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3.ミカちゃんと私
3.嵐の前の熱帯夜
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ミカちゃんが、ようやく落ち着いてくれた。
あの狩られるかも事件はもちろん、盟約がどうのこうのからも数日、じっとミカちゃんを観察した結果、私はようやくホッとした。
背中から抱え込むのは相変わらずだけど、少なくとも彼氏ポジションがどうとか全部欲しいがどうしたとかを言いださなくなったのだ。
少し前の、ミカちゃんがあれこれ拗らせる以前に戻ったみたいで、私も安心して日々を送っている。
「ねえ、ミカちゃん。今度の週末、ウィスキー飲みに行かない?」
「ウィスキーですか?」
「そう。ミカちゃんのイメージに合わせるとワインなんだけど、飲みたいのはウィスキーでさ。どうかな」
ミカちゃんはぱちくりと瞬いて、小さく首を傾げた。
「私のイメージに合わせるとなぜワインなのでしょう」
「だって、吸血鬼っていったら赤ワインかトマトジュースだし」
「色だけ合わせても仕方ないでしょうに」
ミカちゃんが呆れたように苦笑を浮かべる。
たしかにワインもトマトも赤いけど、血とは全然違う。
「それはともかく、ずいぶん急ですね」
「ええとね、駅前にショットバーみたいなお店ができてたの。だからちょっと行ってみたいんだけど、ひとりじゃ入りづらくって。
ミカちゃん、付き合ってもらえないかな」
伺うように見上げると、ミカちゃんは「構いませんよ」と笑っていた。
「ほんと? やった! じゃ、今度の週末ね」
「はい」
うん、やっぱり前に戻ったみたいだ。
ミカちゃんとは、迫り迫られるよりこういうほうがいい。
週末、日が暮れたのを見計らって、さっそくお店へと向かった。
今日もいつも通りの暑さで、夜になっても気温がまったく下がらない。茹だるようなという表現は、こういう暑さのことを言うんだろう。
さらに言えば、これだけ暑いとやはりビールを飲みたい人が多いのか、あちこちのテーブルで、中ジョッキを掲げるようすが目に入ってくる。
オープンしたばかりのせいか店は盛況で、テーブルは満席だけれど、カウンターは空いていた。
カウンターでウィスキーのグラスを傾けるなんて、オシャレでかっこいいじゃないか――なんて考えたのは、たぶんミカちゃんにはバレバレだった。
さらに言うと、店に入るとあちこちから視線が飛んで来ていた。
ミカちゃんは、金髪碧眼補正を差し引いても王子様系イケメンだからなー、なんて考えてしまう。
当のミカちゃんは、まったく気にしていないけど。
「それにしても、律子さんがウィスキーというのは意外でした」
「そうかな? まあ、確かに女の人はあんまり飲まないもんね」
席についてメニューを見始めたところで、ミカちゃんがそんなことをいいだす。そういうものかなと一瞬考えてみたけれど、たしかにそうだ。
ウィスキー飲む女子なんて、あまり男子受けしないものだし。
「ええとね、学生時代に、お酒にすっごく詳しい友達がいたんだけど、その子と一緒に飲んだやつが美味しかったんだよね。
なんていうやつかは忘れちゃったんだけど、それで好きになったの」
「そうでしたか」
「あ、これ飲んでみたかったんだ」
メニューにはたくさんの種類が載っていた。
ウィスキーってこんなにたくさんあるんだな、と感心するくらいに。
名前は知ってるけどなかなかお店で見かけることのない銘柄を注文すると、ミカちゃんは「では私は別なものに」と違う銘柄を注文した。
