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第二章『王都招聘と婚約』

61話 アモルファスとアマルガム

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 会議室を抜け出した僕らは、賢人ギルドに向かった。

 抜け出したのは4人。僕とマイナ先生の他には、義母さんとユニィがついてきている。

 ユニィについては、最初同行を断ろうとしたのだが、

「ずるい。私もマイナ先生の弟子なのです」

 と半泣きになって、強引についてきてしまった。泣くほうがズルいと思うが、まぁ仕方ないだろう。

 賢人ギルドは、落ち着いた雰囲気の建物だった。中に入るとホールに机と椅子がたくさん置かれていて、そこで人々が本を朗読していたり、何かの講義をしたり受けたりしている。

 僕らは受付で手続きを終わらせると、鍵を受け取って2階に向かう。マイナ先生は手慣れた様子で、指定された部屋の鍵を開け、僕らを迎え入れた。

 薄暗い室内には、すでにいくつかの道具と、紙と紐で封をされた壺が運び込まれている。

「今回は何をするのかしら? さらし粉?  水酸化ナトリウムと飛ぶ風船? とは違うようね」

 義母さんは僕が実験で作ったものを知っているようだ。道具を見回しながら首を捻っている。

「今回は温度を測る道具につながる実験と、さっき思いついた実験かな」

 僕は、馬車から抱えてきたミスリルの槍の包みを床に置く。布に包むとよろけそうなほど重く感じる。直接持つと軽く感じるのが意味不明で、なんとも不思議な金属だ。

「一応言われていたものは、そこの壺に用意してあるわ」

 僕は置かれていた壺の封を解き、中身を確認する。中身は銀色の液体金属、水銀だ。

「へぇ。水銀て同じ重さの金より高いのに、良くこんなに用意できたわね」

 そうなのか。前世ではそこまで高いものではなかった。教室で箒を振り回した奴がいて、蛍光灯が割れた時に中からコロコロと転がり出てきたのを見たことがある。昔は体温計なんかにも使われていたはずだ。

 つまり、一般庶民にも買える程度のものだったのだろう。

「え? 義母さん、なんで水銀を知ってるの?」

 義母さんは水銀の値段を知っていた。そしてそれが高いということは、珍しいということだ。

「え? なんでって、あなたも見たことあるでしょ?」

 義母さんは懐から指揮棒のような杖を取り出すと、目の前で振ってみせた。すると、空中に銀色の聖紋が浮かび上がる。

「ほら、水銀でできてるでしょ?」

 確かに、杖の先から糸のように細く水銀が空中に放出されていた。なぜか輝いていて、ものすごく幻想的だ。

「そ、そうだったのか……」

 思わぬ新事実である。聖紋神術ってそういう仕組みなのか。

「これがジェクティ様の聖紋神術の秘密……」

 ユニィの驚きからすると、一般的ではないかもしれない。そういえば、マイナ先生が神術を使う時、空中に聖紋はでていなかった。あれは声に出す聖言神術で、聖紋神術じゃないからかもしれないが。
 よく分からなくなってきた。

「で、この水銀は何に使うの?」

 義母さんの質問に、僕は温度の変化による体積の変化と、その理屈を説明する。

「へぇ。温かいとか冷たいが見てわかるようになるのね。で、それと曲がったミスリルの槍と何か関係あるの?」

「それはこの後にね」

 とりあえず、壁に二つある窓を目いっぱい開けると、部屋は急激に明るくなった。
 ここも窓にはガラスがはまっておらず、板で出来ている。換気はしやすいが、暗いのは平気なんだろうか?

 歴史の教科書に、正倉院にガラス杯が納められているという話が載っていた。納められたのは8世紀の奈良時代。シルクロードから伝来したものらしいが、つまりその時代にもガラスはあったのだ。ここにあってもおかしくない。
 もしあるのなら、いろいろと実験器具を作りたいが。

