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3.ミカちゃんと私
1.人狼も食わないすれ違い
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律子さんの“オカン”で構いません――ミカちゃんは確かにそう言った。
そう言ったはずなのに。
「ね、ミカちゃん」
「はい?」
「なんで、ミカちゃんは私の後ろから抱きついてるの?」
「私は律子さんの“オカン”なのでしょう? ですから、お気になさらず」
にっこりと微笑むミカちゃんにそう返されて、私は言葉に詰まる。
この前のやさぐれから立ち直って、ミカちゃんは開き直ってる。
これは絶対、開き直ってる。
「でもね、ミカちゃん。オカンはこんな体勢取ったりしないと思うんだけど」
「律子さんの“オカン”の定義と、私の“オカン”の定義が違っているのでしょう。気にすることなど何もありませんよ」
そう来るか。
それはただの屁理屈なんじゃないか。
そう思うのに、うまく言い返せない。
「でも、ふつうオカンて言ったらさ」
「私は吸血鬼です。前提がふつうではないのに、“ふつう”の定義など持ち出して何か意味があるのでしょうか?
“ふつう”など、考えるだけ無駄というものです」
ね、律子さんといって、背後でミカちゃんがくすくすと笑う。
もしかして、私の反応をおもしろがってやしないだろうか。
おまけに、あれこれ反論しようにも、開き直ったミカちゃんに勝てる気がしない。ああ言えばこう言うとは、まさにこのことか。
「で、でもね」
「夜はまだまだ暑いですからね。私がこうしていれば涼しいでしょう?」
たしかにミカちゃんはひんやりで涼しい。涼しいけど、いろんな意味で落ち着かない……いや、そういう問題じゃないのでは?
「そうじゃなくてさ」
「嫌なのですか?」
「うっ、その、嫌とかじゃなくて」
「では、お気になさらずに、どうぞ」
またにっこりと笑いかけるミカちゃんが、私を抱え直す。おかげで、テレビの内容がさっぱり頭に入らない。
どうしたらこの体勢から逃げられるのだろう。
「その、ミカちゃんは楽しいの?」
「はい、とても」
どこが楽しいのかよくわからない。
けれど、やたらと上機嫌なのだから、確かにミカちゃんは楽しいのだろう。
ここ最近ずっと、正確にはやさぐれの一件からずっと、いつも、こうしてあれこれと言い合ううちに夜は更けていく。
深夜に差し掛かる頃、そろそろ寝る時間だとベッドに運ばれて、ようやくこの一連のやり取りは終わるのだが……なんでこんなことになったんだろう。
「っていう感じなんだけど、ミカちゃんがわからないんですよ」
例によって、コンビニ前でカレヴィさんと遭遇した私は、最近の悩みについて話してみた。なのに、カレヴィさんは、うええと嫌な顔をしただけだった。
「俺は、そういうことをいちいち俺に報告する律子ちゃんがわかんねえよ。
俺、もう、馬に蹴られたり犬も食わないヤツに巻き込まれたりするの嫌なんだよね。勘弁してくれないかな?」
「なっ、そんなんじゃないですってば」
「いや、そんなんだから」
車止めに腰を下ろし、もそもそと袋から出したアイスを齧りながら、カレヴィさんが溜息を吐く。
犬も食わないって、だからカレヴィさんは首を突っ込みたくないのか。
いや、そもそもそういう枕詞がつくようなものじゃないのに、なんでそういうことを言うのか。
「もういいじゃん。律子ちゃん、ミカとくっついちまえよ。ミカ、そうとう律子ちゃんのこと好きだぜ?」
「ええ?」
「そしたら全部丸く収まるし」
「いやいやいや、そんなことないし」
慌ててぶんぶん首を振る私に、カレヴィさんがまた溜息を吐いた。
なんで皆そんなにミカちゃんと私をくっつけたがるのか。ミカちゃんの食料確保がそんなに重要なのか。
「何をそんなに嫌がるのかな。あいつ顔もいいし金も持ってるぜ。まあ、吸血鬼だし、性格がいいかどうかは置いとくけどな」
「だってカレヴィさん、考えてもみてくださいよ。
いいですか、私から美味しい血が絞れる期間なんて、たぶん若いうちだけなんですよ? 数年経ったら味も落ちて用済み感漂ったあげくサヨウナラだって、火を見るよりも明らかじゃないですか。
