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第四章『領主代行』
105話 滑車の原理と物流
しおりを挟む「さて、じゃ続き行くよ。滑車の原理だったね」
僕は中学校の理科の教科書を開く。
「そうそう。"グラム"とか、”キログラム”、”ニュートン”が何かって話からだよ」
さて、どうしたものか。
「全部重さに関係する単位だよ。こっちの世界には、共通の重さの単位ってないから不便だね。天秤は使われてるのに、何で重さの単位をそろえないんだろ?」
いろいろわからないことが多いが、説明に重さの単位が必須なわけではない。
「天秤?」
僕の呟きを聞いたマイナ先生は、少し考え手を打った。
「なるほど。市場で物を買う時、天秤と銅貨で重さを量ったりするね。イント君が元いた世界じゃ、重さの単位は統一されてたのか。いや、3種類あるから統一されてたわけではない?」
マイナ先生の理解力が怖い。僕もういらないんじゃなかろうか。
「統一はされてなかったかな~。他にもポンドとかもあったし。でも、重さは再現できないから、重さの単位は抜きに説明を続けるね」
手元の紙に、天井に吊るされた定滑車と、そこに吊るされる荷物のイラストを描く。
「こうやって滑車にロープをかけて、手で荷物を引くと、荷物を持ち上げると重さはどうなると思います?」
マイナ先生は少し首を捻って、頬に手を当てる。
「滑車って、井戸についてるやつよね? あれ、引いた感じだと重さは変わってない気がするけど」
そう。定滑車はこちらの世界でも見かける。だが、それは力の方向を変更するためだけに使われているのだ。
「正解です。これを定滑車といいます」
次に、紙の空いたスペースに、フックがついた滑車と定滑車の組み合わせを描く。片方の端は端は天井固定だ。
「次にこうやって、ロープをかけると……」
棒人間を描いたあたりで、マイナ先生が笑い出す。棒人間が面白かったらしい。
「持ち上げる際の重さが半分になります」
急激にマイナ先生の笑顔が消える。一瞬の笑顔だった。
「半分? 軽くなるってこと? 神術を一切使わずに?」
「ええ。そのかわり、ロープは倍引かないといけないですが」
僕の言葉に、マイナ先生の目つきがだんだん険しくなっていく。
「ちなみにこうすると、重さは半分のさらに半分になります」
紙の隅に、さらに多くの滑車があるバージョンを描く。マイナ先生の顔がちょっと呆れたものに変わっていく。滑車の原理はあんまり好評じゃなかったか。
まぁ学校の勉強なんて、社会に出たら役に立たないってよく言われてたし。
「ねぇ、イント君。この原理って、前世の社会ではどうやって使われてたの?」
「使われる?」
考えてみれば、滑車の原理は何に使われてただろうか?
(天使さん、そういうのある?)
フッと、執事姿の黒山羊頭の自称叡智の天使が現れ、教科書が勝手にめくられる。
『クレーンという機械が載っているのであるな』
それなら鉄骨など重いものを高いところに持ち上げているのを、近所の工事現場で見た。それは知っているが、言われてみれば、応用できる範囲は多そうな気がする。
(クレーンって、工事現場以外では何に使われてる?)
