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1.おいしい餌とオカン吸血鬼
7.夏だ祭りだ
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「お祭りですか」
「そそ、近くの小さい神社で露店とかも出るし、行ってみない?」
「そういえば、掲示板にお知らせが貼ってありましたね。構いませんよ、行ってみましょうか」
今日は、このアパートからさほど遠くない、古くからある神社のお祭りで、昼間からからずっとお囃子やらも賑やかにお神輿が練り歩いていた。
そのお祭りを、私は未だ見に行ったことはない。
毎年この時期なのは知ってはいたが、いつも暑さやら疲れやらで行く気になれず、スルーしていたのだ。
だけど今年はミカちゃんもいるのだ。せっかくだから行ってみよう。
「そうだ、せっかくだし浴衣着るね。こっち来てから全然着てなくて、もったいないなーって思ってたんだ」
「浴衣ですか」
「そ。大学時代、婆ちゃんが作ってくれたの。高校の時に文化祭で浴衣喫茶やるからって着付けも練習もしたし、だからバッチリなんだよ」
ふんふんと鼻歌を歌いながら押し入れを開けて、私は衣装ケースを引っ張り出した。必要なものもここにひとまとめに入れてあるのだ。
ミカちゃんも物珍しそうにケースの中を覗き込んでいる。
「あ、先に髪の毛もまとめなきゃ!」
慌てて洗面所に向かい、鏡を覗き込みながらいつもより少しだけ時間をかけて、私は髪の毛をアップにまとめた。ついでに軽くメイクも済ませる。
汗で流れるから、軽くだけど。
「もうちょっと待っててねー」
浴衣セットを抱えて部屋にこもって、そこから十五分で完成だ。
「じゃじゃーん」
引き戸をスパーンと開けて登場した私に、ミカちゃんとペトラちゃんがパチパチパチと拍手をくれた。
「どうかな」
「よくお似合いですよ」
くるりと回って聞いてみると、ミカちゃんはにっこり微笑んで頷く。
「じゃ、行こうか」
「はい」
「ペトラちゃん、お留守番お願いね」
脚を振るペトラちゃんに手を振り返して、私とミカちゃんは外に出た。
「さすがに人が多いね」
「そうですね」
神主さんもいない小さなお社だけの、わりあい小さい神社だからどうかなと思っていたけど、意外に人出も露店も多くて驚いてしまう。
「ここはどんな神をお祀りしているんですか?」
「ええと、たしか祇園さんかな。結構古い神社みたいだけど、小さい祠もたくさんあって、そっちにもいろんな神様を祀ってるんだよ」
「なるほど」
ミカちゃんは感心したように神社の境内をぐるりと眺めた。
「何かあるの?」
「ええ、さすが日本といいますか、なんでも神として祀る国だけあって懐が広いといいますか」
「ふうん?」
「あまり拒否される感じを受けないなと思いまして」
「そうなの?」
あ、そっか、ミカちゃんて吸血鬼だったっけと思いながら、私はお社とミカちゃんを見比べる。
すごく普通だから忘れてた。
「西の教会ですと、こうはいきません」
「いかないって、拒否されたりするの?」
「ええ。あちらに神はひとりしかおりませんし、それ以外はすべて邪なものとして断罪されてしまいますから。
近寄っただけで拒否感がすごいんですよ」
「へえ」
拒否感とか何とかいまいちわからないけど、そういうものなのだろう。人外事情も大変なんだなと思いながら、あちこち露店を覗いて歩く。
