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2.推定食料と彼氏志望
1.初デートとは
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ミカちゃんの言う「形から」は、形どころか本気だった。
まず、キスをするようになった。
だがしかし、首筋に、である。どう考えても活きの良さを確認されているようにしか感じない。
正直、怖い。
寝る時に、明らかに私をしっかりと抱きかかえるようになった。
ベッドを分けようか、という話をしようとしたら、華麗にスルーされて話題を変えられた。だめだ、押しでミカちゃんに勝てる気がしない。
抱きかかえられている最中、心臓のあたりに手を置かれるようになった。さらに、なぜかうっとりした顔で眺められる。
怖い。
結論、どう考えても私はミカちゃんの餌である。
捕食対象以外の何者でもない、間違いなく餌である。
すべての元凶となった竹井さんは、未だ呑気に金髪美女を夢見ている。
いっそ本当に、ミカちゃんから餌募集中の金髪お姉さんを紹介してもらおうか。竹井さんも捕食対象にされて食われる未来に怯えればいいんだ。
――なんて考えてはみたものの、竹井さんの場合、新たな境地へ続く扉を難なく開いてしまいそうだ。
ここは全部流すが吉である。
これが残業パレード絶賛開催中だったら、家にいる時間は最低限以下なので何も問題はなかった。
だがしかし、つい先日、案件のリリースを迎えたおかげで、現在の仕事は落ち着いている。残業発生の頻度も低く、たとえあったとしても定時から一、二時間で終わってしまう程度なのだ。
つまり、しばらくは平日もほぼ定時帰宅で安定だし、週末もフルフルで空いているという夢のような状況である。
ミカちゃん公認彼氏問題さえなければ、寄り道お出かけどんとこいの、夢のような状況なのに!
「週末はどこかへ出かけましょうか」
「へ? だって太陽がガンガン照ってるし、すごく暑いよ? 外に出るとかまずいんじゃないの?」
「そこまで虚弱ではありませんよ。律子さんから栄養もいただいてますからね。それに、ずっと家にいるのでは退屈でしょう?」
夕食を食べながら、ミカちゃんがそう切り出した。
まさかこれは、もしかしなくてもデートのお誘いというやつなのか。
「――ミカちゃんは、どこか行きたいところがあるの?」
「律子さんが興味のあるところならどこでも構いませんよ。温泉などはいかがですか? 忙しい最中によく行きたいと仰っていたでしょう」
「え」
初回から温泉デートなんて、ハードルが高いだろう。いや、高いどころか間違いなくハードモードだ。
というか、お付き合い(お試し中)でいきなり温泉はない。
「ええと、映画でも観に行こうか」
「映画でいいんですか?」
「いや、これが普通だと思うんだけど」
「普通ですか」
ミカちゃんは首を傾げつつ承諾する。
「ちなみに、ミカちゃんの考える普通ってどんなの?」
「そうですね――」
曰く、服飾店や宝飾店へと連れて行き、諸々をプレゼントして飾り立てたその足でディナーやら観劇やら……っていつの時代の話だろうか。
「最後にそういう振る舞いをしたのは相当前のことですし、今とは時代も地域も違いますから勝手も違うのだとは思います。ですが、美しい宝飾品を贈られて気を悪くする女性もいないのではないかと。
律子さんも、欲しいものはありますか?」
「え、いや、私はそういうのはいいかな」
こともなく言い放つミカちゃんは、不就労収入のあるブルジョワジーだ。
おまけに吸血鬼という人外でもある。うっかりプレゼントなんて貰ってしまった日にはその先に何が待っているのか、考えるだに怖い。
「律子さんは欲がありませんね」
「身の丈を知ってるだけだよ」
どこか残念そうなミカちゃんに、はあ、と私は溜息を吐いた。
「ともかく、日本標準の初デートをしよう。ウィンドウショッピングして映画見てごはん食べて帰るくらいの、普通のデートね」
「わかりました。楽しみですね」
ミカちゃんが楽しそうに頷いた。
それにしても、私自身、デートなんて学生時代以来……と考えて、就職してからまともに私服を買ってないことを思い出した。
