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第一章『死の谷』
4話 筋肉と電気
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目を開けると、木の板で出来た天井が目に入った。
天井の所々で、樹液でできたつららのようなものがぶら下がっている。
壁に設けられた明り取りの窓の板は全開になっていて、部屋は明るく、風通しも良い。しかし、なぜかカビと尿の臭いがした。
「自分の部屋、か」
今日はちゃんと目覚められた事にホッとしつつ、部屋を見回す。
家具は、僕が今寝ているベッドと、引出が一つだけの小さな机、あとは腰ぐらいまでの高さの小さなタンスがあるだけだ。タンスの上だけ小物がいろいろ置かれて少しごちゃついているが、物自体はかなり少ない。
2年前にこの部屋を与えられてから、風景はほとんど変わっていないのではなかろうか。
だが、今朝は少し違和感を感じる。天井に電灯がなく、窓にガラスがはまっていないのはどうしてだろうか?
コンコン、ガコッ
寝起きでぼんやりしていると、唐突に部屋の扉がノックされ、返事を待たずに扉が開かれる。
「ああ、坊ちゃま。目を覚まされましたか。昨日はご活躍だったそうですねぇ」
入って来たのはメイドのアンだった。小太りのおばさんで、僕が生まれる前から我が家で働いてくれている。
「おはよう、アン。みんなは無事?」
「はい。イント様と、リナ様が軽傷で、イント様が助けたマイナ様は魔狼の即死攻撃を受けておられたので、大事を取って治療院に入っておられますが、お元気だそうですよ。他の方は全員無事です」
「はぁぁぁ。良かったぁ…」
人間、ホッとするとため息がでる。だからホッとすると言うのかもしれない。
ちなみに、イントというのは僕のことだ。下級貴族のコンストラクタ男爵家の嫡男で、今は8歳にである。
リナというのは馬車の残骸から助けた妹の愛称で、本名はストリナ。今は6歳だ。
マイナ様というのはよく知らないけど、多分僕を助けてくれた美少女さんの事だろう。
心肺蘇生の時に唇を奪ってしまったけど、この世界では医療行為として認めてもらえるだろうか?可能なら子どものしたことだと笑って許してもらいたい。
「おや? 顔が赤いですね。どこかお加減が?」
僕が唇のやわらかい感触を思い出して赤くなっていると、何を勘違いしたのか、アンが体調を心配してくれた。
「違うよ。それよりお腹空いた。ごはんある?」
こんなところを見られるのは、ものすごく照れくさい。
「ええ。ご用意してますよ。温め直してきますので、着替えたら降りてきてください」
そう言ってアンは部屋を出て行った。
アンが出て行った後、窓から外の景色を見てみる。この領主の館は、コンストラクタ男爵領の村を見下ろす斜面に建っているので、領地が良く見えるのだ。
山奥の村なので、人口はそんなにいない。去年300人目の村人が生まれたお祝いをしたので、多分それくらいだろう。
村の中央を流れる川を挟むように段々畑が作られ、それより上に家がある。
この村で特筆すべき事と言えば、村の住人の半数が元軍人や冒険者だということぐらいか。この村は国境に面する位置にあり、さらに魔物が多く集まるという『死の谷』にも近いため、腕っぷしが求められるらしい。父上も冒険者や軍人の経験があるらしいので、多分そういう土地柄なのだろう。
僕も近くのシーゲンという辺境の街に行ったことがある程度で良く知らないが、とんでもない田舎だと思う。
「うん。ちゃんとわかるな。大丈夫」
昨日はイントとしての記憶をあんまり思い出せなかったが、今は混乱する事なく思い出せるようになった。これが自称天使の言っていた「馴染む」ということなのだろう。
一通り記憶を確認してから、普段着の貫頭衣に着替えた。手触りは良いが荒い麻っぽい繊維でできたベージュの服で、腰に細い帯を結ぶ。その帯に剣などを吊るすのがこちらの世界風の服装だ。
僕にも一応短剣が与えられているが、重くて疲れるのでほとんど持ち歩いてこなかった。ただ、昨日の事を考えると持ち歩く方が良いだろう。
タンスの上に置かれた短剣を取って帯につけると、やっぱり小さな体には重い。
「あれ? これ……」
タンスの上は色々ごちゃついているが、その中に一冊の本が紛れ込んでいた。表紙には日本語で『保健』と書いてある。昨日、自称天使に願って出してもらった教科書だ。誰かが持って帰ってきてくれたのだろうか?
