紅い瞳の悪魔

ぎんげつ

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1.事件

どうか彼女をお護りください

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 胸騒ぎはおさまらず、エルレインはどうにも落ち着かないままに自室で過ごしていた。衣服は聖務が終わった時のまま、鎧すら脱がずに、だ。
 そうやってまんじりともできずに過ごしていた夜半過ぎ、教会に入った知らせに、矢も盾もたまらず飛び出した。
 すぐさま愛馬“白き矢”を呼んで飛び乗ると、町中であるにも関わらず、一直線に廃墟へと走らせたのだ。

 ……だが、時はすでに遅く。

 見つかったのは物言わぬ町の者と、この夜の巡回当番だった警備兵と教会騎士、それだけだ「」った。アストリッドの姿だけが無く……おびただしい血痕の中、事切れた彼らだけが、まるで人形か何かのように転がっていた。

 なぜ、アストリッドの姿だけがここにないのか。ただ、アストリッドが常に身に付けていた、天秤と剣の聖印だけが残されていた。

 夜明けを待って、エルレインは冒険者たちが多く滞在する宿を訪れた。
 起き出してきた冒険者を片っ端から捕まえて、追跡に長けた者をその場で雇い、廃墟へと取って返したが――。



「うわあ」

 雇った猫人の冒険者、アシュはひと言だけそう漏らすと、思い切り顔を顰めた。鼻を数度ヒクつかせ、「血の臭いが濃すぎるよ」と肩を竦める。
 猫人は鼻が利くというが、こうも血臭が濃くては、それ以外のことがわからないということらしい。それでも気を取り直したアシュは、念入りに地面を調べてみた。
 だが、やはり吐息を漏らすばかりで。

「荒らされ過ぎてて、これじゃ何が何だか」

 気の毒そうにエルレインを振り返る猫人の眉尻は下がっていた。

「ともかく、俺が今パッと見た限りでは、固底の靴跡が入り乱れてることくらいしかわからない。それも、後から駆けつけた警備兵たちの足跡ばかりだろうってくらいだ。門のところもそんな感じだったし、警備兵以外にどんな出入りがあったか、ここだけじゃ無くてもっと範囲を広げて調べる必要がある。
 もちろん、調べるには相応の時間もかかるよ」

 エルレインの眉間に寄った皺に気づいて、アシュはもう一度肩を竦めた。

「焦る気持ちはわかるよ。どうやら聖騎士さんの大切なひとなんだなってことくらいは、俺にだってわかるし。
 でも、司祭さんはたぶん生きてるよ。でなきゃ連れ去ったりしない。それに、わざわざ生かして連れ去ったんだ。簡単に殺したりはしないさ」
「そうだろうか……」
「ま、俺の勘だけど。でも、連れ去ったなら、何か理由があるはずなんだ。
 だいたいさ、死体が欲しいなら、生きてる者を襲うより墓場を狙うほうが簡単で確実だよ。それに、死体目当てなら司祭さん以外を残したりしないって。
 だから、司祭さんは生きてる。生きてるなら、きっと助けられる」

 だが、励まし半分確信半分のアシュの言葉に、黙り込んだエルレインの眉間は寄ったままだった。
 むしろ、一層厳しくなった表情と深くなった皺に、アシュは首を傾げる。

「聖騎士さん?」
「アシュ、“シャルルロア”という家名に聞き覚えは?」
「シャルルロア? うーん、どうだろう。俺はあまりそういうの詳しくなくて。仲間の……ウォレスかタイレルなら知ってるんじゃないかな」

 唐突な質問に、仲間の司祭と魔術師の名前をあげながら、アシュは伺うように見つめる。エルレインはしばし考え、それから思い切ったように口を開いた。

「シャルルロアは、この“封印の町”の、かつての領主家の家名だ」
「領主家? でもここは教会の直轄地じゃ?」
「それは、悪魔に憑かれた領主を封印した後、教会が町を治めることになってからの話なんだよ」
「もしかして……この廃墟はもと領主家だったとか?」