間に合わせの通販でスーツを買うとか、適当な量販店ジーンズを買って間に合わせるとか、その程度だ。終わってる。
しかも、デートということはミカちゃんと並んで歩くということだ。
普通なのにとんでもないハードモードである。
明日は帰りに寄り道して服を買おう。せめて服くらいは……。
そして当日。
目指すは映画館も併設された巨大ショッピングモールである。
乗り換えが多少面倒だけど、たしか近隣には眺めのいい公園とかおしゃれなカフェとか、そういうのもあったはずだ。
「ミカちゃん、スーツなの」
「いけませんか?」
女子力の逆って何だろう。男子力かな……などと考える私の前で、スーツ姿のミカちゃんが王子スマイルを浮かべる。
きちんと仕立てたスーツを着ると普通の人でもイケメン度は三割増なのに、ミカちゃん三割増はヤバい。
かっちりめのワンピースを買っておいてよかった。
思わずほっと息を吐く私に、ミカちゃんは不思議そうだ。
「あまり固過ぎず、ラフ過ぎずにしてみたのですが」
「え、いや、大丈夫。スーツ着てるとこ初めて見たから」
「そういえばそうですね」
何かまずかっただろうかと訝しむミカちゃんに、私は慌てて手を振り返す。
正直、スーツ姿に絆されそうにもなってヤバかった。私って、スーツ男子が結構なツボだったんだな。
「では、参りましょうか」
靴を履き、玄関を出たところですっと手を差し出された。これは、手を乗せれば良いということだろうか。
くすりと笑って、ミカちゃんは戸惑う私の手を取った。慣れている。さすが元貴族というべきか。こんなの、映画か漫画でしか見たことない。
なぜかいろいろと敗北した気分になった。
「とうちゃくー!」
小一時間ほど電車を乗り継ぎ、目指すショッピングモールに到着した。
さすが週末。何かイベントがあるわけでもないのに、すごい人出だ。
「人多いねえ」
「先にチケットを発券してしまいましょうか」
「そうだね」
まっすぐ映画館のあるフロアへ向かい、チケットの発券を済ませてしまう。上映開始は二時間くらい先だった。それまでどう暇を潰そうか。
「どこかお目当てはありますか?」
「んー、ここんとこずっと、まともにゆっくり買い物とかしてなかったから、ぶらぶら見て歩きたいなと思ってるくらい」
「そうですか」
ミカちゃんはまた私の手を取った。
私を先導しながら人混みの中をすいすい泳ぐように、けれどゆっくりと進む。しかも、私がちょっと気になるディスプレイを見つけると自然にそこで止まるのだ。なんというスキルだろうか。
これが高貴なお方の本場のエスコートというやつなのか。
「何かお気に召しましたか?」
「うん、かわいいなって思って」
ふと目に入ったディスプレイのバッグが気になった。
そういえばいつも使ってるバッグはだいぶくたびれてきたし、そろそろ買い換えたほうがいいかもしれない。
「ちょっと、ここ覗いてもいいかな」
「どうぞ」
目に付いた皮革製品のブランドショップで、あれこれと見せてもらう。
貯金ばっかり溜め込んでも仕方ないし、たまには贅沢もしないとな。いつも頑張ってる自分へのご褒美というやつだ。
いくつか出してもらって、最終的にふたつを並べて真剣に見比べ始めた私を、ミカちゃんが面白そうに眺めている。
「どちらかでお悩みですか?」
「うーん、どっちがいいかなあって。どっちもいいから、すごく悩む」
「どちらもお気に召したということですね」
ミカちゃんまでが一緒になって品物を覗き込む。私も品物を代わる代わる眺めて唸りながら、けれど一拍遅れてはっと気付いた。
「贈るとか、そういうことは考えなくていいからね!」
「そうですか? “デート”ですし、おねだりするものではありませんか?」
ミカちゃんが極上スマイルを向けて続ける。
「初デートの記念など、を」
「いやいやいやいや」
慌てた私は思い切り首を振る。
仮にミカちゃんが普通の人間のブルジョワだとしても、記念日でもイベントでもない初デートでそれはない。
「ブランドだよ? そんな気軽なお値段じゃないものをおねだりとか、ただのタカリになっちゃうって!」
「律子さんは本当に欲がないですね」
でしたら、とミカちゃんはもう一度バッグを見比べた。
「こちらがよいかと思いますが」
「どうして?」
「デザインが律子さんらしいですし、革の色もよいですね。お持ちの服にも合わせやすいのではないですか」