「まぁ良いか」
教科書の確認は後回しにして、部屋を出る。ちょっと回り道をしながら階下の食堂に降りていく。この館は元々砦なので、その気になれば村人全員を収容できる作りだ。だが、今住んでいるのは家族4人と家臣2人だけなので、部屋が多くて食堂までが遠い。
「おにいちゃああああん!」
食堂の扉を開けると、ストリナが泣きながら飛びついてきた。どうやら心配してくれていたらしい。抱きとめて、背中を叩いてやる。
「おはようリナ。怪我は大丈夫?」
「うん。だいじょぶ、ありがとぅぅぅ!」
ストリナは僕と同じく、全身に擦り傷がたくさんあって全身にカサブタがあったが、飛びついてこれるぐらいだから、もう大丈夫そうだ。
食堂の奥には、革の鎧で身を固めた両親が座っている。昨日あれだけのことがあって完全に無傷というのも驚きだけど、何より二人とも美男美女で驚く。
昨日まではそんな事を思ったことはなかったのに、不思議なものだ。
「おはよう、イント。ご飯を食べたら、ちょっと昨日の話を聞かせてくれ」
昨日はわからなくなっていたが、ストリナの救助を僕に言いつけたのは父上だったらしい。名前はヴォイド・コンストラクタ。この村の領主で男爵位を持つ下級貴族だ。
そして、昨日神術という謎の術で狼を焼き払っていたのは義母さんだ。名前はジェクティ・コンストラクタ。僕の本当の母親の双子の妹で、リナの実母だ。
「おはようございます父上。何でも聞いてください」
丁寧に返すと、父上がギョッとしたのがわかった。何かミスっただろうか?
「お待たせしました。どうぞ」
アンが暖かそうなスープと、赤黒い腸詰、硬そうな丸パンを切り分けたものを運んできた。空腹感が激しいので、何か言いたそうな父上を放置してスプーンを手に取って食べてみる。
スープの第一印象は「薄い」というものだった。野菜と肉の風味はあるが、味付けは多分甘い何かが少し加えられた程度で、質素なものだ。
腸詰はレバーを何倍も濃くしたような独自の強い臭みが口いっぱいに広がって、正直苦手な味だった。食べなければ怒られるので、いつも無理矢理飲み込んでいる。何でも、この国の人が多くかかる風土病の予防になると信じられているらしい。
パンは、何をどうしたらそうなるのかわからないほど硬い。表面だけじゃなく、中までカチカチで、持った感じもかなり重い。これはスープに浸けて柔らかくして食べるものだが、それにしてもあまりおいしくない。
総じて、食べられないほどではないが、味はイマイチだ。空腹状態でこれなら、お腹が空いていない時にはあまり食べられたものではないかもしれない。
「ごちそうさまでした」
待たれていた雰囲気だったので、急いで食べて、父上に向き直る。
「それで、何を話したら良いですか?」
まだ感覚がなれていないので、ちょっと丁寧に喋ってしまう。元々言葉遣いを気にするタイプではないのだが、今の父上にはちょっと威圧感がある。
「あ、ああ、昨日どうやってあの子、マイナさんを蘇生させたのかと思ってな。魔狼の即死攻撃で心臓が止まった人間を蘇生させるには、その場でかなり高度な神術を使う必要があるはずなんだが、イントは使えないはずだろう?」
確かさっきアンも「即死攻撃」って言っていたっけ。いかにもファンタジーな解釈だけど、僕の解釈はちょっと違う。あの時、狼から放電音が聞こえていたことから考えて、「即死攻撃」の正体は電気だろう。
筋肉は電気信号で動くから、筋肉で出来てる心臓は外部からの電気刺激で止められる。そして、それだけなら教科書に載っているごく普通の心肺蘇生で蘇生可能だ。
「まだ死んでなかったから、普通に心肺蘇生しただけだよ? 電気で心臓が止められたから外から押して動かして、呼吸が止まっていたから口から息を吹き込んで人工呼吸しただけ。神術は使ってないよ」
神術というのが何かあまり知らないけど、多分昨晩狼を燃やしていたのがそれだろう。ラノベの魔術みたいなものと考えれば、物理でごり押しする心肺蘇生法は全然違うもののはずだ。
だけど父上も義母さんも納得していない顔をしていた。もしや心肺蘇生を知らないのだろうか?
