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護森

変わらなかったから

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 ふああ、と大きく欠伸と伸びをして、エルヴィラはもぞもぞと起き出した。
 きょろきょろとあたりを見回し、すぐそばに毛布に包まったミーケルがまだ寝ていることを確認してにひゃっと笑う。
 それから昨日と同様に寝そべるシェイファラルに、「おはよう」と挨拶をした。

「おはよう。お前は朝早いのだな」
「ちゃんと鍛錬をしないとな。都で兄上たちと手合わせした時に万一衰えていたら、大変なことになる」
「ほう? お前の兄上たちは、それほど強いのか」
「皆、爺様にしっかり鍛えられてるんだ。爺様は戦神の司祭でとても強かったから、私も容赦なく鍛えられた」
「なるほど」

 身体を解す運動の後、剣の型をなぞるように素振りを始めたエルヴィラを、シェイファラルは感心したように眺める。

「そうだ、シェイファラル。竜も剣を習ったりするのだろうか」
「そうだな。狭いところで戦うことは意外に多いものだ。人型に変わる竜に、まんいちのことを考えて剣を嗜むものはそれなりに多いぞ」
「そうか!」

 なるほど、だからアライトは人型のときに剣を下げてたのか。あれが飾りではないなら、今度訪ねた時に手合わせをしてもらおう。
 ――エルヴィラは、そんなことを考える。

 ふむ、と頷いたシェイファラルは、ふと思いついたように口を開いた。

「エルヴィラ、ひとつ質問がある。お前はいつからミーケルが唯一だと考えていた?」
「いつから?」

 エルヴィラは少し考え――ポンと手を叩いた。

「キスだ」
「ん?」
「キスが、避けられなかった」
「ほう?」

 エルヴィラは眉間に皺を寄せる。

「ミケには騎士のくせに油断してるからだって言われたけど、おかしいんだ」
「おかしいとは?」
「だって、私は爺様や兄上たちからどんな時も油断するなって仕込まれてたし、あれが剣だったら絶対避けた自信もある。
 なのに、ミケのキスは避けられなかったんだ」
「ほほう」

 シェイファラルはわずかに目を瞠り、おもしろそうににいっと口角を上げる。

「なぜだろうって考えたが、結局、避けたくなかっただけなんだなと思った」
「避けたくなかった、か」
「ああ」

 エルヴィラは相変わらず寝こけたままのミーケルにちらと目をやった。

「オットー様にキスされそうになった時は避けたんだ。それまではもうこの人でもいいかなって思ってたのに、やっぱり嫌で。
 でもミケのは避けられなかったし、全然嫌じゃなかった」

 へらっと笑って、エルヴィラはシェイファラルを見上げる。

「それに、“惚れ薬ラブ・ポーション”を飲んだ時だ。アンジェ神官から、薬の効果はもう切れてるみたいだけど気持ちは変わったかって聞かれた。よく考えてみたけど、薬を飲む前も後も気持ちに何の変化もなくて、どういうことだったんだろうとその時は思ってたんだ」
「なんと、あれを飲んだのか。自分で?」
「そうなんだ」

 呆気に取られた竜に大きく頷いてから、エルヴィラは少し恥ずかしげに笑った。

「ちょっとヤケになってたというか、でも、後から、飲んでも変わらなかったのはどうして……いつからだったのかと考えてみた。
 結局、よくよく考えてみたら、最初に姫様の前でキスされた時からずっと変わってないとわかったんだ」
「確かに。魔法薬を飲んだところで、既に魅了されているものに対してさらに魅了されることはないな」

 シェイファラルはくっくっと身体を震わせて笑う。こんなにおかしいのは久しぶりだと考えながら。

「さすが、ミーケルの唯一となったものだ。一筋縄ではいかない」
「そうかな?」
「それに、ミーケルよりもよほどわかっているようだ」
「そ、そうか? ミケは、いつも私は鈍いって言うんだ」

 目を輝かせるエルヴィラに、シェイファラルはまた笑い出す。

「いやいや。私は、あれもわかっているようでわかっていないと思うぞ」
「シェイファラルのお墨付きなら、私もミケのこと鈍いって言えるな!」

 あは、と笑ってエルヴィラはミーケルを振り返る。
 今度自分のことを鈍いって言ったら、ミーケルだって鈍いじゃないかと言い返そう。



 日が高くなるころにようやくミーケルが起き出した。のそのそと泉に向かい、冷たい水で顔を洗ってようやくさっぱりと目が覚める。

「なんかさ、寝てる間に何か言われてた気がするんだけど」
「気のせいだ」

 にこにこ笑うエルヴィラをじっとりと見つめ、「いいけどね」と身体を伸ばす。

「どうせシェイファラルと一緒に僕のこと好き放題言ってたんだろう?」
「別に好き放題ってことはないぞ」
「そう?」

 ほんとうかな、とまたじっとり見られて、エルヴィラが抱き付いた。

「なんだよ。いつも思うけど、ヴィーって朝からやたら元気だよね」
「ミケも一緒に朝の鍛錬をすればいい。気持ちいいぞ。一日調子が良くなるんだ」
「ヴィーの脳筋理論を基準にするのはやめてくれないか」

 わしわしと頭を掻き混ぜるように撫で回して、「ほら」と手を外す。
 それから、昨晩、土を被せておいた熾火に薪を突っ込んで手際よく火を起こし直すと、湯を沸かし始めた。

「お茶、飲むだろう?」
「飲む!」

 横に座ったエルヴィラがごそごそと荷物から堅焼きパンや干し果物を取り出すと、ちょっと嫌そうに顔を顰めて「またこれか」と受け取る。

「町に着いたら、保存食以外のものを食べなきゃ……」
「ミケはいつもそれだ。我儘だな」

 堅焼きパンをお茶でふやかしながら齧りつつ、エルヴィラが呆れて笑った。

「食事は生きていくうえでの基本なんだよ」
「だって、町に戻れば保存食じゃなくなるのに、我儘言うな」
「別に食べないわけじゃないんだからいいだろう」

 あれやこれやと言い合うふたりの声を聞きながら、シェイファラルは目を閉じる。久しぶりに、賑やかな数日を過ごせそうだと考えながら。



 それからたっぷり三日間、シェイファラルにこれまであったあれやこれやを話しながら留まり、次に来るときはもっと長居できるように準備してくると約束して、ふたりは“護森”を離れたのだった。





*****

護森

屋久島とか熊野とか白神山地とか、古い森というのはどうしてああも魅力的なのか
(そして虫がいなければ最高なのに)
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