ミカちゃんの見立てに、なるほどと納得する。
さすがミカちゃんだ。私の持ってる服まで把握してるなんて。
「じゃあ、こっちにしようかな。ちょっと待っててね」
「はい。こちらで待っていますね」
選んだほうだけを持って、私は近くの店員を呼び止めた。そのまま一緒にレジまで行って、会計を頼む。
店を出ると、いつの間にかミカちゃんまでショップの紙袋を持っていた。
「あれ、ミカちゃんも何か買ったの?」
「はい。律子さんがお会計を済ませている隙に。では、そろそろ時間ですし、映画館に戻りましょう」
ふうん、と首を傾げる私の手を取って、ミカちゃんが歩き出す。
買ってあったチケットは、カップル用のペアシートだった。
飲み物とポップコーンも付いた、わりとがっつりな、二人の世界も簡単に作れちゃうようなペアシートだ。
「ペアシート、なんだ」
「はい。せっかくですからこちらにしました。飲み物は何がよいですか?」
「じゃあ、ウーロン茶」
「では、待っていてくださいね」
ミカちゃん本気か。
マジでデートだこれ。
いそいそとショップへ向かうミカちゃんの背を眺めつつ、私は呆然とした。今更ながら、冷や汗まで出てきたぞ。
捕食対象と本気でデートしようって、どういう感覚なんだろう。
ついつい考え込んでいると、紙トレーを持ったミカちゃんが戻ってきた。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもないよ」
ごまかすようにへらっと笑ってウーロン茶を受け取る。
こうしていると普通に王子系イケメンなミカちゃんだが、紛うことなき人外なのだ。あくまでも食欲的な意味ゆえに私の身体を狙っての彼氏ポジション希望というのは、なかなかに複雑な気分である。
映画はまあ、よくあるハリウッド産アクションだった。さすがの私も、恋愛映画を選べるほど命知らずではなかったのだ。
変に盛り上がったりしたら後が困るだろう。
きっと。
「楽しめましたか?」
「うんうん」
「律子さんはアクション映画がお好みですか」
「わかりやすいのがいいんだよ。最後にがっつりカタルシスがきて、スッキリできるとこもいいよね」
「律子さんらしいですね」
あははと笑う私に、ミカちゃんも笑った。
ほっといてもいろいろ考えないといけないことが多い現実だが、なるべくなら面倒なことは避けてお気楽に生きていきたい。
それにしても、普通の人間の彼氏なら大歓迎だったのに、どうしてこんなことになっているのだろう。
夕食も、ミカちゃんがいつの間にやら予約まで入れていた、ちょっといいレストランだった。
この卒の無さはなんだろうか。やはり年季と経験が違うということか。
もぐもぐと前菜やらスープやらを終えて、サーブされたワインにメインの肉料理を味わいながらちらりと目をやると、ミカちゃんが首を傾げる。
「どうしましたか?」
「ミカちゃんって、こういういろんなの手配するのに慣れてるなって思って」
「今はインターネットで手配ができますから、難しいことではありませんよ」
「うん。それに、ミカちゃんもこんなにIT使いこなすんだって、ちょっと驚いた」
「時代に取り残されては生きていけませんから」
ミカちゃんはいつものように、にっこりときれいに微笑んだ。
そう、いつものような卒の無い微笑みだ。
何を考えているのか、さっぱりわからない微笑みでもある。
そもそも人間じゃないものの胸中をどうにか伺い知ろうなんてこと自体、間違いなんだろうか。
こくりこくりとワインを飲むうちに、そんな考えが浮かんだ。
「それはそうかもだけど、覚えるの、大変だったんじゃないの?」
「そうですね……一足飛びに覚えようするならそうかもしれませんが、周囲に合わせてゆっくり習得していけば、さほど難しくはないですよ」
そのあとも、他愛の無い話をしつつ、ミカちゃんから勧められるままワインを味わった。渋みの少ない真っ赤なワインは、初心者にも飲みやすかった。
デザートもしっかり完食して、お腹もいっぱいだ。
「なんだかふわふわして気持ちいい」
「少し飲みすぎましたか?」
「そんなことないと思うけど」
へへっと笑いながら歩く私の手を、ミカちゃんがしっかりと掴む。
「危なっかしいですね」
「おおっと」
