真夜中の吸血鬼

ぎんげつ

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2.推定食料と彼氏志望

3.もう“お試し”はやめませんか?

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 駅を出て、アパートまで十分足らずの道のりを、テクテクと歩く。

 いつものコンビニの交差点を少し過ぎたところで曲がって少し奥、住宅街の中にある、古い木造アパートが、今の住まいだ。
 公園も近くて虫も多いから、黒い虫は少なくなってもペトラちゃんがご飯に困ることもない、そんな立地でもある。

「リッコちゃんだー!」

 呼ばれて振り向くと、カレヴィさんの彼女のナイアラさんだった。
 いつものコンビニの前でぶんぶんと手を振っている。今日はカレヴィさんと一緒ではないらしい。

「こんばんは」

 とっくに日は沈んだけれど、まだまだ暑い。
 今日も熱帯夜だなと思いながら、私もコンビニの前に行く。

「あ、そうだ。ナイアラさんはスイカ好き?」
「すいか?」

 この前親が置いていったスイカが、まるまる一個残っているのだ。
 そのままじゃ冷蔵庫に入らないし、何よりミカちゃんとふたりで食べるにしても限界がある。少し持て余していたのだ。
 ナイアラさんは不思議そうに首を傾げていた。猫娘だと聞いているとおり、たしかに彼女の仕草は猫っぽいかもしれない。

「うん。こないだ実家からでっかいのがまるっと1個来たの。さすがにふたりで食べきれる大きさじゃなくて、誰か貰ってくれないかなーって思ってたんだ」
「たべてみたい!」
「じゃ、一緒に取りに来てもらえるかな」

 ナイアラさんは一も二もなく飛びついた。
 顔を輝かせてこくこくと頷くナイアラさんに、家族は何人なのかとかを尋ねて、ミカちゃんに電話をした。結構人数いるみたいだし、半分切って用意してくれと頼みながら歩き出す。

「ナイアラさんて、このあたりに住んでるの?」
「ええと、すんでるのはとおいんだけど、こっちにともだちがいるんだ。だからたまにあそびにくるの」
「ふうん。カレヴィさんと住んでるわけじゃないんだ」
「ちがうよお。カレヴィはこっちのかいぐいともだちで、おいしいやきとりやさんとか、おしえてもらうんだよ」
「あれ、じゃあ彼氏じゃないの?」
「ちがうよお」

 ナイアラさんはあははと笑う。
 なんだ、違うのか。

「リッコちゃんのかれしは、きゅうけつきヴァンパイアなんだよねえ」
「彼氏……お試しのはずなんだけど、そう、吸血鬼なんだ」
「おためし?」
「うん。お試し。でもねえ、外堀は埋められるし、お試しの割にガンガン来るしで、どうしようって感じ。
 蛙が蛇に睨まれつつ愛してますって言われて嬉しいと思うのか、みたいな」
「そうなの? リッコちゃん、そのきゅうけつき、すきじゃないの? すきじゃないのに、とりつかれてる?」

 ナイアラさんが心配そうに私の顔を覗き込む。

「好きかどうかと言われると、嫌いじゃないし、オカンとしてなら好きだと思うんだ。でも、彼氏はなんか違うんじゃないかなって。
 飼育してるゴリラに愛を囁く飼育員ていると思う? 餌が逃げたらすごく困るから、必死に捕まえておこうとしてる印象が強いっていうか」
「しいくいん……」

 ナイアラさんは目を丸くする。うん、驚くよね。
 でも、私の正直なところはそうなのだ。

「えーと……ほんとにこまったら、ちからになるからね。たいへんなことになるなら、ちゃんと、いってね。
 あたしもともだちも、こういうのなれてるから」
「こういうの?」

 “こういうの”って、何のことだろう。意味がわからず首を傾げる私に、ナイアラさんは満面の笑みで親指を立てた。

「まものたいじ」
「へ?」

 まものたいじ? と思わず繰り返す。

「あたしもともだちも、まものたいじは、プロなんだあ」
「はあ……」

 まものたいじとは、やはり“魔物退治”なのか。
 なんだろう、この中二病感漂う単語。
 でも、実際にミカちゃんやカレヴィさんみたいな人外が普通に外を歩いているのだ。そういう職業も成り立つということなんだろう。
 事実は小説よりも奇なりっていうし。

