真夜中の吸血鬼

ぎんげつ

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2.推定食料と彼氏志望

4.女子トークしよう

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 しかし、私の予想に反して、ここ数日のミカちゃんはおとなしかった。

「ペトラちゃん、どうしよう、なんか怖い」

 あらあらどうして? 何も怖くないと思うのだけど。
 首を傾げるペトラちゃんに、私はひそひそと、しかし真剣な顔で相談する。

「嵐の前の静けさ的な?
 ミカちゃんて、絶対このままじゃ終わらないタイプだよ」

 あら。でも、ミカさん有能よ? 他の男を蹴散らすだけの強さもあるわ。
 うふふと笑うペトラちゃんは楽しそうだ。

「でも、肝心なものが欠けてると思うんだ」

 まあ、そういえば人間はちょっと面倒なんだったわね。クモなら縄張り争いで勝ち抜いた男だけが来るから、女は待ってるだけで良いのだけれど。

 ペトラちゃんは困ったように溜息を吐いた。
 私も、クモは話が早くていいな……なんて、ちらっと考えてしまう。

「でもさ、人間は強いだけじゃだめで、いろいろ問題なんだよ。それに、そもそもミカちゃん人間じゃないし」

 そういえばそうだったわね。
 うふふ、じゃあ、問題は律子さんの乙女心なのかしら。
 ペトラちゃんが、きゃっと前脚で顔を隠した。

「そう、乙女心って大切だよね? このまま押し切られたりしたら、私の乙女心が行方不明のままだと思うんだ」

 あらあらまあまあ。律子さんもお年頃ね。

 乙女度では私の二歩も三歩も先を行くペトラちゃんは、さすがの品格だった。「仕方のないお嬢さんね」と言われてるような気がするから不思議だ。

「――今日もペトラさんと女子トークですか?」

 壁に向かって体育座りしたままブツブツ話していた私に、風呂上りのミカちゃんが笑いながら声を掛けた。
 ペトラちゃんは驚いて、きゃっと言いつつさっと隠れてしまう。

「う……だって、気軽に女子トークできるの、ペトラちゃんだけなんだもん」
「そうなんですか?」

 ミカちゃんに笑われるまでもなくそうなのだ。
 就職して三年、度重なる残業と休日出勤でお誘いのドタキャンを数回続けた結果、学生時代の友人とはすっかり疎遠になってしまった。
 こちらからのお誘いなんて、今さらできようもない。
 さらに言えば、うまく誘ったところで「うちに吸血鬼がいてさあ」なんて話をするのはどうなのか。

 ならば会社の……と考えても、同僚だの同期だのも論外だ。会社で顔を合わせている時間が長すぎる。
 せっかくの休暇まで一緒に……なんてどうなのだろうか。

 ――と、そこまで考えて気が付いた。
 つまり、私はぼっちだったか、と。

 ミカちゃんへ放ったはずの言葉に自らの心臓を抉られた。

「いいのではないですか? クモを相手に女子トークができる人間なんて、そうそうおりませんよ」
「い、いいものなの?」
「特技と言ってもよいかと」

 頭を抱える私に、ミカちゃんがにこやかに頷いた。
 けれど、特技か。嬉しくない。
 少なくとも、履歴書に書いて人に自慢できる特技ではないだろう。
 そんなこと言うなんて、はたから見たら電波受信してるただの変な人だ。

