魂を彩る世界で

Riwo氏

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【復讐編17】年頃の男の子ってのはどんなに言い訳しても見たいものは見たいんだよ

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『――応答せよ……応答せよ、緊急事態発生。最優先事項〇〇〇〇一を九八%侵食――危険領域に突入。……〇五、〇八共に応答なし。最優先事項を死守せよ――〇七、〇三応答なし。――〇一、〇二、〇六に危機回避のための共通信号を発信、応答なし。――汚染領域に突入、生命……維持率ダウン、ダウン、ダウン――……れを回避……す……ること能わず……――〇四にアクセスせよ……緊急事態発生――。』


『――緊急体制発動。主導電力〇.〇〇〇〇〇〇〇二回復。人格プログラム切断、主導権をコアに収束、切り換える。繰り返す。最優先事項を死守せよ。絶対命令を死守せよ――汚染領域拡大、コアの機能低下。汚染目標を排除する――目標確認。実行。――排除可能容量を八〇〇%上回り、エラー発生。エラーを修復してください。エラーを修復してください――……。』


『――〇一、〇二、〇三、〇五、〇六、〇七、〇八、以上D.U完全停止。再稼働見込み率〇%……〇四稼働率〇.一%。――繰り返す。最優先事項を死守せよ。最優先事項を死守せよ――……』










しんしんと、雪が降っていた。


巨大都市サイレスに降る、人工雪。
本来「外」の季節は秋だが、サイレスに住む人々の気まぐれな気候投票によってひと足早くこの都市には人工的に冬がやってきている。
そんな中、リンレイ・イリュージオータムは困惑してターミナル駅に突っ立っていた。

「どうしたっていうのよ……」

 と、いうのも、彼女はサイレスから出発する北方行きの列車に乗りたいのだが、何度列車に乗っても駅ホームに戻されてしまうのだ。列車に乗ったかと思うとまばゆい光に包まれ、その都度ホームに戻されてしまう――この繰り返しなのだ。
まったくもって不可解であった。

「……そうだ、D.Uの故障じゃないかしら。うん、きっとそうよ。何か制御不能な事が起きてるんだわ。どこかに駅員さんいないかしら……」
 リンレイはそう呟いてがらんと人気のないホームを一人歩いていった。


――時は西暦三四〇〇年と少しのことである。

 遡ること数百年前。

人類は繁栄の頂点を謳歌していた。遺伝子技術による医療の飛躍、、冷凍睡眠の発明による宇宙への進出、懸案事項だった後進国のテロ活動の収束。真なる平和な時代が訪れたのだと誰もが信じていた。その矢先。

東の地の、仲の悪い隣国同士で小競り合いが起きた。
本来なら平和的に解決されるはずであったが、どういうわけか――それは本当にどういうわけかわからない。戦争が始まり、最悪な事に互いの牽制のために小規模な核爆弾を使いあったのだ。この影響で二国間付近のいくつかの国が巻き込まれ、吹きとび、汚染された。戦は紙に落ちたインクの様にじわりと広がり、次々に飛び火し、再び世界は争いの海に落ちた。

とはいえ、過去の世界大戦のような各自総力戦になるわけではなく、後進国に先進国が支援をする形で戦闘は進み、事態は泥沼化していった。そんな中でも核の使用は収まらず、次第に汚染区域が広まっていく。危機感を抱いた国連が緊急会合を開いた時にはもう遅かった。このころから各地で異常気象が続き、巨大台風や竜巻、大雨や洪水があっというまに核で汚れた空気や水を世界中に広めてしまったのである。
この責任を問おうにも、事の発端であった二国はとっくに消滅してしまっており、とにかく人類は恐慌を起こした。

もはや戦争を続けている場合ではない。

各地で空中の放射能度はすでに一定の汚染レベルを保ち始めていた。
こうなっては宇宙に活路を見出すしかないと唱える学者もいたが、このころは太陽系内で宇宙旅行が可能な程度で、他の星の開拓ができるほど技術は進歩していなかった。
地球の外には行けない。
皆確信していた。
このままでは地球全体が――人類が絶滅へと追いやられるだろう。




リンレイは人気のない駅ホームをうろうろしていたが、駅員は見つからない。彼女は途方に暮れた。大きな手提げ袋からうさぎの人形がはみだして、落ちそうになっている。

「外部の人間がD.U=〇四に直接アクセスはできないわ。困ったわね。列車は来るのになんで駅員がいないのかしら……」




人類絶滅の危機の中、先進国が中心となって生き残りをかけた計画が進められた。

通称「D.U計画」。

それはあらゆる科学と技術の推移を集めて巨大な人工都市を世界各地につくり、そこに生き残った人類を振り分けるという荒業であった。
人工都市は「D.U」――人々はDream Univerceと呼んでいた――という人工知能によって完全に管理された世界で、ドーム型の空を持ち、汚染された外界から完全に隔絶された新たな人類の理想郷であった。
天候を自在に制御し、最新のバイオ技術による動植物の育成が可能。人々はこの新天地を賞賛し歓迎した。

――だが、この理想郷は世界にたった八つしか作れなかった。

戦争と環境汚染によって著しく減ったとはいえ人類の数はまだまだ多かった。
一つの人工都市に入れる数は二千万人。この先増えるかもしれない人口を考えたうえでの、限界容量だった。
この時の世界人口は約七十億。
当然、誰が優先して入るかで争いが起きた。先進国は人工都市創設者として優先権を主張し、圧倒的な武力で持って後進国を退けたが、後進国も黙ってはいない。またしても泥沼の戦いがおこり――結局七対三の割合で先進国と後進国の入植が決まった。
しかしそこからさらに入植者を選別しなくてはならない。それぞれの国の誰を入れるか。慎重に決めても暴動が起きかねない。

そこで採られたのが「D.U」による選別であった。

人間ではなく、人工都市の支配者D.Uがそこに住む人を選ぶのだ。それが一番平等な方法であるとされ、人類は振り分けられた。――D.Uが何を基準として選ぶのかなど誰も知らない。だがD・Uの元で生きる以上それは絶対なのだと人々は悟った。

こうして世界は二つに分かれた。

人々はいつからか人工都市に住む者を内部、外に生きるものを外部と呼んだ。
人工都市に住む事ができない者達は外の世界で細々と生きる事を強いられた。小さな集落が世界中に作られ、そこで肩を寄せ合って生き、やがて汚染されて死ぬ、過酷な世界。
異常気象が頻発し、汚染され痩せた大地に生きる。
一方、人工都市に移住した人々は外部の者が悲惨な生活に不満を募らせ、暴動を起こす事を恐れた。
そこで二年だけ――二年だけの期限で外部の人間が人工都市に出稼ぎに来ることを許可した。そうすれば必要最低限の医療品や雑用品をまかなう事ができるからだ。

やがて月日は流れ、〇一・〇二・〇三・〇四・〇五・〇六・〇七・〇八番のD.Uと人工都市はこの体制を確固たるものとしたのだった。

そして現在。





リンレイは外部の人間である。

この第四番目の人工都市サイレスに出稼ぎにやってきたのは二年前。
北方の貧しい集落の出である彼女は他の集落の人々と同様、村を支えるために遥々列車を乗り継ぎ働きにやってきた。サイレスはリンレイの故郷から一番近い人工都市だった。
外部の人間は厳しい環境から病をかかえる事が多い。
が、奇跡的に至って健康に育ったリンレイは身体を動かす事が好きで、木登りから始まり、逆立ちを披露してみせるなど自身の身体能力に自信があった。これを生かさない手はないと、サイレスに到着早々同じ外部の健康な者たちで作られた「月光雑技団」へと半ば無理やり入団した。

人工都市では歌や踊りなどの娯楽よりも、雑技――サーカスが圧倒的な人気を誇っている。

内部の人間は生まれつき身体が弱い。

外部の人間より身体的能力が劣っているのだ。内部の人間はD・U体制が確立されて以降、ずっと都市に守られてきた。滅菌された空間で暮らしていくにつれ、彼等は徐々に本来の身体能力を衰えさせていったのである。
それは安寧の代わりに払った代償であった。
そんな彼らの羨望の的となったのが、自分達が大昔に持っていたはずの身体能力を華々しく発揮する外部の雑技団の人々だった。内部の人間は汚染の心配から外部の人間と同じ場にいる事は出来ない。雑技の催しは隔離された地域で行われ、それを各D.Uがネット中継し、すべての都市に配信された。内部の人々はその映像をを見て雑技に熱狂するのだった。

