上 下
97 / 152
神竜の加護ある町

名前がいい

しおりを挟む
 イヴリンは、はあ、と溜息を吐く。
 ミーケルは、エルヴィラのこういう初心ウブで手間がかかるところがいいのだろうか。
 ちょっと面倒臭いなと思いながら、イヴリンはビシッと指を向ける。

「そもそも、あのミーケルがまめにあんたに構ってるのよ。私の時は、必死でいろいろアピールしてお願いしてやっと構ってくれたってのに、何なの?
 あんたがいちゃいちゃしたいって言えば、ちゃんといちゃいちゃしてくれるんでしょ? 下手すると黙ってたってそこらでべたべたしてるくせに、どうしてそんなに自信がないのよ。おかしくない?」
「え、そ……」
「そうね、べたっと抱きついて、“エルヴィラって呼んでくれなきゃやだ”とでも言えばたぶん呼ぶわよ。
 何なのもう、犬にでも食われてしまえばいいわ」

 どうして自分はかつての片思い相手を掻っ攫っていった女にここまで助言しているのだろうか。何かがおかしくないか。

 少しだけイラッとしながら、イヴリンは朝食のパンを齧る。
 なおも惚けたようにぽかんとした顔のまま、じっと自分を見つめているエルヴィラに気づいて、イヴリンは「何よ、まだ何かあるの?」と顔を顰めてみせた。

「イヴリンて、すごいな」
「何が?」
「どうしてそんなにいろいろわかるんだ」
「あんたがわかってなさ過ぎなだけじゃない」

 心底感心したようすで頷くエルヴィラは、どうしたらこんな女の子に育つのかと、イヴリンのほうがとても不思議に思えてならないくらいだ。

 そもそも自分はミーケルの過去の女だってのに、気にならないのだろうか。
 ――気にならないんだろうな。
 エルヴィラの脅威の割り切りぶりを考えて、またイヴリンは溜息を吐く。

「ねえ、荷物待ってるんじゃないの? さっさと持ってったら?」
「あ、そうだな。じゃあ、また何かあればこっちに来るし、領主の屋敷の門番に言伝を頼んでくれれば伝わると思うから」
「大丈夫よ。いざとなったら、たぶんアライトが自分でそっちに行くと思うわ」
「それもそうか」

 エルヴィラは慌てて立ち上がり、またあとでと領主の屋敷へと向かった。



「結構時間かかったね。何かあった?」
「いや……ええと、イヴリンがいたから、少し話してただけだ」
「へえ?」

 運んできた荷物をさっそく広げて、ミーケルはあれこれと着替えを選んだ。領主の屋敷に留まることになった以上、下手な格好はできないのだ。
 エルヴィラもミーケルに合わせて、広げた騎士服の中から選んでいく。

「……アライトは、巣穴探しをしてるようだな」
「そうだろうね」

 あまり関心がなさそうに、ミーケルが返す。

「あ、アライトは、その、巣穴を決めたら、やっぱりイヴリンも一緒に連れていくつもりなんだろうか」

 選んだ騎士服以外をまたしまいこみながら、エルヴィラは喋り続ける。

 そうじゃなくて、イヴリンはどうしろって言ってたんだっけ。
 なんだか頭の中がぐるぐるして訳がわからなくなってきた。

「――やっぱり何かあった?」

 ミーケルが首を傾げて自分を見ていることに気づき、エルヴィラは赤くなる。
 何かって、何も、ない、けれど。

「な、何かって」
「君、何か隠してる?」
「え、あ、隠して、なくて……」
「じゃあ、何?」

 ミーケルにぐいっと迫られて、エルヴィラは思わず腰が引けてしまう。
 さらにぐいぐい迫られてつい後ろに下がると、長椅子に脚が当たってどすんと座り込んでしまった。
 そのままのしかかられるようにミーケルの顔が近付いてきて、「ほら、何があったか言ってごらん」と囁かれた。

「な、な、何も、なくて、その……」
「その、何?」

 ぐるぐるする頭の中に、イヴリンの“抱きついてお願いすればいいじゃない”という言葉が蘇る。

「う、あ……み、ミケ」
「ん?」

 ぱくぱくと言葉が続かず、エルヴィラはぎゅうっと目を瞑って抱きついた。

「……て」
「んん?」
「名前……」
「名前?」
「“君”じゃなくて……名前で、呼んで、くれ」

 それだけをやっと小さく言って、エルヴィラは耳まで真っ赤になった顔をミーケルの胸に押し付けて隠してしまった。
 ミーケルは、そんなエルヴィラに目を丸くする。

「名前で呼んで欲しかった?」

 こくんと頷くエルヴィラは、やっぱり顔を埋めたままだ。
 それだけでこんな風に真っ赤になってるって、いったいなんなんだ。
 は、と息を吐き、エルヴィラの頭をぽんぽんと叩く。

「――ヴィー」
「え?」
「本当の名前は力を持つから、あまりそこらで呼びたくないんだ。
 だから、“ヴィー”」

 エルヴィラは真っ赤な顔のままミーケルを見上げ、「いいな」と、にひゃりと笑った。
 ミーケルは呆れたように笑い返して、「ほんとうにこれでいいの?」と尋ねる。

「ミケが決めた呼び名だから、“ヴィー”がいい」

 えへへ、と笑いながら頭を擦り付けてそんなことを返すエルヴィラは、いったいなんで急にそんなことを言い出したのか。
 喜んでるみたいだし、まあいいか。

 ミーケルはくっついて離れないエルヴィラの背を、よしよしと撫でた。

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?

春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。 しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。 美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……? 2021.08.13

処理中です...