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神竜の加護ある町
「イヴリンは、いいな」
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「イヴリンは、いいな」
「何よ、急に」
昨夜の領主家での演奏の結果、領主の館に数日滞在することになったミーケルに頼まれ、エルヴィラは荷物を取りに宿へと戻って来たところだ。
宿の入口をくぐるとちょうど食事中だったイヴリンがいたので、そのことを伝えるついでに少し話をする。
聞けば、アライトは用事……というより巣穴探しに外に出ているらしい。実は意外に真剣に、いい条件の巣穴が作れる場所を探しているようだ。
「どうやったら、そんな風に外堀を埋めさせられるんだ」
羨ましそうに言うエルヴィラに、イヴリンはふふんと笑ってみせる。
得意そうに胸を反らすイヴリンは、エルヴィラにはやっぱり眩しい。
「アライトはあれでかなり約束とかを重く見るみたいだったから、言質を取ったら簡単だったわよ」
考えてみれば、アライトは案外ちょろかった。
だからイヴリンもこんなに上手くいくなんて思ってなかったのに、トントン拍子に来てしまったのだ。
竜というのはあんなにもちょろい生き物なのだろうか。ものすごく怖くて強くて賢い、というイメージがあったのだけど。
「そうか……ミケの外堀も埋められるかな」
「ミーケルはそうもいかないんじゃないかしら」
「やっぱりそうかな」
イヴリンが眉根を寄せると、エルヴィラも不安げに顔を顰める。
「だって、ミーケルって絶対はっきりしたこと言わないもの。あれは確信のうえでそうしてるのよ。自分は決定的な言葉を避けて、どうとも取れることしか口に出さないの」
「う……」
確かに、ミーケルがまともにちゃんとしたことを言ったのって、あの誓いくらいじゃないだろうか。それ以外、好きだとか愛してるだとか、匂わせることはあってもはっきり言われたことってないんじゃないか。
おまけに、もっと考えてみたら――
「どうしよう、イヴリン。ひとつ気づいたんだが」
「なあに?」
「ミケは、私の名前もあんまり呼んでくれない」
ぽかん、とイヴリンは呆気にとられてエルヴィラを見つめる。
「どういうことよ」
「今考えてみたんだけど、ミケには“君”って呼ばれてばかりで……名前で呼ぶのって、仕事で必要になったときとか、そういうのしかない」
青い顔で呆然とするエルヴィラに、イヴリンはますますぽかんとしてしまう。
「……何よそれ。あんたほんとうにミーケルの恋人なの?」
「どうしよう、わからなくなってきた」
よくよく考えてみれば、ミーケルは確かに自分の最後になるとは言ったけど、ミーケルがエルヴィラで最後にするとは言ってない。
どうしよう、まさかミーケルに騙されてその気になってるだけなのか。
自分はミーケルの最後じゃないんだろうか。
斯くなる上は、力技で最後になるしかないのだろうか。
「ちょっとエルヴィラ、何か怖いこと考えてるでしょ。そうやって短絡的に考えるのは待ちなさいってば。だからあんたは脳筋て言われるのよ」
「う……」
眉間にくっきり皺を寄せて唸りだすエルヴィラの背を、イヴリンが「しっかりしなさい」と思い切り叩く。
「だいたい、ミーケルが捻くれてて面倒な奴なのだって今に始まったわけじゃなし、あんたも知ってることじゃない」
「そうだけど」
頬杖を突いて、イヴリンは呆れ顔でエルヴィラを見上げる。
だいたい、アライトから聞いた話がほんとうなら――あのミーケルがわざわざ何ヶ月も掛けて追いかけたとか、耳に心地いい言葉でごまかさないとか、ありえないことばかりが起こっているのだ。
ミーケルは、今まで絶対やらなかったことを既にいろいろエルヴィラにやっちゃってるというのに、エルヴィラはほんとうにわかってないのか。
そう、イヴリンには不思議でしかたない。
はたから見ている限り、“あのミーケル”が、あんなにデレデレにエルヴィラのことを構ってるのに、エルヴィラ本人はもっとつまらないことを気にしてるなんて。
この女騎士は、“歌う竜の町”での立ち回りや平手打ちのことを忘れたのだろうか。
あの手のことは自信満々に行動するくせに、ミーケルのことではとたんに自信を無くして変な方向に行こうとしてしまう。
ミーケル以外のことならいくらでも前向きになるし、それなりにまともに頭を働かせるくせに、ミーケルのことになると途端に迷走を始めるのはどういうことなのか?