段差に躓く私を、ミカちゃんが慌てて抱える。そのまま転ばないようにと、身体に回った腕が私をしっかりと支えた。
「足元がずいぶんおろそかになっていますよ」
「そんなに飲んでないのになあ」
「ワインですからね。飲みやすいものでも、度数はそこそこ高いんです」
仕方ありませんねと笑うミカちゃんは、機嫌がいいようだ。
「帰りは車を使いましょう」
「え、そんなの贅沢だよ」
「思ったより疲れているようですから。たまにのことで贅沢をしたって、誰も怒りませんよ」
結局、タクシーを使うことになった。
アパートに帰り着く頃にはもっと酔いが回ってしまった私は、すっかりふらふらだった。
ミカちゃんに差し出された水を飲みながら、どうしようと呟く。
歩いたのは屋内だったけれど、それでも結構汗はかいた。このまま寝るなんて論外である。汗を流したい。
「お手伝いしましょうか?」
「へ?」
「ひとりでは転んでしまいそうですしね。大丈夫、律子さんの嫌なことなどしませんから。お背中を流して差し上げるだけですよ」
「え、でも」
「事故が起きないようにお手伝いするだけです」
にっこりと笑うミカちゃんの目が、きらりと赤く光った気がした。
「さあ、律子さん。お手伝いしましょうね」
「――うん」
ミカちゃんが私を横抱きに抱えて、お風呂へと向かった。
翌朝起きると、ミカちゃんはいつものように早起きしていたようだ。
外を見ると太陽はけっこう高いところまで昇っていて、時計の針は既に十時近い時間を示していた。私はなんだかまだぼうっとしたままで……。
「おはようございます、律子さん」
「おはよう、ミカちゃん」
「朝食は食べられそうですか?」
「んー、軽いのなら……あれ?」
まだ少し寝惚けた頭で部屋を見回すと、昨日、ショップで見ていたバッグがふたつ、置いてあった。
「あれ、私買ったの、ひとつだけだったよね」
「昨晩、私から律子さんにお贈りしたではないですか」
「え」
「そちらもよくお似合いだと思ったのですよ。せっかくの初デートをしたのですし、私から律子さんへと」
「え? え? でも」
「律子さんはああ仰いましたが、私が贈りたかったのです。良いのですよ」
どうしよう、覚えてない。飲みすぎたのかな。けど、どうやら昨晩受け取ってしまったみたいだし、突っ返すのはとても失礼だ。
「あの、その、ありがとう。大事にするね」
「はい――まだ寝惚けているのですか?」
ミカちゃんが、仕方のない人ですねと言いながら、私の顎に手をかけ、顔を寄せて……ぺろりと舐めるように、唇にキスをする。
「は、へっ?!」
「おはようのキスをするのも、彼氏の役目なのではないですか?」
いっきに頭が覚醒する。
思わず目を剥く私に、ミカちゃんが、いつものきれいな微笑みを浮かべていた。
まず、キスをするようになった。
だがしかし、首筋に、である。どう考えても活きの良さを確認されているようにしか感じない。
正直、怖い。
寝る時に、明らかに私をしっかりと抱きかかえるようになった。
ベッドを分けようか、という話をしようとしたら、華麗にスルーされて話題を変えられた。だめだ、押しでミカちゃんに勝てる気がしない。
抱きかかえられている最中、心臓のあたりに手を置かれるようになった。さらに、なぜかうっとりした顔で眺められる。
怖い。
結論、どう考えても私はミカちゃんの餌である。
捕食対象以外の何者でもない、間違いなく餌である。
すべての元凶となった竹井さんは、未だ呑気に金髪美女を夢見ている。
いっそ本当に、ミカちゃんから餌募集中の金髪お姉さんを紹介してもらおうか。竹井さんも捕食対象にされて食われる未来に怯えればいいんだ。
――なんて考えてはみたものの、竹井さんの場合、新たな境地へ続く扉を難なく開いてしまいそうだ。
ここは全部流すが吉である。
これが残業パレード絶賛開催中だったら、家にいる時間は最低限以下なので何も問題はなかった。
だがしかし、つい先日、案件のリリースを迎えたおかげで、現在の仕事は落ち着いている。残業発生の頻度も低く、たとえあったとしても定時から一、二時間で終わってしまう程度なのだ。
つまり、しばらくは平日もほぼ定時帰宅で安定だし、週末もフルフルで空いているという夢のような状況である。
ミカちゃん公認彼氏問題さえなければ、寄り道お出かけどんとこいの、夢のような状況なのに!