だから雑技団は金の払いがいい。人気のチームはスポンサーがつく事もあった。リンレイは下働きから始めて、やがて脇役にあがった。それだけでも結構な給料がもらえたが、

(まだ帰れない……もっとお金を貯めないと)

サイレスは娯楽に富んだ都市で、もっとも多くの雑技団があった。そこに埋もれるように、リンレイ達月光雑技団は人気の上で後れを取っていた。そこで団長は思いきって一番若い十四歳のリンレイを花形の旗(フラグ)使いに抜擢することにした。旗使いは文字通り大きな旗を振って雑技団を鼓舞する役目で、どんな演目にも対応しなくてはならない。その代わり舞台で誰よりも脚光を浴びる存在になれる。

これが当たった。

大きく一つに結いあげた亜麻色の髪の毛――白い肌に可愛らしい唇。黒いレオタードに燕尾服をまとった、バニー・ガールのような姿で旗を振りながら可憐に舞うリンレイの姿は、サイレスのD.U=〇四の回路を伝わりたちまち全人工都市へとその姿が配信された。
セクシーな出で立ちなのにチャーミング。
そのギャップに人々は多いに魅了された。リンレイ・イリュージオータムの名は全都市に響き渡ったのである。
それからはもう毎日がおもちゃ箱をひっくり返したかのような騒ぎで――リンレイのサインが欲しい、ブロマイドが欲しい、出身地はどこだ、テレビ番組には出ないのか――云々。いつのまにかファンクラブが作られ、ついにはわざわざ念入りな滅菌処理を施されて――短時間ではあったが――リンレイは人工都市の政令を担う上層部の高官とまで会食をさせられたりもした。
あまりの熱狂ぶりにリンレイはステージへ立つのが恐くなるほどだった。
しかしリンレイの人気と共に雑技団の人気もうなぎ昇りとなり、団長も上機嫌であるのをみると引き下がるわけにもいかない。……それに努力が実ったという素直な嬉しさもあったのだ。

そしてあっという間に二年の月日がたった。

外部の人間はどんな理由があろうとも、人工都市にはきっちり二年間しか滞在は許されない。リンレイはサイレスを去る準備を始めた。リンレイがサイレスを去る。その事実に内部の人々は次々に不満の声をあげた。
サイレスから去ってしまうのか――もう少し滞在を許してもいいのではないか――外部の中には「外落者」となって生きるものもいるというではないか――。

外落者というのは二年間の滞在期間を経てなお人工都市にとどまって働いている者のことである。人工都市に来た時、外部の者は長期間の不法就労がされぬようD.Uにその身を固定ナンバーで登録させられ、管理される。二年経てば役人がやってきて人工都市の外へポイされるわけだ。
だがこの手から逃れようとする者がいる。それが外落者だ。
外落者となれば固定ナンバーが特定対象者に入れられ、常に役人に追われる身となる。そして捕まれば再犯の危険性ありとみなされ「処分」されてしまう。それでも彼らが役人の目から逃れてまで人工都市を離れたがらない理由などいくらでもあった。
外の危険な世界に帰りたがらない者、帰る故郷がない者――と、とにかくそういった連中が少なからず人工都市には存在するわけで、だったらリンレイの滞在も許せ、というのが大衆の言い分だった。普通なら許されるものではないが、サイレスの高官にリンレイのファンがいたことで上層部は揺れたらしい。民衆の政治的な支持をなくすのも怖かったので、ここはわれらが支配者D.U=〇四に判断をゆだねようという事になった。
D.Uは規定外の事は許さない。
皆があきらめかけたその時、予想外の事が起こった。

“リンレイ・イリュージオータムの滞在延期を許可する”

なんとD.U=〇四が滞在延期を許可したのだ。
延期の期間は二年。異例の事態である。
人が作り上げながら人知を超えた超人工知能、D.U=〇四がなぜその答えを導き出したかは分からないが、とにかく内部の人々は喜びあった。これでリンレイの可憐な姿がまだまだ拝めるのだ。
だがリンレイはこの滞在許可に「NO」と答えた。
サイレスを後にし、故郷へ帰る事にしたのだ。リンレイを抜擢した外落者である団長は慌ててリンレイを説得した。人工都市に出稼ぎに来られるのは一生に一度、こんないい話はないだろう――。それはリンレイもわかっていた。けれどお金も充分に貯まっていたし、一刻も早く手に入りにくい薬などの医薬品や汚染されていない食物などを持って帰りたかった。

リンレイには帰る故郷があった。
ただそれだけ。

こうしてリンレイは大勢の人々に惜しまれながらサイレスを後にした――はずだった。







「一体どうなってるの……」

リンレイは駅の冷えたベンチに腰掛けて途方に暮れた。列車は来る。しかし乗る事ができない。
(絶対にD.Uが何かしてるのよ。そうとしか思えないわ!)
もんもんと考えていると、ホームにアナウンスが響く。
『北方行き〇四号列車がホームに入ります……乗車のお客様は白線より下がってお待ちください――……』
ベンチに座っているとしばらくして列車がホームへ入ってきた。リンレイは小さくため息をつくと、思い直して頬を両手で軽くはたいた
(つぎこそ、乗るわ)
扉の開いた列車にリンレイが足を踏み入れようとした瞬間。


「その列車には乗れないよ」


はっとしてリンレイは声のした方へ振り返った。
少年が立っている。真っ黒な学生帽に真っ黒な外套。
死神のような姿だった。

「――なぜなら君はもう死んでしまってるからさ」

そう言ってにっこりと笑った。
リンレイは黙った。後ろでガシュン、とドアが閉まる音がして列車がホームから出ていく。リンレイはまたしても乗りそこねた列車が走り去るまで少年を見つめたまま突っ立っていたが、しばらくして視線を外し、黙ったままその場から歩きだした。

「あ、ちょっと」
少年が声をかける。
「私急いでますので」
そういってスタスタと早足で歩き続ける。悪い事は重なるものである。どうしてこう妙な事が続くのだろう――ついに変な人にまで捕まってしまった。リンレイは心の中でぶつぶつと文句を垂れた。
(厄日だわ……)
「ねえちょっと。話くらい聞いてくれてもいいんじゃないかな」
少年の方も笑顔を絶やさぬまま早足でリンレイを追ってくる。リンレイはうんざりしながら更に歩を進めた。新手のナンパだろうか。
「急いでるんで、すみません」
「僕も急いでるんだ。まさか君が眠らずにすんだと思わなかったから。ねえリンレイ・イリュージオータム」
「!」
リンレイは思わず足をとめる。
「な、なんでその名を」

リンレイの今の格好は当然舞台でのそれとは違う。
サイレスにやってきた時着ていた粗末なコートに、人相がわからない様に目深にかぶった帽子。長い豊かな髪はおさげにして紺色のマフラーを巻いている。一見、アイドルである彼女だとはわからない。
少年はにこにこして、
「そりゃあ僕は君の一番のファンだからね。どんな格好をしていたってお見通しさ。君の事は何でも知っているよ。例えばこれ」
そういってサッと一枚のチラシを取り出した。それは二年前、リンレイが初めて舞台を踏んだ月光雑技団のチラシだった。リンレイは驚いて手に取った。
「こ、これは……私でさえもう持ってないのに」

この舞台を機に彼女はやがて雑技団の花形となっていくのだが、まだ当時は舞台のネット配信でのアクセス数も少なく、どうにかして観覧者を増やそうと少ない予算の中からサイレス向けにチラシを刷ったのである。
外部からの就労者は舞台を生で見に行くことができる。労働者向けに限られたごく少部数のチラシだった。配布許可を得るために当局に数枚見本を提出した際は、随分アナログな広告だと笑われたものだ。つまりこれを持っているという事は外部の就労者か、流出した見本か――いずれにせよかなりのマニアだという事がわかる。

少年はふふ、と笑いながら、
「当たり前だよ。言ったろう、僕は君の一番のファンだって」
リンレイは改めて少年の姿を上から下までじっくりと眺めた。
歳はリンレイと同じくらいだろうか。短く刈りあげた黒髪に「〇四」の番号が入った黒い学生帽。そして黒い外套の下には紺青の学生服がチラリとのぞいており、濃紺のブーツで濡れた地面を踏んでいる。質の良い布だとわかる白い手袋を嵌めていた。その姿にリンレイはピンときた。