「ほら、味見もできないのに瓶で買うのもリスキーじゃない? 合わなかったらどうしようって思うと、なかなか手が出せなくって」
「それで、今日、こちらに来たのですね」
「そうそう」
ことりと前に置かれたグラスを持ち上げて、口に含む前に香りを見る。
グラスの傾きに合わせて、おおきな氷がくるりと回る。
ゆっくり、ちびりと舐めるように含むと、口の中いっぱいに、ちょっと煙くさいような薬くさいような、アイラモルト独特の香りが広がった。
「わ、おいしい」
癖が強くて、だいたい「なんかくさくない?」のひと言で評されて倦厭されがちなアイラモルトだけど、私はこの香りが気に入ってるのだ。
んー、とじっくり味わう私を、ミカちゃんは楽しそうにくすくす笑った。
「アイラモルトを好む女性はさらに珍しいと思いますよ。
どちらかというと、こういうアイリッシュのような、癖の少ないもののほうが皆に好まれるのでは?」
ミカちゃんが頼んだのは、アイリッシュの有名どころだ。
チェイサーの水を飲んで、ミカちゃんの差し出したグラスからひと口もらう。
たしかにアイリッシュは口当たりがいいし、癖も強くないから飲みやすいしで、これはこれで本当においしい。
でも、強い癖のあるアイラモルトを飲んだ後ではおとなしすぎるんじゃ、なんて感じてしまう。
「たしかに、これ、すごく飲みやすい。でも、ちょっと物足りないかも」
「律子さんはいっぱしの呑兵衛のようですね」
「ええ、そうかなあ? そんなに飲めるわけじゃないんだけど」
「そうですか?」
たしかに、周りは皆飲兵衛ばっかりだったけど――と考えて、ふと、気がついた。そういえば、周りのすごく飲む人を基準に考えてたけど、基準がおかしかっただけで私も充分飲兵衛なのかもしれない。
「ミカちゃんは結構飲めるほうなの?」
「結構というのがどれくらいを基準とするのかはわかりませんが、体質的に、酒で酔うことはありませんよ」
「体質……ああそっか」
「ですから、いろいろ試したいのでしたら、私が残りを引き受けます」
「じゃあよろしくお願いしちゃおうかな」
「よろしくお願いされましょう」
なるほど、吸血鬼はお酒じゃ酔わないのか。
普通の食べ物も栄養にならないみたいなことを言ってたから、アルコールもそうなんだろう。
調子よく甘える私に、ミカちゃんはにっこりと笑い返す。
「いろいろ試してみて、気に入ったものがあれば買っておきましょうか。たまには家で晩酌というのも面白そうですね」
「いいね。家で飲むとゆっくりできるもんね」
さすがミカちゃんは、私を甘やかすのがうまい。
それからカナディアンにバーボン、スコッチなどなど、目に付いたものを片っ端から試してみた。
いいな、と思った銘柄は、店員に頼んで瓶の写真も撮らせてもらった。
「なんかふわふわして気持ちいいねえ」
たとえひと口ずつでもウィスキーはウィスキー。
残りは全部ミカちゃんにお願いしてしまったとはいえ、それでも私はそれなりの量を飲んでいた。
おかげでふわふわして楽しくて仕方ない。顔も熱いし、たぶん酔っ払ってるんだろうなと思うけど、楽しいんだから仕方ない。
「律子さん、大丈夫ですか?」
「ん、大丈夫じゃないかも」
店を出たとたん視界が傾いた私を、ミカちゃんが抱え上げた。
顔が近くなって、毛穴まで見えそうな距離なのに、毛穴どころか髭剃り跡もわからないくらいのつるつるお肌で羨ましい。
ミカちゃんは遠くから見ても近くから見てもイケメンだなあ。
「ミカちゃんが酔っ払ったらどうなるんだろうね」
「どうでしょうね。酒で酔ったことはないですから、どうなるやら」
「ミカちゃんが泣き上戸とか絡み酒だったら、面白いかも」
「どちらも、共に飲むには厄介なタイプではないかと思うのですけど」