それは絶対ないですってば」
私の言葉に、カレヴィさんの目が丸くなる。
「ああ、そういうことか」
そういうことかって、カレヴィさんはなんだと思っていたのか。
「ミカちゃんは吸血鬼で、私はミカちゃんのご飯なんですよ。
もともと私のとこ来たのだって、いろいろやってもらう代わりに、月いちでご飯提供するって約束があるからだし」
「あー、なるほどなあ」
カレヴィさんが、納得がいったという顔でうんうんと頷く。
「ミカが何考えてるかは俺もわからんから、そこは何とも言えねえわ」
コンビニ前でしゃがんでのの字を書く私に、カレヴィさんがそう続けるけれど、心なしか棒読みなのは気のせいだろうか。
「なんつか、あれだよ。本人抜きで邪推したってわからんし、今のうち、ちゃんと話し合っとけ、な?」
カレヴィさんに笑いながらぽんぽんと頭を叩かれて、私もつい溜息を吐く。
話し合えと言われても、今さら何をどう切り出せと?
「ええ、まあ、そのうち考えますけど……カレヴィさん、話し合いはともかく、ミカちゃんが正直に話してくれると思いますか?」
「確かに、どうだろうなあ」
結局、カレヴィさんも役に立たないのか。
もう一度溜息を吐いて立ち上がると、カレヴィさんが苦笑を浮かべていた。
「ま、とりあえずでいいから、聞いてみろよ」
「ミカちゃんの場合、聞くだけでもタダじゃないって感じなんですよねえ……まあ、聞いてみますけど」
「がんばれ」
外野はいいな。
好き放題煽ってれば済むんだもん。
「ただいまあ」
「おかえりなさい、律子さん」
玄関を開けると、いつものようにミカちゃんが出迎えてくれた。私が靴を脱ごうと床に置いたカバンを取り、いつものように今日の夕食の話をして……。
「いかがしましたか? 眉間に皺が寄ってますよ」
ミカちゃんが私の眉間に手を伸ばす。
それから、皺をならすように、指の腹でそっと撫でた。
「ねえ、ミカちゃん」
「はい?」
「期限、決めたほうがよくない?」
「何の期限をでしょう?」
ミカちゃんが訝しむように目を細めた。私を観察しているように。
「律子さん、何か良からぬことを考えていませんか?」
「え?」
「そういう顔をしています」
「べ、別に、良からぬことなんて考えてないけど」
ミカちゃんの真面目な顔に、どうにも居心地が悪くてつい視線を外してしまう。すると、ミカちゃんはふっと微笑んだ。
「では、先に夕食とお風呂を済ませてしまいましょうか。お腹が空いているでしょう?」
「うん」
後回しにされて、はぐらかされた気がするくせに、ほっとしてしまう。
ミカちゃんが夕食の最後の仕上げをしている間に、ちゃんと話すにはどうしたものかと考えながら、お風呂に浸かった。
「さて、律子さん。何を考えていらっしゃるのです?」
けれど、ミカちゃんは今度こそきちんと話をするつもりだったようだ。
夕食その他が終わると、いつも通りミカちゃんが私の後ろに回って、そう、耳元で切り出したのだから。
でも、耳元で低く囁かれるのは恥ずかしい。
「あのさ、期限があったほうがいいかなって、思ったんだよね」
「言わんとしていることの予想はつきますが……なぜそんなことを言い出したのか、聞かせてください」
やっぱり、ミカちゃんには私の考えることなどお見通しなのだろうか。むむむと眉を寄せると、私を抱えるミカちゃんの腕に力がこもった。
「だってさ、私から健康で美味しい血が採れるのって、たぶん若いうちだけだよね。いつまでが若いうちかはわからないけど、そしたらミカちゃんだって次を探さなきゃいけないでしょ? あらかじめいつまでって決めておけば、ミカちゃんだって次を探しやすいし、私もいろいろ準備できるし」
「そうではないかと思いましたが、やはりそんなことでしたか」
私の言葉を遮って、ミカちゃんが、はあ、と息を吐いた。
やれやれと肩に顔を埋めて、ぎゅうっと抱き締める。
「そんなことって、だって、人生設計は大切だよ? 私もそのうち結婚だってするんだろうし、そうなったら――」
「シルバーウィークの約束は、どうなさるんですか?」
「え?」
急に顔を上げたミカちゃんの剣呑な声に、私は思わず振り返る。