まあ、確かに日本人てなんでも拝んじゃうし。
良いものも悪いものもヤバイものも、とりあえず全部祀って拝んで煽てておけば、きっと悪いことにはならないと考えている節がある。
「よう、ミカと律子ちゃんじゃねえか。律子ちゃん見違えたな」
「カレヴィさん」
知った声に振り向くと、片手を軽く振ってカレヴィさんが立っていた。
楽しそうににやにや笑っているけど、そんな顔で笑うから、ますますミカちゃんが嫌がるんじゃないだろうか。
もっとも、この人はわざとやっていそうだけど。
「まだここにいたんですか。早く山へ帰っておしまいなさい」
「そんな顔するなよ。知ってるか、ここ、狼を祀った祠もあるんだぜ」
へえ、狼を祀ってる神社もあるんだ。
「あなたのような駄犬ではなく、狼でしょうに」
「うわ相変わらずひでえ」
カレヴィさんはうええという表情で顔を顰めた。
「ま、いいや。とりあえず、律子ちゃんは楽しんでるか?」
「はい。カレヴィさんはひとりなんですか?」
「おうよ。暇なんで来てみたんだが、結構おもしろいもんなんだな。
――あ、そうだ」
何か思い出して、カレヴィさんはまたにやーっと性格悪そうな笑顔になった。だから、そういう顔をするからミカちゃんに嫌われるんじゃないのか。
「なんですか。下品な顔をして」
「さっきおもしろいもん見かけたんだよ」
にやにや笑いを堪えるカレヴィさんに、ミカちゃんは眉を顰める。
「何をですか」
「いやあ、見れば一発でわかるぜ。さすが日本、半端ねえな。俺まともに見たの初めてだけど、こんなとこにいていいのかね」
くっくっと笑うカレヴィさんを、ミカちゃんは胡乱な目で見つめ、首を傾げた。カレヴィさんはそれ以上何かを言うつもりはないようで、「俺はそろそろ行くから」と、手を振って去っていった。
「カレヴィさん、何を見たんだろう?」
「さあ。駄犬の言うことですが、少々気になりますね」
軽く肩を竦めると、ミカちゃんはまた私の手を引いて歩き始めた。
まあ、見ればわかるって言ってたし。
私も気にするのをやめて、りんご飴を買ったり金魚すくいを覗いたりと露店を冷やかしつつ、参道をゆっくり進んでいく。
と、急にミカちゃんが足を止めた。
「どうしたの?」
「なるほど、あれですか」
ミカちゃんが、カレヴィさんを見つけた時以上に嫌そうな顔になる。
いったい何がと訝しみつつその視線を辿ってみると、その先にはミカちゃんと張るくらいのすごい金髪イケメンがいた。
輝くようなとか、後光が差すとか、ああいうのを言うんじゃないだろうか。
しかも浴衣姿だ。
「おおう……」
すごい、眼福の二乗だ。
ミカちゃんレベルがもうひとりここにいるとか、奇跡じゃないか。
などと感心しつつ、失礼にならない程度にちらちら目をやっていると、ミカちゃんが、いきなり「こちらへ」と、私を露店の裏側へと引っ張った。
「どうしたの?」
「駄犬が言ってた者ですね。どちらの教会から来たのかは知りませんが、こんなところで遭遇するとは思いませんでした」
「教会?」
え、神父とか? と慌てて今来た方向を振り返る。
「ええ。あんな聖なる者がここにいるなんて、何があったんでしょうね。さすがに少し驚きましたよ」
「ミカちゃん、聖なる者って……」
「平たく言えば、天からの御使いです」
「天使とか?」
「はい」
驚いてもう一度振り返ると、さっきの輝ける金髪が通り過ぎるところだった。
どうりでイケメンなはずだよ!