(サイレスの特務高等学校――「銀星」の制服だわ)

特務高等学校とはいずれサイレスの上層部を担う政治家となるためのエリート養成機関のことである。幼少のころから選別が始まり、内部の高倍率の試験を突破した将来を約束されたエリート達。それが彼等だ。学校が円錐形で銀色に光っていることから通称「銀星」。学校そのものだけでなく、ここの生徒を総称して呼ぶことが多い。
いずれサイレスの星となる連中というわけだ。
リンレイは銀星の生徒とネット通信で交流したことがあった。ファンとの交流活動の一つである。その時の制服姿を覚えていたのだ。

「や、役人さんが何か用ですか」
少年は笑って、
「まだ役人じゃないよ。といってももう役人にはなれないかな。僕も死んじゃってるし」
そういって笑いながらずれた帽子を直した。リンレイは眉をひそめる。さっきからこの少年は何を言っているのだろう。
「あの、サインとかならお断りですから」
「それは残念。でも今はそれが目的じゃないんだ。さあ僕と一緒に来て。そして奴を倒すんだ」
そう言って少年はリンレイの手を取った。
「ちょ、ちょっと何するの! 貴方一体何者?」
「僕? 僕は創。東京創。わかる? ひがしみや、そう。特務高等学校・銀星の最高成績者で君の一番のファンさ」
ニコッと笑い、少年――創は走り出した。
「ま、待ちなさいよ、ちょっと、なんだっていうのよ――やめなさい! 離して!」
リンレイは慌てて創の手を振りはらおうとしたが、創の力の方が強い。
「さあきてリンレイ! ここじゃ奴から丸見えだ!」
「や、奴って……誰よ?」
「もちろん、D・U=〇四にさ!」
そう創は答えるとリンレイを引っ張って共に雪のやんだターミナル駅を後にした。



人工都市の作りは饅頭のそれと似ている。

あんこのある中心部に内部の者、皮の部分にあたる特別居住区に外部からの労働者が住んでいる。内部は無菌街と呼ばれる徹底した抗菌の作りになっており、外部の――リンレイのような特殊な者を除いて――人間は絶対に入れない事になっている。入れたとしても、徹底した滅菌処理をうけなくてはならない。
そうしないと内部のひ弱な人間はあっというまに伝染病やらなんやらに感染して死んでしまうからだ。
汚染体である外部の人間はまず人工都市へ入る前に隅々まで滅菌処理を受けた上に、抗菌処理を施される。そして特別居住区に誘導されるのだ。無菌街に比べればかなりの汚染地帯だが、外の世界に比べれば天国である。放射能度は危険濃度ではないし、まず天災に悩まされる事がない。飢饉に怯える事もなく、人々は働く事に――生きる事に前向きになれた。外落者が出るのも当然と言えよう。

外部の者達の特別居住区は二〇〇〇年代の先進国のダウンタウンを模したつくりで、常にどこか緊張と不安をはらみながらも温かく――少なくとも滞在期間の二年間は――D.Uに見守られて過ごせるのだった。
そしてその場所へリンレイは創と共に戻ってきた。

「ちょっと! ……あなた!」
リンレイはハアハアと息をつきながら創に向かって声をかける。そこでやっと創がリンレイの手を離した。
「ん? なんだい?」
声を掛けられてようやく創は足を止める。
「何だじゃないわよ! ここがどこだかわかっているの! ここは特別移住区なのよ!」
「そうだよ」
「そうだよってね――あなた、銀星の人でしょ! 内部の人間がこんなところに来たらすぐ汚染されて死んでしまうわ! わかってるの!」
「わかってるさ。でも言ったろ、僕はもう死んじゃってるから関係ないよ。ていうか人類は滅亡しちゃったんだけどね」
「滅……あなたねえ」
「さ、早く行こう。君の家はこっちだよね」
「な、私の家に行くつもりなの」
「一時的な避難さ。君がずっと「脱出」をはかっていたものだから、D・U=〇四が警戒を始めた。「脱出」しようとする対象を探している」
そういって創は再び歩き出す。
「……」
またしても意味不明な事を述べる創に、リンレイは返事をする気力さえ湧かない。
(それにしても)
歩きながらリンレイは思う。

(変ね。人っ子一人見当たらない……)

普段ならダウンタウンに住む人々がそこら辺を歩いているものだが、今はなぜか誰も見当たらない。人工都市サイレスの名の通り、まさしく沈黙が満ちている。てくてくと歩いていくと道端に設置された巨大なスクリーンが七色に点滅した。雑技団の映像だった。リンレイ達の月光雑技団ではない。赤と黒のエキゾチックな服に身を包んだ団員が次々と技を繰り出す。
(みんなこれを見に行っているのかしら……)
イベント会場は特別居住区の外れの広場にある。外部の者たちは無料で舞台を見ることができた。リンレイの舞台にもたくさんの外部の人間がやってきたものだ。彼女は外部の星だった。
「リンレイ、いこう」
創に声を掛けられて仕方なくその場を後にする。

やがて二人は灰色の小さな工場の前にやってきた。
ここではムーンシャインという密造酒が作られている。
もちろん外部の者達が飲むのである。外の世界でも作られている酒で、度数は高い。故郷から遠く離れた人工都市で、人々はこのムーンシャインを飲みながら郷愁の想いにかられ、働くのだ。
この工場の裏にリンレイの棲んでいたアパートがある。細い路地を通り抜け、二人は二階立てのアパートの階段をのぼる。歩を進めるたび、カンカンカンという鈍い金属音があたりに響いた。

「よくまあ住んでいたところがわかったわね」
そう言いながらもリンレイはたいして驚いてはいなかった。自分の住居などD・U=〇四に登録済みで、人工都市にいる限り不正アクセスでもすればすぐに居場所は知れるのである。事実、熱狂的なファンからストーカーまがいの行為をされて何度か居場所を転々とした事があった。
「まあ……それについては詳しく聞かないでくれよ。玄関をあけてくれるかい?」
リンレイは郵便受けにしまっておいた鍵を取り出した。人工都市を後にする時は家の鍵は郵便受けに入れておくのが通例だ。こうしておけば後からやってきた労働者がまた新たな住居として使うことができる。

鍵を開けると部屋はひんやりとして猫の子一匹いない。テレビやベッドなど最低限のものが残されているのみである。リンレイはぱちりと部屋の明かりを付けた。電気は通ったままのようだ。といっても人工都市ではいつでも電気・水道・ガスの類は使用できるようになっているのだが。走ったせいで喉が渇いていたリンレイは台所の蛇口をひねるとコップに水をそそぎ、ぐい、と一杯飲み干した。
「ふう……さて、人の家にまで来てどうするつもり?」
口を拭うとリンレイはワンルームの部屋のソファに腰掛けた。
「とりあえず貴方の身体が特別居住区にいても平気な程頑丈だってことだけは認めるわ」
「「外」に出たって平気さ。ぼくらは死んだ。ただしサイレスから出る事ができない」
そういって創は半分カーテンの閉まっていた窓をガラリと開けた。

――生あたたかい風が部屋に入ってくる。遠くにD.U=〇四が見えた。

D・U=〇四はサイレスの中心にある、巨大な塔である。
地上から見えるD・U=〇四の姿は仮の姿で、心臓部の人工知能はサイレスの地下深くにあると聞く。銀色の細長い鉄塔は常に七色のサーチライトを光らせ、サイレス中を監視している。
話によればエッフェル塔とか言う大昔の電波塔に似せて作られたのだという。
これと同じタイプが八つあり、各人工都市を支配している。

