真夜中の吸血鬼

ぎんげつ

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5.吸血鬼と私

8.吸血鬼の嫌味大会?

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『“閣下ロード”は、天使と親交のある人間を“花嫁”に迎えるつもりだということか』

 一段低くなった声音で、“男爵バロン”が何か言っている。さっきのアロルドさんの言葉がわかったんだから、この人たちはある程度は日本語がわかるはずだ。だけど、日本語を使う気はさらさらないらしい。
 アジアの子猿とか田舎者とか、そんな扱いなんだろうか……そんな扱いなのかも。彼らはどう見ても白人だし。

『彼女が天使と親しくしているのは、偶然ですよ』

 どことなく険悪な雰囲気をバリバリ出している相手に、ミカちゃんはあくまでも余裕たっぷりでにこやかに応じている。

 ――今日は、結婚の報告会みたいなものではなかったのか。

 だんだん不安になってきた。
 ミカちゃんは結婚の報告と顔見せに来たわけじゃなかったのか。

『――“長老”がこの場にいたら、どう言うかしらね』
 美魔女な“夫人マダム”がちらりと空席を見る。空いた椅子の後ろには、元神父さんが佇んでいて……。
『主人は、“好きにすれば良い”と仰るでしょう』

 元神父さんはこのまま何も発言しないのかと思ったら、喋った。本当ならあの席に座ってるはずの最長老代理としてここにいるということか。

『“閣下”がその娘を“花嫁”にしたいならすれば良い、と仰るでしょう。我が主人は、何事も各人の思う通りに為せばいいと言い残しておいでですから』

 ミカちゃんはにっこりと笑う。ここが吸血鬼会議場じゃなければ、素直に王子様だなあと思えるような微笑みだった。

『単刀直入に確認します。私の“花嫁”に異議のある方は?』

 あくまでもにこやかだけど、私の経験上、こういう時のミカちゃんは天使を煽り倒す時のように剣呑な言葉を口にしているはずだ。
 ハラハラしながら見ていると、ミカちゃんが私にもにっこり笑ってキスをした。これは私にもわかる。ミカちゃんが適当にごまかそうという時のキスだ。

『好きにすればいいじゃない。“長老”のお墨付きなんだから』

 “お嬢さんレディ”がなんだか投げやりな調子で言い捨てて、立ち上がる。

『“閣下”が“花嫁”を娶ろうというのは、どうせ決定事項なんでしょう? なら、どうでもいいわ。揉めたって楽しくもなんともないし、揉めれば揉めたでタダで済ませようってわけでもないんでしょう?
 勝手にすればいいじゃない。
 でも、わたくしの縄張りに天使を連れて現れるのは無しよ』

 じろりと私を睨む“お嬢さん”は、その通称に似合わない舌打をして、席を離れた。言いたいことは言ったから、後はどうぞご勝手にということか。どうしてそんなに私を睨むのかはよくわからないが……もしかして実はミカちゃんに片思い……は、無いなと思い直す。
 “お嬢さん”がミカちゃんに向けたのは、どう考えてもそんな甘ったるい視線ではなかった。むしろ、ガン付けてると言ったほうがいいくらいの強さだ。

「どうしましたか?」
「――あんまり喧嘩しないでね? 無闇に煽ったりも良くないからね?」
「そんなお行儀の悪いことはしませんよ」
「お行儀の問題じゃなくてさ」
『“閣下ロード”は』

 ミカちゃんよりもっと胡散臭い笑みを浮かべて、“男爵”が口を開いた。

『“長老エルダー”不在の隙に、この“会議”を手中にとでも考えているのかな?』

 ガタッと音がしたほうに目を向けると、元神父さんだった。幾分か表情が固くなっているけど、今、何を言われたんだろう。

『それこそまさかですよ。私がそのような面倒をしでかすとでも?』

 ミカちゃんも負けじと胡散臭く笑って答える。いったい何をそんなに角突き合わせているのかさっぱりわからなくて、やっぱり不安になってくる。

『それとも、“長老”が、たかだか彼女ひとり……いえ、天使ひとりと懇意になったからといって、私程度にたやすく手綱を奪われるような間抜けであるとお思いなのでしょうか。いかに長く不在にしているとはいえ、それは少々……』

 くっくっと笑うミカちゃんは、視線を“男爵”に向けたままするりと私の顔を撫でた。きょろりと見回すと、欠伸をするアロルドさんと目があった。

「で、天使なんかを今ここであれこれしたってしかたないだろうに」

 “男爵”と“夫人”のふたりが、今度はアロルドさんをじろりと見やった。つまり、今の話題は私じゃなくて天使だったのか。
 天使って、そんなにたいへんな存在なんだろうか。誕生日のデートプランに困ったからってミカちゃんに相談しに来るような天使なんだけど。

「その天使は西……ローマの教会とは別口なんだろう? だったら、この地に来たところで異教徒扱いだ。それに、地球をほぼ半周した先のアジアの島国から、わざわざここに出張って来るほど暇なのかね」

