真夜中の吸血鬼

ぎんげつ

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4.ミカちゃんとご近所さん

4.面倒臭いのはどう見ても天使

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 連休が終わってまた週末が来た。

「じゃ、行ってくるね!」
「はい。何かあったらすぐに連絡を」
「大丈夫だよ、今日は女子会だから!」

 うきうきしながら玄関に向かう私に、ミカちゃんが肩を竦める。この前仲良くなった、天使カイルの彼女の瑠夏るかさんに旅行のお土産を渡すついでにお茶をするのだ。
 こういうの、久しぶりすぎてめちゃくちゃ嬉しいな!

「帰りにミカちゃんにもケーキ買ってくるね!」
「はいはい、期待していますよ」

 じゃあねーと玄関を閉めると、さっそく足取り軽く駅前へと向かう。
 なんたって、人間の同志の女の子と一緒にお茶なのだ。テンションも上ろうってもんだ。



 スキップとかしたくなるのをぐっと抑え、鼻歌を歌いながら待ち合わせの駅前の喫茶店の手前まで来ると……天使がいた。
 瑠夏さんは同志だが天使は同志じゃない。

「――何やってるの」
「――ひとりだな」

 目を眇めて私を見る天使にイラっとする。何様なんだ、って天使様か。

「当たり前だよ。まさかミカちゃんも来るとか思ったの? 女子じゃないのに来るわけないでしょ、頭悪いなあ」
「一応、確認しただけだ」

 天使はこめかみをぴくぴくさせながらぼそりと言った。

「……あのさあ、どんだけなの」

 じっとりと、ミカちゃんよりは幾分か濃い色の金髪を眺めながらそう言うと、天使は怪訝そうにこっちに目を向ける。

「あんたの神様ってひとを疑えって教えてるわけ? それとも、なに、そんなに混ざりたい? 混ざりたいなら、女装してくるくらいの芸を見せたら考えないでもないよ」
「なっ……」

 へっ、と鼻で笑ってそう言い放つ私に、天使が堪えるようにぐっと拳を握りしめた。さすがに手を出す気はないようだ。
 そこへ、外で話す私と彼に気づいてか、瑠夏さんが出てきた。

「律子さんこんにちは! って、カイルまだいたの?」
「なんか離れたくないみたいだったから、女装したら混ぜてあげてもいいよって言ってたところ」

 驚く瑠夏さんににやにやしながら言うと、天使はカッと顔を赤らめる。

「ちょっと挨拶でもと思っただけだ! もう帰るから気にするな!」

 言い捨てて去っていくさまを見ていたら、天使っていい歳に見えて思春期の反抗期みたいなんだなと思えた。
 ……二十歳超えた男が思春期で反抗期か。
 あのへんが、瑠夏さんの母性本能をくすぐったりしているのだろうか。



「カイルって、基本的にすっごい心配症なんだよね」
「あー、確かにそんな感じ」

 テーブルについてパンケーキセットを頼み、改めて旅行のお土産を渡しながらおしゃべりを始める。

「今日も、律子さんとお茶だって言ったら、せめて店の前まで送るってうるさかったんだよ。歩いて十分ちょいだし、昼間だっていうのに」
「へえ」
「そのうえ、律子さんが来るまでああして待ってるなんて、驚いちゃった」

 きっと、ミカちゃんも来るんじゃないかって思ってたんだな。何かを警戒するような雰囲気むんむんで佇んでいた天使のようすを思い返す。
 それとも単にすごく暇なのかな。いや、それはないか。

 私がそんなことを考えていたら、瑠夏さんが、はあ、と溜息を漏らしながら頬杖をついた。

「なんだか、カイルって一回思い込んだら、なかなか訂正できないみたい」
「ああ、なんかわかる」

 でなきゃ、あんな風に店の前で待ち伏せなんてやらない。アホか。
 天使の中ではミカちゃんが悪の親玉ってところなんだろう。ミカちゃんはラスボスなのか。で、私は悪の秘密結社の女幹部ってところか?