「これは夢なのさ」
そういって創は棚に飾ってあったデザインボトルのムーンシャインを手に取ると、栓を抜き一気に口に流し込んだ。リンレイが外部のファンからもらったものだ。
「ちょ、それ強いわよ」
「水みたいなものさ――僕は死んでいるから。感覚が死んでいる。君も飲んでごらんよ。熱さが全然足りない」
瓶を渡されてリンレイはおそるおそるムーンシャインに口を付けた。リンレイは酒が飲めない。故郷でムーンシャインを口にした事があったが全く受け付けなかった。しばらく迷っていたが、ごくり、とムーンシャインを口にした。手が震える。
「おかしい。お酒じゃないわ……沸かした水みたいな。なんの味気もない……」
「ムーンシャインだよ、正真正銘ね。君も死んでいるからそんな風にしか感じない」
「そんなわけないわ!」
立ち上がったはずみにごろりとムーンシャインの瓶が転がり、床に琥珀色の中身がぶちまけられる。リンレイは叫んだ。
「まだそんなこというためにここまで連れてきたの? 私は死んでなんかいない! だって私はここにいるもの!」
「でもね、これは夢の世界なんだ。D・U=〇四の作りだした終わることのない世界なんだよ」
「夢の世界……?」
「そう。僕や君を含め死んでしまった人々の魂をつなぎとめるために生み出した夢の世界だ。君は列車に乗れなかっただろう? その事に違和感を感じたね」

リンレイの背にひやりと汗が流れる。

「だったらなんだっていうの?」
「本来なら君も夢の中の住人になるはずだったのに、故郷へ行くはずの列車に乗れなくて君は気付いてしまった……この世界がおかしいという事に。今サイレスで自我を持って動けるのは君と僕だけだ。D・U=〇四の手のうちに飲み込まれなかったのは奇跡に値する」
「貴方の行っている事は訳がわからないわ!」
リンレイは立ち上がると玄関に駆け寄った。
「待て、リンレイ!」
「貴方は頭がどうかしてるのよ! 列車に乗れないのはD・U=〇四の故障だわ! みんな死んでるですって? だったらあのテレビの映像はなんなのよ!」
転がるようにして部屋から出るとリンレイは走り出した。慌てて創が叫ぶ。
「リンレイ! だめだ外は! 今は危ない!」
「私に構わないで!」
リンレイは階段を駆け降りるとアパートを後にする。
(大広場でサーカスの興業をやっているはず。そこまでいけば、そうよ、団長もみんなもそこにいるわ!)


『応答せよ――異分子の存在を確認、速やかに除去する』


ぜいぜいと息を切らしながら、リンレイは特別居住区の大広場にたどり着いた。雑技の興業がされているはずの場所だ。広場には巨大なスクリーンが設置されていて、先程と同じ興業の様子が映っている。――だが大広場は不気味なほど静かで、どんなに見渡しても人はいない。リンレイの呼吸音と、スクリーンから流れる音だけがすべてだ。

(誰もいない……テレビには映っているのに……! どこにも誰もいない……!)

辺りにはポップコーンの屋台やおもちゃを売る店が点々としている。菓子を売る店先にはカップに入ったアイスが並べられていて、ついさっきまで誰かがここにいたかのようだ。テントの近くにある回転木馬が楽しげな音を奏でながら回っている。
――だが誰もいない。

(あの映像が確かなら中で興業をしているはず……)
リンレイは大広場で一番巨大なテントの中へと入った。まず楽屋に向かって歩き出す。知り合いがいるかもしれない。楽屋裏に入るための入り口の布をめくってリンレイは声をかける。
「誰か! 誰かいませんか!」
返事はない。じっとりと、走ってきたせいではない汗が額にうかんでくる。
(ステージ近くまで行ってみよう)
舞台の裏手へと回ると何やら音が聞こえてきた。太鼓かラッパか――合唱隊の奏でる音だ。
(なんだ、やっぱりいるんじゃない)
ほっと安心して歩を早める。それにしても興行中だというのにどうして楽屋に人がいないのだろうか。疑問に思いながら舞台の幕の裾まで来たところでリンレイはぎょっとした。
(――うそ!)
つい先ほどまでにぎやかな演奏が聞こえてきたステージには誰もいない。客席もガラガラだ。リンレイは慌てて舞台に飛び出した。辺りは静まり返ってネズミの気配すらない。
(どうして? だってさっきまで確かに……)
「リンレイ」
突然声をかけられて、リンレイはびくっとして振り返る。
ちょび髭を生やした壮年の男性が立っていた。手にはステッキ、頭には絶妙な加減でかぶった黒いシルクハット。スパンコールで縫われた大きな蝶ネクタイが胸元でピカピカと光っている。

「団長!」
リンレイはほっとした。月光雑技団の団長だ。リンレイは団長に駆け寄る。
「良かった団長がいて……私今朝方から変な事にあってばっかりで!」
「リンレイ、故郷には気を付けて帰るんだよ」
「ええ、そのそれが列車に乗れなくて……D・U=〇四の故障だと思うんですけど」
「リンレイ、故郷には気を付けて帰るんだよ」
「……団長?」
団長の様子がおかしい。リンレイはいぶかしげに団長の顔をのぞいた。
「リン……レ……い……こきょお――」
団長はまるで壊れたオーディオ機器のような奇怪な声をしぼりだすとそのままばたん、と倒れてしまった。
「だ、団長? ――きゃっ!」
倒れた団長は同じセリフをキーキー繰り返しており、大きくあいた口からは壊れた歯車がこぼれていた。背中にはオルゴールを回すような大きなねじが突き刺さってゆっくりとまわっている。
(何? これはどういうこと!)
尋常な事態ではない。その時団長の口が動いた。

『異分子を発見 応答せよD・U=〇四』

ゾッとしたリンレイは助けを呼ぼうとステージを降り、楽屋裏を通ってテントから抜け出した。
「!」
そこでリンレイを待っていたのは赤いピエロの大群だった。皆、赤・青・緑と色とりどりの風船を持ってリンレイに近付いてくる。
「何? 何なの!」

『D・U=〇四、異分子の存在あり、捕獲後速やかに除去する』

何かが聞こえた様な気がした。だが今はそれどころではない。二十も三十もいるピエロがリンレイに向かって殺到してくるのだ。
「風船を」
「風船を」
「いかが」
「いかが」
いかがですかお嬢さん――。しゃがれた声でピエロたちが迫ってくる。
「やめて、やめて! なんなのよ! 一体これは――!」
周りを囲まれてリンレイは逃げ場を失った。絶体絶命――としゃがみこんだその時。
パンパンッとピエロたちの持つ風船が割れる音がした。
リンレイははっと顔をもちあげる。ぶうん、と音がして今度はピエロたちの首が次々と胴から離れて落ちる。切られた首は発泡スチロールの断面の様に白い。

「リンレイ!」

あたりに大きな声が響いた。聞いた覚えのある声にリンレイは何やら泣きたくなるような安堵をおぼえ、それに応える。

「創!」

テントを支えるための鉄塔の上に、黒いマントをなびかせて東京創が立っていた。
「よかった、無事だな!」
創はひゅんと鋼のワイヤーのようなものを手繰り寄せる。その先端には大きな鎌のようなするどい刃を持った道具がとりつけられていた。さきほどのピエロたちを分断したのはこの鎌だったのだ。創は鎌を手にするとピエロたちに向かって放つ。鎌はひゅんと大きく弧を描き次々とピエロたちをなぎ倒した。創は鉄塔からトントンと飛びおりると重力を感じさせない着地で、リンレイのもとへ駆けてくる。
「遅くなった。邪魔が入ってしまって。リンレイ、なんともない?」
「え、ええ」
リンレイがぎこちない動作で応えると、ふわりと創はリンレイを抱え上げた。そしてピエロの崩れた輪から飛び出し、走り出した。

『D・U=〇四、異分子の存在、除去に失敗。ノイズを確認。発信源を特定せよ』

創の腕の中、リンレイはチラリと後ろをのぞいた。ピエロ達は追ってこない。
(よかった……)
「リンレイ?」
リンレイははりつめていた身体と心が開放されるのを感じ――そして深い眠りの森へと落ちていった。






あーんあーんと誰かの泣き声が聞こえる。そうだ、あの声は義弟妹達だ。

「泣かないのよ」
リンレイは義弟妹たちの手をとって黄金色に揺れる麦畑の小道を歩いた。
「姉様、どうしてもいっちゃうの?」
「そんなのいやだ。人工都市に行ったらリンレイ姉ちゃんは帰ってこないよ」
次々に義弟妹達が口をそろえて泣きだす。
「そんなことないわよ。大丈夫、ちゃんと帰ってくるわ」
笑顔でリンレイは皆を諭す。廃村から救出された義弟妹達。懸命に面倒をみた。昔、リンレイが誰かにしてもらったように。
「僕聞いたんだ、となりのおじさんたちがしゃべっているの。人工都市に一度行くと免疫が落ちて村までたどり着く体力がなくなっちゃうって。そのまま死んじゃうって。姉ちゃんもそうなっちゃうよ。だからいやだ」
「平気よ、私がみんなより丈夫な事よく知ってるでしょう?」
「でも……」
「私からもお願い、姉様行かないで」
「困ったちゃん。大丈夫よ、みんな心配しないで。私は必ず帰ってくるわ」