とりあえず、こっちをちらりとも見ることなく去ったので、少し安心する。
「ちなみにさ、見つかったらどうなるのかな」
「さあ。向こうの性格にもよりますが、大抵は喧嘩です。聖なる者は、押し並べて融通が利きませんし」
「えっ」
また慌ててしまう私にミカちゃんはくすりと笑う。
「私は穏便に行きたいのですけど、あちらはどうもそういかないようでして。こうして顔を合わせないのがいちばんです」
「じゃ、やり過ごしたから、もう大丈夫なのかな」
「万一顔を合わせてしまってもうまく逃げますから、ご心配なさらず」
伊達に歳は取っていませんよ、とミカちゃんはウィンクした。
そんなミカちゃんに私もようやくほっとして、あははと笑った。
――しかし、安心するのは早かったらしい。
怖いもの見つけちゃったし、早いけどもう帰ろうかと人混みから離れた私たちの前に、さっきのイケメンが立ち塞がったのだ。
「まさか、こんなところで不死者に遭遇するなんて思わなかった」
私たちを睨みつけるイケメンは、絶対にここを通さないという意思もあらわに仁王立ちしている。
こっちは何もしてないというのに、こんなに喧嘩腰でいいのか。
「それはこちらのセリフですよ」
やれやれと溜息混じりにミカちゃんが返す。
「どちらの教会からいらしたのかは知りませんが、私は守るべきルールを守ってここにいます。干渉しないでいただきたいですね」
イケメンはすっと目を眇めると、今度は私をじっと見つめる。
何も言われてないのに、何か責められてるような気がして落ち着かない。
「あの、あの、ミカちゃんは何も悪いことしてませんから!」
「――君は、これが何だかわかったうえで共にいるのか」
「え、ええと、一応知ってます」
「なるほど」
ますます睨み付けられて、私もじっとりと冷や汗をかいてしまう。
「あの、ほんと、ミカちゃんはうちのこといろいろやってくれてますし、私もすごく助かってるんです」
変な弁解だけど、私が助かっているのは確かなのだ。せっかく捕まえたオカンを手放すなんてもったいないこと、できるわけがない。
どうにか見逃してもらえないものかとあたふたする私のうしろで、ミカちゃんがくすりと笑った。
「律子さん、大丈夫ですよ。こちらへ下がっていてください」
そう囁いて、ミカちゃんは私をそっと自分の背中側へと押しやる。
「ともかく、私はきちんと協定を守っているのですから、ここであなたにとやかく言われる筋合いはありません。日本は教会の管轄外ですし、あなたも協定を守らねばならないはずですよ。それとも、無視して私に手を出して、このあたり一帯のすべてや出雲のお方も敵に回すおつもりですか。
それに、あなたは迷信を信じておられるようですが、“アンデッド”という呼称は訂正していただきたいですね。私はこれまで一度も死んだことなどありません」
イケメンの表情が困惑に変わった。「協定?」と反芻して、ミカちゃんと私を交互に見やる。
「お前は何かの約定に従っているということか? そこの人間も魅了されているというわけではなさそうだし……」
「ずいぶんと失礼な物言いですね」
ミカちゃんが本気で気分を害したという声を出す。
大丈夫だろうか。
喧嘩になったりしないだろうか。
まんいち喧嘩になったりしたら、ミカちゃんに勝ち目はあるんだろうか。
ミカちゃんの背に隠れたまま、ヒヤヒヤしながら、私はふたりの話の行く末をじっと見守った。
ぶつぶつと何かを呟いていたイケメンは、不承不承といった様子ながらも、ようやく納得したようだった。
「なら、僕もお前には手を出さないことにしよう。“郷に入っては郷に従え”というものだと言われているしな」
くるりと背を向けて立ち去る彼の姿に、私はほっと安堵する。荒事になったらどうしようかと思ったのだ。警察は助けてくれるだろうか、とか。
「……聖なる者って、怖いんだねえ」