「案外ギャップ萌えとか言われるかもよ」
想像すると楽しくて、くすくす笑いが止まらない。
「律子さん、飲みすぎのようですね」
「でもほとんどミカちゃんに飲んでもらったよ」
ミカちゃんが私を覗き込む。
ミカちゃんは心配性だなあ、と私はやっぱり笑ってしまう。だから、オカンみたいだって思うのに。
なんとなく手を伸ばして、私はミカちゃんの頬っぺたをするすると撫でた。
見た目どおり、やっぱりさらさらだ。
「律子さん?」
「ねえ、ミカちゃん」
「はい?」
「今日は付き合ってくれてありがとう」
ミカちゃんが傾げた首に、私は腕を引っ掛けた。
やっぱり、ミカちゃんにも労いは必要だと思うのだ。だから、引っ掛けた腕でぐいとミカちゃんの顔を引き寄せて、私の首に押し付ける。
「ミカちゃんも美酒をどうぞ。でも、少しだけね」
ミカちゃんが驚いたみたいにパッと顔を上げた。律子サプライズはどうやら成功したらしい。
ちょっとだけ目を瞠って、けれどすぐにうれしそうに目を細めて、ミカちゃんが私を抱く腕に力を込めた。
「ありがたくいただきます。
けれど、道端では少々お行儀が悪いですし、帰ってからにしましょうか」
「ん、そっかーそれもそうだね。じゃあ、帰ってからね」
囁くミカちゃんに、私もうんと頷いた。
たしかに、歩きながら食べたりってあんまりよくないもんな、と。
それでも楽しみなのか、ミカちゃんは私の首にキスをした。月に一度のアレで、いつもご飯を食べる場所に。
くすぐったいけれど、気持ちいい。
あと、ちょっと眠い。
「だいぶ酔いが回っているようですね」
囁くミカちゃんの声が、心持ち上擦っているようだ。そうかな? と思ったけど、そうなのかもしれない。
「眠くて仕方なさそうですね。それに、脈もこんなに速い」
さっきキスした場所に、ミカちゃんが唇を押し付ける。眠たい頭で考えてみると、たしかに結構飲んだなあ、という結論に至った。
「うん、なんか眠い」
「危なっかしくてしかたありません。このまま帰りましょうね、律子さん」
「ん」
私を抱えたミカちゃんは、またキスをする。
なんだろう、ミカちゃんがやたらと甘い気がする。
* * *
「さあ、律子さん。到着ですよ」
玄関扉を開ける音に、半分眠りこけたまま律子はこくりと頷いた。その覚束ない表情に、ミカがふわりと笑みを浮かべる。
律子をしっかりと抱えたまま、ちゅ、ちゅ、と啄ばむように何度もキスをして……部屋に上がり込むとそのままベッドに腰を下ろした。
「律子さん」
「ん……」
「先ほどの言葉に甘えて、少しだけいただきますね」
「うん」
夢うつつの惚けた顔で、律子がこくりと頷いた。
とろりと微笑んだミカは、律子の唇をそっと塞いだ。ほんのり立ち昇る香りに、頭がくらりとする。
は、と小さく吐息を漏らして抱きしめて、「律子さん」と呼ぶ。
「ミカちゃ……?」
律子がうっすらと目を開けた。
けれど、すぐにまた閉じてしまう。
いつになれば、律子はイエスと頷くのだろう。そんなことを考えながら、ミカは首筋に顔を寄せてぺろりと舐めた。
舌先に、強く脈打つ太い血管を感じて、ミカはまた吐息を漏らす。
注意深く、血管の真上に牙でそっと小さな傷を作ると、律子はたちまち「あ」と声を漏らしてぶるりと震えた。
目を伏せたまま、幾分かの熱がこもった息を吐き出して。
うっかり落としたりしないようにしっかりと抱き締めて、ミカは僅かに滲み出た血を舐めとり、喉を鳴らす。
律子が“美酒”と呼んだとおり、極々少量のはずの赤い液体が、強い蒸留酒のようにミカの喉を焼いて甘い酩酊感をもたらす。
律子の首からじわじわと滲み出る赤い美酒を、ミカはゆっくりと、少しずつ少しずつ大切に舐め取った。