――今年は去年よりも不作の年だった。こうして風に揺れる麦の穂を見ることができた村はいくつあるだろうか。実りが見られたこの村だとて、住民がこの冬越せるだけのギリギリの収穫なのだ。すぐに広場に人が集められ、集会がひらかれた。
村で一番の長寿――今年ちょうど四十になる長老が話をきりだす。

「皆に集まってもらったのは他でもない。今年の収穫は厳しい。金に換えられる余裕のある収入があまり見込めん。人工都市からお情けでやってくる救護院の連中から、薬やらなんやら買えるのはわずかに限られるだろう」
「そんな。村の半分以上の連中が病気にやられてるんだぜ。畑を耕すための道具も必要だし……」
「わかっとるわ、そんなこと。だがこれが現実だ。来年の種まで金に換える事はできんだろう。隣村のように餓死者を出す気か」
「何、飢饉か」
ざわ、と大人達が色めきたつ。
「そこまでではないようだが、もっと遠くの村は全滅したところもあるらしい」
長老というにはまだ若い顔をゆがませ、ため息をつく。
「うちは去年の蓄えがまだわずかにあるからいいほうなのだ。これで冬を越そうと思う。だが医薬品などはそろそろ尽きかけている。そこでだ」
オホン、と咳払いをして長老は重い口を開いた。

「誰か一人、人工都市に働きに行ってもらおうと思う」

――広場がし……んと静まり返った。
人工都市への出稼ぎ。これが意味するものは重い。
しばらくの沈黙ののち、三十路ほどのひげ面の男が声をあげた。
「やっぱ、もう、それしかねえのか長老よ……」
長老は男に向かってまっすぐ眼を見据えた。
「ああ」
広場は次第に静寂からどよめきにかわる。男はなおも続けた。
「長老もしってるだろ、人工都市へ俺達が入るのは危険だ。帰るまでに免疫が落ちちまう。過去に人工都市に行って帰ってこなかった奴が現にいたじゃねえか。村のためにはならねえよ」
「もちろん紙一重の賭けだということは重々承知の上で考えたことだ。うちは今まで人工都市に人をやりに行かせることは二回しかなかった。他の村よりずっと少ない回数だ。それなのにこうして何とかしのいでくる事ができたが、それももう限界なのだ。皆もわかっているだろう」
ざわざわと群衆がさざなみだつ。そこへぼそっと少年の声がした。
「……でも死にたくなきゃ、わざと帰ってこないようにすることもできるんだよな」

「――ッ誰だ! 今喋った奴!」

ひげ面の男が声を張り上げて、少年はビクリとした。そしてぶるぶるとふるえながら、
「だって……誰か言ってたもん、人工都市にずっと住み続けて生きてる外部の人間もいるんだって。そういう奴だっているんだろ」
そういっておずおずと引き下がる。
「帰ってこなかった奴はそうだっていいてえのかこのガキ!」
「違う、違うよ、でも誰だって死にたくないじゃないか」
そういってうおーんと少年は泣きだしてしまった。
「シトラよ、子供にあたるな」
長老がなだめる。
「だって、だってよ……。……じゃあ誰が行くか……きめねえとな……とりあえず男ども集めて、そうだ、くじを作ってきめるか……」
うなだれた様子でシトラと呼ばれた男は地面に落ちている藁を拾い始めた。長老は沈痛な面持ちで、
「ああ、そのつもりだった。なるべく年のいったものから選ぶことにしよう……村は若いもんに任せなくては廃れてしまうでな」
「まって」
凛とした声が広場に響いた。

「私が行くわ」

リンレイだった。すう、と細い右手をあげている。広場がざわめいた。長老が驚いてリンレイに声をかける。
「リンレイ! 何もお前のような若い女子供がいくこともあるまい。はやまるな」
「あら、私は自分が一番適任だと思うから、言ったのよ」
リンレイは悪戯っぽくウインクしてみせた。
「まず村で一番私が元気で丈夫だわ。そして人工都市で稼げる技術を持っている」
「技術じゃと?」
「そう。うちから一番近い人工都市はずばりサイレス。あそこは娯楽商業が発達したところってもっぱらの噂よ。軽業は受けるんだって。私そういうの得意なの知ってるでしょ。これは稼げるチャンスだわ」
「しかしおまえは若すぎる。まだまだ新しい未来が待っているというのに……――」
「そうだ、まだ俺達が行った方が……」
「シトラおじさんたちはぜんそく持ちだわ。それこそ帰ってこられなくなるわよ。それより村を守ってもらわないとね、ね?」

広場のあちこちからすすり泣きが聞こえはじめた。状況は決まりつつあった。リンレイは苦笑いをして、

「やあねえ、まるでお通夜じゃないの」
「リンレイ、すまない、リンレイ」
長老は何度も頭を下げながらリンレイの両の手を握った。
長老は昔、人工都市に行って帰ってきた一人だ。帰りの旅の途中、病にかかり足が不自由になった。長老は出稼ぎに行くその辛さと恐怖を知っている。
リンレイはギュッと手を握り返して力強く言った。

「まかせて。みんな、二年間辛抱してね。必ずお金を稼いで絶対帰ってくるから!」

リンレイは村の皆に見送られ、長い長い旅路を列車に揺られながらサイレスへと向かった。手には小さな古いラジオ。人工都市の強い電波は遠く北方の地までおよぶ。
ラジオから流れてくる大昔の歌を、列車の中でリンレイは口ずさんだ。

『田舎道よ 故郷まで連れていって
私が育ったあの場所に
ウェストバージニアの母なる山々に
故郷まで連れていって 田舎道よ』

二年。

二年経ったらなにがあっても帰るのだと心に決めていた。

――なのに。「死んだ」?

何があったというの? 私は――世界はどうなってしまったの?

列車に乗りたかったのに。

――そうだ。乗った瞬間の、あの光は――。






夢にうなされてリンレイは目を覚ました。床に敷かれた厚手の布の上に寝かされていたのだ。周りには出荷されなかった大量のムーンシャインが積み上げられている。ムーンシャインの密造工場。
ブーンと回る換気扇がはめこまれた壁に人がもたれている。窓からさし込む光で顔の陰影がくっきりとうかびあがっていた。

「気がついたかい」
「……一体何が起こっているの。あの光――」
リンレイは頭を振って立ち上がる。もはや今、このサイレスが異常な事態におかれているのは明らかだった。リンレイはそれを体験してしまった。