「今日だって、律子さんとだから大丈夫っていうのに、ミカさんが来たらどうするんだって。
 ミカさんはどう見たって律子さんひと筋で、私にちょっかいかけようなんて考えるわけないのにね」
「あはは……まあ、そうだね」

 口を尖らせる瑠夏さんに、私はちょっと引き攣りながら笑う。

 うーん、たぶん、瑠夏さんと天使では、想定している“ちょっかい”の種類が違うんじゃないかなと思うけど。

 そんなことを皮切りに、他愛もない話は延々と続いていった。
 女同士の話に終わりなどないのだ。あるとしたらタイムアップくらいか。

「……そういえば、ね、律子さん」
「はい?」

 ふと、瑠夏さんがじっと何か思い詰めるような顔になった。
 いったい何事かと、続きを促すように首を傾げると、少し逡巡した後、思い切ったように口を開く。

「そ、その、ミカさんて、吸血鬼なんだよね?」
「うん、そうだけど」

 急な質問に、さすがに声を潜めて頷くと、瑠夏さんはなぜかいっそう真剣な表情になってごくりと唾を飲み込んだ。

「へ、変なことを聞くけど、えと、人間と人間じゃない種族って、そ、そ、その……」
「うん?」

 瑠夏さんは、手をぶるぶると震えさせながら、さらにもう一度ごくりと唾を飲み込む。思わず私もつられてごくりと喉を鳴らしてしまう。

「その、普通に、できる、ものなのかな」
「え? できるって、何が?」
「その……ナニ、を」
「……ナニ」

 一拍置いて。瑠夏さんの言葉が頭に浸透したところで、ぶはっと思いっ切りむせそうになった。危なかった、もう少しタイミングがずれてたら、コーヒー全部噴き出すところだった。

「な、ナニ、ですか……」

 必死にこくこく頷く瑠夏さんの顔は真っ赤だ。

「……もしかして、その、そっちの相談相手が欲しかった……とか?」

 瑠夏さんは目を潤ませて、やっぱり何度も頷いた。

「だっ、だって、ナイアラとかイリヴァーラは人間じゃないし、こっちの友達に彼氏が天使なんだけどなんて話できないし、普通はどうなんだろうって考えてもよくわからないし」
「見た目あれだし人間とそんなに変わらないと思うけどな……って、あ」

 首を捻って、ふと思いつく。
 この手の相談事って。
 あの天使が手を出してきて困るはどう考えてもないから……つまり逆か。

「カイルが何もしてこなくて困るとか?」

 すっかり涙目のまま、瑠夏さんがゆっくりとひとつ頷く。

「……まさかと思うけど、カイルって、ガチ聖職者なの?」
「ガチって?」

 瑠夏さんは潤んだ目のままぱちくりと瞬くと、きょとんと首を傾げた。

「ええと、神様に純潔誓っちゃうほうの……ほら、神父とかって、だから女の人と付き合ったり結婚できなかったりとかいうじゃない。もしかして、キスもしないとかかなって」
「え、それはないと思うし、さすがにキスは……。それに、そういう神様じゃないって言ってたし」
「……じゃ、単にカイルがヘタレ?」
「……ヘタレ?」

 瑠夏さんは黙り込んでしまった。少し俯いてカップのコーヒーをじっと眺めたまま、考え込んでいる。
 というか、なぜ天使の彼女がこんなことで悩んでいるんだ。何かおかしくないか。

「カイルはヘタレじゃないと思う。
 ……つまり、私に魅力がないってことなのかなあ」

 目の潤みきった瑠夏さんが顔を上げる。なんてことで女の子を悩ませるんだ、あの天使バカは。

「それはないって。天……カイルってなんか空気読めないところがあるから、やっぱりあいつがヘタレなだけでしょ」
「でも……じゃあ私が面倒臭いのかな」
「え? いや、面倒臭いって、何が?」
「だ、だって……初めての人は面倒臭いって、よく聞くし」

 え。
 いやちょっと待って。

「瑠夏さんて、私と同じくらいの歳だよね?」
「今、二十六……もうすぐ二十七だし、やっぱり面倒臭いよね」

 ひとつ上か!!