その度に、律子が身悶えながら声を漏らす。
「――あつい、よ」
「ええ、そうですね、律子さん」
首の傷に口付けて、ミカはうっとり笑った。
「でも、今日はそのままにしましょうか」
「ん……っ、でも、あつい……」
「はい」
は、と吐息を漏らす律子に囁いて、ミカはゆっくりと血を舐める。
「あなたの美酒は最高ですよ」
ひとしきり舐めて傷を消すと、ミカは笑みを浮かべたまま律子の頬を撫でて唇にキスを落とした。
優しく、どこまでも甘い表情で。
そのまま舌を差し入れて、暫しの間、口腔の中も堪能するように掻き回す。
律子の目はうっとりと伏せられていたけれど、ミカが舌を絡め取り軽く牙を掠めるたびに身悶えて、何かを堪えるかのように眉根を寄せた。
ふ、ふ、と忙しない吐息が、唇の隙間から漏れ出す。
ようやくミカが離れると、律子の口の端から涎がひと筋、つ、と流れた。
「ん……ミカちゃん、あついよ……」
「律子さん、熱はそのままにしておきましょうね」
「でも、あついのに……」
「熱を冷ますのは、もっととっておきの時間に、ですよ」
ねえ、律子さん、と、宥めるような声音でミカが囁く。
「……この血に溺れているのも、離れられないのも、あなたを独占したいのも、すべて私なんですから」
「あっ」
もう一度、今度は無防備に曝された喉にキスを落とし、軽く牙を立てた。
びくりと律子の身体が跳ねて震える。
今、この瞬間の律子のすべては自分の支配下にある。けれど、それでは意味がない。律子が自らの意思で、ミカに落ちてくれなければ。
「だから、あなたも私に溺れてください」
身悶える律子の喉をやわやわと食みながら、ミカは笑う。
自分は見つけてしまったのだ。
絶対に誰にも渡さない。大切に慈しみ、囲い込み、決して離さない。快楽だって惜しみなく与えよう。
そうやってしっかりと、自分から離れることのないように、逃げ出すことのないように、注意深く縛り続けるのだ。
あの狩られるかも事件はもちろん、盟約がどうのこうのからも数日、じっとミカちゃんを観察した結果、私はようやくホッとした。
背中から抱え込むのは相変わらずだけど、少なくとも彼氏ポジションがどうとか全部欲しいがどうしたとかを言いださなくなったのだ。
少し前の、ミカちゃんがあれこれ拗らせる以前に戻ったみたいで、私も安心して日々を送っている。
「ねえ、ミカちゃん。今度の週末、ウィスキー飲みに行かない?」
「ウィスキーですか?」
「そう。ミカちゃんのイメージに合わせるとワインなんだけど、飲みたいのはウィスキーでさ。どうかな」
ミカちゃんはぱちくりと瞬いて、小さく首を傾げた。
「私のイメージに合わせるとなぜワインなのでしょう」
「だって、吸血鬼っていったら赤ワインかトマトジュースだし」
「色だけ合わせても仕方ないでしょうに」
ミカちゃんが呆れたように苦笑を浮かべる。
たしかにワインもトマトも赤いけど、血とは全然違う。
「それはともかく、ずいぶん急ですね」
「ええとね、駅前にショットバーみたいなお店ができてたの。だからちょっと行ってみたいんだけど、ひとりじゃ入りづらくって。
ミカちゃん、付き合ってもらえないかな」
伺うように見上げると、ミカちゃんは「構いませんよ」と笑っていた。
「ほんと? やった! じゃ、今度の週末ね」
「はい」
うん、やっぱり前に戻ったみたいだ。
ミカちゃんとは、迫り迫られるよりこういうほうがいい。
週末、日が暮れたのを見計らって、さっそくお店へと向かった。
今日もいつも通りの暑さで、夜になっても気温がまったく下がらない。茹だるようなという表現は、こういう暑さのことを言うんだろう。