 エルレインの首肯に、崩れた建物や荒れた敷地をぐるりと見回したアシュの声が真剣味を帯びる。

「そう。そしてアーシェの家名はシャルルロアで、彼女は悪魔を告発した領主家の娘の末裔だ」
「え?」

 アシュはをぱちくりと瞬かせ、それから、「まさか」と目を瞠る。

「だから……私には、アーシェが生きて攫われたほうがまずい状況に思える」
「噂の“悪魔”が本当に復活したなら、司祭さんを狙うってこと? この惨状は偶然じゃないって?」

 頷くエルレインに、さすがのアシュも考え込んでしまった。

「――だったら、なおさらだ。絶対にまだ生きてるはずだよ。連れ去ってすぐ殺してしまうようなことはしない。
 考えてみなよ。“悪魔”の復讐にしろ、生贄にしろ、それを遂行するのにふさわしい時と場所があるはずだ。早々死なせたりはしないって」

 “生贄”という単語に、エルレインは思わず顔を上げる。その顔からは、血の気が引いていた。

「わからないことだらけの時はいろんな可能性を考えて、そこから攻めてくべきだって、うちの魔術師はいつも言ってる。
 で、俺が考えついた可能性は、司祭さんが生きてるってものばっかりなんだ。だから、聖騎士さんにも司祭さんにも時間はまだあるよ」

 色を失ったエルレインの顔を覗き込むようにして、アシュは強く笑う。
 淡い色の和毛に覆われた顔が、どことなく頼もしい。

「――なあ、聖騎士エルレイン、この件、俺たちに正式に依頼しないか?
 俺たちはこういうの慣れてるよ。人探しだって捜索だってやってきた。荒事だって十分こなしてきてる。魔物相手ばかりじゃなく、ね。
 それに、聖騎士さんは教会付きじゃなかなか思うように行動できないだろう? だけど、俺たちに協力させてこの件を調べるってていにすれば、もっと動きやすくなるんじゃないかと思うんだ」

 アシュの提案に、エルレインはなるほどと頷いた。聖騎士として、聖務に公私混同は厳禁だ。だが、今回の件なら、公私混同とは言い難いのではないか。

「もっとも、ちゃんと報酬はもらうからね。応相談だけど、なあなあにはしないよ。あ、教会からの依頼ならもっといいな。箔もつくし、首尾よく悪魔退治できれば報奨金も期待できるからね」

 続いた調子のいい言葉に、エルレインは思わず笑みを浮かべる。
 アシュの仲間は、これまで結構な経験を積んだ、ベテランの冒険者だという。こういうちゃっかりしたところも、彼らの成功の一因なんだろう。

「……教会も警備も、今回の事件のおかげで手が足りなくなるはずだ。教会には私から話を通してみよう。
 アシュは、仲間に話をしておいてほしい」
「ああ、任せてよ」

 エルレインは、差し出された手をしっかりと握った。


 * * *


 教会へ戻ってすぐ、エルレインは直属の司教のもとへと赴いた。

 ――だが。

「すぐに許可は出せません」
「イヴァン司教猊下、ですが……」

 イヴァンに即断されて、エルレインはさすがに動揺してしまう。
 それでは、せっかくアストリッドが生きているとしても、無事に助け出せるかどうかがわからない。

「まだ“悪魔”と決まったわけではありません。町の中に、手を下した者が潜んでいる可能性も否定できないのです。
 聖騎士エルレイン、教会は、まずその可能性を潰すべきだと考えています」
「ですが、それではアストリッドが……」

 イヴァンは、小さく溜息を吐く。
 正義と騎士の神は、その呼び名のとおり、何よりも正義に基づく秩序と騎士道を重んじる神だ。目の前のひとりだけではなく、より多くの者をより良い方向へ導くことを優先せよと教えている。
 今、生死すら不明の司祭ひとりにかまけ、町の秩序が脅かされるようなことになってはならないのだ。

「アストリッド司祭の安否はもちろん懸念事項です。ですが、それよりも町の治安と安定を優先すべきなのです。昨夜の事件を受けて、どれだけ町の住人が不安にとらわれているか、あなたにわからないわけがないでしょう。
 アストリッド司祭も、そのことは理解できるはずです」
「ですが、ですが猊下」
「聖騎士エルレイン。それとも、あなたは教会の決定に従えないと言うのですか? あなたは叙勲に際してどのような誓いを立てたのか、忘れたと?」
「――いえ」