「ま、とりあえず今は実験しよう」

 実験は簡単なものだ。水銀式の温度計は、熱膨張で温度を測る。ガラス管があれば楽だが、なくても熱膨張の確認ぐらいはできるだろう。

 壺の内側の水面あたりに小さく傷をつける。基本はこれだけで、後はこれを暖めれば良い。

「じゃあ、これをゆっくり暖められる?」

 義母さんにお願いすると、すぐに空中に何やら聖紋を描きはじめる。

『インスタンス(小火)』

 水銀の壺がゆるゆると燃える。水銀は熱せられるにつれ、じりじりと水位を上げ、やがて壺の内側につけられた傷を隠していく。

「膨らむって言うから、もっと劇的かと思ってたけど、想像より地味ね」

 義母さんががっかりした様子で言う。

 僕も同意見だ。おじいちゃんの家で見た体温計はもっと劇的に上下した気がする。

「温度計って、絵に描ける?」

 だが、マイナ先生は興味津々だ。僕は用意してあった紙に、インクに浸した羽ペンで下手糞な絵を描く。

「なるほど、ここを水銀が上下するんだね?でも中が見えるって、ここは透明なの?」

 簡単な絵だけで、いろいろ読み取るマイナ先生すごい。

「うん。ガラスっていう素材だよ」

 答えると、マイナ先生は考え込んでいる。

「それはイント君に作れる?」

 手元に教科書を召喚してめくる。ガラスは化学の教科書にアモルファスの代表例として登場してくる。主成分は二酸化ケイ素で、石英を約2,000度で熱すると融解してできるらしい。

 うん。村の設備で2,000度は多分無理だ。

(天使さん? ガラスって2,000度もいるの?)

 久々に自称天使さんに泣きついてみる。

『アモルファスは結晶ではないので、融点は一定ではないのであるな。炭酸ナトリウムや石灰、炭酸カリウムなんかを添加すると融点は下がるのである』

 久々に自称天使さんが出現した。教科書のページ再びパラパラとめくられる。

(石灰は建材として普通に流通してたし、炭酸カリウムは植物の灰からとれた。残るは炭酸ナトリウムだけど、あれはいったいどうやって作るんだろ?)

 考えただけで伝わるのは便利だ。手に持った指棒で、教科書を指してくる。水酸化ナトリウムの潮解と風解について解説したページだが、よくわからない。こんなの習ったっけか。