「まあ、どうしようもなくって、逃げなきゃいけなくなったらお願いするよ」
「うん」

 どう反応していいか困った挙句、ただへらっと笑いかえすだけの私に、ナイアラさんもにこにこ笑っていた。



 そんな話をしているうちに、アパートに到着した。

「ミカちゃん、スイカ用意できてる? ナイアラさん、これがミカちゃん」
「はい、できてますよ。そちらが猫娘さんですか」

 ミカちゃんがいつものようににっこりと微笑む。
 けど、なんだろう、この値踏みする感じは。
 しかしナイアラさんはその視線に気付いてか気付かないでか、にこーっと笑ってぺこりとお辞儀をする。

「ナイアラっていうの、よろしくね。ミカが、カレヴィがいってた、このへんのボスでこじゅうとめ?」
「……なんですか、それは」
「カレヴィが、このあたりであばれると、こじゅうとめがうるさいからって。
 だから、きをつけろって」
「なるほど、あの犬の言ですか……」

 ミカちゃんの目がすうっと細まった。
 小姑……って、カレヴィさんはなんてことを言ってるのか。私は心の中でそっとカレヴィさんの冥福を祈る。
 ミカちゃんは小さく息を吐いて、大きなビニール袋を差し出した。

「はい、こちらが約束のスイカです」
「わあ、すごい。おおきい!」

 ラップで包んだスイカは、半分でも大きかった。
 ナイアラさんは目を丸くしながらそれを受け取ると、にこにこと笑いながら私の手を握ってぶんぶん振った。

「ありがとう、リッコちゃん。ミカもありがとう。それじゃ、またね」
「では、気をつけてお帰りください」

 袋を下げて、手を振りながら小走りに走り去るナイアラさんを、何か気になることでもあったのか、ミカちゃんは珍しくじっと見送っていた。



「古い魔法を纏っておりましたね」
「え、魔法?」

 ぱたんと玄関を閉じて鍵を閉めたところで、ミカちゃんはそんなことを言い出した。思わず聞き返した私に、ミカちゃんは「ええ」と頷く。

「魔女に知り合いでもいるのでしょう」
「魔法なんて、あるんだ」

 ぽかんと呟く私に、ミカちゃんはくすりと笑う。
 ミカちゃんみたいな人外もいるんだし、魔法くらいあるのかもしれない。

「ありますよ」

 あるんだ、と私は色めき立つ。
 すごい、映画とかフィクションだけのものじゃなかったんだ!
 けれど、続いたミカちゃんの回答は、結構世知辛いものだった。

「とはいっても、今では魔女もほとんど見かけなくなりましたし、科学と文明の利器に押されて廃れてしまいましたが」
「え、つまり、シェア争いに負けた?」
「そうですね。素質など不要で誰でも利用できるという点だけで、科学と文明の利器は非常に有用ですし、実際便利なものですから」
「そういうものなんだ」
「私たちも恩恵をこうむっておりますしね」

 たしかに、時代に取り残されたら生きていけないと、ミカちゃんはいろんな道具を使いこなしている。パソコンだって携帯だって普通に使っている。
 一般人に魔法は使えないというのは、ファンタジー設定の定番だ。だが、文明の利器なら、たとえ取説を読まなくてもなんとなく使えてしまう。
 だから、皆、面倒くさい魔法より科学に流れてしまったということか。
 便利って罪だ。
 それにしても、ミカちゃんはなんで見ただけでわかったのだろう。

「でも、ミカちゃんは魔法があるとかわかるの?」
「私を何だと思っておられるのですか? あの程度に気付けないようでは、とうの昔に滅んでいたでしょう」

 にっこりと微笑むミカちゃんの笑顔が底知れない。
 ミカちゃんはやっぱり長生きしている人外なんだなと思う。
 無邪気にオカンやったーって思ってた頃が懐かしい。ほんのちょっと前なのに、なんでこんなことになっているんだろう。