「週末はどこかへ出かけましょうか」
「へ? だって太陽がガンガン照ってるし、すごく暑いよ? 外に出るとかまずいんじゃないの?」
「そこまで虚弱ではありませんよ。律子さんから栄養もいただいてますからね。それに、ずっと家にいるのでは退屈でしょう?」
夕食を食べながら、ミカちゃんがそう切り出した。
まさかこれは、もしかしなくてもデートのお誘いというやつなのか。
「――ミカちゃんは、どこか行きたいところがあるの?」
「律子さんが興味のあるところならどこでも構いませんよ。温泉などはいかがですか? 忙しい最中によく行きたいと仰っていたでしょう」
「え」
初回から温泉デートなんて、ハードルが高いだろう。いや、高いどころか間違いなくハードモードだ。
というか、お付き合い(お試し中)でいきなり温泉はない。
「ええと、映画でも観に行こうか」
「映画でいいんですか?」
「いや、これが普通だと思うんだけど」
「普通ですか」
ミカちゃんは首を傾げつつ承諾する。
「ちなみに、ミカちゃんの考える普通ってどんなの?」
「そうですね――」
曰く、服飾店や宝飾店へと連れて行き、諸々をプレゼントして飾り立てたその足でディナーやら観劇やら……っていつの時代の話だろうか。
「最後にそういう振る舞いをしたのは相当前のことですし、今とは時代も地域も違いますから勝手も違うのだとは思います。ですが、美しい宝飾品を贈られて気を悪くする女性もいないのではないかと。
律子さんも、欲しいものはありますか?」
「え、いや、私はそういうのはいいかな」
こともなく言い放つミカちゃんは、不就労収入のあるブルジョワジーだ。
おまけに吸血鬼という人外でもある。うっかりプレゼントなんて貰ってしまった日にはその先に何が待っているのか、考えるだに怖い。
「律子さんは欲がありませんね」
「身の丈を知ってるだけだよ」
どこか残念そうなミカちゃんに、はあ、と私は溜息を吐いた。
「ともかく、日本標準の初デートをしよう。ウィンドウショッピングして映画見てごはん食べて帰るくらいの、普通のデートね」
「わかりました。楽しみですね」
ミカちゃんが楽しそうに頷いた。
それにしても、私自身、デートなんて学生時代以来……と考えて、就職してからまともに私服を買ってないことを思い出した。
間に合わせの通販でスーツを買うとか、適当な量販店ジーンズを買って間に合わせるとか、その程度だ。終わってる。
しかも、デートということはミカちゃんと並んで歩くということだ。
普通なのにとんでもないハードモードである。
明日は帰りに寄り道して服を買おう。せめて服くらいは……。
そして当日。
目指すは映画館も併設された巨大ショッピングモールである。
乗り換えが多少面倒だけど、たしか近隣には眺めのいい公園とかおしゃれなカフェとか、そういうのもあったはずだ。
「ミカちゃん、スーツなの」
「いけませんか?」
女子力の逆って何だろう。男子力かな……などと考える私の前で、スーツ姿のミカちゃんが王子スマイルを浮かべる。
きちんと仕立てたスーツを着ると普通の人でもイケメン度は三割増なのに、ミカちゃん三割増はヤバい。
かっちりめのワンピースを買っておいてよかった。
思わずほっと息を吐く私に、ミカちゃんは不思議そうだ。
「あまり固過ぎず、ラフ過ぎずにしてみたのですが」
「え、いや、大丈夫。スーツ着てるとこ初めて見たから」
「そういえばそうですね」
何かまずかっただろうかと訝しむミカちゃんに、私は慌てて手を振り返す。
正直、スーツ姿に絆されそうにもなってヤバかった。私って、スーツ男子が結構なツボだったんだな。
「では、参りましょうか」
靴を履き、玄関を出たところですっと手を差し出された。これは、手を乗せれば良いということだろうか。
くすりと笑って、ミカちゃんは戸惑う私の手を取った。慣れている。さすが元貴族というべきか。こんなの、映画か漫画でしか見たことない。
なぜかいろいろと敗北した気分になった。
「とうちゃくー!」
小一時間ほど電車を乗り継ぎ、目指すショッピングモールに到着した。
さすが週末。何かイベントがあるわけでもないのに、すごい人出だ。
「人多いねえ」
「先にチケットを発券してしまいましょうか」
「そうだね」
まっすぐ映画館のあるフロアへ向かい、チケットの発券を済ませてしまう。上映開始は二時間くらい先だった。それまでどう暇を潰そうか。
「どこかお目当てはありますか?」
「んー、ここんとこずっと、まともにゆっくり買い物とかしてなかったから、ぶらぶら見て歩きたいなと思ってるくらい」