『炭酸ナトリウムは、水酸化ナトリウムと二酸化炭素を反応させるのであるな』

 自称天使の説明はよくわかる。ふむ、ガラスを自力で作る、か。なそれも面白いかもしれない。

「どうしたの?」

 長考モードに入った僕に、マイナ先生が声をかけてくる。

「いや、他の素材はなんとかなりそうだけど、砂がないから無理かなって」

 僕は二酸化ケイ素をどうするか考えていたので、それをそのまま口に出す。

「砂? なんか特殊な砂なの?」

「さっき花崗岩の話をしてたと思うけど、多分その中に含まれている石英が砂になったものが良いと思うんだけど」

「石英?」

『ちなみにであるが、石英と水晶は同じものであるな。石英が結晶の形になったものが水晶なのである』

 おっと。花崗岩に水晶は含まれてたか。さっきマイナ先生が言っていたのは正しかったわけだ。

「あ~、小さい水晶の事だよ」

「ああ、それなら、水晶浜ってところがナログ共和国にあるわね。有名なリゾート地なんだけど、あそこは神術が使いにくいらしいから、多分間違いないわ」

 義母さんがいうナログ共和国は、国交が回復していない国である。また難しい。

「じゃあ、しばらくは無理かな」

 マイナ先生は一生懸命メモを取っていた。そんなに参考になるような話ではなさそうな気もするけど。

 気がつくと、壺の内側の傷はすべて見えなくなっていた。膨張の実験はうまくいったらしい。

 改めて、壺の内側に現在の水位の位置に傷をつける。これでどれくらい膨張したかの目安にはなるだろう。

「あ、義母さん、火を止めてもらえる?」

 僕がお願いすると、すぐに神術の火は消える。器用なものだ。

 ふと視線を感じて、そちらを見るとユニィが目をまんまるにしてこちらを見ていた。

「と、いうわけで、次の実験だけど……。どうしたの? ユニィ」

 僕はミスリルの槍を手に取りながら、ユニィに声をかける。

 槍は柄も含めて総ミスリル造りになっている。これだけでもミスリルの地金として充分な量になるだろう。

「さっきから、どうしてイー君が教えているのです? あべこべなのです」

 おっと。そう言えば忘れていた。ユニィはまだ何も知らないんだっけか。

「今、前に教えてもらった内容を理解しているかのテストを受けてるんだよ」

 僕は適当に誤魔化す。

「むぅ。なんかイー君が大人みたいになったのです」

 僕は槍の穂先を水銀に差し込む。少しだけ、押し返されるような浮力を感じる。なるほど、ミスリルの比重は水銀より軽いのか。

「そうかな?」

 そのまま、グリグリと槍で水銀をかき混ぜる。

「口がうまくなった気がするのです」

 かき混ぜすぎて水銀をこぼさないように、注意がしないといけない。

「僕も婚約するんだから、しっかりしないとね!」

 ユニィは勘が鈍い。このまま押し切れるはずだ。

「むむむ。そんな大人っぽいイー君、ちょっとずるいのです」

 壺から槍を引き抜く。

「「えええええ!?」」

 引き抜いた槍を見て、義母さんとマイナ先生がびっくりしていた。

 水銀から引き抜いた槍の穂先は、刃こぼれだらけになって刃先もちょっと欠けていた。

「お? 溶けた。これはいけそう?」

 僕もちょっとテンションが上がる。水銀は色んな金属と常温で反応して、アマルガムという合金を作るのだ。

 ミスリルは前世の教科書には載っていない金属なので、水銀と反応するかどうかは未知数だったが、どうやらうまくいったらしい。

「それ、ミスリル、なのよ? な、なんでそんな簡単に溶けてるのよっ?」

 義母さんが震える手で指さしてくる。そんなこと言われても、実際溶けたんだから仕方がない。

 再び槍を突き刺して撹拌に戻る。

「水銀にはいろんな金属が溶けるんだよ。鉄とか、溶けないのもあるけど」

 これが溶けるなら、あとは簡単だ。

「へええぇぇぇ。『神の銀』なのに溶けるんだ。面白~い」

 義母さんは楽しそうにしている。

 また槍を引っこ抜くが、まだ原型をとどめている。細かく砕いてから入れたほうが早く溶けそうだけど、そもそも槍を細かく砕けるなら、武器として成立しない。気長に混ぜるしかなさそうだ。

「イント、ものの試しになんだけどさ。この水銀に霊力流してみて良い?」

 義母さんはもう短い杖を取り出している。

「良いよ。てか、義母さんだったらこの槍切断して、こないだの石鹸作る時みたいに撹拌できる?」

 どこまでいっても槍は武器だ。ミスリルを神術で切断出来たら、武器としてどうかと思う。だから言ってみただけだ。

「それは面白そうね。ちょっと手を止めてみて」

 冗談だったけど、義母さんは乗り気になっている。僕は言われたとおりに手を止める。

「これは父さんたちの方が得意なやつだけど……」

 杖から水銀の糸が垂れて、するすると壺の中におりていく。しばらくすると、水銀の水面が不規則にゆらゆら揺れはじめる。

「ん? これ、普通の水銀より霊力の通りが良いかも?」

 次の瞬間、槍を持った手に重たい衝撃が走る。身体ごと持っていかれて、僕は槍を持ったまま地面に倒れ込んだ。

「ああ、ちゃんと霊力を抜きなさいよ。斬れなかったじゃない!」

 空中にきらめく刃が浮いている。どうやら水銀で出来ているらしい。

「いや、びっくりした……」

 抱えた槍を見ると、穂先が3分の1ほど切断されている。いや、これ僕の身体に当たってたら死んでたんじゃ……

「あれくらいで倒れるなんて軟弱ね。ちょっと槍貸して?」

 義母さんに渡した途端、包丁でキュウリを切るようにサクサクと槍が薄い輪切りにされていく。

 一応、仙術士の切り札的な武器と聞いていたのに、こんな簡単に輪切りにされて良いのだろうか?

「どれくらい入れる?」

 義母さんは、料理しているような手つきで聞いてくる。水銀は壺の中で、ものすごい勢いでグルグルと渦巻いている。

「あ、もうその辺で」

 異世界ってすごい。これだけの事ができるのに、何で産業革命が起きていないんだろう。そんなことを考えながら、僕は義母さんにストップをかけた。
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