大すぎても反対側が見えない大空洞があった。ぽっかりと空いたその大地の穴は底が見えず、深遠だけが静かに存在している。
大空洞の中心には、如何なる原理か巨大な岩が――もはや島と言っても過言ではないほどの大きさのものが浮いている。
その浮島にそびえる黒鉄の巨大な城。
それこそが〝魔女教育機関、未来の闇ノクタリア〟の本校舎だった。
そんな学園へと向かって、一台のオープントップの馬車が進んでいく。
牽いているのは、青銅でできた馬――ホースゴーレムだ。
静かに関節部の金属を軋ませる馬車の上には二つの制服姿があった。
一人は真新しい制服に身を包んだ少女のものだった。深い森を思わせるダークグリーンの豊かな髪に、小さな体躯、その幼く可愛らしい顔立ちには不釣り合いなほどに大きな胸部。
一部の男性から熱狂的な支持を得そうなルックスと体型だが、どこか小動物然としていて、先ほどから心配そうな表情を浮かべている。
その理由は、対面式の座席に座って眠っている、美しい金髪の少女――否、少年であるレヴのせいだろう。
彼の額にびっしりと汗が玉のように浮いており、先ほどからずっとうなされていた。
その様子から分かるように――彼は夢を見ていた。
幾度となく繰り返される、終わることのない悪夢を。
***
レヴと妹がかつて住んでいた、あの小さな塔のある丘の麓。
そこに広がる小さなリンゴ畑の中の、午後の優しい木漏れ日が注ぐ荷台の上にレヴは仰向けになって寝っ転がり、うたた寝をしていた。
その光景はレヴ本人の美と相まってか、絵画のように美しかった。
そこへ、柔らかい少女の声が響く。
「あ、お兄ちゃん、またサボってる!」
それは決して咎めるような口調ではなく、むしろ楽しそうな雰囲気だ。
その声に反応し、レヴが片目を開いた。そこには自分の顔を悪戯っぽい笑みを浮かべながら覗く、鮮やかな紫色のリボンで銀髪を結った少女がいた。
白いワンピースに身を包んだその少女を見て、レヴがその名前を呼ぶ。
「ユウィ」
その少女はレヴの双子の妹であるはずなのに、その顔も髪色も彼には全く似ていなかった。
だからこそ、彼はこの似ていない妹を愛していた。
会った事もない父親似だという、彼女の顔が好きだった。
少なくとも、魔女としては偉大でも、親としては最悪の部類である母親と似た自分の顔よりは、よっぽど好ましい。
そうレヴは本気で思っていた。
「私もサボろっと!」
ユウィがそう言って荷台に乗ると、レヴの横へと寝転がる。
「気持ちいいね、ここ」
「だろ?」
「お兄ちゃんが横にいるからかな」
ユウィが笑みを浮かべ、レヴの横顔を見つめる。
彼女もまた美しい兄を愛していた。
偉大なる魔女の娘である彼女は父親似のその顔から分かるように、魔女としての素質を一切、母から受け継げなかった。物心つく頃に、魔術を使う才能が彼女にはないと分かった母親は、彼女に対して愛情を注ぐことを止め、切り捨てることを選択した。
魔女が全てを支配するこの世界において、魔術が使えない女には、男よりも悲惨な未来しか残されていない。奴隷として死ぬまで過酷な労働を課されるか、男達の性処理係として扱われるか。
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結果、彼は母親の望み通り魔女専門の暗殺者となり、その身と魂を闇と血で染め上げた。
そのことを、ユウィは知らない。
「そりゃあ良かった。僕もユウィがいてくれて嬉しいよ」
魔女を殺す為の技術を磨き、ただそれだけをひたすらにこなした十年。それでもレヴには後悔はなかった。
隣にユウィがいれば、ただそれだけで良かった。
「ほんとに?」
「本当さ。だからユウィは気にせず、いてくれたらいい」
「うん。でもお母さん、私を学園に行かせたいみたいなの。私、出来損ないなのに。やだよ、お兄ちゃんの傍から離れるのが。この生活がなくなるのが」
ユウィの顔に陰ができる。彼女にとって、兄と共に暮らしたこの十年が何よりの宝物だった。
「馬鹿な。だってあそこは魔女を育てる場所だ。なぜそんなところにユウィを。それに約束と違う」
レヴの言葉に怒りが籠もる。
「約束?」
「いや、なんでもない。それについては、一度母さんには僕から話してみるよ。大丈夫、ユウィどこにも行こうと僕は傍を離れるつもりはないよ」
そんな言葉とともに、レヴが優しくユウィの頭を撫でた。
「うん」
「今日も明日も明後日も……ずっとずっと僕達は一緒だ」
「うん」
「だから――」
その言葉を言い終わる前に――世界が暗転する。
「ユウィ!」
白と銀で統一された調度品に囲まれた、静寂の玉座の間に、レヴの声が響く。