私の目と鼻の先くらいの至近距離にあるミカちゃんの目が、とてもじっとりと私を見つめてていた。
「だって、あれはうちのお母さんの勝手な早合点だし、ミカちゃんが従う必要は――」
「シルバーウィークになったら、私を連れて律子さんの実家に行くという約束ですよね?」
「いや、でも」
ミカちゃんは、お母さんの「うちに来い」を真に受けていたのか。
でも、だからってほいほい行ったりしたら、ノリと勢いだけで既成事実みたいなものを認定されちゃうのだ。
下手すると勢いに押されて、「式場予約したから」まで進められかねない。いかにお母さんもお婆ちゃんも喜んでるからって、それはまずい。
慌てる私に、ミカちゃんがにっこりと微笑む。
「では、血の盟約でも結びますか?」
「へ?」
「律子さんが望むなら、貴女を主とする血の盟約を結ぶことも、やぶさかではありません」
ちのめいやく?
聞いただけでなんだかヤバそうな印象の言葉に、私はさらに慌ててしまう。
ミカちゃんは、どこか心待ちにするような表情になっている。
「え、ちょっと待って。たぶんそれダメなやつだと思う」
「何がダメなのですか?」
「何って、よくわかんないけど、たぶん、いや、絶対ダメなやつだよね。ロクでもない響きがあるよ」
ぶんぶんと首を振る私に、ミカちゃんはさらに楽しそうに笑う。
ミカちゃんのテンションがおかしい。
「盟約があれば、私が律子さんから離れることはなくなりますよ。それに、文字通り、私の生殺与奪の権限は律子さんに委ねられることになりますし、律子さんが私を好きに従えることもできます」
「ほら、それやっぱりダメなやつじゃない。そんな権限、私いらないよ?」
「なぜです?」
やっぱりダメなやつだった。
ミカちゃんの生殺与奪権なんて、もらったって困る。
なのにミカちゃんは、笑いながら不思議そうにに首を傾げた。
「律子さんは、私が数年もすれば離れてしまうのだと案じているのでしょう? 盟約があれば私は離れませんよ?」
「そんなのだめだよ。あたりまえじゃない。だいたい、無理やりここに居ろって命令して居させるんじゃ意味ないでしょう?
そんなの、対等じゃないもん」
目を瞠り、ぽかんとした顔で「対等?」と呟くミカちゃんに、私は「そうだよ」と強く頷く。
だって、私とミカちゃんはギブアンドテイクの対等な関係なのだと、私はそう考えているのに……もしかしてミカちゃんは違ったのだろうか。
「その人の意思を無視してまで無理やり居させるのは、対等って言わないよね。それに、事故とかで私が死んじゃったりしたら、その盟約ってどうなるの? ミカちゃんにもいいことなさそうなのに、どう考えてもそんなの無しだよ」
ミカちゃんは吸血鬼だから、私とは考え方が違うのかもしれない。これが、竹井さんの言ってた“文化の違い”なんだろうか。わかっていたつもりだったけど、やっぱり人間とは感覚が違うのか。盟約とかで居させればいいって、そんなんでうれしいとでも思っているのだろうか。
ミカちゃんは戸惑ったように、「そうですか?」とぽつりと呟いた。
「では、私はどうしたらいいのでしょうね」
「え?」
ミカちゃんは困った顔でそれきり口を噤んで……ただ、私を抱く腕に力を込めただけだった。
どうしたらいいのかって、私のほうが訊きたいのに。
そう言ったはずなのに。
「ね、ミカちゃん」
「はい?」
「なんで、ミカちゃんは私の後ろから抱きついてるの?」
「私は律子さんの“オカン”なのでしょう? ですから、お気になさらず」
にっこりと微笑むミカちゃんにそう返されて、私は言葉に詰まる。
この前のやさぐれから立ち直って、ミカちゃんは開き直ってる。
これは絶対、開き直ってる。
「でもね、ミカちゃん。オカンはこんな体勢取ったりしないと思うんだけど」
「律子さんの“オカン”の定義と、私の“オカン”の定義が違っているのでしょう。気にすることなど何もありませんよ」
そう来るか。
それはただの屁理屈なんじゃないか。
そう思うのに、うまく言い返せない。
「でも、ふつうオカンて言ったらさ」
「私は吸血鬼です。前提がふつうではないのに、“ふつう”の定義など持ち出して何か意味があるのでしょうか?