 もう一度あふっと欠伸をして、アロルドさんは肩を竦める。

「“閣下”が人間を娶ろうが何だろうが、俺としてはどうでもいいさ。投資を引き上げる……なんて言われたらさすがに困るけどな」

 “男爵”も“夫人”も、表情は能面のように何も浮かべてないのに、舌打ちでもしたそうな剣呑な雰囲気を醸し出していた。正直言って、もう挨拶は済んだからいいよねと、愛想笑いでも浮かべながらここから逃げ出してしまいたいのに、ミカちゃんはまだまだやり合う気なのか動こうとしない。

「いずれにしろ、俺もそろそろ食事に出たい。あんたらのように、弁当持参で来ているわけでもないんでね」

 弁当? としばし考えて……あっ、と思う。
 “下僕サーヴァント”って、もしかして、使用人兼お弁当なのか……そう考えると、彼らがぞろぞろ何人も引き連れてることに納得してしまう。
 ミカちゃんみたいに少食じゃないなら、毎日たっぷりと思ったなら……ひとりだけじゃ足りなさそう、だよね。
 そろそろとミカちゃんを見上げると、またキスをされた。

『――なら、“閣下”はこれまでどおり、新大陸かアジアの田舎に引っ込んだままということかしら』

 気を取り直したように、それとも呆れたように、“夫人”がぽつりと漏らす。ミカちゃんの律子甘やかしにとうとう引いたんだろうか。
 ミカちゃんは古参の吸血鬼なのだと、以前カレヴィさんが言っていた。つまり、いい歳して人前でいちゃつくなよ、とか思われてるんだろうか。

『これまでもこれからも、私は面倒に手を出すつもりはありませんよ』

 そんな空気なのに、ミカちゃんはあくまでも王子スマイルで応じている。
 さすがミカちゃんだ。

『なら、そうね。“花嫁”でも何でも好きに迎えればいいのではなくて?』
『“夫人”?』

 “男爵”が、“夫人”を咎めるような口調で言う。“夫人”はやれやれと首を振って、“男爵”のほうを見ようともしない。ここに来て仲違いなのか。

『わたくしとこの子達の平穏を乱すのでなければ、“花嫁”も“天使”も、わたくしには関係のないことではあるの。“閣下”が本当に、何か面倒ごとをたくら……考えているのでなければ、だけれど』
『それはもちろん。私も、彼女を敢えて危険に晒すことは望みません』
『“閣下”の口からそんな殊勝な言葉を聞く日が来るなんて。
 ――ねえ、“男爵”。わたくしは、わたくしの土地が平穏であればいいの。彼が極東の片隅で大人しくしているというなら、わたくしは藪をつつくつもりはないわ』
 あくまでもミカちゃんから目を離さず、“夫人”は笑みを浮かべている。けど、たしかに笑顔なのに、雰囲気はとても怖い。
 と、“男爵”はわずかに息を吐いて、やれやれという顔で肩を竦めた。

『どうやら、“閣下”の思惑どおりか』
『いえいえ、そんなことはありませんよ。私はただ、彼女との婚姻を報告に参っただけですし』
『よく言う。だが、私も極東の中立地帯なんぞに赴いてまで手を出す趣味はないな。それに、消極とはいえ承認は得られたのだ。私の承認までは不要だろう』
『いいえ、“男爵”。“長老”に継いで古く力あるあなたの承認をいただけないことには、さすがに不安ですので』

 ミカちゃんは何かとても慇懃な態度になっている。それとも、殊勝げにというべきか。“男爵”が何かいちゃもんをつけてて、だからミカちゃんはこんなにへりくだった態度をとってるのだろうか。
 “男爵”は呆れたように目を眇め、小さく鼻を鳴らす。

『しかたあるまい、承認をしてやろう。だが、貴殿が我らに混乱をもたらさぬ限りにおいてだが』
『十分ですよ』

 しぶしぶといったようすの“男爵”に、ミカちゃんは今度こそにっこりとちゃんと微笑んだ。けれど、してやったりという笑みだった。よくわからないが、たぶん嫌味の言い合いでミカちゃんの言い負かし勝ちってところか。
 用は済んだとばかりに卓上のワインを飲み干すと、“男爵”は美女三人を引き連れて出ていってしまった。

「ね、ミカちゃん。本当に大丈夫なんだよね?」
「ええ、何も問題はありませんよ」

 なんとなく不安でミカちゃんに確認すると、蕩けるように笑って返される。

『これで承認は得られたということで、よろしいですね?』
『はい。“長老”の代理として、たしかに私が見届けました』

 元神父の返答に、ミカちゃんはとても満足そうに頷いた。これで目的は完遂できたということか。

「あとで結婚祝いのひとつでも送ってやるよ」
「あ、えっと、わざわざあり――」
「あなたからの祝いなど……と言いたいですが、結婚式くらいは招待して差し上げましょうか」
「えっ、マジ?」

 アロルドさんの申し出に慌てて答えようとする私を遮って、ミカちゃんがにやりと笑った。アロルドさんが心底驚いたという顔になる。
 たしかにビジネスパートナーなら招待しなきゃいけないけど、ミカちゃんがこんなに素直に招待するって言い出すなんて、私も思わなかった。
 いったいどんな心境の変化なのか。

「私の招待客が少な過ぎては、律子さんのご家族が心配なさいますからね」
「へえ。じゃあ、予定を空けて待っておくよ」

 私を抱えたままミカちゃんが立ち上がる。ひらひらと手を振るアロルドさんに軽く目礼すると、楽しそうににこにこと笑っていた。
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