「では、そろそろお休みの時間ですよ」

 ミカちゃんが笑いながら私を抱え上げた。

「え、いや、ちょっと、自分で立てるし」
「たまには、素面の時にこうして世話を焼いてもよいではないですか」
「う……」
「さあ」

 確かに、酔っ払って帰った時とか、徹夜明けで帰った時とか、何から何まで散々世話焼かれたけど。
 でもね。

 ミカちゃんにベッドに下ろされて、いつものように後ろから抱きすくめられた。ひんやりとしたミカちゃんの身体は、この暑い夏には歓迎できるけど。
 けど……。

「ねえミカちゃん、やっぱりベッドもうひとつ買おうよ」
「なぜですか?」

 背後でミカちゃんが笑う。

「だってさあ」
「今さらですよ」

 ミカちゃんがくすくす笑いながらお腹に回した腕に力を入れた。

「それに、部屋にそこまでの余裕はないのでは?」
「うっ……」

 痛いところを突かれて、私は黙り込む。
 ボロくて安い割に広いこのアパートは、六畳がふた部屋の二DKである。
 ひとりなら余裕でも、今はふたり。生活用品だなんだとそれなりにモノだって多い。ベッドをもう一台なんて、ひと部屋が完全に塞がってしまう。
 かといって、ひと部屋ずつ分けるのは、モノの量的にも難しい。
 そもそも、ミカちゃんが絶対頷かないだろう。

「何を考えているんですか?」
「何でもない」

 ミカちゃんに「でしたら、おやすみなさい」と囁かれて、目を瞑った。



「いってきまーす」

 いつも通りお弁当を受け取って、家を出た。
 駅までの道のりを、日陰を選びながらたらたらと歩く。

 だんだん逃げ場が無くなってる。気のせいじゃない。このまま行けば、私はいろんな意味でミカちゃんに食べられてしまうんだろう。
 順当に考えて、その未来一択しかない。

「よぉ、律子ちゃんはこれから仕事か?」
「カレヴィさん」

 いつものコンビニの前に、ペットボトル飲料をラッパ飲みしているカレヴィさんがいた。制服の上着みたいなものを肩に引っ掛けている。

「まさか、カレヴィさんもですか?」
「まさかってどういう意味だよ。ちなみに俺は夜勤明け。つまり仕事終わり」
「仕事してたんですね」
「おいおい」

 カレヴィさんが呆れた顔で肩を竦めた。

「もしかして、俺って無職とか思われてた? いやいや、仕事しないと、普通、食っていけないでしょ」
「じゃあ、なんで借金とかしてるんですか」
「食費に金がかかるんだよ。俺、肉食だし」
「どれだけ食べてるんですか」
「一日四キロは固いな」
「よ……」

 グラム百二十八円の豚コマでも、一日あたり五千円強。月三十日でざっくり見積もって、約十五万円オーバーか。
 そりゃ、食費だけで大変なことになる。借金減らせないわけだ。

「食べ過ぎなんじゃないですか?」
「え、律子ちゃんもそんなこというの? でもさ、肉食べないと筋肉減るんだよ? この筋肉維持するのに肉は不可欠だよ?」
「いや、見せなくていいですし」

 Tシャツをめくろうとするカレヴィさんを慌てて押しとどめた。
 このひと、筋肉至上主義だったのか。なら、肉じゃなくてプロテインでも飲むべきなんじゃないのか。

「……あ、そうだ」
「ん?」

 ふと、思いついてカレヴィさんを見上げる。
 カレヴィさんは長身のミカちゃんよりさらに幾分か背が高い。

「なんだ?」
「カレヴィさん、ナイアラさんの連絡先知ってますか?」
「知ってるけど、なんで?」

 カレヴィさんが不思議そうに私を見た。私は、つい目を逸らしてしまう。

「――女子トークが、したいんです」
「へ?」

 カレヴィさんの目がまん丸になった。
 そりゃそうだろう。何言ってるんだと、自分でも思う。

「昨日、気付いたんですけど、私って、今、気軽に女子トークできる相手がペトラちゃんだけなんです」
「お、おう」
「今更、学生時代の友達に連絡取っても、うちの吸血鬼が、なんて話できないし……私ってぼっちだったんだなあって」
「あー……そうか」

 カレヴィさんがドン引きしている。
 ショックだ。
 だんだん落ち込んできたぞ。

「カレヴィさん、このあと何か用事ありますか」
「いや、今日はもう仕事も終わったけど……」
「カラオケ行きましょう。カラオケ。24時間営業の店が、数駅先にあるし」
「は? 律子ちゃん、これから仕事じゃなかったの?」
「なんかもう無理。どうせ使わなきゃ消える有休なんだから、今日は病欠することにします。ナイアラさんも呼んでください」

