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第5章 終わりの約束を

9 後悔しても

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 セラス母さんは、どうして泣いたんだ?
 僕の左目がダメになったから? 母さんに相談せずに勝手なことをして、レンファに迷惑をかけたから?
 自分のことを大事にできないバカは、この世のどんなゴミクズよりもゴミだから?
 全部――かな。
 じゃあ、どうして泣くのか考えなくちゃ。

 例えば僕が死んでしまったとして、それが母さんにどう関わるのか。
 僕は本当の息子じゃないし、まだたったのひと月半しか一緒に居ないけど。それでもセラス母さんはいつも優しくて、たくさんのことを教えてくれて――僕をすごく大事にしてくれた。まるで、村の母さんがジェフリーを見るみたいに。

 ええと、人に迷惑をかけてしまった時や怒らせてしまった時は、一度逆の立場になって考えてみれば良いって教わったな。
 つまり、セラス母さんが僕の知らないところで――何も言わずに死ぬほど危ないことをしたらって、考えれば良い? その時、僕はどう思うだろう。

 どうしてそんな危ないことをするんだって、思うかな。何かすごい、人のためになるような――仕方がないような理由があったとして、僕は「じゃあ仕方がないね」って言えるのかな?
 潰れた牛は二度と動かない。例え似たような牛が他に居ても、全く同じ牛は居ない。二度と会えない。
 セラス母さんだってそうだ、死んだら終わり。はないし、会えない、動かない、話せない。
 その時、僕はまた次の母さんを探すのか? 村の母さんみたいに、セラス母さんまでなかったことにするのか?

 ――なかったことになんか、できる訳がない。
 だって、僕を助けてくれたのは。拾って、ケガの手当てをしてくれたのは。美味しいごはんをたくさんくれて、ホースを教えてくれて、命と、心を教えてくれたのは、全部セラス母さんだ。
 母さんが僕に何の相談もなしに死んだとして、それを今までみたいに「仕方ない」で誤魔化すなんて、できそうにない。

 せめて、何か言ってくれれば。危ないことをしなくちゃいけない理由を話して、どうしてもしたいんだって話してくれていたら。そうすればまだ、心が救われるのに。
 そんな状態で「でも結局、死ななかったから平気よ」なんてケロッとされたら、僕は母さんを怒る? それとも――。

「ゔうぅうゔうぅ゛ッ……ごめんなざい……っ!」

 僕はボロボロ泣いた。ケガが痛い時以外で泣いたのなんて、一体いつぶりだろう。
 なんだか、想像しただけですごく辛かった。だって、僕に何も言わずにそんな事をするって――すごく、のけ者にされているみたいな感じがしたんだ。

 僕に言ったって仕方がない。どうせ分かってもらえないから、話すのが面倒だから何も言わないって、すごく悲しいし寂しいことだ。そんなので死なれても「ケガしたけど平気だった」って言われても、ひとつも納得できない。
 そういうのってたぶん〝家族〟じゃないんだ。まるでセラス母さんの中に僕が居ないみたい。
 僕はセラス母さんに、こんなにも酷いことをしてしまったんだ。レンファの言った通り、自分のことを大事にできないバカはこの世のどんなゴミクズよりもゴミだ。

 僕はもうどうしたら良いのか分からなくなって、大声を上げて泣いた。セラス母さんもまだ泣いていたけど、それでも泣きながら僕を抱き締めてくれた。
 僕たちは何も言わずにただ泣いて、冷えたごはんにも手を付けずにしばらく抱き合っていた。


 ◆


「――たぶん、アレクはもう理解していると思うから……いちいち怒らないわよ。思えば私、のことを教えていなかったんだもの。アレクの命を粗末にされたら、私が悲しむってことを――あなたが今まで村でどんな扱いをされていたか、今どんな心理状態に居るのか、分かっているつもりになっていたのね」

 ようやく涙が収まって、セラス母さんは鼻が詰まったような声でそう言った。僕は隣でしゃくり上げながら、また「ごめんなさい」って何度も頷いた。
 セラス母さんは無理やりに笑って「ごはんを温め直すから待ちなさい」って言ってくれる。そうして窯に火を入れ直す背中を見ていると、母さんがぽつりぽつりと話し始めた。