「死んでいなかったというのはおかしいわね。マイナさんの心臓が止まっていたのはマイナさんの母親であるターナさんが確認していたし、現場にいた人たちはイントが光っていたって言ってる。意識を失ったのだって霊力の使いすぎよね?」
義母さんが話に入ってくるが、何だか話が噛み合わない。だが、あの灯りが霊力という力を使ったもので、使いすぎると気を失うことだけは分かった。
「心臓が止まったからってすぐ死ぬわけじゃないよね? 光っていたのは、単に暗かったからだよ」
自称天使に、あんな全身が光る状態にされると思わなかったけど。多分あれは、契約の細部が決まってなかった事を逆手に取った僕に対する意趣返しだろう。
「つまり、光ることは出来たと言う事ね? あなたにはまだ神術を使うための聖言も教えてなかったはずなんだけど」
ちゃんと説明すべきだろうか。もううまい言い訳を考える余裕もない。
「それが、なんかリナを助けようとした時に、変な小人さんに話しかけられたんだ。暗くてリナが見えないから灯りが欲しいって言ったら、出してくれたんだよ」
正直に言うと、義母さんは驚いた顔をしていた。
「え? それって、もしかして姉さんと同じ?」
義母さんの呟きが聞こえて、ちょっとホッとする。つまり、小人が話しかけてくるのはない事ではないらしい。危ない幻覚の類かと、ちょっと不安だったから助かる。
「じゃあイント、今灯りを出すことはできるか?」
父上が聞いてくるが、そういえばあの契約はいつまで有効なんだろうか?
「天使さん天使さん、今灯りって出せる?」
どこにいるかわからないので、宙に向けて聞いてみる。
『汝は欲深いであるな。なんで吾輩が汝の言うことを聞かないといけないのであるか?』
案の定、声だけで返事が返ってくる。どうやら自称天使さんの言葉は父上たちには聞こえていないらしい。
「だって、いつまでって約束はしてないでしょ?」
『むう。これだから欲深い人間は油断ならんのであるな。面倒なので、汝の前世の言葉で”灯りあれ”と言えば灯りを出すのである。消すときは”消灯”とでもするのであるな』
「ありがとう。”灯りあれ”」
案外天使さんはチョロかった。早速決められた言葉を唱えると、日中でもわかる光の玉が現れた。けっこう明るい。
「おい、今の言葉は何だ?」
言われて、自分が前世の言葉で喋っていた事に気がつく。父上はその言葉が何だかわからなかったらしい。
「少なくとも聖言ではないわね。でも神術はちゃんと発動してる。どういう事かしら」
灯りが出たこと自体に驚いた様子はない。
「その小人さんは、他に何か言ってなかったか?」
父親が身を乗り出して聞いてくる。
「えっと。願い事を叶えてくれるって。一つ目はレイスから僕を助ける事で、二つ目は灯り、三つ目は僕を助けてくれたお姉さんの助け方とかかな。願い事は3つで全部だから、もうこれ以上願い事は叶えてくれないみたい」
どうやら義母さんは納得したらしい。盛んに頷いている。
「それは多分高位の聖霊でしょうね。姉さんも昔会った事があるって言ってたし。でも、願い事を使い切ったのはもったいないわね。うまく契約すれば、すごい聖霊神術士になれたのだけど」
義母さんの言葉を聞いてちょっと後悔の念が浮かんでくる。これが噂に聞く異世界転生の『チート』というやつだったのではなかろうか。こんな簡単なことで無駄遣いしてしまったのは痛い。
「なるほど。『天使』級というやつか。となると、その心肺蘇生法というのは本当の事なのかもしれんな。あの『即死攻撃』は厄介で、この10年で村の者が30人以上殺されてるから、神術を使わない蘇生法があるのなら、ありがたい話ではあるな」
本人も叡智の天使と言っていたし、それで間違いないだろう。外見は胡散臭かったが。
それから僕は改めて心肺蘇生の方法を説明させられた。その過程で心臓や肺、筋肉の説明をするとなぜか驚かれたが、やっぱり8歳が知っているのはおかしかっただろうか。
よく考えると8歳は小学2年生ぐらいだもんなぁ…。
天井の所々で、樹液でできたつららのようなものがぶら下がっている。
壁に設けられた明り取りの窓の板は全開になっていて、部屋は明るく、風通しも良い。しかし、なぜかカビと尿の臭いがした。
「自分の部屋、か」
今日はちゃんと目覚められた事にホッとしつつ、部屋を見回す。
家具は、僕が今寝ているベッドと、引出が一つだけの小さな机、あとは腰ぐらいまでの高さの小さなタンスがあるだけだ。タンスの上だけ小物がいろいろ置かれて少しごちゃついているが、物自体はかなり少ない。
2年前にこの部屋を与えられてから、風景はほとんど変わっていないのではなかろうか。
だが、今朝は少し違和感を感じる。天井に電灯がなく、窓にガラスがはまっていないのはどうしてだろうか?
