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深淵の都
またこの展開か
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「ミケ、ミケ、いよいよ本番だ。気を引き締めていこう」
「ヴィー……戦場に赴くんじゃないんだから、もう少し肩の力を抜いて」
そろそろ夕刻の鐘がなるという頃合いに合わせて、エルヴィラとミーケルは連れ立ってカーリス家の屋敷へと向かった。
ふたりとも訪問にふさわしくと、改めて身形も整え直している。
「気を抜くと骨の髄まで持っていかれるんだぞ! 油断禁物なんだ!」
ぐぐぐと気合を込めて拳を握るエルヴィラに、ミーケルはまたかと呆れた顔で笑う。
確かに油断禁物かもしれないが、エルヴィラの考える油断はこれから想定されるものと明らかに違うはずだ。
「前からすごく疑問だったけど、ヴィーの家ってどんなところなの」
とたんに顔を顰めてごくりと喉を鳴らすエルヴィラに、ミーケルは首を傾げる。
「――皆、強い」
「うん」
「それに、母上が、すごく、怖いんだ」
「へえ?」
つ、と一筋、エルヴィラの顔を汗が伝う。
「父上や兄上たちはともかく、母上はものすごく厳しくて……ど、どうしよう、ミケ。母上が許してくれなかったら、どうすればいいだろうか」
「そんなに?」
いきなり取りすがってくるエルヴィラに、ミーケルは少し驚いてしまう。
「だって、父上がいいと言っても、母上が頷かなければ何も通らないんだ。私が暴れても兄上が説得しても、絶対ダメなんだ。かろうじて婆さまが口添えしてくれれば希望はあるけど、そんなこと滅多にないし……どうしよう、ミケ。母上は頷いてくれるだろうか」
「それは……まあ、会ってみなきゃわからないだろうね」
「う……」
目に涙まで滲ませて顔を顰めるエルヴィラを、ミーケルはよしよしと宥める。つまり、父や兄があの調子で甘やかす分、母親が厳しくしたということか。
カーリス家の屋敷は、戦神教会からさほど離れていない住宅街の中にある。たいした庭園などは無いものの、中庭には広い鍛錬場を備えたそれなりに大きな屋敷だった。
正面玄関の扉についた大きな重いノッカーを打ち、エルヴィラが訪問を知らせる。
扉の覗き窓がちらりと動いてすぐに、扉が大きく開かれた。
「エルヴィラ!」
「あ、兄上! ソール兄上!」
扉を開けたのは使用人ではなく、長兄のソールだった。教会の騎士服のままなのは、帰宅して間も無いということだろう。
ミーケルやオーウェンよりも少し背が高く、身体もがっしりと厚みがあるのは、さすが戦神教会騎士隊の一員というべきか。
「さあ、中へお入り。父上はもうしばらくしたら帰ってくるはずだ」
ふたりとも中へと招き入れると、ソールはミーケルにちらりと目をやった。
「カーリス家が長男、ソール・カーリスだ」
「オスヴァルト・ストーミアンと申します」
ソールは一礼するミーケルへ鷹揚に頷くと、またエルヴィラに視線を戻す。
「教会でお前が帰ってきたという話を聞いて驚いたぞ。帰るなら、どうして知らせをよこさない」
「急に決まったことで、手紙を出す時間が取れなかったんだ」
少し申し訳なさそうな顔になって見上げるエルヴィラの頭に、ソールがぽんと手を置いた。
家を出た頃に比べ、色も変わりずいぶん短くなってしまった髪にソールはわずかに眉尻を下げる。腰まであった長さが、今ではようやく背に届く程度だ。
「何にしろ、元気そうでよかった」
「――兄上!」
思わず抱きつくエルヴィラの頭をわしわしと搔きまわしながら、ソールは安堵の吐息を漏らした。
オーウェンから話を聞いてはいたものの、実際に会うまでやはり不安だったのだ。
「どう変わったのか少し心配だったが……これなら大丈夫だ。黒髪のお前も変わらずにかわいい。目の輝きも変わっていない」
「兄上、兄上!」
ぎゅうと抱きついて、エルヴィラはソールの身体にぐりぐりと頭を擦り付ける。これはエルヴィラの癖なのだろう。なるほどなとミーケルは小さく頷く。
「よしよしエルヴィラ。いつまでも子供のようだな。そうだ、後で剣も見てやろう。オーウェンから少し聞いたぞ。腕を上げたそうじゃないか」
「でも、オーウェン兄上には負けてしまったんだ」
しょんぼりとするエルヴィラに、ソールはまた頭を掻き回すように撫でまくる。
「当たり前だ。そうそう妹に負けるようでは、カーリス家の男として示しがつかないだろうが。
――ところでエルヴィラ。彼が夫候補だな? この形でオーウェンを負かしたというのはほんとうなのか?」
「ほんとうだぞ! ミケはすごいんだ! それに候補じゃない、私の夫だぞ!」
やっぱり長兄の甘やかしっぷりもすごかったと、ミーケルは外向きの微笑みを張り付かせながら考えた。
それにしても、これだけ甘やかされまくっておいて、どうしてあの侯爵令嬢のようにはならなかったのか。やはり、騎士としての鍛錬のおかげなのだろうか。それとも厳しいという母の躾の賜物か。
「では、そいつの剣の腕も確かめてやろう」
「え、いや、僕は剣が本職ではありませんし」
急に話を向けられて慌てるミーケルの言葉に、エルヴィラも頷く。
「そうなんだ、兄上。ミケは剣ではなくて歌で戦いを助けてくれるんだ。ミケの歌があれば、私だってそうそう兄上に遅れを取ることはないぞ」
