真夜中の吸血鬼

ぎんげつ

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5.吸血鬼と私

5.同族だから仲がいい?

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 さすがに裸にシーツのままというのは油断しすぎだろうと、着替え終わって落ち着いたところでノックされた。
 ミカちゃん、お皿で両手が塞がったのかな?
 と、あまり間をおかずに「はあい」と応えて扉を開けたら、そこには見たことのない男性が立っていた。
 ライダージャケットみたいなものを着ていて、ずいぶんラフな格好だ。

「やあ、こんにちは」
「あ、こんにちは……?」

 にこやかに手を振る彼は、くすんだ金の髪に、ほんのり緑が混ざった茶色の目の男の人だった。にこにこと穏やかな微笑みを浮かべて、「君がミカの相手なんだ?」と首を傾げる。

「ええと、そうですけど、あなたは……?」
「僕はアロルド・ストンベック。ミカから聞いてないかな? 一応ビジネスパートナーなんだけど」
「あっ!」

 よかった。聞いておいてよかった。
 やっぱりある程度聞いておかなきゃだめじゃん!

「ミカちゃんは今、晩御飯を取りに行ってくれてるんです。待ちますか?」
「いいの? それはありがたいな。もう何年も顔合わせてないからさ」

 なんか軽いなあと思いながら扉を大きく開けると、するりと入ってきた。

「あ、椅子、どうぞ。お茶……は、ちょっと場所がわからないから、すみません、何も出せなくて」
「ん、気にしなくていいよ。わかってるから。
 それより、もっといいものご馳走して欲しいな」
「もっといいもの?」
「そう、もっといいもの」

 なんかあったっけ?
 頭の中にはてなマークが浮かんだところに、アロルドさんがすっと一歩近づいた。「へ?」と見返したところに「君の味見だよ」と手を伸ばされる。

「ちょ、ちょっ!」
「――痛っ!」

 味見? と焦る私に手が触れそうになった瞬間、バチッと盛大な静電気のような音がした。まるで見えない何かに弾かれたアロルドさんが、小さな悲鳴とともに手を引っ込める。

 そうだ、アロルドさんもミカちゃんと同じ吸血鬼だった。

「痛ぁ……うわ、火傷しちゃった。君、何つけてるの。教会の護符かな? ミカはそれ知ってるの?」
「え、ミカちゃんが念のため付けとけって……味見って、まさか血?」
「まさかも何も、味見といったらひとつに決まってる。僕ら吸血鬼にお茶なんか出してどうするつもりなのさ。それに、甘露でもないのにミカが入れ込んだんだろう? 味が気になるのは当然だよ。
 ――けど、まさか今どき、マジものの聖なる護符なんか持ってるとはね」

 じっとりと眺めていると、彼は「ものは相談だけど」と笑った。

「その護符ちょっと外してみない? ほんのひと口飲むだけだからすぐ終わるし、何の影響もないから、どう?」
「ひと口って」

 言い返そうとして、ハッと気付く。
 アロルドさんの目が赤い。
 これ、外したら絶対ダメな奴だ。

「――ねえ、どう? 優しくするよ?」

 底光りするようなアロルドさんの赤い目に、じりっと私は後退る。
 扉、開けなきゃよかった。

「優しくするって、どういう意味なの」
「僕はこれでも紳士だから、女性に乱暴するのはあまり好きじゃないんだ」
「なんか、全然そんな感じしないんですけど」
「ああ、でも、聞き分けのない子にお仕置きするのは得意だよ」

 にたり、と笑ってアロルドさんがぐいと顔を寄せる。赤い目から、視線が外せない。どうしてか、じっと見てしまう。

「それに、その、君の護符。残念だけど完璧じゃない」
「え」
「多少火傷を負ったところで、君の血があればすぐに治るんだからね」

 ひい、と背筋に怖気が走る。
 ミカちゃんは怖くないけどこいつは怖い。チャラ男っぽいのになぜか怖い。
 同じ吸血鬼なのに、なんで?