コンコン、ガコッ
寝起きでぼんやりしていると、唐突に部屋の扉がノックされ、返事を待たずに扉が開かれる。
「ああ、坊ちゃま。目を覚まされましたか。昨日はご活躍だったそうですねぇ」
入って来たのはメイドのアンだった。小太りのおばさんで、僕が生まれる前から我が家で働いてくれている。
「おはよう、アン。みんなは無事?」
「はい。イント様と、リナ様が軽傷で、イント様が助けたマイナ様は魔狼の即死攻撃を受けておられたので、大事を取って治療院に入っておられますが、お元気だそうですよ。他の方は全員無事です」
「はぁぁぁ。良かったぁ…」
人間、ホッとするとため息がでる。だからホッとすると言うのかもしれない。
ちなみに、イントというのは僕のことだ。下級貴族のコンストラクタ男爵家の嫡男で、今は8歳にである。
リナというのは馬車の残骸から助けた妹の愛称で、本名はストリナ。今は6歳だ。
マイナ様というのはよく知らないけど、多分僕を助けてくれた美少女さんの事だろう。
心肺蘇生の時に唇を奪ってしまったけど、この世界では医療行為として認めてもらえるだろうか?可能なら子どものしたことだと笑って許してもらいたい。
「おや? 顔が赤いですね。どこかお加減が?」
僕が唇のやわらかい感触を思い出して赤くなっていると、何を勘違いしたのか、アンが体調を心配してくれた。
「違うよ。それよりお腹空いた。ごはんある?」
こんなところを見られるのは、ものすごく照れくさい。
「ええ。ご用意してますよ。温め直してきますので、着替えたら降りてきてください」
そう言ってアンは部屋を出て行った。
アンが出て行った後、窓から外の景色を見てみる。この領主の館は、コンストラクタ男爵領の村を見下ろす斜面に建っているので、領地が良く見えるのだ。
山奥の村なので、人口はそんなにいない。去年300人目の村人が生まれたお祝いをしたので、多分それくらいだろう。
村の中央を流れる川を挟むように段々畑が作られ、それより上に家がある。
この村で特筆すべき事と言えば、村の住人の半数が元軍人や冒険者だということぐらいか。この村は国境に面する位置にあり、さらに魔物が多く集まるという『死の谷』にも近いため、腕っぷしが求められるらしい。父上も冒険者や軍人の経験があるらしいので、多分そういう土地柄なのだろう。
僕も近くのシーゲンという辺境の街に行ったことがある程度で良く知らないが、とんでもない田舎だと思う。
「うん。ちゃんとわかるな。大丈夫」
昨日はイントとしての記憶をあんまり思い出せなかったが、今は混乱する事なく思い出せるようになった。これが自称天使の言っていた「馴染む」ということなのだろう。
一通り記憶を確認してから、普段着の貫頭衣に着替えた。手触りは良いが荒い麻っぽい繊維でできたベージュの服で、腰に細い帯を結ぶ。その帯に剣などを吊るすのがこちらの世界風の服装だ。
僕にも一応短剣が与えられているが、重くて疲れるのでほとんど持ち歩いてこなかった。ただ、昨日の事を考えると持ち歩く方が良いだろう。
タンスの上に置かれた短剣を取って帯につけると、やっぱり小さな体には重い。
「あれ? これ……」
タンスの上は色々ごちゃついているが、その中に一冊の本が紛れ込んでいた。表紙には日本語で『保健』と書いてある。昨日、自称天使に願って出してもらった教科書だ。誰かが持って帰ってきてくれたのだろうか?