さらに言えば、これだけ暑いとやはりビールを飲みたい人が多いのか、あちこちのテーブルで、中ジョッキを掲げるようすが目に入ってくる。
オープンしたばかりのせいか店は盛況で、テーブルは満席だけれど、カウンターは空いていた。
カウンターでウィスキーのグラスを傾けるなんて、オシャレでかっこいいじゃないか――なんて考えたのは、たぶんミカちゃんにはバレバレだった。
さらに言うと、店に入るとあちこちから視線が飛んで来ていた。
ミカちゃんは、金髪碧眼補正を差し引いても王子様系イケメンだからなー、なんて考えてしまう。
当のミカちゃんは、まったく気にしていないけど。
「それにしても、律子さんがウィスキーというのは意外でした」
「そうかな? まあ、確かに女の人はあんまり飲まないもんね」
席についてメニューを見始めたところで、ミカちゃんがそんなことをいいだす。そういうものかなと一瞬考えてみたけれど、たしかにそうだ。
ウィスキー飲む女子なんて、あまり男子受けしないものだし。
「ええとね、学生時代に、お酒にすっごく詳しい友達がいたんだけど、その子と一緒に飲んだやつが美味しかったんだよね。
なんていうやつかは忘れちゃったんだけど、それで好きになったの」
「そうでしたか」
「あ、これ飲んでみたかったんだ」
メニューにはたくさんの種類が載っていた。
ウィスキーってこんなにたくさんあるんだな、と感心するくらいに。
名前は知ってるけどなかなかお店で見かけることのない銘柄を注文すると、ミカちゃんは「では私は別なものに」と違う銘柄を注文した。
「ほら、味見もできないのに瓶で買うのもリスキーじゃない? 合わなかったらどうしようって思うと、なかなか手が出せなくって」
「それで、今日、こちらに来たのですね」
「そうそう」
ことりと前に置かれたグラスを持ち上げて、口に含む前に香りを見る。
グラスの傾きに合わせて、おおきな氷がくるりと回る。
ゆっくり、ちびりと舐めるように含むと、口の中いっぱいに、ちょっと煙くさいような薬くさいような、アイラモルト独特の香りが広がった。
「わ、おいしい」
癖が強くて、だいたい「なんかくさくない?」のひと言で評されて倦厭されがちなアイラモルトだけど、私はこの香りが気に入ってるのだ。
んー、とじっくり味わう私を、ミカちゃんは楽しそうにくすくす笑った。
「アイラモルトを好む女性はさらに珍しいと思いますよ。
どちらかというと、こういうアイリッシュのような、癖の少ないもののほうが皆に好まれるのでは?」
ミカちゃんが頼んだのは、アイリッシュの有名どころだ。
チェイサーの水を飲んで、ミカちゃんの差し出したグラスからひと口もらう。
たしかにアイリッシュは口当たりがいいし、癖も強くないから飲みやすいしで、これはこれで本当においしい。
でも、強い癖のあるアイラモルトを飲んだ後ではおとなしすぎるんじゃ、なんて感じてしまう。
「たしかに、これ、すごく飲みやすい。でも、ちょっと物足りないかも」
「律子さんはいっぱしの呑兵衛のようですね」
「ええ、そうかなあ? そんなに飲めるわけじゃないんだけど」
「そうですか?」
たしかに、周りは皆飲兵衛ばっかりだったけど――と考えて、ふと、気がついた。そういえば、周りのすごく飲む人を基準に考えてたけど、基準がおかしかっただけで私も充分飲兵衛なのかもしれない。
「ミカちゃんは結構飲めるほうなの?」
「結構というのがどれくらいを基準とするのかはわかりませんが、体質的に、酒で酔うことはありませんよ」
「体質……ああそっか」
「ですから、いろいろ試したいのでしたら、私が残りを引き受けます」
「じゃあよろしくお願いしちゃおうかな」
「よろしくお願いされましょう」