教会とか、普通はもっと穏やかで優しいものだと考えていたのに、今のイケメンは明らかに違っていた。
「喧嘩になったらどうしようって、ドキドキしちゃったよ」
「どうやら、こちらに来て日が浅い者のようでしたね。協定もあまりご存知ないようでしたし」
「ね、ミカちゃん、協定って?」
「平たく言えば、私たちのような者が守るべきと定められたルールです。もちろん、西の教会や聖なる者たちも、これを遵守することに同意しております。
ルールに従う限り、お互い不干渉ということにもなっているのですよ」
なるほど、そんなものがと私は感心する。
たしかに無法地帯では、今みたいな時に困るものな、と。
「日本には、海を渡っていろいろなものが入り込んでいますからね。
各々が勝手に振舞って大変なことになってはたまらないと、出雲の聖なる方がお決めになったらしいですね」
「よくわからないけど、人間じゃない人たちもいろいろ大変なんだね」
「ええ」
ミカちゃんはにっこりと微笑む。
「では、ペトラさんもお待ちですし、帰りましょうか」
「うん」
ミカちゃんに手を引かれて歩きながら、天使なんて、本当にいるとは思わなかったなあとしみじみ考えてしまった。
「そそ、近くの小さい神社で露店とかも出るし、行ってみない?」
「そういえば、掲示板にお知らせが貼ってありましたね。構いませんよ、行ってみましょうか」
今日は、このアパートからさほど遠くない、古くからある神社のお祭りで、昼間からからずっとお囃子やらも賑やかにお神輿が練り歩いていた。
そのお祭りを、私は未だ見に行ったことはない。
毎年この時期なのは知ってはいたが、いつも暑さやら疲れやらで行く気になれず、スルーしていたのだ。
だけど今年はミカちゃんもいるのだ。せっかくだから行ってみよう。
「そうだ、せっかくだし浴衣着るね。こっち来てから全然着てなくて、もったいないなーって思ってたんだ」
「浴衣ですか」
「そ。大学時代、婆ちゃんが作ってくれたの。高校の時に文化祭で浴衣喫茶やるからって着付けも練習もしたし、だからバッチリなんだよ」
ふんふんと鼻歌を歌いながら押し入れを開けて、私は衣装ケースを引っ張り出した。必要なものもここにひとまとめに入れてあるのだ。
ミカちゃんも物珍しそうにケースの中を覗き込んでいる。
「あ、先に髪の毛もまとめなきゃ!」
慌てて洗面所に向かい、鏡を覗き込みながらいつもより少しだけ時間をかけて、私は髪の毛をアップにまとめた。ついでに軽くメイクも済ませる。
汗で流れるから、軽くだけど。
「もうちょっと待っててねー」
浴衣セットを抱えて部屋にこもって、そこから十五分で完成だ。
「じゃじゃーん」
引き戸をスパーンと開けて登場した私に、ミカちゃんとペトラちゃんがパチパチパチと拍手をくれた。
「どうかな」
「よくお似合いですよ」
くるりと回って聞いてみると、ミカちゃんはにっこり微笑んで頷く。
「じゃ、行こうか」
「はい」
「ペトラちゃん、お留守番お願いね」
脚を振るペトラちゃんに手を振り返して、私とミカちゃんは外に出た。
「さすがに人が多いね」
「そうですね」
神主さんもいない小さなお社だけの、わりあい小さい神社だからどうかなと思っていたけど、意外に人出も露店も多くて驚いてしまう。
「ここはどんな神をお祀りしているんですか?」
「ええと、たしか祇園さんかな。結構古い神社みたいだけど、小さい祠もたくさんあって、そっちにもいろんな神様を祀ってるんだよ」
「なるほど」
ミカちゃんは感心したように神社の境内をぐるりと眺めた。
「何かあるの?」
「ええ、さすが日本といいますか、なんでも神として祀る国だけあって懐が広いといいますか」
「ふうん?」
「あまり拒否される感じを受けないなと思いまして」
「そうなの?」
あ、そっか、ミカちゃんて吸血鬼だったっけと思いながら、私はお社とミカちゃんを見比べる。