「み、みみみ、ミカちゃん! ミカちゃん!」
「静かにしてよ。見つかるじゃないか」

 アロルドさんの指が顔に触れる。じゅっと肉が焼ける音がして、嫌な臭いが立ち昇った。じりじり迫るアロルドさんから離れようと後退る。
 けれどすぐ長椅子にぶつかって、どさりと倒れこむように座ってしまう。

「ねえ? ひと口だけだよ。君が死ぬようなことはないから」
「や、やだやだやだ、馬鹿あ!」

 バタバタと手を振り回してどうにか逃げようとするけれど、片手を押さえ込まれてしまう。アロルドさんの手のひらが焼けて、いやな臭いが強くなる。あまり筋肉ついてなさそうな細い腕なのに、力は強い。

「ちょ、諦めておとなしくしなよ」
「やだあ! ミカちゃん、ミカちゃん助けてえ!」
「あ」

 バタン、と扉が開いて、「律子さん!?」と声が上がった。
 のし掛かるアロルドさんが顔を上げて、あーあと残念そうに身体を起こす。

「何をしているんですか」
「何も?」
「質問を変えます。何をしようとしていたんですか」
「味見、かな」

 低く低く問うミカちゃんに、アロルドさんはにいっと笑った。

「――人のものに勝手に手を出す悪餓鬼には、躾が必要ということですね。行儀が悪いと、母親に習わなかったんですか」
「いや、全然? そもそも母親なんてどこにいるのさ」

 シュッと、目にも止まらないくらい素早く伸ばしたミカちゃんの手を、アロルドさんは事もなげにひらりと避けた。
 ミカちゃんは伸ばした腕をそのまま私に絡ませて、ひょいと抱き上げる。
 じゅじゅうと嫌な音がして、今度はミカちゃんの手が焦げて……。

「み、ミカちゃん、火傷! 火傷しちゃう!」
「平気です」
「平気じゃないよ!」

 慌てて引きちぎるように護符を外し、ハンカチに包んでポケットに突っ込んだ。ミカちゃんの手のひらと腕が真っ赤に爛れ、ひどい火傷になっている。

「あああ、ミカちゃん、痛くない? 痛いよね」
「大丈夫ですよ」
「そうだ、血、飲んで。今すぐ飲んで。飲めばすぐ治るんだよね?」
「律子さん、落ち着いてください」

 護符を外してすぐ、火傷の進行は止まった。ミカちゃんが困った顔で私を見るが、結構な火傷を目の当たりにして涙ぐんでしまうのは仕方ないだろう。絶対、痛くないわけないんだから。
 そんな私たちを、少し離れて立つアロルドさんがおもしろそうに笑う。

「よく懐いてるし、よく躾けたねえ。それにしても、てっきりお気に入りの下僕サーヴァントにしたんだとばかり思ってたのに、そうじゃなかったんだ?
 もしかして、ミカはその子をそのまま飼うつもりなのかな?」
「それが、どうかしましたか」
「いや、珍しいなと思っただけだよ。人間の女なんて、そのまま置いといたらあっという間に劣化するのに」

 足の速い魚か肉みたいな言いっぷりについムッとして、それから、一般の吸血鬼にとっての人間は、単なる食べ物でしかないんだったなと思い出す。
 最近、ミカちゃんがだだ甘いから忘れてたけど。
 どうしよう、何か言い返したほうがいいのかなとミカちゃんをちらりと見上げると、アロルドさんをふんと鼻で笑い飛ばしていた。

「羨ましいのでしょう? 自分の甘露が死んでしまって寂しいからといって、律子さんを羨むのはやめてください」
「ふへ?」

 ミカちゃんが煽ってる。天使を相手にしている時以上に煽ってる。

「誰がだ。お前のは甘露じゃないんだろう? 血袋のどこを羨めって? そんなただの人間えさを後生大事に扱って、いったい何が楽しいんだか。すぐに萎れて味も落ちるってのに」