なるほど、吸血鬼はお酒じゃ酔わないのか。
普通の食べ物も栄養にならないみたいなことを言ってたから、アルコールもそうなんだろう。
調子よく甘える私に、ミカちゃんはにっこりと笑い返す。
「いろいろ試してみて、気に入ったものがあれば買っておきましょうか。たまには家で晩酌というのも面白そうですね」
「いいね。家で飲むとゆっくりできるもんね」
さすがミカちゃんは、私を甘やかすのがうまい。
それからカナディアンにバーボン、スコッチなどなど、目に付いたものを片っ端から試してみた。
いいな、と思った銘柄は、店員に頼んで瓶の写真も撮らせてもらった。
「なんかふわふわして気持ちいいねえ」
たとえひと口ずつでもウィスキーはウィスキー。
残りは全部ミカちゃんにお願いしてしまったとはいえ、それでも私はそれなりの量を飲んでいた。
おかげでふわふわして楽しくて仕方ない。顔も熱いし、たぶん酔っ払ってるんだろうなと思うけど、楽しいんだから仕方ない。
「律子さん、大丈夫ですか?」
「ん、大丈夫じゃないかも」
店を出たとたん視界が傾いた私を、ミカちゃんが抱え上げた。
顔が近くなって、毛穴まで見えそうな距離なのに、毛穴どころか髭剃り跡もわからないくらいのつるつるお肌で羨ましい。
ミカちゃんは遠くから見ても近くから見てもイケメンだなあ。
「ミカちゃんが酔っ払ったらどうなるんだろうね」
「どうでしょうね。酒で酔ったことはないですから、どうなるやら」
「ミカちゃんが泣き上戸とか絡み酒だったら、面白いかも」
「どちらも、共に飲むには厄介なタイプではないかと思うのですけど」
「案外ギャップ萌えとか言われるかもよ」
想像すると楽しくて、くすくす笑いが止まらない。
「律子さん、飲みすぎのようですね」
「でもほとんどミカちゃんに飲んでもらったよ」
ミカちゃんが私を覗き込む。
ミカちゃんは心配性だなあ、と私はやっぱり笑ってしまう。だから、オカンみたいだって思うのに。
なんとなく手を伸ばして、私はミカちゃんの頬っぺたをするすると撫でた。
見た目どおり、やっぱりさらさらだ。
「律子さん?」
「ねえ、ミカちゃん」
「はい?」
「今日は付き合ってくれてありがとう」
ミカちゃんが傾げた首に、私は腕を引っ掛けた。
やっぱり、ミカちゃんにも労いは必要だと思うのだ。だから、引っ掛けた腕でぐいとミカちゃんの顔を引き寄せて、私の首に押し付ける。
「ミカちゃんも美酒をどうぞ。でも、少しだけね」
ミカちゃんが驚いたみたいにパッと顔を上げた。律子サプライズはどうやら成功したらしい。
ちょっとだけ目を瞠って、けれどすぐにうれしそうに目を細めて、ミカちゃんが私を抱く腕に力を込めた。
「ありがたくいただきます。
けれど、道端では少々お行儀が悪いですし、帰ってからにしましょうか」
「ん、そっかーそれもそうだね。じゃあ、帰ってからね」
囁くミカちゃんに、私もうんと頷いた。
たしかに、歩きながら食べたりってあんまりよくないもんな、と。
それでも楽しみなのか、ミカちゃんは私の首にキスをした。月に一度のアレで、いつもご飯を食べる場所に。
くすぐったいけれど、気持ちいい。
あと、ちょっと眠い。
「だいぶ酔いが回っているようですね」
囁くミカちゃんの声が、心持ち上擦っているようだ。そうかな? と思ったけど、そうなのかもしれない。
「眠くて仕方なさそうですね。それに、脈もこんなに速い」
さっきキスした場所に、ミカちゃんが唇を押し付ける。眠たい頭で考えてみると、たしかに結構飲んだなあ、という結論に至った。
「うん、なんか眠い」
「危なっかしくてしかたありません。このまま帰りましょうね、律子さん」
「ん」
私を抱えたミカちゃんは、またキスをする。