“ふつう”など、考えるだけ無駄というものです」
ね、律子さんといって、背後でミカちゃんがくすくすと笑う。
もしかして、私の反応をおもしろがってやしないだろうか。
おまけに、あれこれ反論しようにも、開き直ったミカちゃんに勝てる気がしない。ああ言えばこう言うとは、まさにこのことか。
「で、でもね」
「夜はまだまだ暑いですからね。私がこうしていれば涼しいでしょう?」
たしかにミカちゃんはひんやりで涼しい。涼しいけど、いろんな意味で落ち着かない……いや、そういう問題じゃないのでは?
「そうじゃなくてさ」
「嫌なのですか?」
「うっ、その、嫌とかじゃなくて」
「では、お気になさらずに、どうぞ」
またにっこりと笑いかけるミカちゃんが、私を抱え直す。おかげで、テレビの内容がさっぱり頭に入らない。
どうしたらこの体勢から逃げられるのだろう。
「その、ミカちゃんは楽しいの?」
「はい、とても」
どこが楽しいのかよくわからない。
けれど、やたらと上機嫌なのだから、確かにミカちゃんは楽しいのだろう。
ここ最近ずっと、正確にはやさぐれの一件からずっと、いつも、こうしてあれこれと言い合ううちに夜は更けていく。
深夜に差し掛かる頃、そろそろ寝る時間だとベッドに運ばれて、ようやくこの一連のやり取りは終わるのだが……なんでこんなことになったんだろう。
「っていう感じなんだけど、ミカちゃんがわからないんですよ」
例によって、コンビニ前でカレヴィさんと遭遇した私は、最近の悩みについて話してみた。なのに、カレヴィさんは、うええと嫌な顔をしただけだった。
「俺は、そういうことをいちいち俺に報告する律子ちゃんがわかんねえよ。
俺、もう、馬に蹴られたり犬も食わないヤツに巻き込まれたりするの嫌なんだよね。勘弁してくれないかな?」
「なっ、そんなんじゃないですってば」
「いや、そんなんだから」
車止めに腰を下ろし、もそもそと袋から出したアイスを齧りながら、カレヴィさんが溜息を吐く。
犬も食わないって、だからカレヴィさんは首を突っ込みたくないのか。
いや、そもそもそういう枕詞がつくようなものじゃないのに、なんでそういうことを言うのか。
「もういいじゃん。律子ちゃん、ミカとくっついちまえよ。ミカ、そうとう律子ちゃんのこと好きだぜ?」
「ええ?」
「そしたら全部丸く収まるし」
「いやいやいや、そんなことないし」
慌ててぶんぶん首を振る私に、カレヴィさんがまた溜息を吐いた。
なんで皆そんなにミカちゃんと私をくっつけたがるのか。ミカちゃんの食料確保がそんなに重要なのか。
「何をそんなに嫌がるのかな。あいつ顔もいいし金も持ってるぜ。まあ、吸血鬼だし、性格がいいかどうかは置いとくけどな」
「だってカレヴィさん、考えてもみてくださいよ。
いいですか、私から美味しい血が絞れる期間なんて、たぶん若いうちだけなんですよ? 数年経ったら味も落ちて用済み感漂ったあげくサヨウナラだって、火を見るよりも明らかじゃないですか。
それは絶対ないですってば」
私の言葉に、カレヴィさんの目が丸くなる。
「ああ、そういうことか」
そういうことかって、カレヴィさんはなんだと思っていたのか。
「ミカちゃんは吸血鬼で、私はミカちゃんのご飯なんですよ。
もともと私のとこ来たのだって、いろいろやってもらう代わりに、月いちでご飯提供するって約束があるからだし」
「あー、なるほどなあ」
カレヴィさんが、納得がいったという顔でうんうんと頷く。