今度は教科書の科目が変わった。
『例えば、コンテナの積み換えなんかにも使われているのである』
開かれたページには、港に積まれたコンテナの山が写っている。聖霊を可視化できるあの聖紋布があれば、この教科書も見てもらえるのだが、今は手元にない。
「前の世界では、この原理を使ったクレーンという機械があって、高いところに重い資材を持ち上げられるから、建築現場では重宝されてたよ。あとは、馬車3台分ぐらいのサイズの大きな箱、コンテナって言うんだけど、それに荷物をまとめて詰め込んで、箱ごと積みかえて船とか貨物列車に積んで運んでたよ」
横に座っていたマイナ先生は、大きなため息をついて、身体の向きをこちらへ向けた。膝が僕の太腿に当たって、じんわりと体温が伝わってくる。
「いろいろ聞きたいけど、ちょっと待って。知ってることを全部吐き出してほしいんだけど、とりあえず、まずはクレーンと、コンテナと、貨物列車について教えて」
そう言われても困る。
「クレーンは高いところに重いものを持ち上げるためのもので、コンテナは荷物を入れるでっかい鉄の箱、貨物列車はレールの上を電気で走る車だよ。クレーンでコンテナごと持ち上げて、荷物を積み降ろしするんだ」
僕はあんまり詳しくない。言えるのはその程度だ。
「イント君、ちょっと工房いこっか。それ、親方に相談しよう」
「いや、親方も今引っ越しで忙しいし、そんな焦らなくても」
眉が少しつり上がって、表情がちょっと怖くなる。
「それ、ちょうど良いアイデアだよ? どうせ馬車を新しく作るんだったら、今ちゃんと考えて作らないと」
一理ある。一理あるが、これ以上仕事を増やすのはどうかと思う。
◇◆◇◆
「おー、これなら似たようなものを石工ギルドの現場で見たことあるぜ。石を積むのに使われてたな」
工房に顔を出すと、全部の炉に火が入り、耐えきれないほどの暑さになっていた。徒弟たちは全員汗だくで何らかの作業をしている。
一言で言えば、『忙しそう』だ。
そんな中でも、親方はすぐに出てきてくれた。ちょっと申し訳なくなる。
「そうなんですね。じゃあ、作れそうな職人さんを紹介くれませんか? 馬車の荷台を箱型にして、こういった機械で荷台ごと交換するものを考えているんです」
マイナ先生が早口で説明している。多分興奮しているのだろう。
「ふむ。うちは金属や溶錬水晶の工房だからな。軸受けぐらいなら作れるが、やっぱり本職は石工ギルドの木工職人たちじゃねぇか? 知り合いに何人かいるから、聞いといてやるよ」
石工ギルドは、建物や城壁、街壁など、建築系を司るギルドだ。ギルドは他にも冒険者ギルドや服飾ギルド、鍛冶屋ギルド、賢人ギルド、弁護士ギルド、行商人ギルドなどいろいろなギルドがあるが、魔物が跋扈する世界では、建築ほど重要なものもなかなかないだろう。
そのため、必然的に石工ギルドは強い権力を持つようになった。話が面白いように転がっていくが、なんか、仕事が増えそうな予感しかしない。
「それでお願いします」
「要件はそれだけか? コンストラクタ村に出発するまでに、王宮への納品をできるだけ進めときてぇんだ。用事が終わったならお引き取りいただけるとありがてえ」
ちなみに、親方が忙しくしているのは、望遠鏡のレンズと、羅針盤の磁針をこの工房だけで作っているのが主な原因だ。組立は他の工房に委託してるようだが、心臓部は情報漏洩を可能な限り防ぐためにこの工房で作業している。
塩もバカ売れしているが、望遠鏡や羅針盤も負けないくらいバカ売れしている。
親方の工房は売れない溶錬水晶に入れ込みすぎて、経営が傾いていたらしい。今は利益を折半していて、うちには今月分だけで金貨が千枚ほど上納されている。
つまり同額が親方の利益になっているはずで、金貨一枚で人一人が一年ぐらい生活できる価値だと考えれば、けっこうな金額だろう。実感はできないが。
親方側は他の工房で委託もしているので、配分的にどうなっているかまではわからないが、経営は立て直せたのだろうか?
「じゃ、僕らは帰ります。忙しいところ申し訳ありませんが、石工ギルドの件、お願いしますね」
去り際に僕が頭を下げると、親方は不敵にニヤリと笑う。
「大丈夫だ。坊ちゃんは今王都中の職人の噂になってんだぜ。気前の良いパトロンで、おまけに平民にも礼儀正しいってな。お近づきになりたい職人は山ほどいると思うぜ?」
そうなのか。悪評よりは嬉しいけれども、やっぱり仕事が増える予感しかしない。こちらの世界で、児童労働は許されているんだろうか?
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