なるほど、そういえばこいつは詩人だったかと、ソールはミーケルを見やる。
「ほう? では、試してみるか」
「望むところだ兄上!」
「ヴィー……戦場に赴くんじゃないんだから、もう少し肩の力を抜いて」
そろそろ夕刻の鐘がなるという頃合いに合わせて、エルヴィラとミーケルは連れ立ってカーリス家の屋敷へと向かった。
ふたりとも訪問にふさわしくと、改めて身形も整え直している。
「気を抜くと骨の髄まで持っていかれるんだぞ! 油断禁物なんだ!」
ぐぐぐと気合を込めて拳を握るエルヴィラに、ミーケルはまたかと呆れた顔で笑う。
確かに油断禁物かもしれないが、エルヴィラの考える油断はこれから想定されるものと明らかに違うはずだ。
「前からすごく疑問だったけど、ヴィーの家ってどんなところなの」
とたんに顔を顰めてごくりと喉を鳴らすエルヴィラに、ミーケルは首を傾げる。
「――皆、強い」
「うん」
「それに、母上が、すごく、怖いんだ」
「へえ?」
つ、と一筋、エルヴィラの顔を汗が伝う。
「父上や兄上たちはともかく、母上はものすごく厳しくて……ど、どうしよう、ミケ。母上が許してくれなかったら、どうすればいいだろうか」
「そんなに?」
いきなり取りすがってくるエルヴィラに、ミーケルは少し驚いてしまう。
「だって、父上がいいと言っても、母上が頷かなければ何も通らないんだ。私が暴れても兄上が説得しても、絶対ダメなんだ。かろうじて婆さまが口添えしてくれれば希望はあるけど、そんなこと滅多にないし……どうしよう、ミケ。母上は頷いてくれるだろうか」
「それは……まあ、会ってみなきゃわからないだろうね」
「う……」
目に涙まで滲ませて顔を顰めるエルヴィラを、ミーケルはよしよしと宥める。つまり、父や兄があの調子で甘やかす分、母親が厳しくしたということか。
カーリス家の屋敷は、戦神教会からさほど離れていない住宅街の中にある。たいした庭園などは無いものの、中庭には広い鍛錬場を備えたそれなりに大きな屋敷だった。
正面玄関の扉についた大きな重いノッカーを打ち、エルヴィラが訪問を知らせる。
扉の覗き窓がちらりと動いてすぐに、扉が大きく開かれた。
「エルヴィラ!」
「あ、兄上! ソール兄上!」
扉を開けたのは使用人ではなく、長兄のソールだった。教会の騎士服のままなのは、帰宅して間も無いということだろう。
ミーケルやオーウェンよりも少し背が高く、身体もがっしりと厚みがあるのは、さすが戦神教会騎士隊の一員というべきか。
「さあ、中へお入り。父上はもうしばらくしたら帰ってくるはずだ」
ふたりとも中へと招き入れると、ソールはミーケルにちらりと目をやった。
「カーリス家が長男、ソール・カーリスだ」
「オスヴァルト・ストーミアンと申します」
ソールは一礼するミーケルへ鷹揚に頷くと、またエルヴィラに視線を戻す。
「教会でお前が帰ってきたという話を聞いて驚いたぞ。帰るなら、どうして知らせをよこさない」
「急に決まったことで、手紙を出す時間が取れなかったんだ」
少し申し訳なさそうな顔になって見上げるエルヴィラの頭に、ソールがぽんと手を置いた。
家を出た頃に比べ、色も変わりずいぶん短くなってしまった髪にソールはわずかに眉尻を下げる。腰まであった長さが、今ではようやく背に届く程度だ。
「何にしろ、元気そうでよかった」
「――兄上!」
思わず抱きつくエルヴィラの頭をわしわしと搔きまわしながら、ソールは安堵の吐息を漏らした。
オーウェンから話を聞いてはいたものの、実際に会うまでやはり不安だったのだ。
「どう変わったのか少し心配だったが……これなら大丈夫だ。黒髪のお前も変わらずにかわいい。目の輝きも変わっていない」
「兄上、兄上!」
ぎゅうと抱きついて、エルヴィラはソールの身体にぐりぐりと頭を擦り付ける。これはエルヴィラの癖なのだろう。なるほどなとミーケルは小さく頷く。
「よしよしエルヴィラ。いつまでも子供のようだな。そうだ、後で剣も見てやろう。オーウェンから少し聞いたぞ。腕を上げたそうじゃないか」
「でも、オーウェン兄上には負けてしまったんだ」
しょんぼりとするエルヴィラに、ソールはまた頭を掻き回すように撫でまくる。
「当たり前だ。そうそう妹に負けるようでは、カーリス家の男として示しがつかないだろうが。
――ところでエルヴィラ。彼が夫候補だな? この形でオーウェンを負かしたというのはほんとうなのか?」
「ほんとうだぞ! ミケはすごいんだ! それに候補じゃない、私の夫だぞ!」
やっぱり長兄の甘やかしっぷりもすごかったと、ミーケルは外向きの微笑みを張り付かせながら考えた。
それにしても、これだけ甘やかされまくっておいて、どうしてあの侯爵令嬢のようにはならなかったのか。やはり、騎士としての鍛錬のおかげなのだろうか。それとも厳しいという母の躾の賜物か。
「では、そいつの剣の腕も確かめてやろう」
「え、いや、僕は剣が本職ではありませんし」
急に話を向けられて慌てるミーケルの言葉に、エルヴィラも頷く。
「そうなんだ、兄上。ミケは剣ではなくて歌で戦いを助けてくれるんだ。ミケの歌があれば、私だってそうそう兄上に遅れを取ることはないぞ」
なるほど、そういえばこいつは詩人だったかと、ソールはミーケルを見やる。
「ほう? では、試してみるか」
「望むところだ兄上!」
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