「ミカが何考えてるかは俺もわからんから、そこは何とも言えねえわ」
コンビニ前でしゃがんでのの字を書く私に、カレヴィさんがそう続けるけれど、心なしか棒読みなのは気のせいだろうか。
「なんつか、あれだよ。本人抜きで邪推したってわからんし、今のうち、ちゃんと話し合っとけ、な?」
カレヴィさんに笑いながらぽんぽんと頭を叩かれて、私もつい溜息を吐く。
話し合えと言われても、今さら何をどう切り出せと?
「ええ、まあ、そのうち考えますけど……カレヴィさん、話し合いはともかく、ミカちゃんが正直に話してくれると思いますか?」
「確かに、どうだろうなあ」
結局、カレヴィさんも役に立たないのか。
もう一度溜息を吐いて立ち上がると、カレヴィさんが苦笑を浮かべていた。
「ま、とりあえずでいいから、聞いてみろよ」
「ミカちゃんの場合、聞くだけでもタダじゃないって感じなんですよねえ……まあ、聞いてみますけど」
「がんばれ」
外野はいいな。
好き放題煽ってれば済むんだもん。
「ただいまあ」
「おかえりなさい、律子さん」
玄関を開けると、いつものようにミカちゃんが出迎えてくれた。私が靴を脱ごうと床に置いたカバンを取り、いつものように今日の夕食の話をして……。
「いかがしましたか? 眉間に皺が寄ってますよ」
ミカちゃんが私の眉間に手を伸ばす。
それから、皺をならすように、指の腹でそっと撫でた。
「ねえ、ミカちゃん」
「はい?」
「期限、決めたほうがよくない?」
「何の期限をでしょう?」
ミカちゃんが訝しむように目を細めた。私を観察しているように。
「律子さん、何か良からぬことを考えていませんか?」
「え?」
「そういう顔をしています」
「べ、別に、良からぬことなんて考えてないけど」
ミカちゃんの真面目な顔に、どうにも居心地が悪くてつい視線を外してしまう。すると、ミカちゃんはふっと微笑んだ。
「では、先に夕食とお風呂を済ませてしまいましょうか。お腹が空いているでしょう?」
「うん」
後回しにされて、はぐらかされた気がするくせに、ほっとしてしまう。
ミカちゃんが夕食の最後の仕上げをしている間に、ちゃんと話すにはどうしたものかと考えながら、お風呂に浸かった。
「さて、律子さん。何を考えていらっしゃるのです?」
けれど、ミカちゃんは今度こそきちんと話をするつもりだったようだ。
夕食その他が終わると、いつも通りミカちゃんが私の後ろに回って、そう、耳元で切り出したのだから。
でも、耳元で低く囁かれるのは恥ずかしい。
「あのさ、期限があったほうがいいかなって、思ったんだよね」
「言わんとしていることの予想はつきますが……なぜそんなことを言い出したのか、聞かせてください」
やっぱり、ミカちゃんには私の考えることなどお見通しなのだろうか。むむむと眉を寄せると、私を抱えるミカちゃんの腕に力がこもった。
「だってさ、私から健康で美味しい血が採れるのって、たぶん若いうちだけだよね。いつまでが若いうちかはわからないけど、そしたらミカちゃんだって次を探さなきゃいけないでしょ? あらかじめいつまでって決めておけば、ミカちゃんだって次を探しやすいし、私もいろいろ準備できるし」
「そうではないかと思いましたが、やはりそんなことでしたか」
私の言葉を遮って、ミカちゃんが、はあ、と息を吐いた。
やれやれと肩に顔を埋めて、ぎゅうっと抱き締める。
「そんなことって、だって、人生設計は大切だよ? 私もそのうち結婚だってするんだろうし、そうなったら――」