すごく普通だから忘れてた。
「西の教会ですと、こうはいきません」
「いかないって、拒否されたりするの?」
「ええ。あちらに神はひとりしかおりませんし、それ以外はすべて邪なものとして断罪されてしまいますから。
近寄っただけで拒否感がすごいんですよ」
「へえ」
拒否感とか何とかいまいちわからないけど、そういうものなのだろう。人外事情も大変なんだなと思いながら、あちこち露店を覗いて歩く。
まあ、確かに日本人てなんでも拝んじゃうし。
良いものも悪いものもヤバイものも、とりあえず全部祀って拝んで煽てておけば、きっと悪いことにはならないと考えている節がある。
「よう、ミカと律子ちゃんじゃねえか。律子ちゃん見違えたな」
「カレヴィさん」
知った声に振り向くと、片手を軽く振ってカレヴィさんが立っていた。
楽しそうににやにや笑っているけど、そんな顔で笑うから、ますますミカちゃんが嫌がるんじゃないだろうか。
もっとも、この人はわざとやっていそうだけど。
「まだここにいたんですか。早く山へ帰っておしまいなさい」
「そんな顔するなよ。知ってるか、ここ、狼を祀った祠もあるんだぜ」
へえ、狼を祀ってる神社もあるんだ。
「あなたのような駄犬ではなく、狼でしょうに」
「うわ相変わらずひでえ」
カレヴィさんはうええという表情で顔を顰めた。
「ま、いいや。とりあえず、律子ちゃんは楽しんでるか?」
「はい。カレヴィさんはひとりなんですか?」
「おうよ。暇なんで来てみたんだが、結構おもしろいもんなんだな。
――あ、そうだ」
何か思い出して、カレヴィさんはまたにやーっと性格悪そうな笑顔になった。だから、そういう顔をするからミカちゃんに嫌われるんじゃないのか。
「なんですか。下品な顔をして」
「さっきおもしろいもん見かけたんだよ」
にやにや笑いを堪えるカレヴィさんに、ミカちゃんは眉を顰める。
「何をですか」
「いやあ、見れば一発でわかるぜ。さすが日本、半端ねえな。俺まともに見たの初めてだけど、こんなとこにいていいのかね」
くっくっと笑うカレヴィさんを、ミカちゃんは胡乱な目で見つめ、首を傾げた。カレヴィさんはそれ以上何かを言うつもりはないようで、「俺はそろそろ行くから」と、手を振って去っていった。
「カレヴィさん、何を見たんだろう?」
「さあ。駄犬の言うことですが、少々気になりますね」
軽く肩を竦めると、ミカちゃんはまた私の手を引いて歩き始めた。
まあ、見ればわかるって言ってたし。
私も気にするのをやめて、りんご飴を買ったり金魚すくいを覗いたりと露店を冷やかしつつ、参道をゆっくり進んでいく。
と、急にミカちゃんが足を止めた。
「どうしたの?」
「なるほど、あれですか」
ミカちゃんが、カレヴィさんを見つけた時以上に嫌そうな顔になる。
いったい何がと訝しみつつその視線を辿ってみると、その先にはミカちゃんと張るくらいのすごい金髪イケメンがいた。
輝くようなとか、後光が差すとか、ああいうのを言うんじゃないだろうか。
しかも浴衣姿だ。
「おおう……」
すごい、眼福の二乗だ。
ミカちゃんレベルがもうひとりここにいるとか、奇跡じゃないか。
などと感心しつつ、失礼にならない程度にちらちら目をやっていると、ミカちゃんが、いきなり「こちらへ」と、私を露店の裏側へと引っ張った。
「どうしたの?」
「駄犬が言ってた者ですね。どちらの教会から来たのかは知りませんが、こんなところで遭遇するとは思いませんでした」
「教会?」
え、神父とか? と慌てて今来た方向を振り返る。
「ええ。あんな聖なる者がここにいるなんて、何があったんでしょうね。さすがに少し驚きましたよ」
「ミカちゃん、聖なる者って……」
「平たく言えば、天からの御使いです」
「天使とか?」
「はい」
驚いてもう一度振り返ると、さっきの輝ける金髪が通り過ぎるところだった。
どうりでイケメンなはずだよ!