 あああ負けてない。アロルドさんも負けてない。
 ここで吸血鬼大戦とか始められても困る。だいたい、他にも集まってきてるんじゃないのか。喧嘩してる場合か。

「はい! はい、ストップ! 和を以て貴しと為すべきだと思います!」
「律子さん?」
「ミカちゃんも、ちょっと落ち着こう? 私何もなかったんだしさ。
 そもそもアロルドさんに本気で襲うつもりがあったら、私、ミカちゃんが戻る前に血抜けの干物になって転がってたと思うんだ。だからたぶん、アロルドさんは吸血鬼的には自称紳士であってるんだよ」

 眉尻を下げて困った顔になるミカちゃんと、ぶっと噴き出しそうになるのをぐっと堪えて変顔になるアロルドさんを順番に見る。

「僕のこと、そんなに買い被っていいわけ?」

 思い直したようにふふんと笑うアロルドさんに、私もふふんと笑い返す。

「アロルドさん相手ならミカちゃんも負けてないし、買い被っても大丈夫かなって。それに、ミカちゃんだけで心配な時は、天使を呼び付ければいいんだよね。あの天使なら、ここで悪い魔物が徒党を組んでるって言えばすっ飛んで来るだろうし」
「――天使?」

 アロルドさんが怪訝そうな表情になって、ミカちゃんへと視線を向けた。
 ミカちゃんは、一瞬だけ目を見開いて、それから笑い出す。

「そういえば、律子さんはあの聖なるものとずいぶん仲良しでしたね」
「違うってば。天使の親友はミカちゃんでしょ。瑠夏さんが私の同志なの」

 くっくっと笑い続けるミカちゃんに、アロルドさんが顔を顰めて「お前まさか、教会に鞍替えしたのか?」と呟く。

「それこそまさかですよ。教会が我々を受け入れるはずないでしょう。律子さんが懇意にしている天使は別口です。正真正銘の翼持ちの、天の血を引く聖なるもので……しかも、あれは相当に強い」

 アロルドさんが胡乱なもののように私を見る。えんがちょでもやりそうな顔だ。やっぱり天使と吸血鬼は天敵同士なんだ。

「なんで天のものと付き合いのある人間が、ミカと一緒にいるんだよ」
「ミカちゃんがうちに来たのが先で、天使とは最近仲良くなったから」

 心底嫌そうな顔のアロルドさんは、またミカちゃんへと視線を戻す。

「――で?」
「で、とは?」
「他の奴らはそれ知ってるのか?」
「いえ、特には話していませんが。必要ありませんし」
「あーあ、やだね。ミカらしくて」
「そんなことありませんよ」

 呆れたとばかりに、アロルドさんが大きく息を吐く。

「なんだって、こんなとこにまで人間なんかホイホイ連れて来てるんだと思ったんだが……そういうことなら納得だよ。
 天の後押しが手の中にあるんなら、最長老もいない今、お前が会議のなかでひとつ抜いたってことだな」
「べつに、そういうことを狙ったわけではありませんよ。私は単に律子さんを娶るという報告に来ただけですし」

 ……よくわからないながらに考えてみるが、吸血鬼の中でもやっぱり序列とか権力争いとかがあるってことか。大企業の派閥争い的なやつが。
 で、たとえ瑠夏さんの尻に敷かれていても天使は天使。ミカちゃんは天使と仲良くなったおかげで一歩リード……ってことなんだろうか。
 なるほどなあ。

「はいはい、そういうことにしとく。じゃ、僕は退散するけど……気が向いてひと口味見させてくれるの、楽しみにしてるから」
「絶対ないから!」
「はいはい」

 アロルドさんがひらひらと手を振って部屋を出て行った。私はパッと振り返って、ミカちゃんの腕を掴む。

「ね、火傷!」

 ミカちゃんが一瞬だけ顔を顰めた。やっぱり痛いんじゃないかと、ひどく爛れてしまった手のひらをじっと観察する。

「ね、血を飲むとすぐ治るんでしょ? 前に言ってたもんね。だからほら、今すぐ飲んで、早く治して」
「律子さん。慌てなくても、見た目より痛みませんから」
「いいから早く!」

 ぐいと首を差し出すと、ミカちゃんがなんだか幸せそうに笑った。

「律子さん、では、少しだけ」

 ゆっくり、そっと抱き締めて、それからほんのひと口かふた口だけ、ミカちゃんは私の血を飲んだ。
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