「シルバーウィークの約束は、どうなさるんですか?」
「え?」
急に顔を上げたミカちゃんの剣呑な声に、私は思わず振り返る。
私の目と鼻の先くらいの至近距離にあるミカちゃんの目が、とてもじっとりと私を見つめてていた。
「だって、あれはうちのお母さんの勝手な早合点だし、ミカちゃんが従う必要は――」
「シルバーウィークになったら、私を連れて律子さんの実家に行くという約束ですよね?」
「いや、でも」
ミカちゃんは、お母さんの「うちに来い」を真に受けていたのか。
でも、だからってほいほい行ったりしたら、ノリと勢いだけで既成事実みたいなものを認定されちゃうのだ。
下手すると勢いに押されて、「式場予約したから」まで進められかねない。いかにお母さんもお婆ちゃんも喜んでるからって、それはまずい。
慌てる私に、ミカちゃんがにっこりと微笑む。
「では、血の盟約でも結びますか?」
「へ?」
「律子さんが望むなら、貴女を主とする血の盟約を結ぶことも、やぶさかではありません」
ちのめいやく?
聞いただけでなんだかヤバそうな印象の言葉に、私はさらに慌ててしまう。
ミカちゃんは、どこか心待ちにするような表情になっている。
「え、ちょっと待って。たぶんそれダメなやつだと思う」
「何がダメなのですか?」
「何って、よくわかんないけど、たぶん、いや、絶対ダメなやつだよね。ロクでもない響きがあるよ」
ぶんぶんと首を振る私に、ミカちゃんはさらに楽しそうに笑う。
ミカちゃんのテンションがおかしい。
「盟約があれば、私が律子さんから離れることはなくなりますよ。それに、文字通り、私の生殺与奪の権限は律子さんに委ねられることになりますし、律子さんが私を好きに従えることもできます」
「ほら、それやっぱりダメなやつじゃない。そんな権限、私いらないよ?」
「なぜです?」
やっぱりダメなやつだった。
ミカちゃんの生殺与奪権なんて、もらったって困る。
なのにミカちゃんは、笑いながら不思議そうにに首を傾げた。
「律子さんは、私が数年もすれば離れてしまうのだと案じているのでしょう? 盟約があれば私は離れませんよ?」
「そんなのだめだよ。あたりまえじゃない。だいたい、無理やりここに居ろって命令して居させるんじゃ意味ないでしょう?
そんなの、対等じゃないもん」
目を瞠り、ぽかんとした顔で「対等?」と呟くミカちゃんに、私は「そうだよ」と強く頷く。
だって、私とミカちゃんはギブアンドテイクの対等な関係なのだと、私はそう考えているのに……もしかしてミカちゃんは違ったのだろうか。
「その人の意思を無視してまで無理やり居させるのは、対等って言わないよね。それに、事故とかで私が死んじゃったりしたら、その盟約ってどうなるの? ミカちゃんにもいいことなさそうなのに、どう考えてもそんなの無しだよ」
ミカちゃんは吸血鬼だから、私とは考え方が違うのかもしれない。これが、竹井さんの言ってた“文化の違い”なんだろうか。わかっていたつもりだったけど、やっぱり人間とは感覚が違うのか。盟約とかで居させればいいって、そんなんでうれしいとでも思っているのだろうか。
ミカちゃんは戸惑ったように、「そうですか?」とぽつりと呟いた。
「では、私はどうしたらいいのでしょうね」
「え?」
ミカちゃんは困った顔でそれきり口を噤んで……ただ、私を抱く腕に力を込めただけだった。
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