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第八章 彼の気持ち(蒼side)

45.修羅場

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「おい、津田っ! どういうことだよ!」
 営業二課の先輩の一人が津田くんに駆け寄った。

「俺と付き合ってくれるって約束だろう、パパ活って、枕営業ってどういうことだ!?」
「え、まさか……、僕が電話しているの盗み聞きしてたの……?」
「盗み聞きしていたも何も、フロア中に丸聞こえだっ!」
 先輩は悔しそうに肩を振るえわせた。

「お前、まさか俺のこと利用してただけだったのかよっ!」
「待って、落ち着いて……。これにはわけが……」
 津田くんは先輩をなだめようとするけど、先輩の感情は治まらない。

「俺、お前がやれって言うから、今までずっと野々原の営業先の企業リストを契約が取れなさそうな会社ばかりにすり替えてやっていたっていうのに、そんなことさせておいて実は付き合うつもりなんてなかったのかっ!?」
 え、僕のリストをすり替えていた? 確かにこの先輩は企業リスト制作担当だけど……。

「だからお前は今まで自力で契約が取れなくて当然だったんだ」
 いつの間にかそばにいた鬼塚課長が僕にそう言った。
「どうやら直近で一度、誰かが飛び込み営業しに行って、きっぱりと断られていた企業や受付が手厳しくて絶対に担当者を出してくれないとわかっている企業の訪問履歴を消して、お前に新規企業として配布していたんだな」
 入社後半年、僕が契約取れなかったのはそれが原因だったのか……。てっきり僕がダメだからだと思っていたのに。

「でも課長、僕が契約ゼロだったとき、もうクビにするって言ったじゃないですか……?」
「それはお前に契約を取ってこられるだけの実力があるのにずっとゼロのままだから少し喝を入れてやったんだ。まさか企業のリストに細工がされていたとはな。俺も気付いてやれなくてすまなかった」
「いえ、そんな……」
 いつもは厳しい鬼塚課長に頭を下げられて、僕はなんだか恐れ多くて居心地が悪かった。

「俺とは最初から付き合う気なんかなかったんだな、人の気持ちを弄びやがってっ!」
 激情した先輩に津田くんが突き飛ばされて倒れ込んだ。

「津田くんっ……」
 僕はすぐさま駆け寄った。

「フン、なんだよ……」
僕が差し出した手を掴まずに、津田くんは立ち上がった。
「バカにしやがって……。どうせ今、僕のこと惨めだと思って見下してんだろ?」
 津田くんは僕に喧嘩腰で迫った。

「そんな、見下してなんて……。僕たち同期入社じゃないか。僕は半年経っても一人前になれない焦りの中で、すぐそばに同期の津田くんがいてくれたことが心強かったんだ」
 普段は照れくさくて伝えたことなんてなかったけど、津田くんは僕にとってとても嬉しい存在だったのだ。

「はぁ? バカじゃん? お前は僕に引き立て役にされていたっていうのに。やっぱりお前ってムカつくな。隣人の犯罪者と一緒に始末されちゃえばよかったのに」
 津田くんの発言に僕は呼吸が止まりそうになった。リイさんを追っていた侵入者の話、会社では誰にも話していないのに……。
「どうして津田くんがリイさんのこと知ってるの……?」

「お前ってホントとろいな。パパに探偵雇ってもらって、お前の周りを調べてもらったんだよ。そしたらお前んちの隣の李という男がなんだか知らないけど怪しい男たちに追われているってわかって。だから居場所を伝えてやったんだ。どうせ違法就労か犯罪者なんだろ?」
「冗談じゃない、リイさんは犯罪者なんかじゃないよっ!」

 急に両親を失って、一人であの古いアパートに住むことになった僕は戸惑いの連続だった。建付けは悪いし窓からはすきま風が吹き込むからゴキブリや蚊に悩まされたけど、リイさんは手作りのホウ酸団子をくれたし、窓にネットを貼り付けて蚊よけにできると教えてくれた。
 叔父さんが借金の取り立てに来るのを見ていたから、僕がお金に困っているのを知っていて、店で余った野菜の切れ端なんかを「どうせ捨てるものだから」とそっとわけてくれた。
 すごく優しい人なんだ。彼なしじゃ僕はあのアパートでの極貧生活に耐えることなんて出来なかったんだ。

「リイさんのこと何も知らないのに、勝手なこと言わないでよ……」
 ショックだった。あの追っ手たちにリイさんのことを伝えたのが津田くんだったなんて。
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