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地母神の町
偽物なんてとんでもない
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声も無く腹を抱えて膝をつくミーケルをよそに、エルヴィラはきゅっと口元を引き結び、眉根を寄せた。
やり直しだと?
こんな、自分をどうとも思ってないどころか、疎ましくすら思ってる奴に、自分を愛してる振りされたうえにキスまでなんて冗談じゃない。
馬鹿にするな。
そこまで自分は落ちぶれてない。
断固ごめんだ。
「……う、げほっ」
苦しそうに咳込む声が聞こえて、エルヴィラは我に返った。
「あ」
脂汗を浮かべて片膝をつくミーケルに目が行く。
そういえば、手加減なしで思い切り繰り出した右拳は、きれいに、まるでお手本のようにミーケルの鳩尾に入ったんだっけ。
騎士とは違い、そこまで鍛えてないだろう彼にこれは、まずかっただろうか。
――死んだりはしてないようだけど。
「あの」
「さ、すが、騎士だね……」
はあ、となんとか息を吐いて、ミーケルが呟く。
「普通は、平手打ちがでるものなのに、拳でしかも腹になんて、はじめてだよ」
つ、と汗がひと筋伝ったところで、ミーケルはブツブツと、なにやら聞き慣れない言葉を唱えだす。
「え、魔法?」
唱え終わると、明らかにミーケルは拳の衝撃から回復していた。ゆっくりと立ち上がり、ぽかんと自分を凝視するエルヴィラに、にっこり笑ってみせる。
「吟遊詩人はいろいろ器用じゃないとやっていけないものなんだよ」
「器用、だと?」
「武器も魔法もそこそこ使えて、交渉ごとにも強くて――つまり、どんなところでも、それなりにそこそこ便利で潰しが利くってことさ」
なぜかミーケルが自嘲しているように見えて、エルヴィラは不思議そうに窺う。
「それで」
「え?」
「やり直しも嫌だっていうなら、本当にどうするの。その責任だって今の一発で十分果たしてると思うから、もうこれでいい加減にしてくれないかな?」
ぐ、とエルヴィラはまた言葉に詰まった。
確かに言われてみればそうなのかもしれない。自分の知ってる事例だって、キスを無理強いされた程度なら平手打ちの一発でことは治まるはずだ。
だが。
「……五回」
「ん?」
「五回。ただのキスじゃない。うち一回はビールも飲まされた。口移しで」
今さら回数を持ち出してなんなのか。
ビールだって、たいしたことでもないだろうにとミーケルは首を捻る。
しかも、未だに数え続けていたとはしつこすぎやしないか。いつまでも根に持つタイプだったのか。
「しかも、毎回毎回、その、し、舌、まで、入っ……こんな、こんな拳一発で済むわけが、あるかっ! しかも、お前は、私の、おっぱ……胸まで、にぎ……触ってたじゃないか!」
「ああ、そういえば」
かあっと顔に血を上らせて睨むエルヴィラを、ミーケルはそれがどうしたと言わんばかりの態度で見返す。
実際、言われるまで忘れてたくらいには、ミーケルにとってどうでもよいことだった。
「そっ、そういえばじゃない!」
「じゃあ、何?」
「わっ、わた、私のっ、純っ、純情を、どうして、くれるんだ!」
怒りが蘇ったのか、エルヴィラはがたがたと震え出して頭を抱える。
「――彼氏どころか手を繋ぐ相手もいたことないのに、男の人との会話だって鍛錬の時しかしたことないのに、ましてや憧れのベルナルド様なんて顔もろくに見ることができなかったくらいで、お声だってようやく聞こえる距離にしか近寄れなかったのに……こんなクソ詩人に汚されてしまった私なんてもうだめだ。ベルナルド様に会わせる顔がない。もうこのまま私にはまともな彼氏もまともな夫も現れないんだ。もう一生、このクソ詩人以外の男に縁がないまま、婆さんに……婆さんになっちゃうん……うわあああああああ!」