 今日はミーティングの予定も何もなかったはずだ。レビューも何も、いなきゃいけないイベントもなかったはずだ。
 私はさっさとリーダーその他に病欠メールを送ってしまう。

「さ、カレヴィさん行きましょう」

 頼むから風呂と着替えだけさせてくれと言われて、カレヴィさんの部屋に寄った。身支度が終わるまで、玄関の前でぼんやりとカレヴィさんを待ちながら、結構近くに住んでたんだなと考える。

「あ、リッコちゃんみっけー」
「ナイアラさん」

「あのねー、ナイアラでいいよお。
 カレヴィからメールきたよってきいたから、きたんだあ」

 にこにこ笑いながら、ナイアラさんが手を振った。
 和む……ナイアラさんの笑顔ってすごく和む。

「なら、私のことも律子でいいよ。なんかうれしい。これで普通に女子会できる」
「じょしかい?」
「うんうん」
「カレヴィはじょしじゃないよ?」
「カレヴィさんはワンコ枠で」

 ちょっと涙ぐみながらそう言うと、タイミングよくがちゃりと扉が開いた。

「律子ちゃん、聞こえてるんだけど、やっぱ俺の扱い酷くねえ? 俺犬じゃねえし」
「いやだって、なんとなく?」

 てへ、と笑って言うと、「まあいいけどな」とカレヴィさんは溜息を吐いた。



 カラオケ店に入ると、ナイアラさんが驚きっぱなしになっていた。

「ねえねえ、みんな、しじんじゃないのにうたうの? ほんとに?」
「え? しじん? カラオケとか来たことないの?」
「はじめて! カラオケってなにかなっておもいながらきたの! すごいね! うたうんだ!」

 ナイアラの言ってることが半分くらいわからない。カラオケが無いところから来たんだろうか。
 そういえば、カラオケって日本産だっけ?

「まー、とりあえず、どんどん入れちゃうね」
「うん、たのしみー」

 考えてみたら、私もカラオケなんて年単位で久し振りだ。とにかく、適当に2、3曲入れてリモコンを回して、飲み物の注文もする。

「食べるモノ適当でいいよね」
「ああ、任せた」
「はーい」

 真剣にリモコンの曲リストを眺めるカレヴィさんと、メニューやら何やら全部を珍しそうにひっくり返しつつじっくり見つめているナイアラが、半分くらいうわの空で返事を返してきた。



「それでね、やっぱり納得がいかなくて」
「リッコ、ターゲットロックオンなんだねえ」
「そんなことないですよとか言いながら、やっぱり扱いは後々食べようと思ってる鶏かなんかなのに、そのくせせまってくるんだよ。意味わかんない」

 数曲歌って大声出したら少しスッキリした。
 ナイアラにもいろいろ話したら、ミカちゃんへの不満点も整理された気がする。

 カレヴィさんは夜勤明けと言っていただけあった。朝食にとあれこれ食べた後、あっという間にごろりと転がり、さっさと寝てしまったのだ。

「ミカって、あたしがしってるきゅうけつきと、ぜんぜんちがうんだねえ」
「そうなの?」
「あたしがしってるきゅうけつきは、もっときけんだし、わるいことしかしないの。ミカみたいにきょうていをまもるなんて、ぜったいやらないもん」
「へえ」

 やっぱり個々の性格でずいぶん違うものなのか。
 でも、ナイアラの言うヴァンパイアのほうが、映画や小説に出てくるようなヴァンパイアらしいのではないか。

「ほしいっておもったら、あいてがどうかなんて、かんけいないよ。つれてくなり、なかまにするなり、ころすなり、すきなようにしちゃうやつばっかり」
「それは怖いね。じゃあ、ミカちゃんて、あれで一応紳士なのかな」
「よくわかんない。こっちのまものって、あたしがしってるのと、なんかちがうし。カレヴィも、ちがうし」

