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三首竜の町
もう、無理だ
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「アライト」
尋ねて首を傾げるアライトを、ミーケルが咎めるような声音で呼ぶ。エルヴィラは質問の意味がわからず、訝しみながら頷いた。
見えてるから、なんだというのか。
「なあ、窓の外、見えるか? 今、夜なんだよ。この部屋の中、今は灯りがないから真っ暗なはずなんだ。人間は暗いところじゃ目が利かないんだろ?」
「馬鹿な、結構明るい……え?」
エルヴィラは慌てて周囲をぐるりと見回した。
確かに月は細く痩せているし、部屋の中には蝋燭ひとつ灯っていない。
「で、でも、明るいんだ」
昼間ほどではないが、不自由なくものが見分けられるほどには明るく感じるのだ。
――まるで、“暗視”の魔法薬を飲んだ時のように。
「エルヴィラ。アライトの言うことは気にしなくていいよ」
「ミケ」
慌ててエルヴィラは身体を起こし……ぱらりと垂れた自分の髪にぎくりと身体を揺らす。思わずひと房摘み上げた、自分の手が目に入る。
「髪と――爪」
「エルヴィラ!」
呆然と自分の手を見つめたまま小さく呟くエルヴィラに、ミーケルが少し慌てたように声を強めた。
「ミケ、どうしよう。私の髪と爪がおかしい。それに、さっきから、暗いはずなのにちゃんと見えるんだ」
「大丈夫、おかしくないから」
困ったように眉尻を下げて、どことなく視線を彷徨わせながらエルヴィラが囁く。
「声も、ちゃんと出なくて……どうして、私の声、こんなに嗄れてるんだ」
「大丈夫だよ」
「でも、ミケ、私……」
ミーケルは、ぐいとエルヴィラの頭を抱き寄せる。背中をとんとんと叩きながら、安心させるように「大丈夫だよ」ともう一度囁く。
「あいつに、何かされたから?」
「あいつ?」
「戦乙女」
怪訝な表情で自分を見るミーケルに、あの闇に引きずり込まれて顔を合わせてきた相手が広場の“聖なる戦乙女”像にそっくりだったことを話す。
「──王太子殿下の話じゃ、王家の記録は城の崩壊と一緒にかなりの部分が失われてしまったらしい。今の王家はもともとが庶子というのもあって、口頭で伝わるはずのことも伝わってないんだろう。
現に、あの宝剣が封印の鍵だってことも、今回初めてわかったことだしね。」
「そっか」
「伝説は、必ずしも事実を伝えるものじゃない。ましてや、“三首の竜”の伝説からは千年以上過ぎてるんだ。事実なんてほんのひとかけらも伝わってないのかも。
“戦乙女”は、伝説に伝わるようなものじゃなかったのかもしれない」
ベッドに座ったミーケルにしっかりと抱き寄せられて、エルヴィラは俯いた。
嫌が応にも、黒くなった自分の髪と鉤爪の生えた自分の手が視界に入る。
「なあ、ミケ。私、どうなっちゃったんだろう。あれは戦乙女の顔をした悪魔だったのかな」
ミーケルの身体が揺れた。
見上げるエルヴィラの瞳からは瞳孔が消えて、暗闇の中にぼうっと浮かび上がるようにつるりと赤く光っている。
「――君は、君のままだよ」
「でも」
「大丈夫、何も変わってない」
「でも、ミケ」
「どうもなってない」
それ以上は喋るなとでもいうかのように、ミーケルはエルヴィラの唇を塞ぐ。
「ん……」
どうしてだろう。やけにミーケルが優しい。
頼んでもいないのに、抱きしめてキスをしてくれる。
やっぱり、自分には悪いことが起こってしまったのか。
エルヴィラはミーケルをぎゅうと抱きしめ返す。
これから、どうすればいいだろう。
「明日、ルイス高神官が君のようすを確認に来る。
大丈夫だ。色くらい、すぐに戻るから」
宥めるように優しく背を撫でられて、やっぱり、とエルヴィラは息を吐く。
自分に起こったことはとんでもないことで、だからミーケルはこんなに優しくしてくれるのだ。
* * *
翌朝早く、ルイス高神官がエルヴィラを訪ねた。
この“三首竜の町”の教会長と聖騎士長も連れて。
会う前に、少しは身綺麗にしなきゃいけないからと、用意された盥と水でひとり身体を清めながらエルヴィラは溜息を吐いた。
やっぱり、髪と爪だけに留まらず、自分はずいぶん変わってしまったようだ。
背の一部には滑るような光沢の鱗が浮かび、細い尾まで生えている。足の爪先はやっぱり鉤爪が生えたうえに黒くなってるし、目の色も赤い。
「そっか……私、“悪魔混じり”になっちゃったのか」
エルヴィラはぽつりと呟く。あの戦乙女はたぶん悪魔だったんだろう。あれに何かされた結果、自分はこんな風に変えられてしまった。
――元になんて戻るんだろうか。
ミーケルと一緒に名を挙げて、いつか大手を振って都の実家に帰ろうと思ってたのに、これじゃもう無理だ。
*****
■悪魔混じり
遠い遠い昔に悪魔の血が混じった人型種族。
角があったり尻尾があったり下肢が獣の脚だったり鱗があったり、そんな悪魔的な外見の種族で、悪寄りの傾向が強い種族。
■神混じり
遠い遠い昔に天使の血が混じった人型種族