「いやそんなこと言われても困るし。それに、君もかなり酷いこと言うね」
ぐしゃぐしゃと頭を掻き毟るエルヴィラをよそに、ミーケルは大きな溜息を吐きながら考える。
そういやベルナルドって、戦神教会の筆頭聖騎士だったっけか。
あのひと結構いい年だった記憶があるし、おまけに既婚だったと思うのだが。エルヴィラはおっさん趣味なのか。
まあどうでもいいけど。
「とにかくさ、君の趣味とか純情がどうとかをあれこれ言われたって、僕にはどうしようもないんだけど。
僕に身体で支払われるのも嫌なんでしょ?」
もう正直どうでもいい……という態度を前面に押し出したまま、ミーケルは呆れた口調も隠さずに訊いた。
エルヴィラは、ミーケルの問いに頭を掻き毟る手をぴたりと止めて、ゆっくり、ゆっくり顔をあげる。
「手伝え」
「ん?」
エルヴィラの発した言葉に、ミーケルは思わず首を傾げる。
「そうだ、私の夫探しを、手伝え」
「え?」
「私にちゃんとした夫が見つかるまで、責任持って夫探しを手伝うんだ」
ミーケルは呆然と目を瞠る。
エルヴィラは至極真面目な表情で、ミーケルをじっと見つめている。
「それ何、どういうこと?」
「お前のせいで私は実家を追い出されてまともな縁談が望めなくなった。つまり私は自力で夫を探さなきゃいけないということだ。だから私に、将来有望で強くてかっこよくて優しくて収入もあって――とにかく素晴らしい、これぞという夫が見つかるように手伝え。
それがお前に要求する責任だ」
顔を上げたエルヴィラは、くくくと笑う。
「見つかるまでお前について歩くぞ。絶対に離れるものか。お前が嫌がろうと逃げようと、絶対に見つけ出してくっついて歩いてやる。悪魔のように取り憑いてやろうではないか。私に夫が見つからない限り、永遠にだ」
「なんてむちゃくちゃな――」
「嫌ならとっとと探せ。私の眼鏡に叶う夫をな」
エルヴィラは、なぜか勝ち誇ったように哄笑する。
ミーケルは、どうしてこんなのにちょっかいをかけてしまったのかと、数ヶ月前の自分を真剣に呪った。
やり直しだと?
こんな、自分をどうとも思ってないどころか、疎ましくすら思ってる奴に、自分を愛してる振りされたうえにキスまでなんて冗談じゃない。
馬鹿にするな。
そこまで自分は落ちぶれてない。
断固ごめんだ。
「……う、げほっ」
苦しそうに咳込む声が聞こえて、エルヴィラは我に返った。
「あ」
脂汗を浮かべて片膝をつくミーケルに目が行く。
そういえば、手加減なしで思い切り繰り出した右拳は、きれいに、まるでお手本のようにミーケルの鳩尾に入ったんだっけ。
騎士とは違い、そこまで鍛えてないだろう彼にこれは、まずかっただろうか。
――死んだりはしてないようだけど。
「あの」
「さ、すが、騎士だね……」
はあ、となんとか息を吐いて、ミーケルが呟く。
「普通は、平手打ちがでるものなのに、拳でしかも腹になんて、はじめてだよ」
つ、と汗がひと筋伝ったところで、ミーケルはブツブツと、なにやら聞き慣れない言葉を唱えだす。
「え、魔法?」
唱え終わると、明らかにミーケルは拳の衝撃から回復していた。ゆっくりと立ち上がり、ぽかんと自分を凝視するエルヴィラに、にっこり笑ってみせる。
「吟遊詩人はいろいろ器用じゃないとやっていけないものなんだよ」
「器用、だと?」
「武器も魔法もそこそこ使えて、交渉ごとにも強くて――つまり、どんなところでも、それなりにそこそこ便利で潰しが利くってことさ」
なぜかミーケルが自嘲しているように見えて、エルヴィラは不思議そうに窺う。
「それで」
「え?」
「やり直しも嫌だっていうなら、本当にどうするの。その責任だって今の一発で十分果たしてると思うから、もうこれでいい加減にしてくれないかな?」
ぐ、とエルヴィラはまた言葉に詰まった。