「アレク。私、前に話したわよね。何でもできる妹が居たけど、彼女が好きだった男は今も私に惚れているから「ざまあみろ」って思ったって」
「……うん」
「別に、声に出した訳じゃないのよ。でもね、確実に顔と態度には出ていたと思うの――だって、私は何をしても妹以下で、しかも病気して子供を産めない体になった。両親は揃って私のことを「出来損ない」「不出来な姉」と呼んだわ。人に娘を紹介する時だって、いつも妹のことばかり。ようやく私の名を出したかと思えば「セラスも見習えば良いのに」「とても姉妹とは思えない」なんて、妹の引き立て役にされたものよ」
「でも妹が好きだった人は、フデキなデキソコナイのセラス母さんを選んだんだね」
「ええ、そうよ。だけど、何か1つくらい私にくれても良いと思わない? 別に、私が無理やりに奪った訳でもないし――まあ、私も好きだったからまんざらでもなかったけど。もしあの人が妹を選ぶなら、黙って祝福するつもりだったわ。ただ、向こうも私のことをどうしようもなく好きになっていただけの話。妹は他にも色んなものを持っているし、男1人くらいどうってことないじゃない? 世界に1人しか男が居ない訳じゃないもの」

 どうして今セラス母さんがこんな話をするのか分からないけど、僕は鼻をすすって「そうだね」って答える。
 窯に火をつけ終わると、母さんが振り返った。母さんはさっきみたいにくしゃくしゃの顔はしていなかったけど、またポロポロ泣いている。鼻声でも普通に喋っているように見えたから、僕はすごくびっくりした。

「でも、妹ね――私が「ざまあみろ」って思った、その後すぐに死んだのよ」
「えっ」
「病気でも事故でもない、自分で自分を殺したの。ただ、私に初めてのが悔しくて――バカでしょう? 何から何まで負けっ放しだった私は生きていて、たった一度負けただけの妹は、その恥に耐えきれずに死んだの。ご丁寧に「姉さんが悪い」って遺書まで残したものだから、両親にも周りの友人にもすごく責められたわ。死んで魂になった妹は、きっと私を見てこう言ったでしょうね――「ざまあみろ」って」

 僕は、なんて言えば良いのか分からなかった。そもそも母さんの妹の起こした行動の意味が分からなくて、何も言えなかった。
 どうして、そんなことができたんだろう。レンファを呪った男と一緒だ。僕にはどうしてだか、ひとつも理由が分からない。
 母さんはグッと両手で涙を拭うと、また無理やり笑った。

「人が――生き物が死ぬっていうのは、多かれ少なかれ遺された人に影響を与えるものよ。命って本当に尊いもので、何よりも大事にしなければいけないものなの。だから……アレクは、できるだけ後悔の少ない人生を送って。他人の考えていることが100パーセント分かる人なんて、絶対に居ないのよ。いつ何がどんな引き金になるか本人にしか分からないし、アレクのちょっとした言動ひとつで、どこかの誰かの一生が決まる可能性だってあるの」

 母さんは僕の頭を撫でて「それは私の一生かも知れないし、ここには居ない人の一生かも知れないわ」って言った。
 たぶん母さんは、妹に「ざまあみろ」しちゃったことがすごく辛い思い出になっているんだな。きっとずっと昔の話なのに今も辛くて、だから街から離れてレンファの傍に居る。
 ――だから母さんは、ゴードンさんと両想いでも絶対に結婚しないんだ。

 僕はなんとなくだけど、妹の好きだった人ってゴードンさんなんじゃないかなって思った。
 だってあの人、セラス母さんのことが大好きだもん。いつも色んな商品をもってくるけど、母さんがお金を払っているのを見たことないんだ。
 たぶんだけど、ゴードンさんは許して欲しいんじゃないかな。セラス母さんを好きになったせいで妹が死んで、母さんに辛い思いをさせてごめんなさいって。

 だけど、2人は誰かに謝らなきゃいけないほど悪いことをしたのかな? どうして妹の勝手に振り回されなくちゃいけないんだろう。妹は、どうして命を使ってまで母さんに意地悪したんだろう。あまりにも酷いよ。
 こんなことを考えるのは、やっぱり悪いことなのかな。

「母さん、あのね――」

 僕が口を開いた瞬間、遠くの方でドシーンって音が響いた。家がちょっとだけ揺れて、僕は四つん這いになってサッとテーブルの下に隠れた。

「あら、小さいけど地震かしら……? 珍しいわね」

 しばらく四つん這いのまま待ってみたけど、もう揺れることはなかった。僕は安心してテーブルの下から這い出て、ホッと息をつく。
 母さんは僕を見ながら「とりあえずごはん、食べちゃいましょうか」って笑った。
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