後光が差してるみたいなやたら金銀真珠みたいなキラキラしい美形のお兄さんお姉さんばっかりだし、善人も多い。行き過ぎた善人もよくいる種族。
尋ねて首を傾げるアライトを、ミーケルが咎めるような声音で呼ぶ。エルヴィラは質問の意味がわからず、訝しみながら頷いた。
見えてるから、なんだというのか。
「なあ、窓の外、見えるか? 今、夜なんだよ。この部屋の中、今は灯りがないから真っ暗なはずなんだ。人間は暗いところじゃ目が利かないんだろ?」
「馬鹿な、結構明るい……え?」
エルヴィラは慌てて周囲をぐるりと見回した。
確かに月は細く痩せているし、部屋の中には蝋燭ひとつ灯っていない。
「で、でも、明るいんだ」
昼間ほどではないが、不自由なくものが見分けられるほどには明るく感じるのだ。
――まるで、“暗視”の魔法薬を飲んだ時のように。
「エルヴィラ。アライトの言うことは気にしなくていいよ」
「ミケ」
慌ててエルヴィラは身体を起こし……ぱらりと垂れた自分の髪にぎくりと身体を揺らす。思わずひと房摘み上げた、自分の手が目に入る。
「髪と――爪」
「エルヴィラ!」
呆然と自分の手を見つめたまま小さく呟くエルヴィラに、ミーケルが少し慌てたように声を強めた。
「ミケ、どうしよう。私の髪と爪がおかしい。それに、さっきから、暗いはずなのにちゃんと見えるんだ」
「大丈夫、おかしくないから」
困ったように眉尻を下げて、どことなく視線を彷徨わせながらエルヴィラが囁く。
「声も、ちゃんと出なくて……どうして、私の声、こんなに嗄れてるんだ」
「大丈夫だよ」
「でも、ミケ、私……」
ミーケルは、ぐいとエルヴィラの頭を抱き寄せる。背中をとんとんと叩きながら、安心させるように「大丈夫だよ」ともう一度囁く。
「あいつに、何かされたから?」
「あいつ?」
「戦乙女」
怪訝な表情で自分を見るミーケルに、あの闇に引きずり込まれて顔を合わせてきた相手が広場の“聖なる戦乙女”像にそっくりだったことを話す。
「──王太子殿下の話じゃ、王家の記録は城の崩壊と一緒にかなりの部分が失われてしまったらしい。今の王家はもともとが庶子というのもあって、口頭で伝わるはずのことも伝わってないんだろう。
現に、あの宝剣が封印の鍵だってことも、今回初めてわかったことだしね。」
「そっか」
「伝説は、必ずしも事実を伝えるものじゃない。ましてや、“三首の竜”の伝説からは千年以上過ぎてるんだ。事実なんてほんのひとかけらも伝わってないのかも。
“戦乙女”は、伝説に伝わるようなものじゃなかったのかもしれない」
ベッドに座ったミーケルにしっかりと抱き寄せられて、エルヴィラは俯いた。
嫌が応にも、黒くなった自分の髪と鉤爪の生えた自分の手が視界に入る。
「なあ、ミケ。私、どうなっちゃったんだろう。あれは戦乙女の顔をした悪魔だったのかな」
ミーケルの身体が揺れた。
見上げるエルヴィラの瞳からは瞳孔が消えて、暗闇の中にぼうっと浮かび上がるようにつるりと赤く光っている。
「――君は、君のままだよ」
「でも」
「大丈夫、何も変わってない」
「でも、ミケ」
「どうもなってない」
それ以上は喋るなとでもいうかのように、ミーケルはエルヴィラの唇を塞ぐ。
「ん……」
どうしてだろう。やけにミーケルが優しい。
頼んでもいないのに、抱きしめてキスをしてくれる。
やっぱり、自分には悪いことが起こってしまったのか。
エルヴィラはミーケルをぎゅうと抱きしめ返す。
これから、どうすればいいだろう。
「明日、ルイス高神官が君のようすを確認に来る。
大丈夫だ。色くらい、すぐに戻るから」
宥めるように優しく背を撫でられて、やっぱり、とエルヴィラは息を吐く。
自分に起こったことはとんでもないことで、だからミーケルはこんなに優しくしてくれるのだ。
* * *
翌朝早く、ルイス高神官がエルヴィラを訪ねた。
この“三首竜の町”の教会長と聖騎士長も連れて。
会う前に、少しは身綺麗にしなきゃいけないからと、用意された盥と水でひとり身体を清めながらエルヴィラは溜息を吐いた。
やっぱり、髪と爪だけに留まらず、自分はずいぶん変わってしまったようだ。
背の一部には滑るような光沢の鱗が浮かび、細い尾まで生えている。足の爪先はやっぱり鉤爪が生えたうえに黒くなってるし、目の色も赤い。
「そっか……私、“悪魔混じり”になっちゃったのか」
エルヴィラはぽつりと呟く。あの戦乙女はたぶん悪魔だったんだろう。あれに何かされた結果、自分はこんな風に変えられてしまった。
――元になんて戻るんだろうか。
ミーケルと一緒に名を挙げて、いつか大手を振って都の実家に帰ろうと思ってたのに、これじゃもう無理だ。
*****
■悪魔混じり
遠い遠い昔に悪魔の血が混じった人型種族。
角があったり尻尾があったり下肢が獣の脚だったり鱗があったり、そんな悪魔的な外見の種族で、悪寄りの傾向が強い種族。
■神混じり
遠い遠い昔に天使の血が混じった人型種族
後光が差してるみたいなやたら金銀真珠みたいなキラキラしい美形のお兄さんお姉さんばっかりだし、善人も多い。行き過ぎた善人もよくいる種族。
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