なんだろう、ミカちゃんがやたらと甘い気がする。
* * *
「さあ、律子さん。到着ですよ」
玄関扉を開ける音に、半分眠りこけたまま律子はこくりと頷いた。その覚束ない表情に、ミカがふわりと笑みを浮かべる。
律子をしっかりと抱えたまま、ちゅ、ちゅ、と啄ばむように何度もキスをして……部屋に上がり込むとそのままベッドに腰を下ろした。
「律子さん」
「ん……」
「先ほどの言葉に甘えて、少しだけいただきますね」
「うん」
夢うつつの惚けた顔で、律子がこくりと頷いた。
とろりと微笑んだミカは、律子の唇をそっと塞いだ。ほんのり立ち昇る香りに、頭がくらりとする。
は、と小さく吐息を漏らして抱きしめて、「律子さん」と呼ぶ。
「ミカちゃ……?」
律子がうっすらと目を開けた。
けれど、すぐにまた閉じてしまう。
いつになれば、律子はイエスと頷くのだろう。そんなことを考えながら、ミカは首筋に顔を寄せてぺろりと舐めた。
舌先に、強く脈打つ太い血管を感じて、ミカはまた吐息を漏らす。
注意深く、血管の真上に牙でそっと小さな傷を作ると、律子はたちまち「あ」と声を漏らしてぶるりと震えた。
目を伏せたまま、幾分かの熱がこもった息を吐き出して。
うっかり落としたりしないようにしっかりと抱き締めて、ミカは僅かに滲み出た血を舐めとり、喉を鳴らす。
律子が“美酒”と呼んだとおり、極々少量のはずの赤い液体が、強い蒸留酒のようにミカの喉を焼いて甘い酩酊感をもたらす。
律子の首からじわじわと滲み出る赤い美酒を、ミカはゆっくりと、少しずつ少しずつ大切に舐め取った。
その度に、律子が身悶えながら声を漏らす。
「――あつい、よ」
「ええ、そうですね、律子さん」
首の傷に口付けて、ミカはうっとり笑った。
「でも、今日はそのままにしましょうか」
「ん……っ、でも、あつい……」
「はい」
は、と吐息を漏らす律子に囁いて、ミカはゆっくりと血を舐める。
「あなたの美酒は最高ですよ」
ひとしきり舐めて傷を消すと、ミカは笑みを浮かべたまま律子の頬を撫でて唇にキスを落とした。
優しく、どこまでも甘い表情で。
そのまま舌を差し入れて、暫しの間、口腔の中も堪能するように掻き回す。
律子の目はうっとりと伏せられていたけれど、ミカが舌を絡め取り軽く牙を掠めるたびに身悶えて、何かを堪えるかのように眉根を寄せた。
ふ、ふ、と忙しない吐息が、唇の隙間から漏れ出す。
ようやくミカが離れると、律子の口の端から涎がひと筋、つ、と流れた。
「ん……ミカちゃん、あついよ……」
「律子さん、熱はそのままにしておきましょうね」
「でも、あついのに……」
「熱を冷ますのは、もっととっておきの時間に、ですよ」
ねえ、律子さん、と、宥めるような声音でミカが囁く。
「……この血に溺れているのも、離れられないのも、あなたを独占したいのも、すべて私なんですから」
「あっ」
もう一度、今度は無防備に曝された喉にキスを落とし、軽く牙を立てた。
びくりと律子の身体が跳ねて震える。
今、この瞬間の律子のすべては自分の支配下にある。けれど、それでは意味がない。律子が自らの意思で、ミカに落ちてくれなければ。
「だから、あなたも私に溺れてください」
身悶える律子の喉をやわやわと食みながら、ミカは笑う。
自分は見つけてしまったのだ。
絶対に誰にも渡さない。大切に慈しみ、囲い込み、決して離さない。快楽だって惜しみなく与えよう。
そうやってしっかりと、自分から離れることのないように、逃げ出すことのないように、注意深く縛り続けるのだ。
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