「いやいやいや。そんなバカを言う男ならこっちから振っていい物件だし。もし本当にそんなつまらないこと言ってるんなら、グーで殴っていい。
 ちなみに、あの天使はいくつなの? あれでまだ十代てことはないよね?」
「ええと、二十五になったところ」
「二十五。二十五でそれ……」

 ミカちゃんの爪の垢でも煎じてあげたい。お前、ミカちゃんがどうとか警戒してる場合か。

「わ、私だって、一応もうこんな歳だし、なんていうか、高校生じゃないんだから先に進んだっていいんじゃないかなって思うんだけど、どうしたらいいのかわかんなくって。
 もしかして三十までこのままだったらどうしようって考えたら……」
「……あのさ」

 ふと思いついてぽそりと言うと、ぱっと瑠夏さんが顔を上げる。

「その、天使って……もしかしてそっちの経験、ないとか?」
「え?」
「実は経験なしでどうすれば、と瑠夏さんを攻めあぐねている可能性は?」

 ぐぐっと眉間に皺を寄せて低く言う私に、瑠夏さんは瞠目した。

「え、えっ? だってカイル、かっこいいしモテるのに」
「いや、モテることと遊んでることは別だから」
「そうなの、かなあ?」

 しょぼしょぼと自信なさげに瑠夏さんが呟く。こないだの飲みの時の神託ドヤ顔といい、十分可能性はある。
 ……天使って、婚前交渉禁止みたいな決まりとかあるんだろうか。
 というか何の神だって言ってたっけ? どうでも良すぎてろくに聞いてなかったけど。カソリックとは違うんだったか。

「天使に、何かそういう指導をしてくれそうな友人はいないの?」
「仲間内は男の人がもうひとりいるだけだし、あんまりそういう話とかはないみたい。
 教会の人は皆同じようなタイプだと思うんだけど……」
「あてにならなさそうだね。
 ……もうさ、当たって砕けろ的に瑠夏さんが押し倒しちゃえば?」
「えっ」
「実家暮らしだっけ? なら、ホテルにでも引っ張り込んで押し倒して、据え膳用意してやったんだから食えよ! って襲っちゃえ」
「えええっ!?」

 でも、そんなの恥ずかしくてとか、そんなことして嫌われたらとか、真っ赤になったままもじもじと瑠夏さんは小さくぶつぶつ言うだけだ。

「……このまま三十になってもいいの? それに、恥ずかしいのは瑠夏さんじゃなくて瑠夏さんにそこまでさせた天使のほう! そこまで追い詰めたんだと反省するのは天使のほう!」
「え」

 ぐっと拳を握って主張する私に、瑠夏さんはぽかんと目を丸くする。

「だから、天使がうだうだ面倒臭いこと言い出したら、女に恥かかせんなでグーパンの一発でも入れてやりゃいいじゃん。鍛えてるんだから、その程度であっちはどうせ怪我なんかしないだろうし」
「で、でも暴力は……」
「じゃ、泣けばいいんじゃないかな。あんたが悪いってわんわん泣けば、こっちの勝ちよ」
「えええ」
「ていうか、面倒臭いのどう考えても瑠夏さんじゃなくて天使じゃない。瑠夏さん悩んでる原因、天使の責任以外にないよね。だったら責任とってもらわないとさ」
「う、うん……そうだよね、状況を動かしたいなら、人じゃなくて自分を動かさないとって言うもんね……」

 瑠夏さんも何かを吹っ切ったように、ぐっと拳を握り締める。
 私はそんな瑠夏さんにサムズアップで健闘を祈る。

「いい報告、待ってる!」
「うん、がんばる!」

 そろそろ日暮れも近いということで、お茶はお開きになった。会計を済ませて店を出て、いつものコンビニの前で瑠夏さんと別れて、アパートに戻った。
 心なしか、瑠夏さんの足取りは軽いと思う。
 これでやっぱり何もなければ、あの天使は童貞ヘタレで確定だ。その時は、ミカちゃんと一緒に私も煽りまくってやる。



「どうでした?」
「うん……あの天使に瑠夏さんはもったいないなとすごく思った」
「は?」

 帰宅した私に、夕食の用意をしながら尋ねるミカちゃんにそう答えると、怪訝そうに振り返った。

「このまま何事もなかったら、ミカちゃん、一緒にあの天使囲んでヘタレコールしてやろうね」
「……はあ」

 呆気にとられた顔のまま、ミカちゃんはとりあえず頷いていた。



 瑠夏さんから「押し倒したら結婚が決まった」というメールが来たのは、そこから数日後のことだった。
 今度また一緒にお茶をして、詳しい話を聞いてみるつもりだ。

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