「まぁ良いか」
教科書の確認は後回しにして、部屋を出る。ちょっと回り道をしながら階下の食堂に降りていく。この館は元々砦なので、その気になれば村人全員を収容できる作りだ。だが、今住んでいるのは家族4人と家臣2人だけなので、部屋が多くて食堂までが遠い。
「おにいちゃああああん!」
食堂の扉を開けると、ストリナが泣きながら飛びついてきた。どうやら心配してくれていたらしい。抱きとめて、背中を叩いてやる。
「おはようリナ。怪我は大丈夫?」
「うん。だいじょぶ、ありがとぅぅぅ!」
ストリナは僕と同じく、全身に擦り傷がたくさんあって全身にカサブタがあったが、飛びついてこれるぐらいだから、もう大丈夫そうだ。
食堂の奥には、革の鎧で身を固めた両親が座っている。昨日あれだけのことがあって完全に無傷というのも驚きだけど、何より二人とも美男美女で驚く。
昨日まではそんな事を思ったことはなかったのに、不思議なものだ。
「おはよう、イント。ご飯を食べたら、ちょっと昨日の話を聞かせてくれ」
昨日はわからなくなっていたが、ストリナの救助を僕に言いつけたのは父上だったらしい。名前はヴォイド・コンストラクタ。この村の領主で男爵位を持つ下級貴族だ。
そして、昨日神術という謎の術で狼を焼き払っていたのは義母さんだ。名前はジェクティ・コンストラクタ。僕の本当の母親の双子の妹で、リナの実母だ。
「おはようございます父上。何でも聞いてください」
丁寧に返すと、父上がギョッとしたのがわかった。何かミスっただろうか?
「お待たせしました。どうぞ」
アンが暖かそうなスープと、赤黒い腸詰、硬そうな丸パンを切り分けたものを運んできた。空腹感が激しいので、何か言いたそうな父上を放置してスプーンを手に取って食べてみる。
スープの第一印象は「薄い」というものだった。野菜と肉の風味はあるが、味付けは多分甘い何かが少し加えられた程度で、質素なものだ。
腸詰はレバーを何倍も濃くしたような独自の強い臭みが口いっぱいに広がって、正直苦手な味だった。食べなければ怒られるので、いつも無理矢理飲み込んでいる。何でも、この国の人が多くかかる風土病の予防になると信じられているらしい。
パンは、何をどうしたらそうなるのかわからないほど硬い。表面だけじゃなく、中までカチカチで、持った感じもかなり重い。これはスープに浸けて柔らかくして食べるものだが、それにしてもあまりおいしくない。
総じて、食べられないほどではないが、味はイマイチだ。空腹状態でこれなら、お腹が空いていない時にはあまり食べられたものではないかもしれない。
「ごちそうさまでした」
待たれていた雰囲気だったので、急いで食べて、父上に向き直る。
「それで、何を話したら良いですか?」
まだ感覚がなれていないので、ちょっと丁寧に喋ってしまう。元々言葉遣いを気にするタイプではないのだが、今の父上にはちょっと威圧感がある。
「あ、ああ、昨日どうやってあの子、マイナさんを蘇生させたのかと思ってな。魔狼の即死攻撃で心臓が止まった人間を蘇生させるには、その場でかなり高度な神術を使う必要があるはずなんだが、イントは使えないはずだろう?」
確かさっきアンも「即死攻撃」って言っていたっけ。いかにもファンタジーな解釈だけど、僕の解釈はちょっと違う。あの時、狼から放電音が聞こえていたことから考えて、「即死攻撃」の正体は電気だろう。
筋肉は電気信号で動くから、筋肉で出来てる心臓は外部からの電気刺激で止められる。そして、それだけなら教科書に載っているごく普通の心肺蘇生で蘇生可能だ。
「まだ死んでなかったから、普通に心肺蘇生しただけだよ? 電気で心臓が止められたから外から押して動かして、呼吸が止まっていたから口から息を吹き込んで人工呼吸しただけ。神術は使ってないよ」
神術というのが何かあまり知らないけど、多分昨晩狼を燃やしていたのがそれだろう。ラノベの魔術みたいなものと考えれば、物理でごり押しする心肺蘇生法は全然違うもののはずだ。
だけど父上も義母さんも納得していない顔をしていた。もしや心肺蘇生を知らないのだろうか?