 キリ、と唇を噛んで、エルレインはわずかに項垂れる。
 聖騎士は誓いに縛られる。
 聖騎士として叙勲を受けて誓いを立てたことは、エルレインの誇りだ。だが、今はそのためにアストリッドが……。

「では、聖騎士エルレイン。この後はネストル聖騎士長の指示に従うように」
「わかり、ました」

 司教の執務室を辞去し、扉を閉めて溜息を吐いた。
 自分が動けないとしたら、私財を使ってアシュの仲間を雇い、彼らにアストリッドの捜索を委ねるしかないだろう。

「くそ」

 片手でぐしゃぐしゃと頭を掻き回し、小さく悪態を漏らす。
 今すぐにでも自分の手でアストリッドを探しに出たいのに、誓いを立てた身ではそれも儘ならない。



「聖騎士エルレイン、参りました」
「入れ」

 扉をノックすると、すぐに声が返った。中へ一歩進み、一礼して顔を上げると、聖騎士長ネストルと目が合った。

「ひどい顔をしている」
「――問題、ありません」

 開口一番にそんなことを言われて、エルレインは思わず顔を顰めてしまう。
 当たり前だ。アストリッドの無事がわからないのだから。

「おおありだろう。聖なるものの末裔にして優秀な聖騎士エルレインにも、弱点はあるということか」

 からかうような口調で畳み掛けられて、エルレインの眉根が寄った。いったい何が言いたいのかと、つい非難するような視線を向けてしまう。
 ネストルはエルレインの視線を受け止めると、肩を竦めて眉を上げた。

「今度の件で、なぜ我々に妻帯する者が少ないのか、思い知ったろう?」
「それは……」
「別に、辞めろと言うつもりはない。個を捨てて全を守ることは必要だが、だからといってその逆が間違っているというわけではないんだからな」
「ネストル聖騎士長?」

 ネストルが何を言いたいのかはかりかねて、エルレインの視線が訝しむようなものに変わる。ネストルはもう一度肩を竦め、軽く息を吐いた。

「司教猊下がお前に何を言ったかなんて、想像に難くない。だが、猊下にも立場というものがあるんだ」
「ですが、時間を置けばそれだけアーシェは」
「わかっている。だが焦るな。焦ればそれだけ足元を掬われる」

 返す言葉もなく、エルレインは黙り込む。ネストルはカツカツとブーツを鳴らしてエルレインの目の前に立った。

「だから、エルレイン。お前には廃墟の捜索を命じる」
「聖騎士長?」
「町中は、すでに警備隊と協力のうえで捜索は始まっている。手付かずなのは廃墟だけだ。だからお前はそこを調べろ。本物の“悪魔”か決まったわけではないなら、調べる必要はある。協力者に心当たりはあるか?」

 ネストルの命に、エルレインはしばし呆然とする。ぽかんと見返す彼に、ネストルはにやりと笑った。

「は、はい、冒険者でしたら」
「なら、協力を仰げ。冒険者なら御誂え向きだ。資金は後で渡そう」
「あ……ありがとうございます、聖騎士長」
「いいか、この教会にアストリッド司祭をどうでもいいなんて考えている者は、誰もいない。だが、教会にも司教猊下にも、立場上それより優先しなきゃいけないことがあるだけなんだ」
「それは、わかっています」
「騎士隊の人員配置は俺に一任されている。適材適所で配置したまでだ。礼を言われるようなことじゃない。
 だが、そうはいっても三日だ。お前をそこに集中させておけるのは三日が限度だと考えておけ。三日以内に結果を出すんだ」
「はい。三日以内には、必ず」
「尊いお方の導きと加護が必ずある。くれぐれも自棄になるな。冷静に行け」
「はい」

 遥か高みより我らを導く尊いお方よ、どうか彼女アーシェにあなたの加護を。
 どうか彼女アーシェをお護りください。
 ネストルのもとを飛び出すと、エルレインは加護と祝福を乞う祈りを呟きながら、すぐさまアシュのところへと急いだ。

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