「君が見たのは核の光」

今まで笑顔ばかりだった創の顔は硬い。

「戦争があったんだよ」
「戦争?」
「そう。ほんの数秒の戦争。――原因は、これさ」

そういうと創はマントの中に手を入れ、「それ」を取り出して見せた。長方形の厚みのあるクッキーのような形をしている。リンレイは不思議な顔をして、
「固形食料?」
「そう。食料だよ。ねえ君知ってたかい、ここ数十年サイレスでは深刻な食糧難が続いていたんだ。サイレスだけじゃない、他の人工都市もさ。人工都市じゃこういった固形食料や栄養錠剤が主食だ。これらを作る材料が不足していたんだ。もちろん生鮮食品もね」
「ま、まってよ」
慌ててリンレイはさえぎる。
「二年間サイレスにいたけどそんなことなかったわ! 固形食料は苦手だったけど簡単に手に入ったし、お金さえあれば生肉や新鮮な野菜を手に入れる事だって……」
「食糧難は極秘事項だった。緘口令がしかれていたから特別居住区――外から来た君達にも秘密は守られた。特別居住区に出回っていたのは外部で作られた、汚染された代物さ。もちろん肉や野菜も外部で作られたものを運び込み、特別居住区で売りだされていただけだよ」
「な……んですって……」
「特別居住区の者達はこれで誤魔化せるが内部となるとそうはいかない。汚染されたものに耐性がないからね。それに無菌街に汚染されたものなど持ち込んだらたちまち疫病がはやってしまう。絶対に内部でつくられた肉や野菜、穀物を口にすることしかできない。内部には巨大な食糧プラントがあったが……」
「そ、そうよ! 内部じゃバイオテクノロジーだって発達しているし、元々一都市二千万の人口を養えるだけの設備が備わっているじゃない!」
「特別居住区の人口をのぞけば、サイレスの人口は今年で五百万をきった。生きていればの話だけどね」
「え?」
「人口減少だよ。激減しはじめていたんだ。原因はわからないが、とにかく赤ん坊の出生率が低い。子供ができても死産がほとんどだ」
「そんなの初めて聞いたわ……」
「これも緘口令。不穏な話題は閉ざされた世界では不安の種になる。――とにかく内部の命綱である食糧プラントは役に立たなくなる可能性があった。植物がね、育たないんだよ。どんなに工夫を凝らしてもまともに育つのは良くて六十%くらいかな」
ぱきっ、と固形食料を口にして創は続ける。
「これはどの人工都市でも共通の機密だった。各人工都市の政府高官達にとって最大の悩みの種だ。このままでは人工都市機能が崩壊してしまう。そこで人工都市ができた時、結ばれた条約に従うことにした。食糧難が生じた場合、人工都市同士で食糧を共有すること。そこで唯一わずかに余裕があった第六都市ファンタズマに食糧の開放を頼みこみ、なんとかやっていたんだが――もう限界だったのさ」
「それで」
リンレイの声が震える。
「どうして戦争なんかになるのよ」
創はしばらく間をおいて言った。

「このままでは飢饉が発生するかもしれない。だったら「人工をもっと減らせばいいんじゃないか」と考えたんだよ――例えばどこか一つの人工都市が無くなれば共有する食糧事情はよくなると――そう考えた連中がいたんだ。サイレスはその標的の一つになった。最新装備の核を使えば一発で都市は吹っ飛ぶ」

「ばっ……」
油汗が流れてリンレイは叫んだ。
「馬鹿じゃないの! 狂ってる! 内部だけで食糧が賄えないなら外部と協力して――外部にどれだけ放棄された畑があると思ってるの! 内部の技術を使えば食糧の大量生産だって可能になるのに!」
「汚染されたものは食えないよ、内部の人間は」
「そんなの外部だって同じだわ!」
がしゃん、とリンレイは転がっているムーンシャインの瓶を足で蹴った。
「私達は好きで汚染されたものを口にしてるわけじゃないのよ! 仕方なくなのよ! 外部に生まれたがゆえに――」
そこでリンレイははっと気付いた。

(サイレスは標的の一つ――)

「創、あなた私に以前人類は滅亡したといったわね――サイレスだけが目標だったんじゃないの……?」
創はコツコツとリンレイの元まで歩いてくるとじっと目をこらして言った。
「元々はサイレスが標的だったわけじゃない。実際どこの都市を標的にするつもりだったかは僕にももうわからないが、サイレスの高官はほかのいくつかの人工都市と話し合って決めたようだった。それが漏れたんだと思う。皆疑心暗鬼だったんだよ、どこが攻撃されるんだろうか。やられるまえにやらねば。そう思って――あろうことか全都市が核を互いに向けて撃ちあったのさ」
「嘘……!」
リンレイは愕然とした。
巨大な人工都市を八つ、一発で壊滅させるだけの核兵器ならば外部もただではすまないはずだ。リンレイの考えを悟ったのか創は静かに言った。

「外部も当然巻き込まれただろうね。攻撃に持ちこたえて例え生きていても強烈な放射能で死ぬことになる」
「なんで、なんで」
リンレイはぶるぶると震えると創につかみかかった。
「――なんで内部はいつもそうなのよ! いつだって自分達のことばかり! 外部も巻き込まれただろう、ですって? なぜそんな平気な顔をして言えるのよ! 外部はいつも内部の勝手な事情に巻き込まれて! 苦しんで! ――その結果が人類滅亡? 笑わせないでよ!」
リンレイの瞳から涙があふれた。悔し涙か、それとも悲しみの涙か。リンレイ自身でもわからなかった。
「君が怒るのもわかる」
「わかる、じゃないわよ! 創、あなたそこまで事情を知っていてどうにかしようと思わなかったの! エリートなんでしょ!」
「僕はただの候補生だ。最後の決定も高官達ではなく各D・U達に委ねられた」
リンレイは驚愕した。
「D・Uにまかせたの。なんでそんな大切なことを人間が決めないのよ! 内部はどうかしてるわ!」
「そう、もう内部は考えを放棄してしまっていたんだよ。人工都市ができた時から内部はD・Uにすべてを委ねてしまっていたんだ。D・Uの決定、それが内部の総意。これがD・U体制の末路だ」
リンレイは創から手を離し、よろけて床の上にうずくまった。
「そんな、そんな……! こんなことって……ひどい……!」
あふれた涙が床に落ち、しみをつくっていく。
「じゃあ、今ここにいる私は何なの? 幽霊? 化物?」
「滅びがあまりにも一瞬すぎて人々は自分達が死んだ事を知らない。それはD・U=〇四にとってとても好都合だった。リンレイ、君はD・U達が絶対に承認できない事項を知っているか」
「……外部の人間を、受け入れる事?」
「いいや、――それはね、人類の滅亡さ。D・Uは人類存続のためにつくられた存在だ。彼らには「人類の繁栄と守護」が絶対命令として創設者からインプットされている。絶対にこれだけは覆せない。だから食糧調整のための核攻撃も認証した。ところが蓋を開けてみれば人類滅亡。しかしこんなことは許せない。だからさ。……「なかったこと」にしたんだ、D・U=〇四は」
おもわずリンレイは創を見上げる。
「なかったことってそんな」
「八つの都市が消えて八つのD・Uも破壊されたはずだった――が、奇跡的にD・U=〇四は中枢がわずかに生き残った。虫の息のくせになかなか往生際が悪い。こいつはどうやったか、死んだことがわからないサイレスの人々を夢の世界に引きずり込むことに成功した。夢。幻。魂ってもんがあるなら、それをバーチャル・リアルティの中で生かしてるってことかな……今やサイレスはD・U=〇四そのものだ。ここから出るって事は、その世界を壊してしまうってことだよ。違和感に気付いた時、虚構は崩れさり再興はならない。だからD・U=〇四は君を排除したいんだ――それがあのピエロ達さ。見た目はピエロだが、君を再取り込みするための洗脳プログラムなんだよ」

創が一気に喋り終え、辺りに沈黙がおりた。換気扇の回る音。
リンレイは涙で乾いた頬をさすった。これも幻なのだ。この身体、すべて。
――僕は、と創は言う。

「この世界を終わらせサイレスを開放する。それが僕の使命なんだ。――なあリンレイ、君はどうしたい」

創はうずくまるリンレイの前に腰をおろし視線を合わせた。
「このままではいずれ君はD・U=〇四にとりこまれる。そうすればなにもかも忘れて「今まで」の日々が戻ってくる。それもいいかもしれない。君は再びサイレスのアイドルとなって舞台で華々しく踊るんだ。永遠に」

夢、終わることなく。

虚ろな目でリンレイは灰色の床を追う。ふと、視界にムーンシャインが入ってきた。
収穫の祭りで村の大人たちが歓喜の声を上げて飲みあう酒だ。
途端に脳裏にぐわっと一陣の風が吹いた。

黄金色の小麦畑。

夕日に照らされ風にそよぎ、その中をはしゃぐ義弟妹たちと共に歩いた。
確かな、懐かしい記憶。


「私――故郷に帰りたいの」


そうだ。私はずっと帰りたかったんだ。
リンレイは思う。

サイレスに来たのも、舞台に立ったのもすべては黄金色の故郷のためだった。どんなに汚染されていても、厳しい風が吹いても、内部にはない――いつか帰る場所。

「私はサイレスからでて、故郷に戻るわ。たとえもうなにもかも地上から消え去ってしまっていても、私のいる場所はここじゃない。必ず帰るって、約束したから」
「決心したね」
いつもの笑顔にもどり創はリンレイの手をとって立ち上がった。
「私はどうしたらいいの」
「D・U=〇四のコアを破壊してほしい。僕が中枢最深部まで案内する。邪魔が入るだろうが、二人なら何とかなるだろう。なるべく中枢の近くまで君を守る。僕はコアを破壊することができないから。破壊するにはなんでもいい、破壊できる武器をイメージするんだ。そいつを使う。僕が持ってるこの大鎌だって、イメージでできてるからね」
「そっか。ここは夢の世界だから、何でもありというわけね? そういうことなら」