「死んでいなかったというのはおかしいわね。マイナさんの心臓が止まっていたのはマイナさんの母親であるターナさんが確認していたし、現場にいた人たちはイントが光っていたって言ってる。意識を失ったのだって霊力の使いすぎよね?」
義母さんが話に入ってくるが、何だか話が噛み合わない。だが、あの灯りが霊力という力を使ったもので、使いすぎると気を失うことだけは分かった。
「心臓が止まったからってすぐ死ぬわけじゃないよね? 光っていたのは、単に暗かったからだよ」
自称天使に、あんな全身が光る状態にされると思わなかったけど。多分あれは、契約の細部が決まってなかった事を逆手に取った僕に対する意趣返しだろう。
「つまり、光ることは出来たと言う事ね? あなたにはまだ神術を使うための聖言も教えてなかったはずなんだけど」
ちゃんと説明すべきだろうか。もううまい言い訳を考える余裕もない。
「それが、なんかリナを助けようとした時に、変な小人さんに話しかけられたんだ。暗くてリナが見えないから灯りが欲しいって言ったら、出してくれたんだよ」
正直に言うと、義母さんは驚いた顔をしていた。
「え? それって、もしかして姉さんと同じ?」
義母さんの呟きが聞こえて、ちょっとホッとする。つまり、小人が話しかけてくるのはない事ではないらしい。危ない幻覚の類かと、ちょっと不安だったから助かる。
「じゃあイント、今灯りを出すことはできるか?」
父上が聞いてくるが、そういえばあの契約はいつまで有効なんだろうか?
「天使さん天使さん、今灯りって出せる?」
どこにいるかわからないので、宙に向けて聞いてみる。
『汝は欲深いであるな。なんで吾輩が汝の言うことを聞かないといけないのであるか?』
案の定、声だけで返事が返ってくる。どうやら自称天使さんの言葉は父上たちには聞こえていないらしい。
「だって、いつまでって約束はしてないでしょ?」
『むう。これだから欲深い人間は油断ならんのであるな。面倒なので、汝の前世の言葉で”灯りあれ”と言えば灯りを出すのである。消すときは”消灯”とでもするのであるな』
「ありがとう。”灯りあれ”」
案外天使さんはチョロかった。早速決められた言葉を唱えると、日中でもわかる光の玉が現れた。けっこう明るい。
「おい、今の言葉は何だ?」
言われて、自分が前世の言葉で喋っていた事に気がつく。父上はその言葉が何だかわからなかったらしい。
「少なくとも聖言ではないわね。でも神術はちゃんと発動してる。どういう事かしら」
灯りが出たこと自体に驚いた様子はない。
「その小人さんは、他に何か言ってなかったか?」
父親が身を乗り出して聞いてくる。
「えっと。願い事を叶えてくれるって。一つ目はレイスから僕を助ける事で、二つ目は灯り、三つ目は僕を助けてくれたお姉さんの助け方とかかな。願い事は3つで全部だから、もうこれ以上願い事は叶えてくれないみたい」
どうやら義母さんは納得したらしい。盛んに頷いている。
「それは多分高位の聖霊でしょうね。姉さんも昔会った事があるって言ってたし。でも、願い事を使い切ったのはもったいないわね。うまく契約すれば、すごい聖霊神術士になれたのだけど」
義母さんの言葉を聞いてちょっと後悔の念が浮かんでくる。これが噂に聞く異世界転生の『チート』というやつだったのではなかろうか。こんな簡単なことで無駄遣いしてしまったのは痛い。
「なるほど。『天使』級というやつか。となると、その心肺蘇生法というのは本当の事なのかもしれんな。あの『即死攻撃』は厄介で、この10年で村の者が30人以上殺されてるから、神術を使わない蘇生法があるのなら、ありがたい話ではあるな」
本人も叡智の天使と言っていたし、それで間違いないだろう。外見は胡散臭かったが。
それから僕は改めて心肺蘇生の方法を説明させられた。その過程で心臓や肺、筋肉の説明をするとなぜか驚かれたが、やっぱり8歳が知っているのはおかしかっただろうか。
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