とりあえず、こっちをちらりとも見ることなく去ったので、少し安心する。
「ちなみにさ、見つかったらどうなるのかな」
「さあ。向こうの性格にもよりますが、大抵は喧嘩です。聖なる者は、押し並べて融通が利きませんし」
「えっ」
また慌ててしまう私にミカちゃんはくすりと笑う。
「私は穏便に行きたいのですけど、あちらはどうもそういかないようでして。こうして顔を合わせないのがいちばんです」
「じゃ、やり過ごしたから、もう大丈夫なのかな」
「万一顔を合わせてしまってもうまく逃げますから、ご心配なさらず」
伊達に歳は取っていませんよ、とミカちゃんはウィンクした。
そんなミカちゃんに私もようやくほっとして、あははと笑った。
――しかし、安心するのは早かったらしい。
怖いもの見つけちゃったし、早いけどもう帰ろうかと人混みから離れた私たちの前に、さっきのイケメンが立ち塞がったのだ。
「まさか、こんなところで不死者に遭遇するなんて思わなかった」
私たちを睨みつけるイケメンは、絶対にここを通さないという意思もあらわに仁王立ちしている。
こっちは何もしてないというのに、こんなに喧嘩腰でいいのか。
「それはこちらのセリフですよ」
やれやれと溜息混じりにミカちゃんが返す。
「どちらの教会からいらしたのかは知りませんが、私は守るべきルールを守ってここにいます。干渉しないでいただきたいですね」
イケメンはすっと目を眇めると、今度は私をじっと見つめる。
何も言われてないのに、何か責められてるような気がして落ち着かない。
「あの、あの、ミカちゃんは何も悪いことしてませんから!」
「――君は、これが何だかわかったうえで共にいるのか」
「え、ええと、一応知ってます」
「なるほど」
ますます睨み付けられて、私もじっとりと冷や汗をかいてしまう。
「あの、ほんと、ミカちゃんはうちのこといろいろやってくれてますし、私もすごく助かってるんです」
変な弁解だけど、私が助かっているのは確かなのだ。せっかく捕まえたオカンを手放すなんてもったいないこと、できるわけがない。
どうにか見逃してもらえないものかとあたふたする私のうしろで、ミカちゃんがくすりと笑った。
「律子さん、大丈夫ですよ。こちらへ下がっていてください」
そう囁いて、ミカちゃんは私をそっと自分の背中側へと押しやる。
「ともかく、私はきちんと協定を守っているのですから、ここであなたにとやかく言われる筋合いはありません。日本は教会の管轄外ですし、あなたも協定を守らねばならないはずですよ。それとも、無視して私に手を出して、このあたり一帯のすべてや出雲のお方も敵に回すおつもりですか。
それに、あなたは迷信を信じておられるようですが、“アンデッド”という呼称は訂正していただきたいですね。私はこれまで一度も死んだことなどありません」
イケメンの表情が困惑に変わった。「協定?」と反芻して、ミカちゃんと私を交互に見やる。
「お前は何かの約定に従っているということか? そこの人間も魅了されているというわけではなさそうだし……」
「ずいぶんと失礼な物言いですね」
ミカちゃんが本気で気分を害したという声を出す。
大丈夫だろうか。
喧嘩になったりしないだろうか。
まんいち喧嘩になったりしたら、ミカちゃんに勝ち目はあるんだろうか。
ミカちゃんの背に隠れたまま、ヒヤヒヤしながら、私はふたりの話の行く末をじっと見守った。
ぶつぶつと何かを呟いていたイケメンは、不承不承といった様子ながらも、ようやく納得したようだった。
「なら、僕もお前には手を出さないことにしよう。“郷に入っては郷に従え”というものだと言われているしな」
くるりと背を向けて立ち去る彼の姿に、私はほっと安堵する。荒事になったらどうしようかと思ったのだ。警察は助けてくれるだろうか、とか。
「……聖なる者って、怖いんだねえ」
教会とか、普通はもっと穏やかで優しいものだと考えていたのに、今のイケメンは明らかに違っていた。
「喧嘩になったらどうしようって、ドキドキしちゃったよ」
「どうやら、こちらに来て日が浅い者のようでしたね。協定もあまりご存知ないようでしたし」
「ね、ミカちゃん、協定って?」
「平たく言えば、私たちのような者が守るべきと定められたルールです。もちろん、西の教会や聖なる者たちも、これを遵守することに同意しております。
ルールに従う限り、お互い不干渉ということにもなっているのですよ」
なるほど、そんなものがと私は感心する。
たしかに無法地帯では、今みたいな時に困るものな、と。
「日本には、海を渡っていろいろなものが入り込んでいますからね。
各々が勝手に振舞って大変なことになってはたまらないと、出雲の聖なる方がお決めになったらしいですね」
「よくわからないけど、人間じゃない人たちもいろいろ大変なんだね」
「ええ」
ミカちゃんはにっこりと微笑む。
「では、ペトラさんもお待ちですし、帰りましょうか」
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