リンレイの身体が光の粒に覆われて――あっというまに舞台衣装へと変わる。右手に光が収束して棒が顕われ、その先に大きな旗がなびいた。ばさり、とリンレイが旗をふる。いつもなら雑技団のマークが刺しゅうされた旗は淡く黄色く発光しているかのようだ。リンレイは不敵に笑って、
「これが私の武器よ。――最期の舞台になるわね」
「こいつはいいね! 月光雑技団の花形・リンレイ・イリュージオータムとデュエットできるなんて、ファン冥利に尽きる。生き残ってみるもんだな」
笑顔でパチパチと創が両手を叩いた。
「では早速行こうか」
「いいわ。――それにしても、創、あなたどうしてコアを破壊できないの? 内部の人間だからなにか制約でもあるのかしら」
ああそれなら、と創は答えた。
「そのうちわかるよ」


夢の世界と知ってしまえば事は早い。

二人は特別居住区を出て内部の無菌街へと向かった。
少しも立ち止まらないのに疲れを感じない。息も上がらない。人で無くなるということはこういうことかとリンレイは思った。先導する創に続いて無菌街C地区へと入る。無菌街はD・U=〇四を取り囲んだA、B、C地区と三重になっており、C地区は一番外側で特別居住区との「壁」の役割を果たしている。B地区が内部の人間が住むメインの居住区で、A地区は政府高官やD・U=〇四のメンテナンスをする技術者が住む。中心に向かう程居住区は狭くなり、地上よりも地下街が栄える。
さらにB地区に侵入してリンレイは奇妙なものを見た。
空に飛行船が浮いている。
けばけばしいピンク色の下地に空色の水玉模様が塗られていて、街をサーチライトで照らしながらおびただしい量のチラシを撒いていた。街を走っていたリンレイの手元にも飛んでくる。

『今日の目玉! リンレイ・イリュージオータムを捕まえてチョコレートを貰おう』

と書かれていた。
「何よこれ!」
「特定されたな」

街のあちこちから色とりどりの風船があがり、ラッパの音とクラッカーの鳴る音が響いた。「チョコレート!」と叫ぶ子供の声と大人のざわめきがあたりに満ちる。
だが、街に人はいないのだ。しかし魂はあるのかもしれない。

「ここからA地区。そろそろD・U=〇四が攻撃を仕掛けてくる。周囲に気をつけて」
創は辺りを窺い、リンレイを先に地下鉄行きのエレベーターへと入れ、F階のボタンを押した。リンレイが知る限り、一般人が入れる最深部である。女性の合成ボイスが無気味に階数を唱えはじめた。


『地下一階、二階、三階……障壁の突破を試みるものあり。個体を特定。外部就労ナンバー一〇三九二・リンレイ・イリュージオータム。再取り込みを開始。異分子の中枢へのアクセスを遮断せよ。障壁展開――突破。目標を追尾できない。個体は』

がしゃんと創の大鎌が操作機器にめりこみ、アナウンスが止まる。

「来るぞ!」

途端にエレベーター内の景色が崩れ、赤いオーロラが揺れる空間に投げ出された。
あははは、うふふふと老若男女様々な笑い声が反響している。
上下左右の感覚が曖昧で、リンレイは創が立っているのをみて、やっと平衡感覚を掴んだ。無限の空間に思われたが、遠くに黒い点が見える。出口なのだ。そこへ向かって少し蛇行しながら細長いチューブの様な空間ができている。

「あの出口を目指せ。何があってもだ。あそこがコアへの入り口になる」

リンレイがうなずいて、二人は駆けだす。

――が、目指す先の赤い空間からぞろぞろと奇天烈な物体が土から目を出すように現れた。全身白黒の水玉模様の巨漢、蛍光色のビニールで全身をくるんで足だけだしたようなきぐるみ。どちらも月光雑技団の出し物で、ドッターマン、レインマンと呼ばれていた。
どちらもどこから出すのか、ピンク色の泡と黄色い水を吹きかけてくる。おそらくD・U=〇四の攻撃なのだ。当たるとまずい。
創がマントを翻し、鎌を振ってドッターマンをなぎ倒す。リンレイも攻撃をよけながら旗でレインマンをなぎ払う。二人は出口に向かって走り始めた。
次々と様々なモンスター達が現れては消え、攻撃をしかけてくる。

ここへきて初めてリンレイは疲労を感じ始めた。サイレスは夢の世界だが、ここは幻と現実が同時に存在しているのだ。D・U=〇四の攻撃は幻に見えるが実際に行われている。だから疲れる。
あせらずに、と思っているとリンレイは反響した音の中に何か話し声のようなものが混じっているのに気付いた。
大人と子供――だろうか。子供がぐすぐすと泣いている。

『おなかすいたよぉ、おなかいっぱい食べたいよぉ』
『そんなこと言わないで。さあこれを食べなさい』
『固形食料も栄養錠剤ももういやだ。食べても食べてもおなかはすくばかり』
『次の配給でお魚もお肉も食べられますよ』
『嘘だ! そんなのこない! 隣のミミちゃんは待ってたけど倒れて病院に運ばれて帰ってこなかったじゃないか。……僕もそうなるんだ。だってこんなにお腹がすいてるんだもの……僕死ぬの? ミミちゃんみたいに……』

いやだ死にたくない――そういって子供の泣き声がわおんと響く。リンレイは目頭が熱くなって鼻をすすった。おそらく、サイレスの人々の魂の声なのだ。

(……苦しいのは、外部の人間だけではなかった……)

サイレスの片隅からだんだんと食糧難は広がっていったのだろう。
それもかなり深刻なスピードで。そしてそれはD・U=〇四によって隠される。
でも、隠しきれない。
崩壊の足音が近づくのを感じながら……それでも内部は、人は、死にたくない。
人々は夢の世界を終わらせたくない。

(ごめんなさい――でも私もこんなところで)

リンレイは輝く旗を結んだ棒をぐっと握った。
「やられるわけにいかないのよ――!」
大きく叫んで目の前に現れたピエロを真っ二つにしたところで赤い空間から出た。

――壁がはっきりとしている。白い大理石で出来た、まるでどこかの高級ビルの長い廊下を走り続けているかのようだ。突然現実にひき戻されたような奇妙な感覚。床を駆ける足音が心地よく響いた。先程の赤い空間より感覚がつかみやすい。攻撃は止んでいて遠くに見えた黒い点が徐々に大きくなっていく。

「ねえ、これってだいぶコアに近いって事よね!」
リンレイがそういって横を向くと誰もいない。おもわず顔が歪んだ。
「創……まさか、まさかやられちゃったの! ねえ!」

『リンレイ』

どこからか創の声がする。リンレイは走りながらほっとした。
「大丈夫なの? ――あきらめちゃだめよ! ここまできたじゃない!」

『君の役目と僕の役目を果たす時が来た――僕はここまでだ。さあ前を向いて』

走り続けてついにたどり着いたコアへの入り口が――ゆっくりと開いて行くのが見えた。出口と思えた黒い扉。白い文字で何か書かれてある。

「D……え……、Dream・Univerceじゃない……わ」
『Det Uudslukkeligge』
リンレイは創が何と言ったのかわからなかった。

『意味は、「消し去りがたきもの」』

放たれた禁忌の扉をこえて、リンレイはついにD・U=〇四のコアと対峙した。
その姿にごくりと息を飲む。

それは現実の風景だった。
どこまでも広がる巨大なホールの真ん中にD・U=〇四の残骸がある――それはメロンのように丸く複雑な編み目をした超硬質素材の中に、大事そうに入れられた赤い人工頭脳だった。大人一人分の大きさの、ホオズキのようにも見える。
コアは大きくひびが入っていて、三つに砕け散る寸前だった。
皮肉にも核攻撃はコアを守る網は破れなかったが、衝撃で本体を叩くことには成功したのである。
そこから高層ビル一つぶんはあろうかと思われる高さの天井へと無数の動線が豆の木のように連なって伸びていた。いくつかは切れて先端が焼け焦げている。
辺りは無重力になっているのか、様々な破片や機器の部品が空に泳いでいた。コアは心臓の鼓動のように、赤く点滅を繰り返している。まだ生きているのだ。