 首を捻りながら言うナイアラに、そういうものなのかと考える。
 日本人はどっちかっていうと事なかれ主義で平和だし、日本にいる人外も皆、平和ボケしているのだろうか。

「でも、こういうのも、いいかもって、おもうんだあ」

 にかーっとナイアラが笑う。なんだか本当に猫っぼくてかわいい。乙女なペトラちゃんといい勝負かもしれない。

「うちのきりこみたいちょうは、なっとくいってないみたいだけどね」
「斬込隊長?」
「うん、のうきんだし、りくつはなっとくしても、かんじょうがついてかないっていってた。めんどくさいね」
「ふうん、たいへんなんだね」

 ナイアラの仕事は魔物退治だから、その仕事仲間ということか。
 さすがに、いつもなら退治しなきゃいけないはずの魔物が、皆、おとなしく暮らしているのは、調子が狂うってことなのかな。

「それにしても、リッコはたいへんだね。ながいきするしゅぞくってだけで、かんがえかたもちがうのに、きゅうけつきかあ」
「そうなの?」
「そうみたいだよお。なかまがね、すごくながいきするんだけど、すぐ、なんでそんなにあせるのか、っていうの。ちっともあせってないのに」
「え?」

 意味がわからなくて、首を傾げてしまう。

「あのね、ほっとくと、へいきで、いちねんとかあとまわしにするんだよ。さいきんはそうでもないけど、さいしょすごかった」
「へえ?」
「それで、いつまでほっとくのって、おこったら、ちょっとおいといただけなのにっていうの。いちねんとか、ちょっとじゃないよっていったら、すごくおどろいてね」

 一年はたしかにちょっとじゃない。
 けどなあ。

「ミカちゃんも、そんな風に彼氏ポジションとかはちょっと横に置いといて、のんびりオカン業だけやっててくれればいいのにな。ミカちゃんの“ちょっと”なら、きっと私が還暦迎えるくらいあっという間だと思うんだ」
「ミカのばあいは、ことばがたりないのか、それともほんとにたりないのか、よくわかんないなあ」
「言葉が足りないのとは違うんじゃないかな。
 わざと足りなくするのはやりそうだけど」
「いいせいかくなんだね」

 目を丸くするナイアラに、私も苦笑しか浮かばなかった。



 カラオケボックスで喋り倒したら、もう、空は暗くなり始めていた。結局、帰宅はいつもの時間だ。
 カレヴィさんはほとんど寝てたけど、ナイアラとは心ゆくまでお喋りできたし、連絡先も交換できた。
 これで、ペトラちゃん以外にも、ミカちゃんに困った時に女子トークできる相手ができたと思うと嬉しい。ミカちゃんを外に出して、ナイアラとペトラちゃんと三人で女子トークもいいかもしれない。
 私の未来が明るい!

「ただいまあ!」
「律子さん、おかえりなさい」

 ひさしぶりに晴れ晴れとした気分で玄関を開けると、なぜかミカちゃんが仁王立ちで待っていた。

「あれ、どうしたの?」
「会社をサボったようですが、どちらで遊んでいたのですか?」

 さあっと顔が青くなる。
 なんで? なんでバレたの!?

「えっ、あっ、なんで」
「竹井さんから連絡がありましたよ」
「えっ」
「携帯が繋がらないからと、家の電話のほうに」
「うっ」

 た、竹井さんのバカ! 裏切り者!

「何かファイルの置き場所がどうとか仰っておりましたが、律子さんは寝ているため出られませんと答えておきました」
「あ、の、その……」

 ミカちゃんがじっとりと私を見ている。
 視線が怖い……というより痛い。

 結局、その後夕食とお風呂を済ませてから、昼間どこでなにやってたのかを洗いざらい吐かされた。
 会社を休むのは構わないが、心配するから連絡くらいはするようにと、至極まともなお説教をがっつりとされてしまったのだった。

 そもそも全部ミカちゃんのせいなのに。

 そうも思ったけれど、藪蛇な気がして、やっぱり言えなかった。
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