「さあ、律子さん、夕食を済ませてしまわないと。冷めてしまいますよ」
「あ、そうだね」

 促されてカバンを置いて、とりあえず手と顔を洗った。



「ミカちゃん――なんで後ろから」
「律子さんの言う“お試し”が外れるようにと」

 夕食もお風呂も済ませてテレビを見始めた私に、ミカちゃんは後ろから抱き込むようにくっついて来る。
 あの初デートから、ミカちゃんの距離は明らかに近くなった。この前の週末に外堀を埋め立てたから、さらに近くなろうとしているのか。

「遠慮せず寄りかかってよいのですよ。それとも何か問題でも?」
「いや、問題は、特にはね」
「では、どうぞ。律子さんは普通にするのが良いと仰ったではないですか」
「あ、うん、そうなんだけど」

 前提が普通じゃないのに、形から普通を目指してなんとかなるんだろうかと、つい考えてしまう。
 ミカちゃん、オカンポジションのままだっていいじゃん。無理に彼氏とか言わなくても、オカンで十分なんじゃないだろうか。
 変にくっついたりしなくたって、オカンでもうまくいってたよね?

「また余分なことを考えているようですね」
「へ?」

 ミカちゃんの腕に力がこもった。

「いや、ちょっと待ってよミカちゃん」
「何も考えられないようにして差し上げましょうか」

 ミカちゃんが耳元で低く囁く。
 そのまま軽く食まれた耳から、ぴりっという痛みを感じて……続けて一緒にぞくぞくとする感覚が背筋を上った。
 私の身体が意図せず震えてしまう。

「え、や」
「ああ、すみません。掠ってしまったようですね」

 耳をぺろりと舐められて、また背中がぞくぞくする。
 これはまずい、よくわからないけどまずい。

「み、ミカちゃん、あのさ」
「どうしました?」

 焦った私は無理やり身体をひねってミカちゃんの腕を解こうとした。
 でも、ミカちゃんの腕は外れない。
 ミカちゃんはくすくす笑っている。

「か、からかうのは、やめてよ」
「からかってなど……本気ですよ?」

 抱え込む腕はまったく緩まない。
 ミカちゃんの吐息が首にかかる。

「律子さん。もういい加減、“お試し”は外してしまいませんか?」
「え、だって、まだ……ひゃ」

 首筋を齧るようにキスをされた。
 またぴりっとした痛みとぞくぞくが来る。

「んっ、や……」
「律子さん、ね?」

 笑いを含んだ声でミカちゃんが囁き、私の顎に手を掛けて後ろを振り向かせた。唇を食むように塞ぐ、ミカちゃんの目が赤く光る。

「どうですか? “お試し”は外してしまいましょう?」
「ふっ……だ、だって、好きとか、違う、し……」
「律子さんは、なかなかにこだわる方なのですね」

 ミカちゃんはにいっと笑うように目を細め、私の頬を優しく撫でた。

「けれど、こだわったところで何か意味はあるのですか? 早く私に決めてしまったほうがよいでしょうに」

 もういちど私の耳を食んで、ミカちゃんは低く低く囁く。

「律子さん?」

 どうせ逃がして貰えなさそうだし、もういいかな、と一瞬考えてしまう。考えたところで、いやいやいや、と思い直す。
 私だって、お付き合いするならちゃんと好き同士がいいし、結婚するならこういうどさくさなんかじゃなくて、ちゃんとこう、段階を踏んでの――。

「わかりました、今日のところは“お試し”継続で構いませんよ」

 ミカちゃんはまた笑った。
 小さな子供や動物に、仕方ないなと笑うような笑顔だと思った。

「そんなに目を潤ませて震えるなんて、いっそひと息に食べてしまいたくなるではありませんか」

 笑いながら、ミカちゃんはまたキスをする。
 ねっとりじっとり、味見どころか味わってるみたいに。
 食べるって、そのうち私は食べ尽くされて、干からびてしまうんだろうか。

「たっ、食べるって、それは、どういう意味でなの」
「どういう意味でしょうね」

 ミカちゃんは、それ以上は何も言わず、ただ笑っていた。
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