確かに言われてみればそうなのかもしれない。自分の知ってる事例だって、キスを無理強いされた程度なら平手打ちの一発でことは治まるはずだ。
だが。
「……五回」
「ん?」
「五回。ただのキスじゃない。うち一回はビールも飲まされた。口移しで」
今さら回数を持ち出してなんなのか。
ビールだって、たいしたことでもないだろうにとミーケルは首を捻る。
しかも、未だに数え続けていたとはしつこすぎやしないか。いつまでも根に持つタイプだったのか。
「しかも、毎回毎回、その、し、舌、まで、入っ……こんな、こんな拳一発で済むわけが、あるかっ! しかも、お前は、私の、おっぱ……胸まで、にぎ……触ってたじゃないか!」
「ああ、そういえば」
かあっと顔に血を上らせて睨むエルヴィラを、ミーケルはそれがどうしたと言わんばかりの態度で見返す。
実際、言われるまで忘れてたくらいには、ミーケルにとってどうでもよいことだった。
「そっ、そういえばじゃない!」
「じゃあ、何?」
「わっ、わた、私のっ、純っ、純情を、どうして、くれるんだ!」
怒りが蘇ったのか、エルヴィラはがたがたと震え出して頭を抱える。
「――彼氏どころか手を繋ぐ相手もいたことないのに、男の人との会話だって鍛錬の時しかしたことないのに、ましてや憧れのベルナルド様なんて顔もろくに見ることができなかったくらいで、お声だってようやく聞こえる距離にしか近寄れなかったのに……こんなクソ詩人に汚されてしまった私なんてもうだめだ。ベルナルド様に会わせる顔がない。もうこのまま私にはまともな彼氏もまともな夫も現れないんだ。もう一生、このクソ詩人以外の男に縁がないまま、婆さんに……婆さんになっちゃうん……うわあああああああ!」
「いやそんなこと言われても困るし。それに、君もかなり酷いこと言うね」
ぐしゃぐしゃと頭を掻き毟るエルヴィラをよそに、ミーケルは大きな溜息を吐きながら考える。
そういやベルナルドって、戦神教会の筆頭聖騎士だったっけか。
あのひと結構いい年だった記憶があるし、おまけに既婚だったと思うのだが。エルヴィラはおっさん趣味なのか。
まあどうでもいいけど。
「とにかくさ、君の趣味とか純情がどうとかをあれこれ言われたって、僕にはどうしようもないんだけど。
僕に身体で支払われるのも嫌なんでしょ?」
もう正直どうでもいい……という態度を前面に押し出したまま、ミーケルは呆れた口調も隠さずに訊いた。
エルヴィラは、ミーケルの問いに頭を掻き毟る手をぴたりと止めて、ゆっくり、ゆっくり顔をあげる。
「手伝え」
「ん?」
エルヴィラの発した言葉に、ミーケルは思わず首を傾げる。
「そうだ、私の夫探しを、手伝え」
「え?」
「私にちゃんとした夫が見つかるまで、責任持って夫探しを手伝うんだ」
ミーケルは呆然と目を瞠る。
エルヴィラは至極真面目な表情で、ミーケルをじっと見つめている。
「それ何、どういうこと?」
「お前のせいで私は実家を追い出されてまともな縁談が望めなくなった。つまり私は自力で夫を探さなきゃいけないということだ。だから私に、将来有望で強くてかっこよくて優しくて収入もあって――とにかく素晴らしい、これぞという夫が見つかるように手伝え。
それがお前に要求する責任だ」
顔を上げたエルヴィラは、くくくと笑う。
「見つかるまでお前について歩くぞ。絶対に離れるものか。お前が嫌がろうと逃げようと、絶対に見つけ出してくっついて歩いてやる。悪魔のように取り憑いてやろうではないか。私に夫が見つからない限り、永遠にだ」
「なんてむちゃくちゃな――」
「嫌ならとっとと探せ。私の眼鏡に叶う夫をな」
エルヴィラは、なぜか勝ち誇ったように哄笑する。
ミーケルは、どうしてこんなのにちょっかいをかけてしまったのかと、数ヶ月前の自分を真剣に呪った。
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