玉座には血まみれの美女が座っていた。
三日月をモチーフにしたティアラが載った長い金色の髪は床まで届き、その顔は完璧な美しさを表現していた。その顔の上半分を隠すように付けられた白い仮面の下は、青を通り越して白く、息も既に小さくなっている。
そんな彼女の胸の刺し傷から血が溢れ出て、白と銀の世界を鮮烈な赤に染め上げていく。
流れた血は、彼女の足下に倒れている小柄な人物によってせき止められ、血溜まりとなって広がった。
「あああ……どうして……なぜ」
その人物はユウィであり、既に絶命しているのが見て取れた。身体には執拗に攻撃されたであろう跡である、無数の傷が刻まれていた。その傍らの血溜まりには、解かれた紫色のリボンが浮いている。
その顔に張り付いているのは、苦悶と絶望。
そんな美しき惨劇を目の前にして、レヴが床へと膝を落とす。
「レ……ヴ……」
余命幾ばくもない玉座の美女が、名前を呼ぶ。
「母さん……! 誰が! ユウィを! 目を覚ましてくれユウィ!」
レヴがその紫色の瞳に涙を溜めながらその細く長い指で、ユウィの死体の手を握りながら、叫ぶ。彼の横で、刃物が床へと落ちる、乾いた音が小さく鳴る。
血でまだらに染まったナイフ。それは先ほどまで、玉座の美女の胸に刺さっていたものだった。
「ユウィ……ユウィユウィユウィユウィ! あああああああああああ!」
確かめるまでもないユウィの死とその冷たい体温に、少年が慟哭する。
「レヴ……」
玉座の美女が再び自分の息子の名前を呼ぶ。仮面の下の空っぽの眼孔が、見えないはずの息子の姿を見つめた。
「母さん! どうして! 貴女がいながらこんなことに!」
レヴが吼えた。
彼にとって、母とは愛すべき存在であると同時に憎むべき相手でもあった。
世界を統べる魔女達の中でも、頂点の一人と謳われるほどの魔女、トリウィア。
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誰かが母を、この世界において絶対にして最強である〝欠け月の魔女〟トリウィアをここまで追い詰め、そして無力でか弱い、何の罪も罰も背負っていない妹を殺したのだ。
「どうして……どうして!」
怒りと絶望を瞳に宿すレヴを見て、玉座の美女――トリウィアが口を開く。
「レヴ……聞きなさい……」
「死ぬ前に言え! 誰がユウィを殺した!」
もはや死の一歩手前にいるトリウィアへと、レヴが掴みかかる。
なぜ妹を守らなかった。そんな理不尽な怒りと共に。
「レヴ……もし……復讐の刃を……降ろすなら……」
トリウィアがレヴの頭を愛おしそうに抱き締めると、その耳元で囁いた。
「ノクタリアに」
その言葉と共に――トリウィアの手から力が失われ、レヴの横へと落ちる。
「ノクタリア……ノクタリア!」
レヴが母の死を目前にして、その遺言を何度も何度も反芻する。
「復讐の刃をノクタリアに!」
血に染まった目の中で、復讐の炎が爆ぜた。
それはレヴにとってまさに――覚めることのない悪夢だった。
***
「……あのう。そろそろ着きますよ」
そんな声と共に、レヴが目を覚ました。
「大丈夫ですか? うなされていましたけど」
対面に座る、緑髪の少女が心配そうに顔を覗いてくる。それに対し、レヴはため息をつきつつ、手で額の汗を拭った。
見れば馬車は、大空洞の縁から中央にある学園へと続く、唯一の石橋を渡り始めていた。もう十分もしないうちに到着するだろう。
「大丈夫、ちょっと悪夢を見ていただけだよ。それよりも、起こしてくれてありがとう。あ、そうだ、リンゴ食べる?」
そう言ってレヴは鞄からリンゴを二つ取り出し、目の前の少女へと差し出した。
「あ、えっと……ありがとう」
少女がそれを受け取るもどうしたらいいか分からずに、迷った末にリンゴを膝の上に置いた。
「どういたしまして。そのリンゴ、僕と妹が育てたやつだから美味しいよ」
レヴがリンゴにかぶりつきながら、少女へと微笑む。
その野性味溢れる行為が、妙に様になっていて、少女は思わず赤面して目を伏せてしまう。
「う、うん。あとでいただくね……えっと……私はライラ。君は?」
少女――ライラが、レヴの顔を見つめてそう問うも、やはり直視できずに顔を俯かせる。
(同じ女性同士のはずなのに。なんでこんなにドキドキするんだろう)
そんな戸惑いを隠せずにいるライラの様子に、全く気付くことなくレヴが笑顔のまま自己紹介する。
「僕はレヴだよ」
「レヴ……変わった名前だね。どこの〝夜域〟から来たの?」
「アールス」
その言葉に、ライラがまるでバネ仕掛けのような素早さで顔を上げた。その目には羨望の光が宿っている。