「そうですか」
ミカちゃんはまた私の手を取った。
私を先導しながら人混みの中をすいすい泳ぐように、けれどゆっくりと進む。しかも、私がちょっと気になるディスプレイを見つけると自然にそこで止まるのだ。なんというスキルだろうか。
これが高貴なお方の本場のエスコートというやつなのか。
「何かお気に召しましたか?」
「うん、かわいいなって思って」
ふと目に入ったディスプレイのバッグが気になった。
そういえばいつも使ってるバッグはだいぶくたびれてきたし、そろそろ買い換えたほうがいいかもしれない。
「ちょっと、ここ覗いてもいいかな」
「どうぞ」
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いくつか出してもらって、最終的にふたつを並べて真剣に見比べ始めた私を、ミカちゃんが面白そうに眺めている。
「どちらかでお悩みですか?」
「うーん、どっちがいいかなあって。どっちもいいから、すごく悩む」
「どちらもお気に召したということですね」
ミカちゃんまでが一緒になって品物を覗き込む。私も品物を代わる代わる眺めて唸りながら、けれど一拍遅れてはっと気付いた。
「贈るとか、そういうことは考えなくていいからね!」
「そうですか? “デート”ですし、おねだりするものではありませんか?」
ミカちゃんが極上スマイルを向けて続ける。
「初デートの記念など、を」
「いやいやいやいや」
慌てた私は思い切り首を振る。
仮にミカちゃんが普通の人間のブルジョワだとしても、記念日でもイベントでもない初デートでそれはない。
「ブランドだよ? そんな気軽なお値段じゃないものをおねだりとか、ただのタカリになっちゃうって!」
「律子さんは本当に欲がないですね」
でしたら、とミカちゃんはもう一度バッグを見比べた。
「こちらがよいかと思いますが」
「どうして?」
「デザインが律子さんらしいですし、革の色もよいですね。お持ちの服にも合わせやすいのではないですか」
ミカちゃんの見立てに、なるほどと納得する。
さすがミカちゃんだ。私の持ってる服まで把握してるなんて。
「じゃあ、こっちにしようかな。ちょっと待っててね」
「はい。こちらで待っていますね」
選んだほうだけを持って、私は近くの店員を呼び止めた。そのまま一緒にレジまで行って、会計を頼む。
店を出ると、いつの間にかミカちゃんまでショップの紙袋を持っていた。
「あれ、ミカちゃんも何か買ったの?」
「はい。律子さんがお会計を済ませている隙に。では、そろそろ時間ですし、映画館に戻りましょう」
ふうん、と首を傾げる私の手を取って、ミカちゃんが歩き出す。
買ってあったチケットは、カップル用のペアシートだった。
飲み物とポップコーンも付いた、わりとがっつりな、二人の世界も簡単に作れちゃうようなペアシートだ。
「ペアシート、なんだ」
「はい。せっかくですからこちらにしました。飲み物は何がよいですか?」
「じゃあ、ウーロン茶」
「では、待っていてくださいね」
ミカちゃん本気か。
マジでデートだこれ。
いそいそとショップへ向かうミカちゃんの背を眺めつつ、私は呆然とした。今更ながら、冷や汗まで出てきたぞ。
捕食対象と本気でデートしようって、どういう感覚なんだろう。
ついつい考え込んでいると、紙トレーを持ったミカちゃんが戻ってきた。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもないよ」
ごまかすようにへらっと笑ってウーロン茶を受け取る。
こうしていると普通に王子系イケメンなミカちゃんだが、紛うことなき人外なのだ。あくまでも食欲的な意味ゆえに私の身体を狙っての彼氏ポジション希望というのは、なかなかに複雑な気分である。
映画はまあ、よくあるハリウッド産アクションだった。さすがの私も、恋愛映画を選べるほど命知らずではなかったのだ。
変に盛り上がったりしたら後が困るだろう。
きっと。
「楽しめましたか?」
「うんうん」
「律子さんはアクション映画がお好みですか」
「わかりやすいのがいいんだよ。最後にがっつりカタルシスがきて、スッキリできるとこもいいよね」
「律子さんらしいですね」
あははと笑う私に、ミカちゃんも笑った。
ほっといてもいろいろ考えないといけないことが多い現実だが、なるべくなら面倒なことは避けてお気楽に生きていきたい。
それにしても、普通の人間の彼氏なら大歓迎だったのに、どうしてこんなことになっているのだろう。