「ねえ、エルヴィラ。下手なこと考えるくらいなら、正面からいったほうがいいんじゃない? あんたの場合は小細工したって絶対無駄になるだけよ。正面から真っ向勝負が一番いいと思うわ」
「でも、もし顔も見たくないって言われたら、消えなきゃな……」
「それは絶対ないから大丈夫ね」
ことも無げに断言してひらひら手を振るイヴリンを、ハの字になった眉で目を潤ませたエルヴィラがじっと見つめる。
なんなんだろう、この顔は。
自分より年上で力も強い、竜に向かって首を折るぞと脅すような騎士のくせに、今はまったくそう見えない。
「その顔よ」
「え?」
「その顔で、“ちゃんとエルヴィラって呼んで欲しい”ってお願いしてみなさいよ」
「え……」
しょぼしょぼと瞬きをしながら、エルヴィラはものすごく情けない顔になった。
「そんなことして、嫌われたりしな――」
「だから絶対大丈夫。私が保証するわ」
エルヴィラは、どうにも納得がいかないという顔でイヴリンを見つめた。
「何よ、急に」
昨夜の領主家での演奏の結果、領主の館に数日滞在することになったミーケルに頼まれ、エルヴィラは荷物を取りに宿へと戻って来たところだ。
宿の入口をくぐるとちょうど食事中だったイヴリンがいたので、そのことを伝えるついでに少し話をする。
聞けば、アライトは用事……というより巣穴探しに外に出ているらしい。実は意外に真剣に、いい条件の巣穴が作れる場所を探しているようだ。
「どうやったら、そんな風に外堀を埋めさせられるんだ」
羨ましそうに言うエルヴィラに、イヴリンはふふんと笑ってみせる。
得意そうに胸を反らすイヴリンは、エルヴィラにはやっぱり眩しい。
「アライトはあれでかなり約束とかを重く見るみたいだったから、言質を取ったら簡単だったわよ」
考えてみれば、アライトは案外ちょろかった。
だからイヴリンもこんなに上手くいくなんて思ってなかったのに、トントン拍子に来てしまったのだ。
竜というのはあんなにもちょろい生き物なのだろうか。ものすごく怖くて強くて賢い、というイメージがあったのだけど。
「そうか……ミケの外堀も埋められるかな」
「ミーケルはそうもいかないんじゃないかしら」
「やっぱりそうかな」
イヴリンが眉根を寄せると、エルヴィラも不安げに顔を顰める。
「だって、ミーケルって絶対はっきりしたこと言わないもの。あれは確信のうえでそうしてるのよ。自分は決定的な言葉を避けて、どうとも取れることしか口に出さないの」
「う……」
確かに、ミーケルがまともにちゃんとしたことを言ったのって、あの誓いくらいじゃないだろうか。それ以外、好きだとか愛してるだとか、匂わせることはあってもはっきり言われたことってないんじゃないか。
おまけに、もっと考えてみたら――
「どうしよう、イヴリン。ひとつ気づいたんだが」
「なあに?」
「ミケは、私の名前もあんまり呼んでくれない」
ぽかん、とイヴリンは呆気にとられてエルヴィラを見つめる。
「どういうことよ」
「今考えてみたんだけど、ミケには“君”って呼ばれてばかりで……名前で呼ぶのって、仕事で必要になったときとか、そういうのしかない」
青い顔で呆然とするエルヴィラに、イヴリンはますますぽかんとしてしまう。
「……何よそれ。あんたほんとうにミーケルの恋人なの?」
「どうしよう、わからなくなってきた」
よくよく考えてみれば、ミーケルは確かに自分の最後になるとは言ったけど、ミーケルがエルヴィラで最後にするとは言ってない。
どうしよう、まさかミーケルに騙されてその気になってるだけなのか。
自分はミーケルの最後じゃないんだろうか。
斯くなる上は、力技で最後になるしかないのだろうか。
「ちょっとエルヴィラ、何か怖いこと考えてるでしょ。そうやって短絡的に考えるのは待ちなさいってば。だからあんたは脳筋て言われるのよ」
「う……」
眉間にくっきり皺を寄せて唸りだすエルヴィラの背を、イヴリンが「しっかりしなさい」と思い切り叩く。
「だいたい、ミーケルが捻くれてて面倒な奴なのだって今に始まったわけじゃなし、あんたも知ってることじゃない」
「そうだけど」
頬杖を突いて、イヴリンは呆れ顔でエルヴィラを見上げる。
だいたい、アライトから聞いた話がほんとうなら――あのミーケルがわざわざ何ヶ月も掛けて追いかけたとか、耳に心地いい言葉でごまかさないとか、ありえないことばかりが起こっているのだ。
ミーケルは、今まで絶対やらなかったことを既にいろいろエルヴィラにやっちゃってるというのに、エルヴィラはほんとうにわかってないのか。
そう、イヴリンには不思議でしかたない。
はたから見ている限り、“あのミーケル”が、あんなにデレデレにエルヴィラのことを構ってるのに、エルヴィラ本人はもっとつまらないことを気にしてるなんて。
この女騎士は、“歌う竜の町”での立ち回りや平手打ちのことを忘れたのだろうか。
あの手のことは自信満々に行動するくせに、ミーケルのことではとたんに自信を無くして変な方向に行こうとしてしまう。
ミーケル以外のことならいくらでも前向きになるし、それなりにまともに頭を働かせるくせに、ミーケルのことになると途端に迷走を始めるのはどういうことなのか?
「ねえ、エルヴィラ。下手なこと考えるくらいなら、正面からいったほうがいいんじゃない? あんたの場合は小細工したって絶対無駄になるだけよ。正面から真っ向勝負が一番いいと思うわ」
「でも、もし顔も見たくないって言われたら、消えなきゃな……」
「それは絶対ないから大丈夫ね」
ことも無げに断言してひらひら手を振るイヴリンを、ハの字になった眉で目を潤ませたエルヴィラがじっと見つめる。
なんなんだろう、この顔は。
自分より年上で力も強い、竜に向かって首を折るぞと脅すような騎士のくせに、今はまったくそう見えない。
「その顔よ」
「え?」
「その顔で、“ちゃんとエルヴィラって呼んで欲しい”ってお願いしてみなさいよ」
「え……」
しょぼしょぼと瞬きをしながら、エルヴィラはものすごく情けない顔になった。
「そんなことして、嫌われたりしな――」
「だから絶対大丈夫。私が保証するわ」
エルヴィラは、どうにも納得がいかないという顔でイヴリンを見つめた。
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