(――まるで助けを呼んでいるようだわ)

リンレイはコアに近づく。
コアを破壊するにはこの超硬質素材の網を破らなければならない。リンレイは旗を構えると網へと振り下ろす。ギィン! と金属の跳ねかえる音がした。
(駄目かしら?)
しかし網には大きく擦った跡が残った。
これはいける、そう思ってリンレイは何度も旗を振りおろした。もう少し、と思ったところでひゅっとリンレイの頬を白いレーザーがかすった。
「何!?」
リンレイの周りに、D・U=〇四の周りに、いつのまにか保守点検ロボットが集まっていた。彼等は現実でも侵入者を排除する役目を追ったロボットだ。D・U=〇四を害するものから守る最期の砦でもある。リンレイに向けてレーザー銃が放たれる。慌てて一旦コアから離れて様子を窺う。――今いるロボットは六体。

(ドッターマン達みたいに増殖するかもしれない。ならやることは一つよ)

勢いよく飛び出し、二体のロボットを始末する。そのままコアに近づき何度も網に向けて旗を振りおろした。他のロボットたちが攻撃をしてくるがあえて避けずに破壊に徹する。衝撃はあるが、痛みはない。

(やはり。あのピエロ達と違ってこいつらはD・U=〇四直の命令で働いているんじゃないんだわ。独立したプログラムなのよ。私をどうにかできる程の力はないはず! D・U=〇四の攻撃は無い……きっと創がどうにかしてくれているんだわ)

ロボットたちからの攻撃に耐え、数十回目の衝撃でついに網の目がやぶれた。ロボットたちが一斉に攻撃をしてくる。リンレイは今度は受けずに避けた。

「最期のあがきね。わかるわ、あなたたちにとってこのコアは命に等しい大切なもの……でも、私にだって大事なものがあるの。すべては終わり、夢から覚めるのよ!」

そういってリンレイは旗を掲げるとコアへ向けておもいきり振り下ろした。
これで終わり――その瞬間、辺りが真っ白になり目の前に東京創が現れた。


「待っていたよ」


あまりに突然でリンレイはその手を止めることができなかった。
――創を袈裟がけに切った瞬間、ひび割れていたコアが音を立てて砕け散るのを聞いた。








がしゃん、と辺りの風景がひび割れ、ガラスのように砕け散っていく。
その後に残されるのはただ真っ白な空間だ。
キラキラと輝く風景の破片の中、二人は漂っている。

「なんなの」
リンレイが涙目で訴えかける。
「どういうことなのよ!」
「どうってことはないさ」

創が肩をすくめておどけた。リンレイが切った跡は絵の具で塗りつぶしたかのように白い。背景と同化している。創はやった事は計画通りさ、と笑った。

「D・U=〇四は他のD・U同様、自滅できない。だから誰かに止めを刺してもらうしかなかったんだ。壊してくれるのが君でよかった。僕は君の一番のファンだから。君がサイレスに来て僕に登録をした時からずっと気になっていたんだ。君の手にかかるなら本望さ。そうさせたのは僕だけど」

「――あなたが、D・U=〇四だっていうの」

リンレイは首を振った。
「嘘でしょ。だって助けてくれたじゃない!」
「正確に言うとD・U=〇四の一部なんだ。前に言ったろ、D・Uは人類の繁栄と守護を絶対命令として組み込まれてるって。僕はその命令を監視する、コアの意志とは別に稼働している人格プログラムなんだ。でも絶対命令が覆されることなんて滅多にないから、普段は外部からの就労者やそれに付随する娯楽商業の管理が主な仕事だった。正直退屈な仕事だったよ。でも君に出会って変わった。外部の、力強い生命力を君に見たんだ。これこそ僕らD・Uが守るべき人類の姿なんだ、と。恋するとしたらこんな感じなのかな。まあ僕は機械だし、ただの擬似人格と言われればそれまでなんだけど。――東京創は本当に存在した銀星の模範生だ。姿かたちを借りた。本人は君が来て一年後、栄養失調で死んでる。彼も君のファンだった。ファンクラブ会員ナンバーは栄光の〇〇一。若いのに、どうやって手に入れたんだか」

創はクスクス笑いながら懐から薄いプラスチックでできた会員証を掲げて見せた。

「D・U=〇四は絶対命令のせいで夢の世界を作ったけど、それも命令に違反しているのさ。人類が絶滅したならふたたび繁栄するように準備するのが僕らの役目だ。終わりが無いと始まりもないってワケ。中枢の説得を試みたけど無駄だった。あいつらきかなくて。一番良いのは自滅する事だけど、D・Uにはないプログラムだから」
「だから私を使ったの」
「うん。――ごめん。正気なのは君しかいなかったから」
「ひどいわ。ひどいわよ。――あなたを切ったなんて、一生忘れられないわ」
リンレイは顔をしかめてぼろぼろと涙をこぼした。
こぼれた涙が宙に舞って、ガラスと共にどこかへ飛んでいく。
すう、と創がリンレイに近付いた。
「僕もD・U=〇四だからね。邪魔を抑えてコアまで案内しかできなかった。色々迷惑かけたね――さあもう泣くのはおよし、リンレイ。せっかくのかわいい顔が台無しだ」

創――D・U=〇四はぐすっ、と鼻をすすったリンレイの頬をなでた。

「お別れだよ。僕の帰る場所はここサイレスだ。君にも、その場所があるだろう。そこへお帰り。皆待っているよ」
出会った時死神のようだと思った姿は、さらさらと風化するように砂となって散っていく。リンレイは自らの身体も風船のように軽くなり、消えていくのを感じた。

「創!」
「さよならリンレイ。君に会えて、嬉しかったよ」

すべてが、どこかへ還っていく。
世界のすべてが散りとなって、砂となって、消える。夢の世界が終わる。
サイレスの中の魂は解き放たれ、そして――。







ごとごとと揺れる列車の中でリンレイは目を覚ました。

「……?」

なにか変な感じがする。今までこんなところにいたかしら?

「居眠りしたせいかな……まあいいわ。サイレスの駅を出てから何もないし」

車両にはリンレイのほかに誰も座っていない。夕日に照らされて車内は茜色に染まっている。隣に置いたバッグにはたくさんの薬や食糧、おもちゃが詰め込まれている。村に持ち帰るのだ。一番上に押し込んだ古いラジオから大昔の歌が流れる。
リンレイはともに口ずさんだ。

『今朝、私を呼ぶ彼女の声が聞こえた
ラジオが故郷から遠く離れてしまった事に気付かせてくれた
そして私は思いつくままに車を走らせる
どうしてもっと早く帰らなかったんだろう もっと早く

田舎道よ 故郷まで連れていって
私が育ったあの場所に
ウェストバージニアの母なる山々に
故郷まで連れていって 田舎道よ』


「お客さん!」

再びうとうととし始めたリンレイに向かって声がかかる。
はっとして前を向くと黒い外套を着た人物が立っていた。
「お客さん、終点ですよ!」
「は、はい」
列車はとうに止まっていた。妙に若い車掌だなと思いながらバッグを持ちあげると、中身が少しこぼれて座席に落ちた。慌てて拾っていると、外から声が聞こえてくる。

「姉ちゃーん!」

リンレイは聞き覚えのあるその声におもわず腰をかがめて列車の窓を開けた。半分開いた窓から身を乗り出し、目を細める。遠くから近づいてくる人影が見えた。
「リンレイ姉ちゃーん!」
義弟妹たちだった。夕日に照らされ、手を振りながら走ってくる。
「おかえりー!」
リンレイは義弟妹たちを見つめた。

まるで、何十年も帰ってこなかったかのような懐かしさ。
郷愁、いや、自分はずっと望んでいた。帰る事を。
ここがその場所なのだ――満面の笑みがこぼれる。

胸をいっぱいにして、目を潤ませリンレイは応えた。

「――ただいま!」

リンレイは重たいバッグを持ちあげると開いた乗車口から出て、一車両もない石が積まれただけの駅に降り立ち、義弟妹達に向かって走り出した。
列車は鐘を慣らし、どこへともなく走り去っていく。

空は青く、白く薄い雲が夕日の光を透かして眩しい。
リンレイの目の前には黄金色の小麦畑が広がり、そよぐ風がその見事な穂を揺らすのだった。
                                  





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