夕食も、ミカちゃんがいつの間にやら予約まで入れていた、ちょっといいレストランだった。
この卒の無さはなんだろうか。やはり年季と経験が違うということか。
もぐもぐと前菜やらスープやらを終えて、サーブされたワインにメインの肉料理を味わいながらちらりと目をやると、ミカちゃんが首を傾げる。
「どうしましたか?」
「ミカちゃんって、こういういろんなの手配するのに慣れてるなって思って」
「今はインターネットで手配ができますから、難しいことではありませんよ」
「うん。それに、ミカちゃんもこんなにIT使いこなすんだって、ちょっと驚いた」
「時代に取り残されては生きていけませんから」
ミカちゃんはいつものように、にっこりときれいに微笑んだ。
そう、いつものような卒の無い微笑みだ。
何を考えているのか、さっぱりわからない微笑みでもある。
そもそも人間じゃないものの胸中をどうにか伺い知ろうなんてこと自体、間違いなんだろうか。
こくりこくりとワインを飲むうちに、そんな考えが浮かんだ。
「それはそうかもだけど、覚えるの、大変だったんじゃないの?」
「そうですね……一足飛びに覚えようするならそうかもしれませんが、周囲に合わせてゆっくり習得していけば、さほど難しくはないですよ」
そのあとも、他愛の無い話をしつつ、ミカちゃんから勧められるままワインを味わった。渋みの少ない真っ赤なワインは、初心者にも飲みやすかった。
デザートもしっかり完食して、お腹もいっぱいだ。
「なんだかふわふわして気持ちいい」
「少し飲みすぎましたか?」
「そんなことないと思うけど」
へへっと笑いながら歩く私の手を、ミカちゃんがしっかりと掴む。
「危なっかしいですね」
「おおっと」
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「え、そんなの贅沢だよ」
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結局、タクシーを使うことになった。
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ミカちゃんに差し出された水を飲みながら、どうしようと呟く。
歩いたのは屋内だったけれど、それでも結構汗はかいた。このまま寝るなんて論外である。汗を流したい。
「お手伝いしましょうか?」
「へ?」
「ひとりでは転んでしまいそうですしね。大丈夫、律子さんの嫌なことなどしませんから。お背中を流して差し上げるだけですよ」
「え、でも」
「事故が起きないようにお手伝いするだけです」
にっこりと笑うミカちゃんの目が、きらりと赤く光った気がした。
「さあ、律子さん。お手伝いしましょうね」
「――うん」
ミカちゃんが私を横抱きに抱えて、お風呂へと向かった。
翌朝起きると、ミカちゃんはいつものように早起きしていたようだ。
外を見ると太陽はけっこう高いところまで昇っていて、時計の針は既に十時近い時間を示していた。私はなんだかまだぼうっとしたままで……。
「おはようございます、律子さん」
「おはよう、ミカちゃん」
「朝食は食べられそうですか?」
「んー、軽いのなら……あれ?」
まだ少し寝惚けた頭で部屋を見回すと、昨日、ショップで見ていたバッグがふたつ、置いてあった。
「あれ、私買ったの、ひとつだけだったよね」
「昨晩、私から律子さんにお贈りしたではないですか」
「え」
「そちらもよくお似合いだと思ったのですよ。せっかくの初デートをしたのですし、私から律子さんへと」
「え? え? でも」
「律子さんはああ仰いましたが、私が贈りたかったのです。良いのですよ」
どうしよう、覚えてない。飲みすぎたのかな。けど、どうやら昨晩受け取ってしまったみたいだし、突っ返すのはとても失礼だ。
「あの、その、ありがとう。大事にするね」
「はい――まだ寝惚けているのですか?」
ミカちゃんが、仕方のない人ですねと言いながら、私の顎に手をかけ、顔を寄せて……ぺろりと舐めるように、唇にキスをする。
「は、へっ?!」
「おはようのキスをするのも、彼氏の役目なのではないですか?」
いっきに頭が覚醒する。
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商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!
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