「アールス!? アールスってトリウィア様の夜域よね!? 私、トリウィア様に憧れて魔女になったんだ!」
ライラが前のめりになってそうまくしたてた。その後、自分の言動の恥ずかしさに気付き、まるで膝に置いてあるリンゴと同じように顔が真っ赤になる。
しかしレヴは優しい笑みを浮かべたまま、口を開く。
「ライラは? どこの〝夜域〟から?」
「私はイレスからだよ」
「イレスね。〝雷下の魔女、ケイラ〟の夜域か」
レヴがその言葉を聞いてスッと目を細めた。ケイラと言えばかなり高名な魔女だ。
彼女が治める〝イレスの夜域〟は確か、自然豊かな領地だと聞いたことがある。何人かイレスの魔女を殺した経験があるが、流石に顔まではもう覚えていない。
もしかしたら、ライラの親族もいたかもしれない。そうなると厄介なことになる。
「うん。ケイラが私の母なの」
ライラがレヴの心情を知ってか知らずか、そう告白する。
高名な魔女の母を持つという共通点に、レヴは少しだけ彼女へと親近感を抱き、ケイラが存命である以上、先ほどの懸念がないことに安心した。
もし、相手が自分に復讐心を抱いているのなら――殺さないといけないから。
復讐者の心情が痛いほど分かる今だからこそ、そう思えるのだ。それはいつかきっと、自分へと届きうる刃となる。
「ケイラの娘ということは、お母さんと同じ雷に関係する魔術を?」
「うん。でも私は……出来損ないだから……」
ライラが声を萎ませ、再び顔を俯かせた。その様子を見てレヴの中で悪夢が蘇る。
それはユウィの口癖だった。
〝どうせ私はお兄ちゃんと違って、出来損ないだから〟
だからかもしれない。
「――そんなことを言うな」
レヴがリンゴを放り出して、ライラの手を握った。
「え? え?」
突然、手を握られてドギマギするライラをよそに、レヴが真剣な視線を彼女へと注ぐ。
「出来損ないなんていない。だから卑下はやめるんだ」
その言葉と共に、レヴがスッと手を離した。
その手が離れて初めて、彼の手がゾッとするほど冷たいことに、ライラが気付く。
(優しそうな人なのに、なぜこんなに手が冷たいのだろう)
そんな疑問を胸の内に抱きながら、ライラが俯いたまま答える。
「ごめんなさい。でもどうせ、私は学園に行っても塵だから」
「塵?」
レヴが首を傾げていると、ライラが顔を上げて説明を始めた。
「知っていると思うけどこの学園って、入学試験がないでしょ?」
「そうだね。既存の魔女の推薦があれば誰でも入れる。おっと、魔術が使えない男性は無理だけども」
レヴがおかしそうにそう言って笑う。それの何がおかしいか分からないまま、ライラが説明を続ける。
「その代わりに、クラス分けの試験があるんだよ。新入生はその結果によって、大きく二つのクラスに分けられるの――将来、夜域を任せられるほどに優秀な、綺羅星が如き魔女が集う〝星〟。それと、辛うじて魔女と呼べる程度の力しかない、出来損ないの墓場、〝塵〟に」
ここまでの言動を見ている限り、ライラらしくない言い回しだな、と少し引っかかりながら、レヴが言葉を返す。
「それは知らなかったよ。そのクラス分け試験とはやらは、いつあるの?」
「毎年、試験方法や開始次期が違うの。数年前は入学前に既に済んでいたこともあったとか」
「へえ、面白そうだね」
レヴが興味深そうに頷きながら、前方を見た。そろそろこの長い石橋も中央近くまで来ており、そこには門のようなアーチがあった。とはいえ特に閉められているわけでもなく、ただの装飾だろうと気にも留めない。
「面白くないよ……いつ試験が始まるかと思ってドキドキしちゃう。それにどうせ、私は〝塵〟確定だもん。ほとんどの生徒は〝塵〟になるって話だよ」
「なぜ? 試験の結果次第だろ?」
「私、魔術が苦手なの。雷の魔術だって規模も威力も全然で……」
「使い方次第だと思うけどね」
レヴがそう慰めるように言ったと同時に、馬車が見えていたアーチを通り抜けた。
その瞬間、妙な違和感があることに気付き、レヴが即座に反応する。いつでも飛び出せるような姿勢になると同時に、太もものホルスターから銃と一体型のナイフ――ムーンハウルを抜いた。
「え? どうしたの、レヴさん?」
その行動の意図が分からず混乱するライラをよそに、レヴが馬車の床を蹴って加速。ライラの身体を掴んで、外へと飛び出した。
その瞬間――無人となって進む馬車が、轟音と共に、何かに叩き潰された。
レヴの波乱に満ちた学園生活のはじまりである。
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